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臭い臭い

 この国の詐欺師は、思っていた以上にちゃんと詐欺師をしていた。この国の詐欺師の技術レベルは、ちょっとした興味から知りたかったことだ。知ることができて良かった。

 カレルを嵌めた詐欺師はギンが調査しているのだが、正直、もうどうでもいい。調査は難航しているようなので、このまま放置しておこうと思う。ただし、完全に興味を失ったわけではない。もし見つかったら詳しい話を聞き出すつもりだ。


 気を取り直して、今日こそ製油工房に行こうと思う。エッセンシャルオイルが完成した日から、ずっと行きたかったのに、毎回邪魔が入っていた。今日こそ行ける。変な邪魔が入らないうちに、さっさと店を抜け出した。



 手土産を買い、製油工房へと急いだ。工房の扉を叩くと、ダルそうな顔をした親方が出てきた。名前はスティーブンだったかな。


「誰だぁ?」


「スティーブンさん、お久しぶりです。ウォルター商店のツカサです」


「おお。久しぶりだな。油の売れ行きはどうだ? 順調か?」


 スティーブンは、俺を見るなり顔を綻ばせた。このおっさん、妙に俺のことを気に入っているようなんだよな。


「はい。とても順調ですよ。今日は新商品について、ご相談に来ました。お時間はありますか?」


「おおとも。お前さんなら歓迎だよ。話が分かる商人ってのは少ないからなあ」


 上機嫌な笑みを浮かべ、事務所の中に通してくれた。

 このおっさんに気に入られている理由だが、1つ心当たりがある。俺とこの人は意見が衝突していない。俺が職人側に立って話をしているからだと思う。


 職人と商人は、考え方が合わない事が多い。それは仕事に対する思いに食い違いがあるからだ。

 職人は採算度外視で良い物を作ろうとする人が多く、商人は質を下げてでも利益が出る方向を目指す人が多い。商品や値段の話になると、大抵衝突してしまう。


 厄介なのは、立場が違うだけで両者が正しいことを言っているという点だ。

 質と技術の向上が職人の最重要課題であるのに対し、利益を出さないと店が潰れるという現実がつきまとう。


 もちろん一概には言えないのだが、例えばの話。1個の大傑作を10万で売るか、10個の秀作を1万で売るか。職人は前者を選び、商人は後者を選ぶ傾向がある。この両者の溝はかなり深く、ほぼ間違いなく喧嘩になる。


 そこに上手く折り合いをつけるのが商人の仕事なのだが、このバランスはとても難しい。



 スティーブンに案内されるまま、事務所の椅子に座った。油を取り扱う工房だけあって、床がベトついている。前回来た時はさほど気にならなかったことから、頻繁に掃除をしていることが窺える。


「スティーブンさんのところで、美容液を作っていましたよね?」


「ん? 作っているが、お前さんは要らないと言っていなかったか?」


「少し事情が変わりました。いくつか確認したいことがあります」


「確認、ねぇ。何だ? 言ってみろ」


「まず聞きたいのが、美容液用と燃料はどこが違うのか、です」


「大雑把に言えば、質が違う。掛かる手間も、材料費も、全く違うぞ。

 美容液に使っているのは、大粒で完熟した実だ。それを絞りすぎない程度に絞った油で、少ししか取れない。色が濃くて臭いが強いが、髪や髭に艶を与える効果が特に強い」


 エクストラバージンオイルみたいなものかな……。効果は特に変わらないような気がするが、この人なりの拘りがあるのだろう。


「なるほど。値段の差はどうです?」


「燃料の3倍くらいだが、店で売るなら、もっとだ。入れ物が違うからな」


 スティーブンはそう言いながら立ち上がり、背後の棚から手のひらサイズの焼き物の小瓶を出してテーブルの上に置いた。その小瓶には、かなり凝った小さな花柄が描かれている。


