迷惑行為
2日目の朝が来た。今日も張り切って売ろう。イヴァンの予約分である40セットを確保して、レベッカの工房に向かう。
工房の中に入ると、レベッカは完成した箱を抱え、床に並べていた。どう見ても完成していると思うのだが……。
「何をしているんです?」
「悪いっ! 間に合わなかった! 大事な工程を忘れていたんだ」
レベッカは俺の顔を見ると、焦ったように言った。
「完成しているようですけど……」
「最後に仕上げの油を塗るんだ。油を乾燥させるには、あと半日は掛かるよ」
油? ニスみたいなものかな。見栄えと耐久性が変わるから、できるならやっておきたい。イヴァンとの約束は『今日中』だ。まだギリギリ間に合う。許容範囲かな。
忘れていたというのは、最近リバーシの木片ばかりを作っていたせいだと思う。塗装をカレルに任せているので、レベッカは仕上げなしで納品していた。おそらく、今朝になって急に思い出したのだろう。
「分かりました。僕も手伝いますから、すぐに終わらせましょう」
「お願いっ! じゃあ、あたしが塗るから、順に並べていって」
レベッカが抱えていた箱を受け取り、床に並べていく。レベッカはその横で箱に油を塗り始めた。日本のニスのような鼻を刺すような臭いがしない。酸化した食用油のような臭いだ。
「それって、どんな油なんです?」
「どんな? 普通の仕上げ用の油だよ?」
刷毛を動かす手を休めることなく、ぶっきらぼうに答えた。
「すみません。僕はその普通を知らないんです。食用油とは違うんですか?」
「ああ、少し違うらしいよ。詳しくは知らないけど、食用油よりも乾きやすいんだってさ」
乾きやすいだけで、食べられない油ではないそうだ。材料が違うだけで、普通の植物油だ。ということは、アレが使える。
「なるほど。試したいことがあります。油を少し分けてください」
試したいこととは、使い道に困っていたエッセンシャルオイルのことだ。ほんの少しだけ混ぜて、箱に香りを付けようと思う。
美容液を作った時に、最適な分量は計測した。匂いが強すぎると気持ち悪いだろうから、美容液の時の倍くらいまで薄める。
仕上げ油を小皿に取り分け、エッセンシャルオイルを一滴垂らした。すると、工房の中に花の香りが立ち込める。
「うん? ラベンダー?」
「そうです。これは食器を入れるための箱ですからね。清潔な香りがしたら、イメージがいいじゃないですか」
他にも防虫効果や殺菌、消毒の効果があったはず。それに、食器は金属だから匂い移りも心配ない。今回の用途にはちょうどいいだろう。
とは言え、全て匂いつきの箱にしてしまうのは拙い。失敗したら箱が台無しになってしまうので、20箱のうち半分は普通の仕上げ油を使う。
「へぇ、面白いね。今入れたのは水かい?」
小皿に入れた油をかき混ぜていると、レベッカが興味深く覗き込んできた。
「いえ、油です。ラベンダーから取り出しました」
「うん? ラベンダーから油が取れるなんて、聞いたことも無いよ?」
この国の搾油は、全て手動で行っている。テコの原理を利用した絞り方だ。似たような方法で作られるエッセンシャルオイルもあるが、ラベンダーには向いていない。
「製法は企業秘密です。もし良かったら、仕上げ油に混ぜたものを販売しますよ」
「原液は売らないのか?」
原液を直接触るのは良くないし、目に入ったら危険。うっかり飲んでしまってもアウトだ。そのことを周知するのは難しいので、売らない方が無難だ。
万が一誤飲事故が発生した場合、たぶん責められるのはうちの店だと思う。販売禁止処分を受けるだろうし、下手をしたら賠償金の請求がくるかもしれない。そんなリスクを冒してまで売りたいものではない。
安全なレベルまで薄め、すぐに使える状態にしてから売る。まあ、その方が儲かるという理由もあるのだが。
「扱いが難しいので売れませんね。使い方によっては毒にもなりうるんですよ」
「え? じゃあ、実はラベンダーのお茶は危険?」
レベッカは顔を曇らせた。毒という言い方が良くなかったか。ラベンダー自体が危険だと思わせてしまったようだ。
「そんなことはありません。エッセンシャルオイルが濃すぎるんです。お茶を樽で飲むようなものですから」
「うわ……。それは無理だね。体に悪いわけだよ」
レベッカは、樽に入れられたお茶を一気に飲む想像をしたらしい。それは別の意味で死にそうだぞ。
雑談をしながらも、作業は淡々と進められている。油を刷毛でむら無く塗るだけの作業なので、途中から俺も塗りの作業を手伝った。
「ありがとう。これで完了だよ。あとは、これを半日乾かすだけだ」
