債権者
ウォルターからの再戦を受け、またフルボッコにしてあげた。涙目で「修業をしてくる」と言っていたので、いずれまた再戦することになるだろう。
その後、空いた時間を利用して、もう一度石鹸作りに挑戦してみた。今回は、普段サニアが使っている食用油を利用した。今は熟成中なので、ある程度固まったら試してみようと思う。
ちなみに、前回の石鹸は、時間を置いてもダメだった。水に浸けるとすぐに崩れてしまう。しかも、いくら溶けやすいと言っても、液体石鹸のようにはならない。そもそも、液体石鹸に使うのは水酸化カリウムだ。材料が違う。
前回失敗した石鹸は、もったいないが捨てるしか無い。
石鹸の材料費は安いのだが、蒸留水を作る手間が半端じゃない。火を使う作業なので、完全に放置することができない。できるだけ無駄にしたくないんだよなあ。
とりとめのないことを考えながら、銀行にやって来た。各工房への支払いがあるからだ。今回は振り込みで手早く済ませる。
「では、手続きは以上です」
行員が無表情のまま対応している。とても事務的な作業だ。仮にも客商売なのだから、もっと愛想よくしてもいいだろうに。
「では、よろしくお願いしますね」
俺がそう返すと、行員は無言で書類を書こうとした。
そういえば、銀行も同じ内容を2枚書く必要があるな。カーボン紙の出番だ。
「ちょっと待ってください。その紙の間に、これを挟んでください」
「え? 何です?」
「悪いことにはなりませんよ。上の紙に文字を書くと、下の紙にも複写されるんです」
「はあ……」
行員はいまいち理解していないようで、気の抜けた返事をした。持っていた紙をひったくり、間にカーボン紙を挟み込んで返す。
「これでいいです。羽根ペンだと上手くいかないので、竹ペンを使ってください」
そう言って、持っていた竹ペンを貸した。
行員は不審そうに書類を書いていたが、書き終えた後、とたんに顔色が変わった。
「な……なんですか! これ!」
「さっき言った通りですよ。二枚目を書く手間が省けます」
「これ、どこで買えるんですか?」
「うちの店で取り扱っています。今日も在庫を持ち歩いていますから、今すぐでも納品できます」
「……ちょっと待っていてくださいね」
行員は、大急ぎでカウンターの奥に消えていった。その先から、何やら騒々しい声が聞こえている。どうやら、奥で実演しているらしい。
しばらく待たされ、満面の笑みを浮かべた行員が戻ってきた。
「お待たせしました。とりあえず100枚買います。定期的に買いますので、毎月持ってきてください」
100枚……あるかな? 適当に持ち出した在庫なので、何枚あるかは分からない。100枚前後はあると思うのだが。
「ありがとうございます。手持ちを数えますので、少々お待ちください」
行員が見守る中、数えてみた結果、112枚あることが分かった。
「なんとか足りたみたいです。では100枚お渡ししますね」
そう言って100枚と12枚の束に別けると、行員が12枚の束を指さした。
「あ、ちょっと。12枚、余っていますよね。それも買います」
結局、持ち歩いていた在庫が全て売れた。
試しに使ってもらったカーボン紙だけは返してもらい、手持ちの在庫を全て明け渡した。値引きの交渉をしていないので、全て定価販売だ。毎月の分を何枚にするかは、まだ決めていない。1カ月使ってみて、消費量を計算するらしい。
売上を店の口座に振り込んでもらい、銀行を後にした。
――さて。この後何をしようかな。
今日の予定は銀行だけ。やることが無い。考え事だけで1日が終わってしまうのはもったいない。何かしたいな。
そう考えながら店に帰ると、扉を開けるやいなや、叫び声が聞こえた。
「兄さん! 遅いっすよ! 何をやっていたんですか!」
ギンだ。約束していたわけでもないのに、勝手なことを言うなよ……。
「どうしたんですか、突然……」
「この前言っていた件なんすけど、いい案は浮かんでないっすか?」
その件とは、潰れそうな商店を救済する方法というテーマの無茶振りだ。考えていないわけではないが、今できることは何も無い。
「まだです。そんなにすぐ浮かぶものではありませんよ」
「そうっすか……。緊急なんすよ。このままでは、500万クラン以上が貸し倒れになるっす。何とかなりませんかねえ」
500万と言えば、それなりに高額だな。うちの店の先月の総売上と、ほぼ同額じゃないか。1人で融資できるような額ではないと思うが……。
「そんなに貸しているんですか?」
「オレだけの額じゃねえっす。数人の金貸しが援助して、合わせて500万なんすよ」
ああ、そういえば、複数の金貸しがお互いに援助していると言っていたな。
散々援助して、結局潰れそうなのか。それだけ援助してダメなら、もう何をやっても無理だろう。
