乱入
エマを送り届けて店に帰ると、不機嫌そうなルーシアが待ち構えていた。怒りの理由が理解できないが、適当に謝って済ませよう。
「ただいま帰りました。今日はすみませんでした」
何に対して謝るのか、全く分からないまま頭を下げる。これは人間関係を円滑にする、1つのテクニックだ。不毛な議論や口論を続けるのは、はっきり言って時間の無駄。頭を下げるのはタダなので、謝って済むならさっさと頭を下げて終わらせる。
「ツカサさん。ちょっとオハナシ、いいですか?」
ルーシアは笑顔で言うが、目の奥が笑っていない。反省していないことがバレているのか?
「……何です?」
恐る恐る聞いてみた。
「女の子からの相談は、聞いてあげるだけでいいのです。解決や対策は必要ありません」
「え? でも、事態を好転させたいから相談するんですよね?」
「確かにエマは困っていましたけど、自分でどうにかするつもりだったんです。家族の問題ですから」
「そんなことは一言も聞いていませんが……」
「察してください!」
無ー理ー! あの短いやり取りの中でそんなことを察するのは、心が読めないと無理だ。
そもそも、相談事は解決するのが大前提だろ? 解決が無理なら、次善策を提案する。そうでなければ相談する意味がない。自分でだけではどうにもならないから、他人に相談するんだ。
本気の相談を受けたら、頭が勝手に解決案を探そうとする。そして、思い付いたら口に出さないと気が済まない。これが俺の生き方だ。誰に何と言われようと、いまさら変えることは不可能。
「難しい注文ですね……」
「そう……ですね。ツカサさんに言っても仕方がないですよね。変なところで鈍感ですから」
ルーシアは呆れたように言った。
生まれてこの方、鈍感という評価を貰ったことは無いのだが……。どちらかと言うと、感情の機微には敏感な方だと思っていた。
「そんなに鈍感ですかね?」
「鈍感ですっ! 今回はもういいですから、次からは気を付けてくださいね?」
ルーシアが不機嫌になった理由は、結局わからずじまいだった。友人の悩みを解決したのに、なぜ怒ったんだろう。
俺が直接手を出したから? ギンかカラスに丸投げすれば良かったのかな……。でも、あいつらは頼りになりそうにないしなあ。
ルーシアからの謎のクレームの対処が終わり、今日の業務が終了した。いろいろあって疲れたので、今日はもう寝る。
深い眠りの後、爽やかな目覚めを迎えた。今日の予定は何も決めていない。問題は山積み状態なので、それについて考えていこうと思う。まずはエッセンシャルオイルの用途についてだ。
外のカフェスペースの椅子に座ると、クッキーをつまみながらエッセンシャルオイルが入った瓶を見つめた。
――日本では何に使っていたかな……。
エッセンシャルオイルは刺激が強すぎるので、食用には使えない。クッキーに混ぜたり、お茶に入れたりという使い方はできない。肌に直接触れるような使い方も注意が必要だ。化粧品なら使えそうだが、それなら芳香蒸留水を使った方が早いし……。
思い付いた時は名案だと思ったのだが、意外と用途が少ない。日本では入浴剤に使うことがあったと思う。しかし、この国では湯船に浸かるということが少ないので、これも却下。
「本当に使い道がないな……」
そう呟きながら、クッキーの粉で汚れた手を服で拭った。
――おしぼりが欲しい。
思えば、この国にはおしぼりという文化がない。ナプキンも無い。ハンカチを持ち歩き、手が汚れたら全てそのハンカチで済ませる。ハンカチを忘れると、今のように服で拭うしかない。
とりあえず、おしぼりを準備しよう。この店の客は、ガサツなおっさんばかりだ。服で拭っている姿を何度も見かけている。
おしぼり計画を実行に移す前に、事前に確認するべきことがある。サニアが居るキッチンに出向き、話し掛けた。
「サニアさん。少し手間が増えるんですが、1つお願いをしてもいいですか?」
「何?」
「お茶を出す時に、お手拭きを貸し出したいんです。洗濯の手間が増えるので、先に確認しました」
サニアは一家の洗濯を一手に引き受けている。他にも、倉庫番と発注とカフェの料理を任せている。この店で一番忙しいのはサニアだ。サニアの仕事を増やす場合、注意深く確認する必要がある。
「お手拭き? ハンカチのこと?」
「そうですね。ハンカチを濡らして、お客さんに渡します」
「どうして濡らすの? 貸すのなら、そのまま貸せばいいじゃない」
「それだと、自前のハンカチを持ち歩いている人には意味がないですからね。どうせなら、多くの人に喜ばれる物の方がいいじゃないですか」
おしぼりは、濡れているから価値がある。手を清潔にするだけでなく、ちょっとした清涼感を与えてくれる。
「ふぅん……。まあ、いいんじゃない? ハンカチくらいなら、多少洗い物が増えても苦にならないわ。私は構わないわよ」
サニアはおしぼりの有用性に気付いていないみたいだが、了承は得られた。
「ありがとうございます。では、さっそく準備をしますね」
「ところで、ツカサくん、今日は様子が違うわよね? 何が違うのかしら……」
サニアが訝しげに俺の顔を覗き込んだ。たぶん、髪の毛だろう。今朝から美容液の人体実験をしている。
「髪に美容液を塗っているんです」
美容液と言うより、整髪料と言った方が正しいかな。パサついた髪をまとめて、艶を出すために使う。
「前に話していた、臭い油よね。あの臭い、本当に苦手なの……あれ? 臭くないわね……ラベンダー?」
サニアは俺の頭に顔を近づけて、不思議そうに呟いた。
「はい。改良して、ラベンダーの香りを付けました」
「ねえ、それ貸してくれないかしら」
「いいですよ。どうぞ、使ってください」
俺がそう言って瓶を差し出すと、サニアはポケットに突っ込んだ。『貸す』ってそういう意味だっけ?
