セッティング
カフェ計画をサニアに了承させてから、数日が経った。ようやくテーブルが届いたので、早めに店を閉めて改装作業を始める。
商品は、既に在庫切れを起こし始め、一部の棚はガラガラだ。商品を寄せて棚を空けると、まるごと2つの棚が空っぽになった。空いた棚を休憩室の隅に寄せ、テーブルを設置する。
「こんなに小さなテーブル、初めて見ました」
「ですよね。どういうわけか大量の在庫がありましたよ。どうして、そんなにたくさん作ったんでしょうね」
「いえ。見た目も可愛いですし、いいと思いますよ?」
ルーシアは、困ったような笑みを浮かべて言う。評価は悪くないようだ。
注文したテーブルは全部で8セットなのだが、店に設置できたのは5セットだった。元より予備のつもりだったので、3セットは倉庫に仕舞おう。
「使わないんですか?」
「場所が無いですからね」
「詰めればまだ入りますよ?」
ルーシアの言う通り、詰めればまだ入る。この国では、椅子がぶつかりそうなくらい狭い間隔でテーブルを設置するのが一般的みたいだ。
飲食店の売上は、席数と客単価と回転率で決まる。だが、それは計算の上でだけの話だ。実際は居心地や清潔感などの心理的要因が大きく関わる。
計算の話だけで言うなら、テーブルはもっと近付けた方が効率がいい。
しかし、俺はかなり余裕を持って設置した。大人が楽々とすれ違えるだけの通路を確保している。詰め過ぎると俺が狙った効果が得られないからだ。店のテーマは『大人の男の優雅な一時』である。ギッチギチに詰められたテーブルでは、優雅さの欠片も無い。
「それだと席が近くなりすぎるんですよ。『パーソナルスペース』という言葉を聞いたことがありませんか?」
「初耳です……。それは何ですか?」
「他人に近付かれた時に、不快に感じる空間のことです。誰かが近くに居ると不快に感じるんですよ。これ以上席を近付けたら、お客さんが落ち着けません」
「そうですかね……。どこの食堂でも、これくらいは近付けますよ?」
ルーシアはあまりピンときていないようだ。具体例を出そう。
「以前、一緒に食事に行った時、ウルリックさんと会いましたよね。その時、ウルリックさんは僕たちの隣に座りましたが、落ち着けました?」
ルーシアと一緒に出掛けた時、デリカシーが無いウルリックは平気で俺たちの横に座った。テーブルの間隔が狭かったので、俺たちの会話は筒抜けになる。話の内容にも気を使うし、全く落ち着かなかったんだ。
「あ……なるほど。それは嫌ですね。席を移動したかったです」
うわ。俺以上に不快に感じていたのか。俺は『ちょっと鬱陶しいな』くらいにしか思っていなかったんだけど……。
「まあ、そういうことです。落ち着いて過ごしたいなら、距離感は大切なんですよ」
「そうですね……。もっと離してもいいくらいです」
さすがに離しすぎじゃないかな。ウルリックが隣りに座ったこと、そんなにも嫌だったのか。表情では読み取れなかったが、本気で嫌がっていたらしい。
パーソナルスペースは、男性よりも女性の方が狭いと聞いた覚えがある。大嘘じゃないか。ルーシアは俺より広いぞ。
「その距離は相手によっても変わりますからね。知らない他人でしたら、これくらいで十分ですよ」
警戒が必要な相手だと、パーソナルスペースはとんでもなく広くなる。場合によっては『視界に入るだけでアウト』ということもある。
ウルリックの場合は下手に知っている相手なので、やや広くなるのは仕方がない。
「そうですか……。では、これで準備は終わりですよね?」
「終わりですが、少し物足りなさを感じますね……」
美味しい料理、おしゃれなテーブル、適度な距離感、清潔な店内。一通り揃ったのだが、いまいちパンチが足りない気がする。
おそらく、このまま営業を続けても上手くいくと思う。
うちの店の立地は、本来なら飲食店に向いている。訓練場や街の外に出る人の導線上にあるので、独身男性が店の前を行き交っている。現に、あまり品が良くない隣の店も、普通に儲かっているようだ。
しかし、まだ何か足りない。一気に客を惹き付けるアイディア。何か無いだろうか。
「物足りないですか? 普通の食堂のように見えますが……」
それが良くないんだよ。普通じゃダメだ。普通の店では埋もれてしまう。うちの店は雑貨屋として認知されているので、突然飲食店を始めても気付かれない。
「もっとインパクトが必要なんですよ。ルーシアさんも、何か面白い案は無いですかね……」
「余ったテーブルを外に並べる……とか?」
ルーシアは、遠慮がちに冗談を言うかのように、半笑いで恐る恐る呟いた。冗談が下手な人にありがちの言い方だが、その声はスベるトーンだぞ。気を付けろ。
でも、アイディアは素晴らしい。オープンカフェだ。
「いいじゃないですか。採用です」
今の店舗には、広い庭が付いている。かつては雑草が生い茂って酷い有様だったが、改装の時に玉砂利を敷いてキレイな庭になっている。
