救済
俺が余計なことを聞いたせいで、会話が止まったままだ。おっさんは笑顔を作っているが、真意の程は分からない。
少し雰囲気が悪いまま、しばらく無言で歩き続ける。2人の間に、気まずい空気が流れている。イヴァンと名乗った気弱そうなおっさんは、意外とハートが強いらしい。
嫌な沈黙が続くが、俺とおっさんの我慢比べだ。先に音を上げた方が、先に口を開く。
「ところで、先日はお世話になりました」
おっさんが先に折れた。沈黙に耐えきれなくなったようだ。当たり障りのない世間話を仕掛けてきた。それに合わせて、当たり障りのない返事をする。
「いえ。こちらこそ、ご来店ありがとうございます。うちのお茶はどうでした?」
「あれは美味しいですね。驚きました。この街であの味が出せるとは、本当に信じられません。どこの水を使っているんですか?」
堰を切ったのように話し出した。余程美味かったのだろう。実際かなり美味いのだが、一瞬で気付くようなレベルなのかな……。俺の舌は大したことがないらしい。
「水については、すみません。答えられません」
「あ……そうでしたね。不用意なことを聞いて、申し訳ありません」
おっさんは、深刻な表情で頭を下げた。
また雰囲気が悪くなったじゃないか。商人同士の会話は、どうしても探り合いになってしまう。お互いに言えないことが多すぎるんだよ。他愛もない世間話の中に、企業秘密が紛れてしまう。
その都度空気を悪くしていては、まともな会話にならないぞ。今回は俺が適当に流して手打ちにする。
「まあまあ、そんな話はいいじゃないですか。ところで、リバーシの件は大丈夫でした?」
「申し訳ございません。私の方からも何度も進言しているのですが、開発は続行されております……。ご迷惑をお掛けして、申し訳ございません」
おっさんは、さらに表情を暗く曇らせた。まーた空気が悪くなったじゃないか……。キリが無いぞ。
謝罪は適当に流すとして、コータローは、このおっさんのことをずいぶん下に見ているようだ。全く聞く耳を持たないらしい。
今回派遣されたのも、この件を重要な案件だと思っていないからだ。俺に行かせようとしていたくらいだからな。要するに、誰でも良かった。
「まあ、仕方がないでしょう。模倣されることは諦めています。しかし、あなたの扱いがずいぶん悪いようですが、何か理由でもあるんですか?」
「ははは。やはりそう思いますか……。私は外部の人間ですからね。正規の従業員ではないんですよ」
おっさんは乾いた笑いを漏らしつつ、困った表情で答えた。
「どういうことです?」
「今のコータロー商店は、店主自らが声を掛けた従業員と、国から派遣された専門家で構成されています。私はそのどちらでもありません。たまたま募集があったので、雇われているだけなんです」
詳しく聞くと、雇われていた店が倒産し、次の職場を探している時にたまたま雇われただけだそうだ。それも、契約は短期。開店直後の店が安定していない間だけ、雑用係として採用されたらしい。早い話、ただのアルバイトだ。
「なるほど。扱いが悪いわけですね」
「まあ、短い間ですからね。我慢しますよ」
苦笑いを浮かべて言う。
正直、惜しいよなあ。
このおっさん、見かけによらず結構有能なんだよ。いち早くリバーシの噂を聞きつけたのはこいつだし、人当たりもいい。口が堅いのも高評価だ。見た目こそ頼りないが、ハートもそこそこ強い。
コータローは気付いていないようだが、使い方が良ければもっと働けるはずだ。
こいつはうちの店で雇ってもいいと思う。
でも、今はまだ人を雇い入れるほど儲かっていないんだよなあ。今欲しいのは、蒸留水の精製を肩代わりしてくれる工房主だ。工房では、このおっさんの良さが生きない。
「辞める時は、僕に一声掛けてください。その時に店に余裕があれば、採用を検討しますよ」
「ははは。ありがとうございます。そのようなことを言ってくださるだけで、ありがたいですよ」
おっさんは本気にしていないようで、冗談を聞き流すかのように笑った。
「まあ、雇えるとは限りませんが、声は掛けてください」
このおっさんがコータロー商店を去る時、うちの店に余裕があるなら雇おう。まだ猶予はある。
話をしているうちに、例の店に到着した。そういえば、店名を聞いていないな……。まあ、どうせすぐ潰れるか。覚えてもしょうがないわ。
店主に挨拶をして、ざっと商品を選別する。取り扱っているのはほぼ同じ商品なので、売れ筋の商品から順に適当に選ぶだけだ。
2人で協力し、倉庫の隅に選別した商品を固めた。そこには予め俺が選んだ商品も置いてある。全体の半分ほどの商品が、一箇所に固められた。
選別はすぐに終わった。配送の手配をして、イヴァンの仕事はこれで終わりだ。ここの店主と余計な話をされたら困るので、イヴァンにはさっさと帰っていただいた。
