防犯対策
今日の実験はこれで終わり。道具と資材を鍵付きの棚に仕舞い、戸締まりをして工房を出た。エッセンシャルオイルと美容液は持ち帰り、店でも実験してみようと思う。
店に帰ると、閉店の時間だと言うのにまだ店から光が漏れている。まだ客が残っているらしい。
店の中に入ると、店内のカフェスペースに人が溢れている。その中心にいるのはウォルターだ。
「ツカサ! いいところに帰ってきた! ちょっとこっちに来てくれ」
ウォルターは、俺の顔を見るなり叫んだ。
「何の騒ぎです?」
「例の投資話だ。彼らは説明を聞きに来ているのだが、私では答えられんことが多すぎる。かわりに答えてやってくれ」
ここに居る人達は全員、投資詐欺の集会に参加していた人たちのようだ。後日改めて説明すると言ってその場を離れたのだが、その後日が今日だったらしい。全てウォルターに任せたので、俺は聞いていなかった。
「まあ、いいですけど……」
ウォルターに丸投げした意味がないじゃないか。面倒だから押し付けたのに、結局自分に返ってきたぞ。
狭いカフェスペースに、30人位だろうか。外テーブル用の椅子も店内に設置してあるのに、半数以上が立っている。
男性が7割、女性が2割と言ったところだろうか。残りの1割は、見た目では判別できない人だ。わざわざ聞くようなことでもないので、気にしない。
「ウォルター商店店主、ツカサです。僕が質問を受け付けましょう」
俺の役職は店主だ。ウォルターはオーナーという役職についてもらっている。役職はウォルターの方が上なのだが、何の権限も無い、ただのお飾りである。
「あ……あの時の……」
数人が俺に気が付いた。詐欺集会でちょっと暴れたので、顔を知られているようだ。でも、わざわざ触れなければならない話題ではない。さっさと話を進めよう。
「ご質問がある方は、順番にどうぞ」
次々と質問が飛んでくるが、どれも一度ウォルターに説明した内容だった。ウォルターでも答えられる内容だと思うんだけどなあ……。
システムの矛盾と問題点について、事細かに説明し直した。ついでに、詐欺だと判断したポイントについても説明する。
一通りの説明を終えると、最後に目新しい質問が来た。
「金は返ってこないのか?」
既に金を払った人が、少なからず存在する。今日ここに来ている人だけで、6人。たぶんもっと居る。何人かは現在進行系で騙され続けていると思う。そんな人たちまで救済する気は無い。そもそも、この説明会だって俺の厚意で開いているものだ。
「交渉しなかったんですか? 説明ではすぐに返金されると言われていましたよね?」
「無理だった。退会違約金を請求されたくらいだ。1クランも戻ってこない」
今の質問は最終確認だ。詐欺の可能性メーターが完全に振り切った。真っ当な業者である可能性は素粒子レベルで残されていたのだが、今の答えで完全にゼロになった。
「でしたら、絶対に返ってきません。諦めてください。まさかとは思いますが、違約金は払っていませんよね?」
「当然だ。ぶん殴って帰ってきた」
血の気が多いことで。
「殴るのはどうかと思いますが、それで大丈夫です。おそらく皆さんも請求されるかと思いますが、絶対に無視してくださいね」
「あの……すみません。払いました……」
可愛そうな被害者が1人居た。ルーシアと同い年くらいだろうか。若い女性だ。女性は何人か居るが、若いのはこの人だけ。男には若そうな奴が居ないので、唯一の若者だ。
「払ってしまったものは仕方がありませんね……。見たところまだお若いみたいですし、今回は勉強だったと思って諦めてください。今後は注意しましょう」
「……分かりました」
女性は、しゅんと項垂れて黙った。
詐欺師に払った金は、絶対に返ってこない。法律で雁字搦めになった日本でさえ、取り返せる可能性は低いんだ。この国で返ってくるはずがない。ドブに捨てたと思って諦めるしか無い。
「他に質問がある方はいらっしゃいますか?」
少しざわつきながらも、発言する人は現れない。お開きにしようとしたところで、1人の女性が手を挙げた。
「関係ない話で申し訳ないのですが、このお茶は売り物ですか?」
マジで関係ないな。でも、これも今回の説明会の狙いの1つだ。
「もちろん売り物です。茶葉はそこの棚にあるので、もし良かったら買ってください。ただし、店でお出ししたお茶は水が違いますので、ご自宅で入れると味が違うかもしれません。それだけはご了承ください」
「じゃあ、この味はここに来ないと味わえないのかい?」
「そうなりますね。でも、茶葉自体も良い物ですから、安心していいですよ」
関係ない話が飛び出したので、今回の説明会はお開き。
