生贄
グレかけたマルコの矯正は、全てジジイに丸投げする。身内がグレるという状態はとても拙い。間違いなく家族の足を引っ張る。百害あって一利なしだ。
誰かに迷惑をかけて謝罪したり、信用を無くしたり、賠償金が発生したり。最悪、逮捕されることも考えられる。尻拭いをするのは親なんだよ。そして親の尻拭いをするのが俺だ。回り回って、俺がとばっちりを受ける。
ジジイは律儀で真面目で義理堅く、曲がったことが大嫌いだ。そんなジジイのスパルタな教育を受ければ、どんなにグレた奴でも矯正されるだろう。後顧の憂いを断ち切るために、早めに矯正してほしい。
マルコを立たせたまま、訓練の準備を進める。
「マルコと言ったな? 今日はそこで素振りをしながら見ていろ」
ジジイの指示で、マルコは木剣を手にとった。相変わらず反抗的な目をしているが、素直に従う辺り、根は真面目なのだろう。
今回はマルコが見ているということで、地味な基礎トレーニングは無しだ。軽い準備運動の後、全力で模擬戦をする。
ジジイの攻撃は、良く言えば基本通り、悪く言えば単調。それなのに、どういうわけか当たる。単調な攻撃は避けやすいはずなのに、気が付いたら当たっている。
そんな攻撃を受け続けること、約3カ月。最近になって、微妙な緩急が付いていることが分かった。目が慣れたのか、手加減しているのか、ジジイの攻撃が少しだけ読める。
しかし、ジジイの真似をしても勝てない。基礎力が違いすぎて、まず当たらない。そこで俺がとった戦法が、足を掛ける、わざと武器を手放す、手持ちの何かを投げつけるなどの搦め手だ。
基本に忠実なジジイは、搦め手に慣れていない。付け入るスキはそこしか無いと思った。そこを磨くことで、3回に1回は勝てるようになった。
いつもの訓練が始まった。
12畳ほどの狭い個室の中を縦横無尽に駆け回り、ジジイを牽制する。まあ、これは無駄な努力なのだが。
どれだけ動いたところで、ジジイの視界から外れることは無い。ジジイはしっかりと俺を見据えて剣を振る。その一振りを剣で受け止め、崩れた体勢を整える。
数回打ち合ったところで、壁際に追い詰められた。と見せかけて、これは罠だ。壁が邪魔をするので、攻撃手段が限られてしまう。有効な攻撃は突きしか無い。
案の定飛んできた突きを避けたのだが、それはフェイントだった。ジジイの剣の軌道が変わり、剣先が天を向いた。頭に振り下ろす気だ。既に俺の背中は壁から離れている。このままでは有効打は免れない。
見学しているマルコの前に飛び退いた。ジジイが一瞬戸惑いを見せ、そのまま剣を振り下ろす。その一瞬で横に飛び、剣を躱した。振り下ろされた剣は、マルコの鼻先ギリギリを掠める。
「ひぃっ!」
マルコが小さく悲鳴を漏らした。ジジイなら剣を止めると思ったのだが、予想が外れた。
今のは当たってもおかしくなかった。ジジイは見学者を巻き込むようなことはしないと思ったのだが、意外と思い切りが良かったな。
なんにせよ、ジジイは大振りの後でスキが生じた。これを機に一気に距離を詰め、剣を振り下ろす。しかし、ジジイはすぐに切り返し、横薙ぎに剣を振った。
だが、この一振りは威力が弱い。ジジイの剣を肩で受け、懐に忍び込んで足を踏みつけた。ジジイはそれを避けて後ろに飛ぶが、顎に掌底を当てて体勢を崩す。すぐに立て直して距離を詰めたので、半身で躱して足を掛けた。
前のめりに体勢を崩しかけたところに、すかさず背後から剣を振り下ろす。バランスを崩した状態での死角からの攻撃。ジジイは避けることができず、後頭部に直撃した。
ジジイが倒れ込み、一回目の模擬戦は終了した。
「ぐっ……卑怯者め。儂の何を見ておるのだ……。儂はそんな戦い方を教えた覚えは無いぞ」
卑怯だから何だというのか。勝てば勝ちなんだよ。剣の打ち合いは殺し合いだ。正々堂々と戦って死ぬ奴よりも、どんな手段を使ってでも生き残った奴の方が偉い。
まあ、勝ったと言ってもダメージは俺の方が大きい。木剣だからいいものの、真剣だったら肩で受けた一撃で戦闘不能になっている。ノーダメージで撃破、これが今後の課題だな。
「いいじゃないですか。まともに打ち合いができるようになったんですから」
「……今のは何?」
マルコがポツリと呟いた。諦めと困惑と恐怖が入り混じったような、複雑な顔をしている。
「普段の模擬戦ですよ? ムスタフさんの指導力は見ていただけましたよね?」
「……無理だよ……オレには無理だ」
「剣闘士になりたいんですよね? たぶん、これが一番の近道だと思いますよ?」
