表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
51/219

お菓子作り

 カフェ計画には賛同を得られたのだが、まだテーブルだけしか準備できていない。材料を商店で買うのは無駄なので、できるだけ問屋で仕入れる。


 今日は材料の仕入れのために、サニアからレシピを教えてもらう予定だ。

 ついでに作っているところも見た方がいいだろう。自分の店で提供している商品が、どういうものかを知らないというのは良くない。


 今作っているのは、日本でも定番のプレッツェルだ。鮮やかな栗色とカリッとした食感が特徴の、小麦粉の焼き菓子。本場のプレッツェルはパンのように柔らかいらしいが、サニアのプレッツェルは固く焼き上げられている。日持ちするので、作り置きが可能だ。


 パン生地のような生地を細長く伸ばし、円形に結んで形を整えると、最後に水の中にザブンと落とした。


――水? プレッツェルって、そんなレシピなのか?


「最後にくぐらせた水は何ですか?」


「ラウゲン液よ。手が荒れちゃうから、触らないでね」


「初めて聞く名前なんですが、何の水なんです?」


 ずいぶんキレイな水だ。透き通っていて、何の臭いもない。

 井戸の質が悪いようで、この店で使っている水はいつも少し濁っている。渋いような味もある。これでも以前の店よりはマシなのだが、あまりキレイな水ではない。


 それに比べてこの水は、日本の水道から出てくる水のように透明だ。


「私もよく知らないんだけど、これをやらないとキレイな栗色にならないの。

 あまり近付かないでね。少しでも目に入ると危ないわ。触っていると手がヌルヌルしてヒリヒリするから、触るのもダメよ」


 うーん……話を聞く限り、強アルカリだよな。

 比較的簡単に手に入って、食品添加物にもなる強アルカリといえば、重曹か水酸化ナトリウムしか思いつかないのだが……。


「重曹ではないんですよね?」


 一応確認したが、重曹なら重曹だと言うはずだ。水酸化ナトリウムなんて、家庭料理に使ってもいいのか?


「違うわよ。重曹を溶かした水でもいいんだけど、味が違うのよねぇ」


 確認したが、やはり重曹ではない。となると、水酸化ナトリウムとしか考えられない。


――石鹸が作れるじゃないか!


 油は樽で買ったので、いくらでもある。石鹸は商品としても人気で、うちの店でも取り扱っている。だが、この街では作っていない。問屋で卸している商品だ。

 今取り扱っているのは、ごく普通の何の変哲もない固形石鹸で、1個300クランで売っている。


 上手く量産することができれば、この街の需要を賄えるかもしれない。


「サニアさん、後でこの水の仕入先を教えてください」


「いいけど……急にどうしたの? ツカサくんもプレッツェルを焼くの?」


「思い付いたことがあるだけです。料理のためじゃないですよ」



 その後、クッキーやサブレ、ビスケットも作ってもらった。これらはバターと砂糖の分量が違うだけで、ほぼ同じ物だ。カフェがオープンしたら、これらが提供される。


「焼き菓子はこんなところかしら。これでいい?」


「今のところは十分ですよ。材料も分かりました。さっそく仕入れに行ってきます」


「材料には日持ちしないものもあるから、気を付けてね」


「それに関しては、サニアさんにお任せします。多少高くなっても構いませんので、信用できる店で仕入れてください」


 俺が仕入れるのは、小麦粉などの日持ちする材料だけだ。バターや卵、牛乳といった腐りやすい材料は、毎日仕入れる必要がある。俺は詳しくないので、普段サニアが買っている商店で仕入れてもらう。



 レシピを紙にまとめ、仕入れのために職人街へと向かった。飲食店の原価率は、30%が上限だ。それ以上になると人件費が出ない。そこに注意して仕入れをしなければならない。



 まず、サニアに聞いたラウゲン液の問屋に入る。

 この店は、何とも言えない薬品臭が漂っていた。ラウゲン液だけでなく、怪しげな薬品を多数取り扱っているようだ。


 辺りを見回すと、店の隅にクリーム色のプラスチックのような四角いブロックが積まれているのが気になった。


「これは何です?」


 近くに居た店員に声を掛け、聞いてみる。


「ああ、ロウソクの原料だよ。原料のまま売っているのは珍しいだろ?」


 日本で見慣れたロウソクは、透明感のある真っ白な棒だった。しかし、この国のロウソクは、透明感のないクリーム色の棒だ。和ロウソクに近い。


「初めて見ますね。いくらです?」


「8000クランだよ。この塊一つで、約1000本のロウソクが作れる」


 滅茶苦茶安いぞ。金額自体は高いが、ロウソクは1本200クランで売っている。仕入値だと120クラン。原料で買えば、1本あたりたったの8クランじゃないか。


「買いましょう。定期的に買うので、安くしていただけませんか?」


「はぁ? ロウソク職人に知り合いでも居るのか? 塊で持っていても、役には立たんぞ?」


「分かっています。店で必要なんですよ」


 ロウソクは棒状に加工されている。紙製の芯の周りにロウを塗りつけた、直径1センチほどの棒だ。どうやって棒状にしているのかは見当もつかない。

 だが、ロウソクにするわけではないので、問題無い。この原料はカレルの工房で使う。カーボン紙はロウを使うので、今は高いロウソクを溶かして使っている。かなりもったいない。


「分かっているならいい。だが、値引きは無理だぞ。下手に値引くと、ロウソク職人たちが困るんだよ」


 売値が決められているらしい。ここまでキッパリと断られたら、交渉の余地はないな。


「了解です。では、この値段で買いましょう」


 そう言ってブロックに手を掛けると、店主が呆れ顔で口を開く。


「ところで兄ちゃんよ。持って帰る気なのか?」


「そのつもりですが……拙いですか?」


「人一人分くらいの重さがあるