配達
カフェ運営の初日の売上は、2800クランだった。客数にして5人。中途半端な300クランは、ドミニクの大量購入分だ。
ロールケーキはガッツリ売れ残った。閉店後に4人で食べたが、正直吐きそう。ロールケーキの数量は、満場一致で半分にすることが決まった。
告知が弱かったので、客数が少ないのは仕方がない……のだが、見通しが甘かったのは間違いない。雑貨屋としての客数は少なくないので、告知しなくても大丈夫だと思ったのだが、それが拙かった。
スタートダッシュに失敗した。まあ、少しずつでも増えてくれればいい。面積から考えて、1日3万クランの売上が目標だ。客数にして50人ほど。無理な数字ではない。
そして次の日。今日も外テーブルでお茶を飲んで過ごそうと考えていたのだが。
「ちわっす、お届け物です!」
大きなリアカーを引いた若者が、元気に声を上げた。注文していた蒸留器が、やっと届いたらしい。
「ありがとうございます。そこに置いてください」
入り口の脇に置くように指示を出すと、若者は大きな荷物を重そうに運んで下ろした。
「ふぅ……。これで全部スね。確認お願いします」
積まれた荷物を確認する。
ついに蒸留器が届いた。それはいい。相当待たされたが、それもいい。
問題は、クリーム色のブロックがここにあるということ。ロウの塊、約50kgだ。カレルの工房へ届けるように依頼したはずなのに。
「これは届け先が違いますが……」
「えぇっ? 聞いてないっすよ?」
伝達ミスかよ。余計な出費だが、仕方がない。再配送だな。
「ちゃんと伝わっていなかったようですね。地図を書きますので、そちらに運んでください」
「それはいいんスけど、時間掛かりますよ?」
「え? すぐに持っていってくれないんですか?」
「最近、急に仕事が増えたんスよ。もう休む暇もないくらいッス。今依頼をもらっても、配達できるのは10日後ッスね」
ああ、面倒臭いな。これもコータロー商店のせいだよ。あちこちの店から出される大量発注のせいで、運送業者も大忙しのようだ。
短期的に見れば、かなりの経済効果が出ている。職人も潤っているし、間接的に関わる人全員が儲かっているのではないだろうか。半年後が怖いぞ。絶対に反動が来る。
「わかりました。自分でなんとかします」
「助かります。では、俺は行きますね」
運送業者は相当忙しいらしく、挨拶もそこそこに、足早に去っていった。
最悪だ。ロウの塊を持って、街を縦断しなければならない。カレルの工房までは歩いて30分以上掛かる。体力的には問題無いが、それなりにしんどいぞ……。
ロウの問題はひとまず保留だ。まずは蒸留器を確認する。
休憩室で梱包を解いていると、ルーシアが興味深そうに覗き込んできた。
「これ、何の器具なんですか?」
まあ、見たことは無いだろうな。普段目にするような器具ではない。
「純粋な水を取り出す器具です。お酒の純度を高める時にも使いますね」
「お酒? お酒も作るんですか?」
「それは今のところ考えていませんよ。僕が欲しいのは、純粋な水です」
焼酎やウイスキー、ブランデー、ラム酒など。これがあれば本格的な蒸留酒が作れる。だが、その手間は半端じゃない。試作から販売まで、下手をしたら10年以上掛かる。俺が手を出すべきことではないな。
酒を売りたいなら、プロから仕入れた方が早いし美味い。
「透き通った水のことですね……。高いですもんね、アレ。こんな器具で作るんですか……」
「燃料代が馬鹿になりませんから、高くなるのは仕方がありませんよ。お店で使う分は、これで作ります」
「じゃあ、お茶もこの水で?」
「いえ、それは無いです。これで作った水は、そんなに美味しくないんですよ」
そんなことをしたらコストがヤバイ。今の倍の値段で売らないと赤字になりそうだ。それに、水の味は不純物の味だ。不純物が取り除かれた蒸留水は、何の味もしない。
いや、お茶に使うなら美味いかも……いやいやいや、コスト! 金が掛かり過ぎる。絶対ダメだ。
「そうですか……。お水がキレイなら、あのお茶はもっと美味しくなるんですけどね」
ルーシアが残念そうに言う。
店で使っている水は質が良くないのだが、聞く話によると、街の中ではどこもキレイじゃないそうだ。農村や山奥に行かないと、おいしい水は手に入りにくいと言う。
浄水器を作るのもアリだな。キレイな砂利と砂と炭があれば、単純な浄水器が作れる。入れ物は鍋職人に任せればいい。
いや、適当な鍋を1つ潰して試すか。蒸留中は暇だから、砂利と砂を拾いに行こう。
「水をキレイにする方法を思い付きました。すみませんが、少し外出します。火をつけるので、僕の代わりに様子を見てください」
「え? でも、店番……」
「ずっとじゃないですよ。火が消えていないかと水が溢れそうになっていないかを、たまに確認するだけでいいです」
