合法的押し売り
急いでナジブのアパートから飛び出したわけだが、ギンが不満そうだ。アパートから出るなり、俺に話し掛けてきた。
「何があったんすか?」
訳も話さず逃げるように帰ったので、気になっているのだろう。
「簡単に言うと、彼の理想が重すぎたんです」
重すぎて胃もたれを起こしそうだ。『牛丼ギガ盛りの肉が全部脂身だった』くらいのしつこさと重さを感じた。しかも話の内容に中身が無い。付き合うだけ時間の無駄だ。
「昔っから、ああいうヤツなんすよ。いつも何かを考えてるっていうか、なんかスゲーんす」
ギンからの評価は高いらしい。ギンに見る目が無いのか、俺の見切りが早すぎたのか。でもまあ、面倒な奴であることは間違いない。
「ギンには申し訳ありませんが、僕はちょっと信用できませんでしたね」
「なんでっすか。あいつはいいヤツっすよ?」
「そうですね。悪い人ではないと思います。でも、ビジネスとなると話は別です。人間性の良し悪しよりも、仕事ができるかを評価しなければなりません」
「あいつ、そんなに仕事できないっすか? 話を聞く限り、かなりできるヤツだと思うっすよ?」
「『周りから評価されていない』と嘆く人の多くは、評価に値するだけのことをやっていません。そのような愚痴をこぼす人には注意が必要です」
もちろん全員がそうだというわけではない。あいつの場合は他の言動から総合的に判断した。発言と行動が伴っていない。おそらく普段からそういう態度なんだと思う。口だけは立派だが、頭と手足が動いていないタイプだ。
「そうなんすか? ちょっと納得できないっす」
ギンが少しムッとしたように口角を下げた。
「まあ、あくまで一般論ですから。彼が実行に移したら、その時は素直に応援しますよ」
本当にやる気を出したのなら、本気で手助けしてやろうとは思う。新しいことを始める時は、世間の風当たりが強くなる。俺だけでも味方してやることができれば、少しは気が楽になるはずだ。
だが、実行に移さないなら俺は知らない。もう二度と会うこともない。他人の夢物語を笑顔で聞けるほど、俺の心は広くない。
「そっすか……。兄さんなら、あいつと気が合うと思ったんすけどね」
「友人として出会っていれば、評価は違ったかもしれませんね。今回は仕事だったので、少し目が厳しくなりました」
もし友人として出会っていても、面倒な奴だと評価した可能性が高いけどね。難しい言葉で煙に巻こうとする奴は、基本的に信用していないから。
まあ、何にせよ、無駄にした時間を取り戻さなければ。
「他に、飲食店を始めようとしている人に心当たりはありませんか?」
「もう居ないっすよ。そんなに都合良くポンポン現れるわけないじゃないっすか」
「そうですよね……。お手数をお掛けして、申し訳ありませんでした」
「あっ! いや、謝るようなことじゃないっす! オレの方こそ、なんかすんません! カラスにも聞いてみましょう。そういう情報は、あいつの方が詳しいっす」
ギンが焦ったように頭を下げた。
「カラスさんですか。でも、彼は個人向けの金貸しですよね? 開店する店の情報なんて、入ってこないでしょう?」
「そうでもないっす。店舗探しでカラスを頼る人は多いっすよ」
なるほど。カラスは物件の仲介をやっているので、普通の金貸しよりも情報が集まりやすいようだ。最初からカラスに聞けばよかった……。
ギンは忙しいようなので、ここで別れた。1人でカラスが居る公園に向かう。
カラスはいつもの屋根付きベンチで寝そべって、本を読んでいる。どう見ても暇そうだが、これがカラスの仕事なのだそうだ。店舗を持っていないので、ここで客を待っているらしい。
のんきに本のページをめくるカラスに近付き、声を掛ける。
「こんにちは」
「うわっ! 兄さん! びっくりさせんでくださいよ……」
カラスは勝手に驚いて飛び退いた。普通に話しかけただけだと思うのだが……。
「それはすみませんでした。ちょっと訊きたいことがあるんですが、お時間大丈夫ですか?」
「いいっすよ。なんすか?」
「最近、飲食店を開業しようとしている人を探しています。誰か居ませんか?」
「あ……居るっすけど……」
カラスは顔を曇らせて、返答を渋った。
「けど、なんです?」
「どういう用件すか……? 無茶な要求されると……ちょっと……」
押し売りを警戒しているらしい。カラスは俺のことを誤解しているな。日本に居た時から、強引な押し売りをしたことなど一度もない。しっかりと納得させた上で穏便に売っている。詐欺だけど。
「安心してください。商品を紹介するだけです。無理やり売りつけるようなことはしませんよ」
「すんません……。そこはお願いします」
カラスは慎重というか、仕事に関してはかなり真面目だ。クライアントを守るという意識をしっかりと持っている。ギンよりも仕事ができそうだな。
カラスは仕事があるということで、住所だけを聞いた。
その店舗は街の真ん中にある。立地は悪くない。外装は比較的キレイで、うちの店よりも小さいくらい。たぶん、俺の実験用工房くらいの大きさだ。
中から物音が聞こえるので、誰かがいることは間違いない。扉をノックして声を掛けた。
「こんにちは。どなたか居ますか?」
「誰だ?」
20代後半くらいの青年が顔を出した。料理人と言うにはゴツすぎる、まるで剣闘士のような体格だ。この国の飲食業は格闘技なのか?