何にせよ、サニアの了承は得られた。さっそく倉庫に行って、大きなタオルを切り刻む。
タオルと言っても、日本のタオルのようなパイル地ではなく、木綿で作られている。おしぼりサイズに切ってやれば、すぐにおしぼりとして機能する。ただし、断面からほつれていくので、あまり長持ちしないだろう。
いずれ裁縫を依頼するとして、今はこれで十分だ。
ルーシアにおしぼりの説明をしていると、店の扉が開くとともに、威勢のいい声が響いた。
「ただいまぁ!」
店の出入り口には、1人の少年が立っている。薄汚れた服を着ていて、長旅をしてきた様子が見て取れる。
「フランツ……?」
ルーシアが驚いた表情を浮かべ、声を漏らした。
「誰です?」
「弟です。まだ帰ってくる時期じゃないはずなんですけど……」
こいつが……。よく見れば、ウォルターによく似ている。長い金髪を後ろで結び、自信に満ち溢れた表情をしている。
顔は悪くないが、ちょっと身長が低いみたいだ。ルーシアと同じくらい……じゃないな。シークレットブーツを履いている。160センチも無いんじゃないか?
「ぁんだよ! ずいぶん変わっちゃったなあ。場所も悪いしさぁ。迷っちゃったよ」
フランツは、店内を見回しながら言う。
「突然どうしたの? まだ修行中よね?」
「店が移転したって聞いたからさあ、忙しいんじゃないかと思って。おやっさんに無理を言って、帰らせてもらったんだよ」
ウォルターの息子にしては気が利くじゃないか。確かに、今のウォルター商店は無駄に忙しい。サニアも1日中働いているし、ルーシアは外出もままならない。暇なのはウォルターだけだ。
「それは助かるんだけど、修業は本当にいいの?」
「いいんだよ。学べることは全部学んだし、今すぐでもこの店を継げる」
フランツは自信満々で言うが、こいつに店を継がせる気は無い。ウォルターの思想を受け継いでいる可能性がある。仕事を振るにしても、こいつの能力を見極めてからだ。
「せっかく帰ってきてくれたのですから、お手伝いを頼みましょうか」
「あぁ? 誰だよ、こいつ」
フランツは、嫌そうな顔を俺に向けた。
「ウォルターさんに代わって店主を任されている、ツカサです。あなたがフランツさんですね。お話は聞いていますよ」
「はぁ? 店主? どういうことだよ! 父さんは? 今すぐ父さんを呼んで!」
声を荒らげるフランツに、できるだけ丁寧に対応する。
「今は外出中です。夕方までお待ち下さい」
「あんたには聞いてない。姉さん、父さんは今どこにいる? 銀行?」
なかなか厄介なガキだな……。素直さが足りない。マルコだって、もう少し素直だったぞ。
「さぁ……? 私も知らないわよ? どこかの商店に居るのは確かだけど、どの店に行くかなんて、いちいち聞かないわ」
「何で知らないんだよ! 店主の予定くらい聞いておけよ!」
「ですから、今の店主は僕なんですよ。ウォルターさんには自由に動いてもらっています」
「あんたには聞いてないっていってるだろ! 話に入ってくるなよ!」
フランツの中で、俺を敵として認識したらしい。そっちがその気なら、俺も敵として対応するぞ。
「父さんは夕方まで帰ってこないから、待つしか無いわ。お茶を淹れてあげるから、おとなしく待ってて」
「……わかったよ」
フランツは、そう呟いてカフェスペースの椅子にドカッと座った。
石鹸工房、コータロー商店、エッセンシャルオイルの用途。次から次と問題が増えていくのに、またさらに問題が増えた。次は弟の問題かよ。ウォルターも頑固だったが、こいつはそれに輪をかけて頑固そうだ。面倒だな……。
まあ、サニアからは心をへし折る許可を貰っている。ベッキベキに折り倒してやろう。