「えっ! 冗談ですよ? テーブルが看板になりそうって思っただけですよ?」
やっぱり冗談のつもりだったのか。どんなに面白いことを言ってもスベる声色だったぞ。冗談を言うなら、言い方にも気を配ってほしい。
「大丈夫です。いい看板になりますよ。オープンカフェと言って、日本ではよくあるスタイルなんです」
「……恥ずかしくないんですか? 周りから見られますよね?」
「気にし過ぎです。ジロジロと見られるようなことはありませんよ。むしろ、開放的で気分がいいです」
とは言ったものの、俺はオープンカフェなんか使わない。追われている奴がオープンカフェのような目立つ場所に座るなんて、ただのアホじゃないか。気付いてくださいと言っているようなものだ。
「そうですかね……」
「この国では珍しいようですから、初めは注目されるでしょうね。でも、積極的に目立ちたい人も居ますから。喜ばれると思いますよ」
余った3セットのテーブルも、有効活用されることが決まった。
テーブルの設置を終えて照明を落とそうとした時、ウォルターが帰ってきた。いつもよりも少し早い帰還だ。
「帰ったぞ! ん、何をしている?」
ウォルターは、模様替えが済んだ店内を眺めて不審そうに言った。
「商品の入荷が止まりそうだったので、その対策ですよ」
「うん? このテーブルがか?」
「はい。空いたスペースを、一時的に食堂のようにします。僕はカフェと呼んでいますが、軽食を提供する店です」
「はぁ? 何を考えておる? そんなことをして、誤魔化せるとでも思っているのか?」
ウォルターには何も相談していなかったわけだが、サニアやルーシアからも聞いていないのか?
家族同士で報告くらいしていると思っていたが、2人とも報告していないらしい。ウォルターの蚊帳の外感が半端じゃない。ちょっと可哀想になってきたぞ。
「今は売り場面積を減らすことを優先したんですよ。下手な仕入れは命取りになりますからね」
「本当に大丈夫なのか?」
「今なら資金にも余裕があります。移転の時の売上が、まるごと残っているんです。冒険するなら今でしょう」
偶然にも、全てが噛み合った。
在庫が減っていくと客は不審に思うのだが、減った後で改装されるなら客は不自然に思わない。路線変更のタイミングとしてはちょうどいい。さらに、食材の相場も安定しているし、資金も問題無い。
「いや、まあ……サニアの料理は美味いからなあ。しかし、客は戸惑うんじゃないか?」
「失敗だと分かったら、すぐに撤退しますよ。今は試すだけです」
客は戸惑うだろうが、それは織り込み済みだ。クッキーなどは訓練所で振る舞ったのだが、評価は上々だった。剣闘士の連中なら、抵抗なく受け入れると思う。
「税金はどうするのだ? 申請が必要だぞ?」
おっと。そういえば、営業許可と税金の問題を忘れていた。
日本なら、食品衛生責任者講習の受講や保健所への届け出など、面倒な手続きがある。だが、この国でそんな手続きが必要だとは聞いていない。誰でも勝手に店を開いていいはずだ。まあ、税金の支払いは必要だが。
税金は、店舗の面積によって額が変わる。それは工房や食堂も同じで、税率は業種によって違う。工房が最も安く、商店が最も高い。
全面積を商店として登録しているので、今は無駄に税金が高い状態にある。今年度は仕方が無いが、来年度は申請を出し直す必要があるな。
「しばらくはこのままですね。カフェが上手くいきそうなら、申請しておきますよ。
それとも、営業許可のようなものがあるんですか?」
「飲食店組合への加入が必要だが、それ以外は特に無いな」
やはり、営業許可は必要ないようだ。しかし、商業組合とは別の組織があるらしい。
「加入は必須なんですか?」
「そうでもない。未加入のまま営業している店も多いと聞く。しかし、店を続けていれば向こうから声が掛かるだろう」
詳しい話を聞くと、どうやら年会費があるそうだ。組合に加入すると、生鮮品の仕入れが優遇されたり、銀行融資の審査が通りやすくなったりするらしい。
他にも、国による理不尽な地上げに対抗することができたり、ちょっとした宣伝をしてもらえたりもする。
「思ったより役に立つ組織ですね。声が掛かったら加入しましょう」
「ふん。そうした方がいい。商業組合よりも役立つことは確かだ」
ウォルターが面倒そうに言う。ちなみに商業組合は、職人からの信用を得やすい以外、特にメリットが無い。だが、加入しないと除け者になる。嫌がらせされないために、事実上加入が必須だ。
カフェ計画について、ウォルターからの激しい反発は無かった。もっと文句を言われると思ったのだが、正直、拍子抜けだ。他所の店の状況を見て、突拍子もないことをしなければ危ないと感じているのだろう。
おおまかな準備は終わった。明日からはカフェも始める。最初は苦戦するだろうが、何事も挑戦だ。やれるだけやってみよう。