「それはもう手遅れですよ……。僕がどんな手を打ったとしても、近い将来潰れます」
「それは分かっているっす。オレたちは、貸した金が返ってくればいいんすから」
なるほど。短期間で500万クランを作る手段を考えろ、ということか。
普通に考えたら、在庫と家財道具を差し押さえして、全部売り払うのが正解だろうな。
だが、これだけの危機だ。買掛金も大量に残っていると思った方がいいだろう。となると、差し押さえは早いもの勝ちだ。他の債権者に先を越されると、何も残らない。
手を貸すのはやぶさかではないのだが、報酬はあるのかな? タダ働きは勘弁だぞ。
手を貸さないことで発生するデメリットがあるのは分かっている。金貸しが廃業するので、この街の経済がさらに混乱する。直接ではないが、俺にも小さくない影響を受ける。
だが、それとこれは別の話だ。俺が動く以上、報酬は欲しい。
「ところで、僕が手を貸したとして、僕にメリットはあります?」
「もちろんっす。報酬は、返ってきた額の1割でどうすか?」
ギンが必死の形相で言う。
成功報酬だな。1割というのは少ない気がするが、まあいいだろう。上手くいけば100万クラン近く手に入る。悪い話では無い。
「了解しました。では、その店に行きましょうか」
「え? これからっすか?」
「早くしないとお金が逃げますよ。スピードが勝負なんです」
ルーシアに断りを入れ、店を出た。
件の商店は、いつかルーシアと歩いた服屋が並ぶ商店街の中にあるという。一般的な雑貨店だそうだ。歩いて約15分。道中で、事の経緯を聞いてみる。
「どうして、そんな額になってしまったんです?」
1つの個人商店に貸すような額ではない。日本の感覚だと、2000万円を超える金額だ。普通の個人商店なら、200万円でも借りられれば大したもの。その十倍以上なんて、余程の理由がないと借りられない。
「1人の金貸しが100万を貸したことから始まったんすよ。兄さんの店が移転する、少し前っすね。税金の支払いのためだって話っす」
税金の支払いのために借金って、もう末期じゃないのか? 俺なら店を畳むことを進言するぞ。
それはさておき、担保があるはずだ。予め確認しておくべきだな。
「担保はあるんですよね?」
「在庫が担保になっているっすね」
「だったら、在庫を没収して終わりじゃないですか?」
「そうなんすけど、今は商品が手に入っても金にできないんすよ……。コータロー商店のせいで、裏市がピリピリしているんす」
「裏市?」
「あれ? 知らないっすか? 訳あり品の『訳』を聞かずに買い取ってくれる店っすよ。激安で買い取って、格安で売っているっす」
日本で言う『バッタもん市』みたいなものかな……。日本というか、大阪のイメージだけど。
バッタもんと聞くと偽物のような印象を受けるかもしれないが、本来は『正規のルートを通さないで仕入れた商品』のことだ。
バッタもんを仕入れるのはリスクが高いので、買取金額は市価の10分の1程度になる。それに合わせて、売値も安い。
ギンの話では、定価の3割引きで販売しているらしい。主な顧客は低所得者層。ある程度の収入がある人は、トラブルを避けるために正規品を買うという。
「少し聞いただけでも拙いと分かりますね……。裏市の商品が売れないんですね?」
「ご名答っす。コータロー商店は2割引きじゃないっすか。裏市の売値と、あまり変わらないんすよ。金が無い連中も、裏市で買わなくなってきているっす」
リスクを負う代償が3割という価格差だ。コータロー商店ではノーリスクで2割引き。どちらを選ぶと聞かれたら、まあ後者だろうな。
裏市が売るためには、定価の半額まで値段を下げる必要がある。利益が大幅に減るので、リスクに見合わないだろう。買い取りを中止するのも無理はない。
「なるほど……。差し押さえは無理そうですね。思っていたよりも厄介ですよ」
「そうなんすよ……。兄さんだけが頼りなんす。他の金貸し仲間も、みんなお手上げっすよ」
ギンは両掌を天に向け、力なく首を横に振った。
差し押さえとは、相手の意志に関係なく、財産を没収する行為だ。後々確実に恨まれるし、トラブルの元になる。そんな物を商品として店に並べるのは無理なので、裏市で引き取ってもらう他ない。
俺も差し押さえを切り札にしようと思っていたのだが、どうやらそれは叶わないようだ。
まあ、そんな当たり前の手段が使えるなら、わざわざ俺に声を掛けないだろうな。一筋縄ではいかない相手、ということだ。
「では、僕が話を進めます。余計な口出しは控えてくださいね」
商店街に入ったところで、ギンに釘を差した。つい忘れてしまいそうだが、こいつはチンピラ。とにかく口と手癖が悪い。俺の邪魔にならないよう、注意が必要だ。
いよいよ店の前に到着した。さて、どんな手段が考えられるかな……。