「オレがなりたいのはそんな化物じゃないっ! 普通の剣闘士になりたいんだ!」
「ふむ……。剣闘士にどんな幻想を抱いておるのかは知らぬが、大抵の剣闘士は化物じゃぞ? 足を折って背骨を砕いても、平然と向かってきおる」
うわ。聞いただけでも痛い。俺なら絶対勘弁だが、剣闘士になるというなら怪我は避けられない。これは仕方がないかな。
「オレが見た試合は、そんなに酷いことになっていなかった……」
「ふむ……。Cクラスの試合だったのかのう。Aクラスの試合なら、終わった頃には両者ボロボロになっておるぞ」
俺は詳しく知らないが、剣闘士にはいくつかのランクがあるらしい。剣闘士の試合は競馬のようなギャンブルで、観客は誰が勝つかを予想する。
強さはクラスで分けられ、勝率に応じて昇級、降級がある。試合はトーナメント方式とバトルロワイヤル方式の二種類。さらにクラスごとに分けられるパターンと、クラスが入り交じるパターンがあり、全部で4パターンの試合が組まれる。
Cクラスはスポーツのように見て楽しめるが、Aクラスはほとんど殺し合いみたいになるそうだ。
「強くなりたいなら、Aクラスを目指すべきじゃないですか?」
「……そうだけど、オレは誰もが見て楽しめる試合がしたい」
「どうなりたいか、という目標を持つのは大事です。でもその前に、どうやってなるかを考えなければなりません。ムスタフさんの弟子にならず、どうやって剣闘士になるつもりですか?」
マルコは、俺の言葉に黙り込んで俯いた。
さっきのリバーシの話じゃないけど、マルコには選択肢が残されていない。剣闘士になりたいのなら、誰かの弟子になるしか無い。一番手軽で確実なのが、このジジイだ。
『どうなりたいか』という夢を描く人は多いが、『どうやってなるか』を真剣に考える人は少ない。詐欺師はそこを狙う。『夢を叶える簡単な手段』を提示して、金を巻き上げるのだ。本当に夢が叶うことなど、ほぼ無い。
まあ、今回は真面目に考えた案だ。マルコの反抗的な態度が矯正できて、ついでにマルコの夢も叶う。ジジイは暇つぶしができるし、誰も困らない。みんなが幸せ。
しばらくの間、静寂に包まれている。その沈黙を破るようにムスタフが話を始めた。
「無理に、とは言わんよ。弟子はツカサがおるからのう。それに、こやつはすぐに逃げ出しおるわい。そんな顔をしておる」
「待てよっ! 逃げねぇよ! 勝手に決めつけんな!」
マルコは、ムスタフに向かって怒鳴った。反抗期が良い方に働いたようだ。
「では、決まりですね。幸い、マルコくんは暇です。ムスタフさん、できる限り彼の相手をしてあげてください」
「……いいだろう。ツカサがそこまで言うなら、引き受ける。マルコと言ったな。明日から毎日、この訓練場に来い。来ないなら迎えに行くからな」
マルコの家は近所なので、少しでも遅刻しようものならジジイが乗り込んでくる。逃げるには、家出をするしかないだろう。
まあ、最近のジジイは手加減が上手い。逃げ出すほどキツイわけではないはずだ。
「そんな……」
マルコは悲痛の表情を浮かべて呟いた。
ちょっと計算外だったな……。良い刺激になると思って模擬戦を見せたのだが、逆に自信喪失してしまったみたいだ。でもまあ、大丈夫だろ。後のことはジジイに任せる。
これ以上訓練の様子を見せると、マルコの心がポッキリいってしまいそうだ。いや、既に折れているか……? まあいい。かなり早いが、今日の訓練は打ち切って解散しよう。
「ムスタフさん。今日のところはこれくらいにしましょう」
「む……。まだ一回しかやっておらんだろう。全然足りぬぞ」
ジジイはマルコを気遣うつもりが一切無いらしい。ちょっと困るなあ。大事な弟子二号なのだから、丁寧に扱ってほしい。適当に言い訳をして誤魔化すか。
「僕はちょっと用事がありまして。すみませんが、仕事を優先します」
「ふむ……。そうか。それなら仕方がない。では、マルコに稽古をつけてやろう」
あ、矛先がマルコに向いた。
「えぇ? 今日から?」
どうしよう……。このまま解散の流れに持っていこうとしていたのに……。まあいいか。遅かれ早かれ、マルコの訓練が始まるんだ。今日からでも早くはない。
「いいじゃないですか。行動は早い方がいいです。頑張ってください」
適当に挨拶を済ませ、訓練場を後にした。
早めに切り上げてしまったので、かなり時間が空いた。まだ昼頃だ。せっかく外に出ているので、どこかに寄って帰りたい。石鹸組合に顔を出してみようかな。
まだ工房の準備は整っていないが、行動は早い方がいい。ポッカリと空いた時間だし、ちょうどいいだろう。