「ウォルター商店のツカサと申します。飲食店をオープンされると聞き、お邪魔させていただきました」
「へぇ……。誰に聞いたか知らないが、耳聡いなあ。何を売りに来たんだ?」
「当店は主に雑貨を取り扱っていますが、今日ご紹介したいのはスプーンのセットです」
そう言って、手持ちのサンプルを手渡した。
「うぅん……。調度品はコータロー商店で揃えようと思っているんだよね。安いし、種類もあるし」
「そうでしたか。コータロー商店は安いですからね。良い選択だと思います。でも、僕が持ってきた商品も負けていませんよ。なんせ、この街では手に入らない商品ですから」
客の選択を頭ごなしに否定するのは悪手だ。たとえライバル店であっても、むしろ褒めるくらいでいい。その後でやんわりと否定して、こちらのペースに持っていく。
その理由は、人は誰でも自分の選択を正しいと思っているからだ。その選択を否定する行為は、相手の存在を否定するのに等しい。頭ごなしに否定してしまうと、間違いなく不快感を与える。
ちなみに、相手の選択を全力で否定して貶し倒す手法もあるのだが、詐欺師が好む手法だし、穏便に済ませたいので今回は避けた。
店主は食器セットを熱心に眺め、しばらく考え込んで呟いた。
「悪い物ではないようだが……ん? 手に入らない?」
「そうなんです。たまたま他所の街で仕入れた商品で、再入荷の予定はありません。コータロー商店は繁盛していますが、それは他の店も同じ物を買っているということですからね。差別化を図りたいなら、コータロー商店を外した方がいいですよ」
「ふぅん……。まあ、他所の店と同じじゃあ、面白くないもんなあ。いくらだ?」
少し興味を示したようだ。金額の話をするのはまだ早いのだが、求められたのなら答えた方がいいか。
「1セットあたり、1000クランです。この店の規模ですと、キャパは30人くらいでしょうか。それでしたら、食器は80人分ほど必要かと思います。ですから……」
「いや、ちょっと待て。コータロー商店とは話が違うぞ」
店主は怪訝な表情を浮かべ、俺の言葉を遮った。
「……え? コータロー商店はどう言っていました?」
「38席の予定だから、38セット。壊れた時の予備として、45セットあれば十分だと言われた」
少なっ! 足りるわけねえだろ。そして、予想よりも席数が多い。どれだけ詰め込んで座らせるつもりだよ。
「明らかに少なすぎますね。満席になった時のことが考えられていません。仮に満席になったとします。それだけで38セット必要ですよね。これは当然です。では、一組が帰り、次の一組が来たらどうです?」
「どうって、何がだ?」
「すぐに食器を洗って盛り付けるんですか? そんなことをしていたら、余計な手間が増えるだけですよね? 満席ということは、すべての業務が忙しくなっているはずなんです。皿洗いは後回しにされるでしょう」
「あ……言われてみれば……」
「満席の時間がどれだけ続くか、皿洗いに割ける人件費がどれだけあるか、考えることはいくつかありますが、席数の倍以上は準備した方がいいです」
「なるほどなあ……。悪いんだけど、もっと詳しい話を聞かせてくれないか?」
最良の状態で食い付いた。他店を引き合いに出された時、取るべき選択肢は大きく分けて2つ。商品の良さをアピールするか、商品以外の付加価値をアピールするか。
最初は商品の希少性をアピールしようとしていたが、途中でプランを変更した。コンサル的なことをして、俺の方がこの店のことを考えているとアピールした。上手く転がれば、食器セット以外の売上が見込める。
「何でも聞いてください。お答えできる範囲でしたら、何でもお答えしますよ」
「そうだな……。とりあえずスプーンのセットを買うから、後日また来てくれ。悪いけど今日は時間がないんだ。話をする時間を作るから、その時ゆっくり話したい」
今日は俺も忙しいので、それは好都合だ。帰らせてもらおう。
「もちろんです。今日はお忙しいところ、ありがとうございました。またお伺いさせていただきます」
有り難いことにサクッと売れた。最初に提示した80セットだ。値段交渉をしなかったので、定価で売れる。まあ、1割くらいは値引くが。
商品は残り420セット。次はどうやって売ろうかな。