「あ、それくらいでしたら大丈夫です。任せてください」
蒸留器に火をつけて、後はルーシアに任せた。ロウの塊を抱えて出発する。
カレルの工房は、街外れにある職人街の中でも外れの方にある。俺の店も街外れなので、街の端と端だ。この街はあまり大きくないのだが、それでもかなり遠い。
大きなブロックを布で覆い、両手で抱えて運搬する。普通なら業者に任せるサイズと重さだ。まあ、トレーニングの一環として諦めよう。
カレルの工房に到着したので、中に声を掛けた。
「カレルさん、いらっしゃいますか?」
「はーい! あ、ツカサさん! お疲れ様です!」
中から真っ黒な顔をしたカレルが飛び出してきた。
カレルの工房は、まだ本格的に稼働していない。試作と練習を繰り返している。今も作業中だったようだ。
「材料を持ってきました。ロウソクの代わりに、これを使ってください」
「わかりました! 私が運びますので、そこに置いてください」
「結構重いですよ。保管場所まで運びます」
「すみません、ありがとうございます……」
カレルの顔が曇った。何か不都合でもあるのだろうか。
作業場に入ると、床が真っ黒に染まっていた。インクをぶち撒けたようだ。
「ずいぶん汚れましたね……」
「ごめんなさい。気を付けていたんですが、鍋をひっくり返しました……」
なるほど。床が真っ黒なのはそのせいか。
カレルは、材料を無駄にしたことを怒られると思っているらしい。でも、俺には関係ないんだよなあ。材料費はカレルの懐から出ているんだ。どれだけ無駄にしたところで、俺の懐は痛まない。調達の手間が増えるだけだ。
「もったいないですから、今後はもっと気を付けましょうね」
ロウの塊を部屋の隅に置きながら言うと、カレルは「はい……」と返事をして力なく頷いた。
俺は全く怒っていないのだが、まだ少し気を使っているらしい。気を紛らわせるために、話題を変えよう。
「カーボン紙の作成は慣れました?」
「え? あ、はい。なんとか。一応、一定の品質で作れるようになったと思います」
俺がカレルに注文したのは、品質を一定に保つこと。塗りムラがあっては困るので、予め練習してもらっていた。その間に、材料の配合の研究や効率的な作業工程の模索をするようにも命令している。
ある程度は練習の成果が出ているみたいだ。
「では、そろそろ注文を出しましょうか。完成したら、研究成果の報告書と一緒に、店に届けてください」
「わかりました! 頑張りますっ!」
「まずは100枚注文します。日数は、どれくらい掛かりそうですか?」
お試しで100枚。客の反応を見て、次回の発注数を決めたい。最終的には毎月数千枚売れるんじゃないかと思っているのだが、今はそこまでは期待できないだろう。
「たぶん、明後日くらいに終わると思いますが……」
「ずいぶん早いですね……」
見込み販売数に対して生産が早すぎる。これでは月の大半を遊んで過ごすことになるぞ。
「いえ、あの……もっとたくさん作ったらダメなんですか?」
カレルは汚れた手で顔を掻きながら、おずおずと言う。
「まだどれだけ売れるか分からないんですよ。作り過ぎると危険です」
過剰在庫で困るのは、俺じゃなくてカレルだ。借金で首が回らない状態なのに、さらに首を絞めてどうする。
「火を落とすと効率が悪くなるんです。できれば一気に作りたいんですけど、ダメですか?」
売れる売れないの問題では無かったらしい。ロウを溶かすために燃料を使うので、冷やしてしまうと燃料が無駄に必要になる。鍋に材料が入っているのなら、一度に作らないともったいないな。
「一度に何枚作れるんですか?」
「報告書に詳しく書きますが、約800枚ですね……。鍋いっぱいに材料を溶かしたら、この枚数になりました。納品日は同じです」
多いな。一度にそんなに売れるかな……。消耗品なので、リピーターが付けば売れるかもしれない。
自分で試したところ、毎日使うと1週間くらいで寿命を迎えた。本格的に使うなら毎月5枚必要になる。丁寧に使ったとしても、毎月2枚は必要になるはずだ。
多少心配だが、腐る物でもない。注文ロットは800でいいだろう。
「分かりました。800枚単位で作ってください」
卸値は1枚あたり500クラン、売値は800クランを想定している。製造原価は約350クランだ。
今はカレルの利益が少なすぎるのだが、材料費を下げて対応するつもりでいる。紙は問屋の言い値で買っているので、交渉の余地は十分にある。
日本でカーボン紙が廃れた理由は、コピー機の普及とノーカーボン紙の発明だ。この国ではまだまだ先になるだろう。それまでは安定した需要が見込める。
まずは営業だな。紙を使いそうな店に売り込みを……いや、ウォルターに持たせよう。あの人は今、他店で遊び回っている。ウォルターに持たせておけば、店主仲間の誰かが食い付くだろう。





