付加価値
走り去るエマを、フランツは寂しそうに見送っている。今回の件が迷惑行為だということを、いまいち理解していない様子だ。
エマが銀行の中に姿を消したことを確認すると、フランツが俺を睨みつけて怒鳴った。
「おいっ! 何勝手なことをしてんだよ! 売りそこなっただろうが!」
「そういう問題ではありませんよ、フランツさん。友人を何だと思っているんですか。金づるですか? 便利屋ですか?」
ドミニクとかギンとかカラスとか、そのへんの連中は俺の金づる兼便利屋である。だが、俺は連中にもしっかりとメリットを与えている。一方的な搾取はあり得ない。それをやった時点で関係が崩れる。
フランツが今やろうとしていたことは一方的な搾取だ。友人関係を盾にした強引な押し売り。これは詐欺と変わらない。
「そんなことはないっ! エマ姉なら助けてくれると思っただけだ!」
「その考えが良くないんです。友人を頼るなとは言いません。でも、友人に無理やり物を買わせるなんて、商売人として失格ですよ」
これは頼り方の問題。『欲しい人が居たら教えて』という話なら、エマも手助けをする気になっただろう。本人に買わせるという選択が間違いだ。下手をすると、友人関係にヒビが入る。
「何でだよ! 買ってくれたらそれでいいだろ!」
「その結果、エマさんに嫌われても、ですか?」
「……はあ? そんなわけねえだろ。エマ姉はそんなことで嫌ったりしねえ」
フランツは不安げな表情を浮かべながら言った。少し自信が揺らいでいるらしい。
「一度だけなら嫌わないでしょうが、二度、三度と繰り返すうちに、あなたと顔を合わせるのが億劫になりますよ。そうなっては手遅れです」
人の信用とはそういうものだ。積み重ねるのは大変だが、崩れるのは早い。顔を合わせるたびに「何か買え」と言われては、会いたくないと思うのも無理はない。
「エマ姉はそんな人じゃねえよ……」
「いいですか? 人の厚意は有限なんですよ。たとえ家族以上の付き合いがあったとしても、不義理を続ければ簡単に壊れます。壊したいんですか?」
人間関係を消耗したいと言うのなら、無理に止めるようなことはしない。店から追い出して強引に独立させるだけだ。後のことは知らない。
「壊したくねえ……」
「でしたら、そのような売り方はやめましょうね」
「分かったよ……。じゃあな」
フランツは、そう言ってトボトボと歩いていった。今日の一件は相当に堪えたようだ。これで心を入れ替えてくれればいいんだけど……。
あ、うっかり人前で説教してしまった。でもまあ、被害を水際で食い止めたんだ。良かったと思おう。
用事を済ませるために銀行の中に入る。すると、エマがカウンターの奥の方で書類の整理をしていた。特に呼び止める用も無いので、いつものおっさんに話し掛けて振り込みの手続きを進める。
「やあ、兄ちゃん。最近よく来るね。儲かっているみたいで何よりだ」
カウンターの向こうのおっさんがにこやかに話し掛けてきた。この人の言うとおり、俺は何度も足を運んでいる。主に仕入れ先への支払いだ。嬉しいものではない。
「言うほど儲かっていないんですけどね。投資ばかりで実入りが少ないんですよ」
謙遜ではない。本当に儲かっていないんだ。特に、工房を増やしたのがキツイ。あの工房が金を生み始めるのはまだまだ先だ。
「投資……? まさか、鉱山の話じゃないよな?」
おっさんが訝しむように言った。例の投資詐欺の話だろう。もう噂になっているのか。どんな噂なのか気になるな。
「違いますけど、何かあったんですか?」
「ああ、知らないなら教えてやる。街中で問題になっている、大規模な投資詐欺だ。振り込んだ金を返せって、銀行に言ってくるんだよ。参るよな。うちに言われたって何もできないのによぉ。主犯はもうこの街に居ねえらしいけど、あんたも気を付けな」
おっさんは苦笑いを浮かべながら愚痴をこぼした。
すでに逃亡しているのか……。行動が早いことで。
まあ、今回被害に遭った金は返ってこないだろうなあ。可哀想だけど自己責任だ。何人かは現在進行系で騙され続けていたはずだが、その人たちはどうなったんだろう。エマの家族とか。後で聞いてみよう。
「忠告ありがとうございます。気を付けますね」
気を付けるも何も、詐欺を告発したのは俺だ。俺があの集会で騒ぎを起こさなければ、被害はもっと拡大していたはず。
あの手の詐欺の怖いところは、誰かが告発しない限り長期に渡って搾り取られることだ。
奴らは失敗したが、俺ならもっと上手くやる自信がある。まず一口の投資金額を1万クランまで減らし、リターンの割合を1%以下に設定する。さらに、投資金額に応じてリターンの割合を増やす。
この設定にすると、幅広い層の顧客から集金できるし、リターンを返すのが苦にならないから疑われにくい。
