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金持ちな物好き

 テレサの家の中に通された。そのまま食堂に向かう。重厚な一枚板でできたテーブルが鎮座しており、部屋のあちこちに置かれた壺や置物が、全て高そう。金持ちと言うより、成金といったイメージだ。

 食堂はかなり広く、着座のパーティでも30人くらいは収容できそうだ。立食パーティなら50人くらいは入れそう。おそらく、頻繁にパーティを開いているのだろう。


 テレサに促されるまま食堂の隅に座った。


「失礼します。ではさっそく商品なんですが……」


「待ってください。一度使ってみましょう。使い心地が良ければ、パーティ用に購入しますよ」


 そう。これが俺の狙い。社交的な金持ちはパーティを開きたがる。揃いの食器が大量に必要になるはずだ。毎回同じ食器を使うということに抵抗がある人が多く、今後の需要も見込める。


「はい。気に入っていただけると思います」


「ちょうど軽食の準備をしていたところなんです。申し訳ありませんが、少しお時間をください」


 テレサが直接玄関を開けたことを不自然に感じたが、使用人は食事の準備で忙しかっただけみたいだ。使用人は少人数体制なのだろう。


「あ、お気遣いなく。どうぞお試しください」


「昼だから軽い食事ですけど、良かったらお2人もいかがですか?」


 お……確か親が漁師だったよな? ということは、新鮮な魚が期待できるんじゃないか?

 魚はすぐに腐るので、家で出てくることは少ない。食べたければ屋台か飲食店で買うのだが、干物と塩漬け以外の魚はとにかく高くて、買う気になれなかったんだ。


「それは嬉しいですが、本当にいいんですか?」


「はい。使っている姿も見たいので、是非食べてください」


 そう言われてしまっては断る理由がないな。ありがたくごちそうになろう。

 俺たちはフランツが持ち歩いていた食器セットを使う。中古品になってしまうが、これは必要経費だ。また同じことが無いとも限らない。今後は試供品として使おう。


「ありがとうございます。いただきます」



 キッチンが近くにあるのだろうか。香ばしい匂いが漂ってくる。しばらく待っていると、若い女性の使用人によって、ワゴンに載った大きな皿が運び込まれた。その大皿には、豪華なドームカバーが被せられている。さすが金持ち。フランス料理みたいだ。


 小さな取り皿が配られたところで、テレサがドームカバーを開けた。すると、テーブルの上にふわりと湯気が広がった。湯気の向こうにあったのは、大皿に乗った大量の虫……。香ばしい匂いが逆に憎らしい。


 数種類の虫が油炒めにされている。謎の幼虫、謎の甲虫、辛うじて種類が判別できる虫はセミだけだ。


「あれ? どうされました? 食べないんですか?」


 テレサは謎の幼虫をフォークで突き刺しながら、事も無げに言う。

 困った……。ムスタフが渋っていたのはこのことか。日本でも虫を食べる地域があることは話に聞いている。だが、好んで食うかと聞かれたら、答えはもちろん「ノー」だ。


「えっと……テレサさんはいつもこのようなお食事を?」


「え? そうですけど……何かおかしいですか? あ、油が安物でしたね。ありあわせで申し訳ありません」


 違う! そこじゃない! もっと重要な問題があるだろうが。


「いえ、ずいぶん珍しい物でしたので、少し驚いたんです」


「そうでしたか。確かに、この地域では珍しいですよね」


 テレサの口から、ボリボリと咀嚼音が聞こえる。何を食べているの? いや、虫なんだけど。


「これ……食うのか?」


 フランツが気味悪そうに言った。客の厚意で出された物に文句を言うな。と言いたいところだが、今回は仕方がない。俺ですら少し躊躇うぞ。


「食べましょう。せっかく用意してくださったんです」


 幼虫は……ちょっと嫌だな。カブトムシくらいの大きさで、食べごたえは十分なのだろうが……。あれが口の中で弾ける想像をしたくない。甲虫も硬そうだから嫌だ。となると、セミしかない。


 ――何ゼミかな? 日本にもよく居るやつかな? クマゼミみたいだぞ。ジーと鳴くうるさいやつだ。こんな姿になってしまって……。


 現実逃避はこれくらいにして、とりあえず食べよう。

 意を決して口の中に放り込んだ。皮はサクッとした食感なのだが、油が染み込んでいて湿っぽい。薄い塩味とともに、土臭いようななんとも言えない味が口いっぱいに広がった。噛めば噛むほどセミの味が染み出してくる。


 セミだと思わなければ美味い……? いや、後味が土臭い。無駄に旨味が濃いのが逆に腹立つ。



 フランツも、俺の隣で涙を堪えながら必死で咀嚼していた。フランツの小皿には、全種類の虫が丁寧に乗せられている。ずいぶん攻めるなあ……。俺は得体の知れない幼虫なんて食べられないぞ。


