実験中
カレルの工房を出た後、浄水器に使う砂を探したのだが、ちょうどいい砂が見つからなかった。近くに海があるはずなので、最悪は砂浜の砂で代用する。
ただし、その海の場所もよく分からない。街の外にあるのだが、どの方向にあるのかを聞いていない。
浄水器は今日中に試すつもりなので、とりあえず砂利と木炭だけで我慢しよう。砂利は庭にあるし、クズ炭はキッチンにいけば普通に転がっている。
というわけで、手ぶらで店に帰ってきた。
「ルーシアさん、帰りましたよ。蒸留器の様子はどうです?」
蒸留器は火をつけっぱなしなので、蒸留水が溜まっているはずだ。
「お帰りなさい。とても時間が掛かっているみたいなんですが、大丈夫なんですか?」
ルーシアが心配そうな顔で言う。おそらく、蒸留水の溜まり方が遅すぎることが気になっているのだろう。
火力はそんなに強くなさそうだったので、時間が掛かるのは仕方がない。
「たぶん正常です。時間が掛かる作業なんですよ」
「それならいいのですが……」
不安げなルーシアを尻目に、蒸留器を置いている休憩室に入った。
そこでは、蒸留器につけられた火がゆらゆらと揺れている。水は……器の半分くらいまで溜まっているだろうか。
たぶん、この器の容量は2リットルくらい。外出していたのは2時間くらいなので、1時間で500ミリリットルしか生産できないということだ。とても時間が掛かるな……。
蒸留の完了までには、まだ時間が掛かる。先に浄水器を試そう。準備するのは、竈に残った消し炭と庭の玉砂利、安物の布切れ、そして使い古したケトル。
井戸から桶一杯の水を汲み、材料と共に事務所に持ち込むと、さっそく作り始めた。
ケトルの底に小さな穴を開け、底に煮沸消毒した布を敷き詰める。次によく洗った砂利を入れ、砕いた炭を積んでもう一度砂利、最後に布をかぶせて完成だ。
さっそく浄水器に流し込んだ。すると、少し濁った水は、透明になって少しずつ下に落ちた。滴る水を鍋で受け止める。出来上がった水は最後に煮沸する必要があるのだが、お茶にする時にどうせ沸かす。
気が付くと、辺り一面が水浸しになっている……。鍋のサイズが合わなかったようで、かなりの量の水が鍋を外れて床に落ちていた。事務所でやることじゃなかったな。次回からはキッチンでやろう。
おそらく水の浄化は上手くいった。この水をお茶にするため、一杯まで水が入った鍋を抱えてキッチンに向かう。
何か作業をしていたサニアを呼び止め、声を掛けた。
「サニアさん、この水でお茶を淹れてみてくれませんか?」
「え? これ……蒸留水?」
サニアが驚いた顔で呟く。俺が蒸留水を作っていることを知っているので、勘違いしたらしい。
「いえ、違います。普通の井戸水ですよ。水をキレイにする装置を作りました」
「そんなことができるの? 凄いわね……。まるで蒸留水じゃない」
「透明ですが、蒸留水ほど純粋な水じゃないです。でも、美味しいと思いますよ」
この簡易浄水器は、水に溶け込んだイオン類を取り除くことはできない。マグネシウムやカルシウムなど、水の味に関わる原子は素通りだ。
同時に、危険な重金属や薬品も素通りする。そのため、そもそも危険な水を浄化することはできない。それに、濁りきった本格的な泥水には使えない。
「それにしても……魔法みたいね。どんな水でもこうなるの?」
魔法とは、大げさだな。本当に魔法なら、何もないところから水を出すだろう。 ……除湿機かな?