そうやって信用を積み上げたら、投資金額の上乗せを持ちかける。その間にも口コミで新規客が増えているだろう。これが長期的に搾取する定番の手法だ。
まあ、やらないけどね。これは詐欺の中でもかなり悪質な部類に入る。日本に居たときですら、こんな詐欺はやったことがないんだ。この国でやる理由がない。
そろそろ箱の乾燥が終わっただろうか。工房に戻って最後の仕上げをしようと思う。
レベッカに言われた通り、乾いた布で磨いた。すると、ざらついたようになっていた表面が、光を鈍く反射させる程度まで艶が出た。箱だけで売っても問題ないレベルだ。
心配していたラベンダーの香りも問題ない。油の嫌な臭いが消えて、ラベンダーの匂いだけが微かに香っている。
――これで完成だな。
食器セットを詰め込み、さっそくイヴァンの工房に届ける。
イヴァンの工房の扉を開けると、イヴァンは小さな店舗スペースで何か書類仕事をしていた。
この工房は小さな店舗と大きな作業場で構成されていて、作業場は蒸留器で占領されている。イヴァンは小さな店舗部分を自分の事務所にしたらしい。
「イヴァンさん。お待たせしました」
抱えていた8箱をテーブルの上に置くと、イヴァンは顔を綻ばせた。
「おお、お待ちしておりました。これがその商品なんですね。開けてみてもいいですか?」
「どうぞ。中を確認してください」
そう返事をすると、イヴァンは一番上の箱を開けた。すると、箱の中に籠もっていたラベンダーの香りが、辺りに広がる。
「え……? 花?」
イヴァンはあたりを見渡して、不思議そうに呟く。
「そうです。箱にラベンダーの香りを付けました」
「これは凄い! こんな素晴らしいものを、たった1万クランでいいんですか?」
イヴァンから聞いていた予算は1万クランだが、今回のセットはそこまでコストが掛かっていない。店売りならともかく、イヴァンに売るなら安くても問題ない。
「いえ、7500クランでいいですよ」
「安すぎます! 1万クランでも安いくらいですよ。ところで、まだ在庫はありますか?」
「まあ、イヴァンさんの贈り物ですからね。値段については問題ありませんよ。でも、残念ながら香り付きはあと2箱です。香りが無いものなら10箱あるんですけどね」
「なるほど。でしたら、私の贈り物は香りなしでいいです。香り付きのものは、私に売らせていただけませんか?」
イヴァンは箱の蓋を閉じながら言う。売ってくれるのであれば有り難い話なのだが、今は勝負の最中だしなあ……。
「それは構いませんが、ちょっと込み入った事情がある商品なんです」
そう言って、フランツとの勝負の話を説明した。
「分かりました。不肖イヴァン、店主さんのお手伝いをしましょう。箱入りの食器セットは、私が責任を持って売ってきます。特にこの香り付きの箱。これは間違いなく売れるでしょう。全て私が引き取ります」
イヴァンが胸を張って答えた。いつもよりテンションが高い。勝負と聞いて燃えているのだろうか。意外と熱い男のようだ。こんなことなら、全部香り付きにすれば良かったかな……。
「ありがとうございます。お任せしますね」
5セットの食器が入った箱が20箱。全部で100セットだ。これも掛売りだが、今日も無事に売ることができた。
イヴァンへの卸値は、当初の予定通り7500クラン。イヴァンはこれを12000クランで売ると言う。イヴァンはこの箱の付加価値を高く評価しているらしい。
ただし、箱の製造が勝負に間に合いそうにない。とりあえず先に中身だけ渡すことで俺の成績とする。箱は後日だ。
「最後に一つご相談なんですが、2セットが入る箱も作っていただけませんか?」
イヴァンは帰ろうとした俺を制止して、遠慮深く話し始めた。
「職人さんに聞いてみないと分かりませんが、たぶん大丈夫です。でも、2セットの箱なんて売れますかね……」
「もちろんです。新婚夫婦や独り立ちする方へのお祝いとしては、5セットよりも2セットの方が喜ばれます。これも20箱、香り付きで準備していただけると助かります」
売れるらしい。これはレベッカに無理をさせてでも作った方がいいな。
「承知しました。箱はどうにかしましょう。少し時間がかかるかもしれませんが、大丈夫ですか?」
「少しくらいなら待ちますよ。こちらはすぐに売れるものではないと思いますから」
追加で40セット。これも中身だけ先に渡す。これらは普段の委託販売ではなく、イヴァンの在庫になる。イヴァンは余計なリスクを背負うことになるが、それだけ売る自信があるのだろう。
ちなみに、イヴァンに売った食器セットは全て定価だ。箱の付加価値があるので、割り引きをしなくても特に問題ない。
今日の販売数は140セット。40セットは予定通りだが、100セットの追加が発生した。在庫を確保するため、一度店に帰ろう。