作業は割と簡単に終わった。後は待つだけだ。しかし、完成した頃にまたここに来るのは面倒だな……。
「では、持って帰ってもいいですか?」
「いいけど……ちゃんと広げて干してね。あと、日に当たるとシミになるから。風通しがいい室内で干すことをオススメするよ。最後に乾いた布で磨くともっと艶が出るから、時間があるならやった方がいい」
よし。それくらいなら自分でできるな。実験用工房で乾燥させよう。
「分かりました。ありがとうございます。急がせてしまって申し訳ありませんでした」
「いいって、いいって。その匂い付きの仕上げ油、面白そうだからあたしにも売ってね」
レベッカは爽やかな笑顔を向けて言った。昨日は不機嫌そうな様子だったが、今日はむしろ上機嫌だな。一仕事を終えて、晴れやかな気分なんだろう。
油を売るのは構わないのだが、上手くいったかどうかが分かるのは数時間後だ。今回の箱は実験でもある。香りの強弱も、乾燥しないと判断できない。
「了解です。上手くいったらお届けしますね。では今回の依頼料なんですが……」
「ゴメン! 悪いんだけど、銀行に振り込んでくれない? 銀行の残高が拙いことになっているんだ」
レベッカは、そう言って顔の前で手を合わせた。
「あ……そうなんですか。了解です。今日中に振り込んでおきますね」
ちょっと余計な手間だが、まあいい。もしレベッカの工房が止まったら、困るのは俺だ。
20個の箱を袋に詰め、実験用工房に持ち帰った。久しぶりに入った実験室が、とてもキレイになっている。エマが掃除をしてくれたのだろう。エマは仕事に行っているようで、工房には居なかった。
机の上に箱を並べたのだが、意外と匂いがキツイ。ラベンダーと仕上げ油の匂いが混じり、部屋の中に充満した。これは掃除が大変だぞ……。
銀行に到着すると、フランツが銀行の前で誰かと話しているところを見かけた。その相手はエマだ。ルーシアの昔からの友人だから、フランツとも交流があるのだろう。一応挨拶をしておくか……。
2人に近付くと、話の内容が聞き取れた。
「頼むよ、エマ姉。今日売れないと拙いんだ。1セットでもいいから……」
「ごめんね。何度も言っている通り、今はお金が無いの。もう少し早く言ってくれれば、買ってあげられたんだけどね」
フランツは、エマに売り込みをかけているらしい。そしてあっさりと断られている。エマは最近高額詐欺に遭ったばかりだ。もう金が残っていないのだろう。
しかし、フランツめ……。次から次へと詐欺師みたいな売り方をしやがって。あいつは営業マンよりも詐欺師の方が向いているんじゃないのか?
「フランツさん。そのような売り方は、やめるように言いましたよね?」
フランツの背後から声を掛けると、フランツはぎょっとして振り返った。
「うわっ! なんで居るんだよ!」
「振り込みです。エマさんが困っているでしょう?」
「あ……ツカサさん。ご無沙汰しています」
エマも俺に気付いて会釈をしてきた。ご無沙汰というほどでも無いと思うが。
「え? エマ姉、知ってるの?」
フランツが迷惑そうな顔で言う。
「知ってるわよ。困っていた時に、助けていただいたの」
後からルーシアに怒られたんだよなあ。良かれと思って助けたんだけど、どうやらお節介だったみたいなんだよ。
「いえ。余計なことをしてしまったみたいで、申し訳ありません」
「そんなことはありませんよ。とても助かっています。住心地もいいですし、あんなにきれいな家をお借りして、良かったんですか?」
「大丈夫ですよ。僕は住んでいませんからね」
俺は昼間しか行かないし、エマは夜しか居ない。顔を合わせるチャンスはなく、それどころか同じ屋根の下に居るということを意識することすら無い。俺とエマは『同じアパートの住民』くらいの位置付けだ。
「オレを無視すんなよ! 勝手に話に割り込むな!」
「割り込むも何も、止めないとエマさんに迷惑がかかるでしょう。エマさんも、お仕事に戻っていいですよ。お騒がせしました」
「何を勝手にっ! エマ姉、待って。まだ話が……」
フランツは必死な顔で足を出したが、フランツの前に片手を伸ばして遮る。
「大丈夫です。行ってください」
「じゃあ……フランツくん、ごめんね。お仕事に戻るから。ルーシアによろしくね」
エマは軽く会釈をして銀行の中に入っていった。本当に迷惑だったみたいだ。放っておくとルーシアにも迷惑がかかるから、後で何か埋め合わせをしておいた方がいいな。
それはともかくとして、フランツはどうにかしないと拙い。このまま野放しにしたら、次は何をしでかすやら……。キツめに注意しておこう。