面倒な会だったが、良い宣伝になった。今回振る舞ったお茶は全て無料だったらしいが、その程度の出費なら大して痛くない。
1人2人と帰っていき、最後に1人だけが残ってルーシアと話をしている。たった1人の若い女性だ。気になったので、話に割り込む。
「どうしたんです? 帰らないんですか?」
「あ……ツカサさん。この子、エマと言うんですけど、私のお友達なんです……。少し話を聞いていただけませんか?」
「え? いいよ……。そんなつもりで話したんじゃないから。もう帰るわ」
ルーシアの提案に、エマが遠慮がちに答えた。さっきの話の続きなのだろう。
「いいですよ。話してみてください」
「……父と兄が、まだ解約していないんです……」
うわ。家族が残念だ。
「違約金を払ったのに?」
「それは私の分です。払わないと、父の立場が悪くなると言われて……」
ああ、なるほどね。払わざるを得ない状況になったと。
「でも、それは僕にはどうにもできませんねぇ。本人の問題ですから」
「ですよね……。それはいいんですけど、家に居づらくなってしまいました。家に居ると、父と兄がうるさいんです。『なぜ勝手に解約した』とか、『頭を下げてもう一度契約しろ』とか。もう我慢の限界です」
エマの家族は騙されているというレベルを越えているな。洗脳に近い。こうなってしまっては、解約させるのは難しいぞ。
「少しの間、家を離れた方がいいかもしれませんね」
「あ、いえ。いいんです。誰かに聞いてほしかっただけなんです。本当に、もう帰りますから」
そうは言われてもなあ。俺には手助けする手段があるというのに、何もしないのは気が引ける。
「僕は近くに別宅を持っています。もし良かったら、しばらくそこに住みますか?」
「え? ちょっと、ツカサさん……?」
ルーシアが少し苛立ったような表情を見せた。話を聞けと言ったのはルーシアだ。手助けしろという意味では無かったのか?
「本当にいいんです! 私が我慢すれば済む話ですから!」
「その別宅は誰も住んでいませんから、心配ありません。僕のかわりに部屋を掃除していただけると助かります」
気休め程度の防犯対策は済ましてあるが、安心できるものではない。夜間に人が居るというだけでも防犯になるので、そういう意味でも住んでもらえると助かる。
「掃除は私がやりますよ?」
ルーシアが即座に答えた。事務所の掃除は任せているが、実験用工房の掃除までは手が届かないはずだ。移動する時間がない。
「ルーシアさんは店があるでしょう?」
「そうですけど……」
「ちょうど、さっき少し汚してしまったんです。さっそくそちらに行っていただけませんか?」
実験用工房は、盛大に油を溢してそのままになっている。そのうち床に染み込んで目立たなくなるかなあと思って、掃除を放棄した。あの床がきれいになるなら、喜んで部屋を貸してやる。どうせ建物の半分は使っていない。
「そこまで言うのなら……。でもルーシアはいいの?」
「ツカサさんがそう言うんだから、いいんじゃない……?」
ルーシアがふくれっ面で不機嫌そうに言った。ルーシアの友人のためにやっていることなのに、なぜ不機嫌になる必要があるというのか……。よく分からない。
「では、案内しますね」
と言った後、少し待たされた。エマは手荷物などを何も持っていないので、今日はルーシアの私物を借りたようだ。
エマを実験用工房に案内する。沈黙が気になるので、軽く雑談をしようと思う。
「そういえば、お仕事は何をされているんですか?」
「銀行員です。見習いですけどね」
俺は頻繁に銀行に出入りしているが、エマのことは見たことがない。カウンターに座っているのは、いつもおっさんだ。裏方をやっているのだろう。なんとももったいない話だ。カウンターは女性の方が話し掛けやすいのに。
「なるほど。固い職業に就いているんですね」
「いえ……私はただの雑用なので」
謙遜なのか、事実なのか。ちょっと判断に迷う。たぶん事実だな。とは言え、給料はそれなりに高いのだろう。そうでなければ、一口100万クランという高い契約金は払えない。
軽い雑談をしているうちに、実験用工房に到着した。歩いて数分。かなりの近所だ。
「僕の別宅はここです。昼間はたまに僕も使いますが、夜は無人ですので。戸締まりには十分注意してください」
「……ありがとうございます。使わせていただきます」
エマは深くお辞儀をして、工房の中に消えていった。扉が施錠される音を聞き、その場を離れる。
同じ建物を使っているが、会うことは無いだろうな。俺が使う昼間はエマが仕事に行っているし、エマが帰ってくる頃には俺は店舗に帰っている。
勝手に掃除をしてくれる妖精を飼っていると思えば、別に気にならない。エマの家庭の事情が片付くまでは住ませてやろう。