「そんなに万能じゃないですよ。これは飲める水をキレイにするのが目的の浄水器です。飲めない水では手の施しようがありません」
日本にはドリアンの果汁を無臭の真水に変える浄水器があるが、それは科学の力を全力で使った結果だ。ここにある資材で再現するのは、絶対に不可能。
「へぇ。それでも十分凄いわよ? これも売るの?」
「どうでしょうね……売ってもいいんですが、長持ちしないんですよね。商品化は厳しいです」
中に詰めた濾材は毎日点検しないと拙い。布がカビる。砂利も洗わないといけないし、炭も永久に使えるものではない。管理が物凄く面倒だ。
濾材をカートリッジにすることができれば売るのだが、今はそんな技術がない。職人に依頼して、試作して、改良して……。おそらく、商品化までに一年以上掛かる。
「そう……。残念ね。売れると思うけどねぇ」
「需要はあると思いますが、管理と量産が難しいんですよ。現状では売り物になりません」
腕は良いのに暇な職人が居れば、作るかもしれない。だが、腕がいいやつは暇じゃないからな。商品化は相当頑張らないと無理だ。
話をしているうちにお茶が淹れられていた。カップに入ったハーブティーを差し出されたので、受け取って口に運ぶ。
これはラベンダーティーだな。渋味や雑味がなく、すっきりと透き通るような香りが鼻を抜ける。水で味が変わるという話は本当だったようだ。
「サニアさん。浄水器の管理方法を教えますので、店で出すお茶は浄水器を使ってください」
「そうねぇ。まるで山で飲んだみたいな味よねぇ。この味が街で出せるとは思わなかったわ」
上機嫌なサニアに浄水器の仕組みを教え、手元に余っていた材料を全て渡した。
コストは安い。炭は竈から出たゴミだし、砂利は庭先に落ちている。金が掛かるのは布だけだ。1日分の材料費は、おそらく2クランくらいだな。
砂は無くても大丈夫だった。本当ならあった方がいいのだろうが、今の構造で十分だ。お茶の味に満足しつつ、キッチンを後にした。
浄水器を作っている間に、蒸留が終わっていた。溜まった水を持って事務所にこもる。次は石鹸作りの実験だ。
蒸留器と共に水酸化ナトリウムが届いているので、梱包を解いて一緒に事務所に持っていく。今は机の引き出しに仕舞うが、いい加減な管理をするのは怖い。いずれ薬品専用の金庫が欲しいな。
日本では小学生の実験でやるような作業だが、危険な薬品を扱っていることを忘れてはいけない。本当なら保護ゴーグルと保護手袋が欲しいくらいなんだ。無いので素手でやるが、細心の注意を払う。
蒸留水に水酸化ナトリウムを加えるのだが、正しい濃度を知らない。手探りで頑張るか……。何度か試しているうちに、ちょうどいい濃度になるだろう。とりあえず勘で、30%くらいかな。
水酸化ナトリウム水溶液はできたのだが……臭い!
刺激臭が酷い。換気できないので、嫌な刺激臭が部屋にこもる。間違いなく体に悪いだろ……。締め切った部屋でやることじゃないぞ。
カーボン紙を試作した時と浄水器を作った時も思ったのだが、絶対に事務所でやることじゃないな。いい加減学習しよう。今後、何かを試作する時は、事務所ではやらない。専用の実験室を準備する。
油と水酸化ナトリウム水溶液を合わせ、ぐるぐるとかき混ぜるうちに、少しずつ固まってきた。薄い緑色だった油は、透明感の無いクリーム色に変化している。マヨネーズみたいだ。
小物入れにしていた木箱を枠にして、その中に流し込む。
完全に固まったら枠から取り出すのだが、1日くらいは寝かした方がいいんじゃないだろうか。このまま明日まで放置する。
石鹸を作っているうちに、閉店の時間が来ていたらしい。ルーシアが売上金を持って、事務所に入ってきた。
「……酷い臭いですが、何をしているんですか?」
ルーシアは、事務所に入るなり口元を手で押さえながら言う。
「蒸留水ができたので、石鹸を作っていました」
「石鹸? 作れるんですか?」
「難しいですけどね。材料が揃ったので、試してみました。上手くいくかは、ちょっと分からないですね」
今回使った燃料用の油は、化粧品になるような油だそうだ。上質な石鹸になることを期待している。と言うか、手順さえ間違えなければ問題ないだろう。
「あの……石鹸の作り方は秘匿されているはずなんですけど……」
「え! そうなんですか?」
「はい。専門の組合があるくらい、製造工程はかなり厳重に隠されています」
「勝手に作ったら拙いですかね……?」
「いえ、拙くはないんですけど……作り方を知った経緯は聞かれると思います」
うわ。超面倒くさい。迷い人であると明かせば話は早いのだろうが、このことを吹聴して回る気は無い。誤魔化す言い訳を考えなければならないじゃないか。
鹸化に気付いたことにすればいいかな。ラウゲン液と油の反応を見て気付いたと言えば、不自然ではないはずだ。
「分かりました。これは僕が独自に考えた方法です。誰かに聞かれたら、そう答えてください」
俺がそう言うと、ルーシアは目を輝かせて俺を見た。
「こんなことまで簡単に思い付くんですね! どうやって考えたんですか?」
おや? ルーシアは本当に俺が考えたと思っているのか?
買いかぶり過ぎだよ。俺はそんなに万能じゃない。
でも、この勘違いは正さない方がいいな。ルーシアは嘘が上手くないので、探りを入れられたらボロが出るかもしれない。
「まあ、なんとなくです。ラウゲン液を見て思い付きました」
水酸化ナトリウムを発見できたのが大きい。どうやって生産しているのかは知らないが、純度が高い粉末があってよかった。
果たして本当に作れたのだろうか。結果が分かるのは明日以降だな。上手く作れていれば、石鹸も量産する。
また工房を増やす必要があるぞ。カレルに丸投げしても良さそうなものだが、汚れる環境で汚れを落とす物を作るって、矛盾しているよな……。
まあいいか。石鹸の量産については追々考えよう。石鹸組合の問題もありそうだし、急がない方が良さそうだ。





