予兆
石鹸作りはひとまず保留だ。急ぐことでもないので、先にやるべきことをやる。今やるべきなのは、リバーシの製造とカーボン紙の普及だ。
今日はカーボン紙の納品日。ウォルターには早めにカーボン紙を持たせたいので、今日は早く帰ってくるように言ってある。
それと同時に、リバーシの加工が終わる日でもある。仕上げの作業はカレルに依頼するため、先にレベッカの工房に行く必要がある。
午後になるのを待ち、レベッカの工房へと急ぐ。レベッカは『夕方』と言っていたので、少し早いかもしれない。工房で待たせてもらい、完成したらすぐに受け取るつもりだ。
レベッカの工房に到着すると、いつものように暇そうに店先に佇んでいた。すでに完成していたらしい。もっと早く来ても良かったな。
「こんにちは、レベッカさん。できていますか?」
「できているよ。待ってな」
レベッカは、そう言って大きな布袋を持ってきた。中には透明感のある色の木片が敷き詰められている。材質は、おそらく桐だな。軽くて木目が美しい、高級箪笥によく使わる素材だ。
リバーシの駒は、角を削り落とされたキレイな正方形の木片。盤の方は、高さ1センチ程度の小さな足が取り付けられている。俺はざっとした仕様を伝えただけだったのだが、俺の意図を汲み取ってくれたらしい。
でもこれ、高いんじゃない?
「制作費はいくらになります?」
「小さい方は1つ20クランで、大きい方は500クランだね。合計で14400クランだよ」
1セットあたり1800クランか。やっぱり思ったより高いな……。仕上げに掛かる費用を600クランと仮定して、売値は3600クランが妥当かな。
だが、その値段で売れるのは最初だけだ。おそらく、すぐに真似されて価格破壊が起きる。コストダウンの方法は、今のうちから模索しておいた方がいい。
「今回はその金額で問題ありません。現金でお支払いします。ただ……今後なんですが、もっと安く作ることはできませんか?」
「そうだね……意外と材料が高いんだよ。質が悪い木で作れば、もっと安くできるよ」
桐はこの国でも高級素材らしい。最初からクズ木材を使ってくれても良かったのに。
いや、高級品はラインナップとして残してもいいか。両方並べておけば、違いが分かる客が買ってくれそうだ。
「わかりました。今後は質が悪い物と、今回と同等の物、両方を発注すると思います。まあ、売れ行き次第ですけどね」
「こんなものをどう使うのか、気になるところだね。このまま使うわけじゃないんだろ?」
レベッカには、詳しい用途は伝えていない。今の状態では、積み木にする以外には考えられないだろう。
「しばらくしたらお店に来てみてください。今回の分はお店で使う予定ですから」
「まあ、分かったわ。面倒だけど、見に行ってあげる」
リバーシのセットを受け取ると、代金を支払ってレベッカの工房を出た。
次はカレルの工房だ。800枚のカーボン紙を受け取り、入れ替わりでリバーシの仕上げを依頼する予定だ。
カレルの工房に到着すると、カレルが工房の玄関を掃き掃除していた。
「おはようございます。カーボン紙はできていますか?」
「あっ! おはようございます! できていますよ! 次の注文はまだですか?」
カレルは、俺を見るなり元気に挨拶を返した。ついでに注文の催促も。気が早いなあ。
「いえ、まだ売っていないじゃないですか。次の注文は、今回の分が売れてからです」
とは言え、全部売り切る必要は無い。半分売れたら追加する、くらいでいいかと思っている。
「あ……そうですね。すみません。では、しばらく何もすることがありませんが……」
「そうですね。暇になると思ったので、新しい仕事を持ってきました。これに色を塗ってほしいんです」
カレルにリバーシの材料を渡す。小さい木片が520個と、大きな木の板が8枚。駒の片面だけを黒く塗るように指示を出した。もう片面は着色しない。
日本のリバーシは『白』と『黒』だが、これは開発者が囲碁から発想したからだ。色に意味は無い。それに、白色の塗料はあまり使いたくない。
単純に高いという理由もあるのだが、確か技術が進んでいない国では、鉛白以外の白色顔料を作るのは難しかったはずだ。鉛白は毒なので、お菓子をつまみながら触りたい物ではない。
「わかりました。でも、難しい工程は無いですよね……。明日には終わりますよ?」
駒の加工は、片面に着色して薄くロウを塗るだけ。乾燥時間を含めても、すぐに終わる作業だ。板の加工にしても、線を引いてロウで仕上げるだけ。これもまたすぐに終わる。
ロウを塗るのは、表面の艶出しと色落ちを防止するためだ。ちょっとした拘りだが、ロウが安く手に入ったので、ここは惜しまない。
しかし参ったな……。カレルの暇つぶしのつもりだったが、簡単な作業過ぎた。結局暇になってしまうぞ。
かと言って、これ以上仕事を増やすのも良くない。カーボン紙の生産が本格的になったら、他の物を作っている暇なんか無くなるはずだ。
「まあ、そうですね……。今のところは、研究を続けてください。例えば、周囲を汚さない方法などです」
「あ……ごめんなさい。やっぱり、汚しすぎですよね?」
カレルは申し訳なさそうに俯いた。
確かに工房は汚れているのだが、俺が試作した時も酷いものだった。周囲がかなり汚れて、未だに机の汚れが落ちていない。
「汚れるのは仕方がないですが、汚れが増える分、インクを無駄にしているということですからね。汚れが減れば、利益が増えますよ」
微々たるものだが、無視はできない。こういう細かい無駄を減らしていくのが重要だ。
「わかりました。では、この作業が終わったら、研究を続けますね」
カレルの工房での用事はこれで終わり。カーボン紙を受け取って工房を後にした。
寄り道したい場所は多くあるのだが、カーボン紙を優先しなければならない。店舗に並べる分と、俺が行商する分、そしてウォルターに持たせる分にわける。俺とウォルターが100枚ずつ持ち歩き、残りの600枚は店で管理するつもりだ。
店に帰ると、ウォルターがオープンカフェでお茶をすすっていた。「話があるから待っていろ」とは言ったが、まさかそんな所で待っているとは……。オープンカフェが気に入ったのか?