最後に、俺も店主に報告をする。これで俺の任務は完了だ。店主を呼び出し、選別した商品の前に立った。
「引き取ってくれる店と、話が付きました。配送の手続きも終わっているので、無事商品が配送されれば、晴れて借金はチャラになります」
「……たったこれだけでいいんですか?」
店主は、信じられないものを見るかのような目で見ている。
それもそのはず。この店が失った在庫は、予定のおよそ半分である600万クラン相当だ。裏市に売っていれば、1000万クラン以上ある在庫の全てを奪われているはずだった。
「これでも、仕入れ値よりは少し安くなっています。納得していただけました?」
「はい! ありがとうございます! 本当に、何と感謝したら良いか……」
あれ? 思った以上に感謝されているなあ。もっと泥棒扱いされることも予想していたんだけど……。まあ、感謝するというのだから素直に受け取る。たとえ仕事の結果だったとしても、恩を売ったことになるんだ。こういう日々の積み重ねが信用に変わる。
「いえ。これが仕事ですから。お役に立てて光栄です」
店主と話をしているうちに、ギンが様子を見に来た。タイミングがいいな。どこかで見ていたのかな……。
「どうっすか? 買い取ってもらえたっすか?」
「はい。滞り無く終わりました。ちょうど帰るところなんですよ」
「うっす。では、行きますか」
分かっていたと言わんばかりの返事だ。やっぱり近くで見ていたんだな。暇なやつだ。
深々と頭を下げる店主に挨拶をして、店を出た。すると、ギンが興奮した様子で口を開いた。
「兄さんのおかげで、本当に助かったっす! マジで、首を括る覚悟をしていたっすよ……」
「ふふふ。それは良かったですね」
最高の結果を引き出せたことに、思わず笑みが溢れた。
今回の一連の流れを整理する。
潰れそうな店の店主は、延命することができた。コータロー商店は、ほぼノーリスクで在庫の補充ができた。ギンたち金貸し連中は、無事借金の回収ができた。全員が平等に得をする結果になった。
……一見すると、そう見えるだろう。借金の回収をすることで、俺は50万クランの報酬を得た。さらに、本来の半額で仕入れをすることができた。俺だけは破格の利益を得ている。
俺が主導権を握り続けた理由だ。本来それぞれが得るはずだった利益の一部を、俺1人に集中するように仕向けたのだ。
ただ、本当に誰も損していない。例の店は、本来よりも圧倒的に少ないダメージで借金を返しきった。コータロー商店も、普通に仕入れをしただけだ。金貸し連中も、返って来ないはずの借金が返ってきた。
俺1人が得をしたことが気付かれたとしても、文句を言う人間は誰も居ない。
ただ1つ心配なのが、配送の前に商品を売られてしまうこと。ここの店主はいい加減なので、今選んだ商品を勝手に売ってしまうかもしれない。
その心配があったからこそ、配送の手続きを急いだ。本来はここの店主の仕事だ。俺が手配し、配送料は俺が負担した。まあ、その分、持っていく商品を増やしたのだが。
「まだ現金が入ったわけではありませんから、油断は禁物ですよ」
俺とコータローが支払う代金は、直接金貸し連中の手に渡る。店主に渡すと、いくらか消滅しそうな気がしたからだ。
借金を返さない人間は、基本的に金に対する意識が薄い。これは金遣いが荒いとかいう次元ではない。払うべきものがよく分かっていないのだ。
こういう人間に現金を渡すと、本人もよく分からないまま、現金が行方不明になる。まあ、使っているんだけどね。何に使ったかすら覚えていないことが多いんだよ。
「まあ、確かにそうなんすけど、兄さんとコータロー商店が踏み倒すとは思えないっすから」
「それもそうですね。商品が届き次第、お支払します」
俺がギンに払う額は、差し引き50万クラン。実質、200万クラン分の商品を4分の1で仕入れた状態だ。超ボロ儲け。定価の半額で売っても利益が出るレベルだ。
面倒なことを持ちかけられたとも思ったが、引き受けてよかった。まあ、二度目は無いけどな。
あと、忘れてはいけない。ギンに調査を依頼しなければ。
「ついでに1つ、頼まれてくれませんか?」
「何すか?」
「コータロー商店で、何か動きが見られました。潰れそうな店に関する何かなんですが、進展があったようなんです」
「なるほど……。了解っす! 任せてください!」
ギンは、今回の件でコータロー商店と付き合うことになる。挨拶をしたり、集金に行ったり。その際に、噂話の1つでも持ち帰ってくれることを期待している。
何を企んでいるのか知らないが、止められるなら止めたい。止めるのは無理だとしても、妨害くらいはやっておきたい。