 中身はそれほど高くない。燃料の3倍と言っても、その燃料がかなり安い。1瓶で100クランもしないだろう。たぶん、中身より入れ物の方が高いだろうな。

 高級感を演出するためには、入れ物を高価なものにしなければならない。ここでケチったら、売れるものも売れなくなる。入れ物が高いのは仕方がないか。


「ありがとうございます。では、本題に入りますね。僕からも見てほしい物があるんです」


 そう言って、エッセンシャルオイルが入った小瓶を鞄から取り出し、テーブルの上においた。すると、スティーブンが小瓶を手に取り、蓋を開けて鼻に近づけた。


「臭っ! 何だこれ!」


 即座に顔を歪める。

 エッセンシャルオイルは、濃すぎるが故に臭い。普通はアルコールで薄めて使う物だ。よく嗅げばラベンダーだと気付くはずだが、一瞬で判断するのは難しい。


「ラベンダーを濃縮した液です。今は臭いだけですけど、薄めたらちょうどいい匂いになりますよ」


「へぇ……。それで、こんな物を持ってきて、どういうつもりだ?」


 店主は半信半疑の様子で、胡散臭そうにエッセンシャルオイルが入った小瓶を摘んでいる。


「この美容液に混ぜたらどうかと思ったんです」


 高級そうな小瓶を指して言うと、スティーブンはさらに不審そうな表情を返した。


「ほう……そんなことをして、意味があるのか?」


「僕の知り合いの意見なんですけど、臭いが苦手で使いにくいそうなんです。そこで、香りを付けたら売れるんじゃないかと思いまして」


 美容液は、発酵したナッツと言うか、腐りかけのアーモンドと言うか、とても嫌な臭いを放っている。燃料の油にも同じ臭いがあるのだが、この美容液はその何倍も酷い。

 俺が作ったエッセンシャルオイルが、油の嫌な臭いを隠してくれるんじゃないかと期待している。


「なるほどな……。分かった。少し試してみよう」


 スティーブンは、先程棚から出した小瓶にエッセンシャルオイルを少しだけ垂らした。再度蓋をしてよく振ると、蓋を開けて鼻に近付ける……。


「臭っ! どうにもならんぞ! 耐えられん臭いだ……ぅおぇっ……」


 スティーブンは、鼻を摘んで悶えながら、小瓶をテーブルの上に戻した。

 俺もその小瓶の匂いを嗅いでみる。


「げほっ! 確かに臭いですね……。2つの臭いが混ざりあって、絶妙な臭気です」


 思わずむせた。ラベンダーが油の臭みを隠すどころか、油の嫌な部分をさらに強調するようになっている。後から訪れるラベンダーの香りは、もはや嫌味としか感じられない。


「こんな物は売れないな。却下だ。わざわざ来てもらって悪いが、これは持ち帰ってくれ」


 スティーブンは、不快感をあらわにして言う。

 売り物にならないというのは、全くの同意見だ。こんな物はどう頑張っても売れない。残念ながら上手くいかなかった。美容液の臭いがキツすぎて、ラベンダーでは隠しきれない。一筋縄ではいかないか……。


「油を脱臭することはできないんですか?」


「これでも、かなり頑張っている。これ以上は無理だ」


 脱臭工程は難しい。足りていない工程があるかもしれない。もしそれが分かれば、自分でやる。


「工程を見せていただいてもいいですか?」


「まあ、構わんが。これ以上の改善は無理だぞ?」


 スティーブンの誘導で工房の中に入り、板で仕切られた一角に向かった。



 そこで行われている脱臭の工程は、ろ過と遠心分離だ。絞った油を布で濾している。その隣でやっているのは遠心分離。屈強な男たちが大きなハンドルを回すと、油が入った壺が激しく回転する。やっぱり人力だよなあ……。


 確かに、結構手間を掛けているな。これ以上工程を増やしたら、従業員がボイコットしそうだ。


「僕の方で脱臭を試してみます。壺で売ってもらえませんか?」


 方法は既に考えてある。一番簡単な脱臭方法、それは臭いが少ない油と混ぜることだ。でも、今回はそんなことはしない。


 おそらく加熱と浄水器で、ある程度取り除けるだろう。

 臭いの成分の除去は活性炭の得意分野だ。クズ炭を使う分、濾材の量を増やさなければならないと思うが、まあ問題無いはずだ。


「ああ、いいぜ。ただし、他の油と混ぜるなよ?」


 スティーブンは笑顔で念を押した。疑っているわけでは無さそうだ。でも、向こうから条件を付けてきたんだ。こっちも条件を追加しよう。


「分かっていますよ。脱臭の手段が見つかった場合、方法を秘匿しても大丈夫ですか?」


 浄水器の仕組みはカフェの生命線だ。これが漏れるのは良くない。


「構わんが……できれば教えてくれ。真似したり漏らしたりは、しないと約束する」


 スティーブンは、構わないと言いつつも、凄く嫌な顔をした。

 後から変な言いがかりをつけられても困るし……工程を見せるくらいならいいかな。浄水器は鍋を改造して作るので、外側から見られただけなら仕組みまでは分からない。


「詳しくは話せませんけど、それで良ければ」


「うむ。助かる。では帰りに渡すから、頑張ってみてくれ」


 スティーブンは、ほっと胸を撫で下ろす素振りを見せた。

 この人は、良くも悪くも感情が表に出やすい人みたいだ。分かりやすくて助かる。


「ありがとうございます」


 とお礼を言って製油工房の事務所に戻る。


 契約書を交わして雑談をしつつ、カーボン紙を10枚売って今日は帰る。カーボン紙はしれっと売れた。目の前で契約書を書くだけで、簡単に売れる。やはり誰もが求めていた商品だったらしい。


 実験用に買った美容液用の油は、両手で抱えるほどの大きな壺に入っている。20リットルくらいありそうだ。かなり重い。配送を頼むと遅くなるので、街行く人の注目を浴びながら持ち帰った。

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