「ただいま帰りました。先程のお話の件ですが、今お話しても大丈夫ですか?」
「うむ。問題無い。しかし、これから約束がある。手短に済ませよ」
ウォルターは、まだ外出するつもりらしい。店に居ても邪魔なので、むしろ助かる。
「今日からこれを持ち歩いてほしいと思います。使い方はわかりますよね?」
カーボン紙の束を取り出して、ウォルターに渡した。数えていないが、たぶん100枚くらい。
「分かっているが、これを売ればいいのか?」
ウォルターは、そう言いながら手が汚れないように注意深くカーボン紙をつまみ、カバンの中に仕舞った。まあ、手は汚れるんだけどね。
「そうですね。でも、意識して売ろうとしなくてもいいですよ」
ウォルターの役目は、営業ではなく宣伝だ。無理に売ろうとして不審感を持たれると困る。俺の意図が伝わったかは不明だが、ウォルターは納得したように頷いた。
「うむ……そうか。分かった。ところで、コータロー商店はどうだった? あの後行ったのだろう?」
「もちろん行きましたよ。貴重な情報を持ち帰っていただき、ありがとうございます」
「うむ。お前に『雑談をしてこい』と言われた時は腹も立ったが、今になってその重要性が理解できた。店主同士の語らいというものは、重要なことなのだな」
ウォルターは、ニヤリと笑っていう。
俺は純粋に遊んでいてほしいと思っただけなのだが、ウォルターは勝手に意味を見出したらしい。実際、かなり役に立っている。
「そうですね。今後もよろしくお願いします。
それで、コータロー商店なのですが、どうやら商品開発を目論んでいるようですね。何を作るのかまでは分かりませんでしたが、僕が予想した物と同じであれば、先回りできたと思います」
作ろうとしているのがリバーシだということは、俺の予想でしか無い。もしかしたら違うかもしれないが、十中八九間違いないと踏んでいる。
「なるほど……。やはり、お前と同じ発想ということか……」
何が? ……とも思ったのだが、たぶん独自商品の開発のことだな。日本の知識があるので、この国の足りない部分がよく見える。再現できないことの方が圧倒的に多いのだが、作ろうという意欲はある。
「他の商店は、独自商品の開発をしないんですか?」
「それは職人の仕事だ。我々の仕事は、良い物を探して売ることなのだよ」
新商品の開発にはリスクが伴う。研究費は馬鹿にならないし、売れなければ丸々損になる。それに、常に売り物になるレベルの商品が作れるとも限らない。
さらに言うと、この国では模倣のリスクが高すぎる。単純な物はすぐに真似されて、開発費が回収できない恐れがある。職人であれば技術でカバーできるが、商人が開発するのは難しいかもな。
「探して売るだけですと、価格競争に巻き込まれますよね。他の店は苦しいんじゃないですか?」
「そうだな。現に、危ない商店が現れ始めている。来月末には何件か閉店するという話だ」
俺の予想より早いな。元々ギリギリでやっていた店なのだろうか。この店も、一歩間違えたらそうなっていた可能性が高い。今資金が潤沢にあるのは、地上げ交渉が上手くいったからだ。
「そんなに拙い状況なんですか……」
「うむ。他にも、何人かの店主から金を貸してほしいと頼まれた。無論貸してはおらんが、私の見立てでは返って来ないだろう」
ウォルターは、悲しそうな顔で遠くを見た。
これまでは、多くの人は最寄りの店で買物をしていた。どこの店舗も同じ値段で、それぞれの店の特色が強くなかったからだ。店舗の作りが滅茶苦茶だったウォルターの店が潰れなかったのは、そういった理由がある。
だが、今はそうではない。あちこちの商店が異常な値引きをしているため、最寄りの店で買わなくなった。
今も客足が途絶えていないのは、価格競争で対抗できている店と、商品がカブっていない店だけだ。
これからしばらく、倒産ラッシュが起きそうな予感がする。ある意味チャンスだ。倒産品を安く買えるかもしれない。注意して見ておこう。