 大皿からセミだけを摘出して自分の小皿に乗せる。並ぶセミ。これが生きていたら、やかましくて仕方がないだろう。


 1匹食えばあとは同じ。香ばしい匂いが漂うセミを、次々に口に放り込んだ。



 激闘の末、大皿の上に乗った虫は俺たちの胃袋に収まった。しばらく虫は見たくない。思い出したくもない。


「お口に合いましたか?」


 いや、全く。もう一生分の虫を食ったと思う。ムスタフが渋ったわけを、もっと真剣に考えるべきだった。

 しかし返答に困る質問をするなよ。『ノー』と答えるわけにはいかないが、『イエス』とも答えられない。


「おじいさんは漁師だと聞いていたので、てっきり魚料理が出てくるのだと思っていました」


 俺がそう答えると、テレサは露骨に嫌な顔をした。うまく濁したはずなんだけど、不快にさせてしまったようだ。


「すみません。お祖父様がお魚ばかり食べさせるので、魚と聞いただけでも嫌な気分になるのです。やはり、お魚が食べたかったのですか?」


「あ、いえ。決してそういう意味では……」


 正にそういう意味なんだけど、さすがに面と向かって言えるわけないじゃないか。


「私、お肉も苦手なんです。体質に合わないみたいで。いろいろ試したんですけど、虫が一番美味しかったんですよ」


 何をどう試したら虫に行き着くんだろう。蛙とか蛇の方が、まだ抵抗感が少ないと思うが……。まあ、それはそれで困るけど。


「そうでしたか。食べられない物が多いと大変ですね」


「そうなの。街の屋台に行っても、食べられない物ばっかり。だから、こうして家で食べているんです」


 それはいいとして、虫はどこから調達しているんだろう。店には売ってないぞ。



 まあ何にせよ、質問の答えは有耶無耶になった。さっさと話題を変えよう。


「それで、使ってみてどうでした?」


「あ、良いと思いますわ。次回のパーティで使わせていただきます。いつも20人くらいを招待していますので、予備を入れて30セットを注文しますね」


 20? 虫食い仲間が20人も居るの? そこにびっくりするんだけど。


「それはありがとうございます。では、後日新品をお届けしますね」


 頑張った甲斐があった。今日はかなり頑張ったぞ。できるなら、もう食べたくない……。


「あ、今日使った物はそのまま引き取ります。残り27セットを届けてください」


「いいんですか? 全部新品に取り替えますよ?」


「いいんです。そのかわり、次回のパーティまでに、絶対に間に合わせてください。今月の31日までです」


 31日なら確実に間に合うな。有り難い。お言葉に甘えよう。


「わかりました。それまでには必ずお届けします」


「それから、お2人も予定を開けておいてくださいね。正式にご招待します」


 いや、おい待て! ありがた迷惑! ついでにフランツも巻き添えを食らった。絶望のどん底に落ちたような顔をしている。


「えっと……その日は予定が……」


「キャンセルしてくださいっ! 今日の料理が我が家のおもてなしだと思われては困ります。本気のおもてなしでお待ちしておりますよ」


 逃げられない! テレサの意志は固いらしい。なんとか言い訳をして……。


「今日は急な訪問だったのですから、我々の分まで準備していただけただけでも満足ですよ。ですから、パーティの参加は辞退させていただき……」


「パーティはこんなものではございませんから。必ず来てくださいね」


 テレサは俺の話を遮り、優しい微笑みを浮かべていった。

 逃げ切れなかった……。観念するしかないか。まあ、死ぬようなことはないし、パーティには他の金持ちも来るはずだ。人脈を広げるチャンスだと思えば、まだ納得できなくもない。


「分かりました。お邪魔させていただきます」


 フランツを見ると、通夜の帰りみたいな顔をしている。可哀想だとは思うが、絶対に連れて行くからな。虫食いパーティなんて、1人では難易度が高すぎる。



 テレサの家を出ると、しばらく無言であてもなく歩き続けた。精神的に疲れすぎたんだ。

 今日は終始向こうのペースに翻弄された。売れたから良かったものの、あまり良い営業にはならなかった。


「フランツさんも、よく頑張りましたね……」


 自然とねぎらいの言葉が出てくる。


「ありがとうございます。頑張りました……」


 フランツも自然とお礼を返す。初めてフランツの素直なお礼が聞けた。過酷な体験だったが、悪いことばかりではなかったな。


「次は月末です。心して掛かりましょう」


「あんたは大丈夫だったんですか?」


「まあ、味は意外と普通でしたからね。我慢できないほどではありませんでした」


 いや、俺はセミしか食ってないから。フランツみたいに冒険してないから。


「さすがですね……。オレはもう限界です……。ごめんなさい。先に帰ります」


 フランツは憔悴しきった様子で、フラフラと歩いて行った。精神的に疲れ切ったのだろう。そして俺も滅茶苦茶疲れた。今日の営業はこれまでにして、実験用工房で少し休もう。

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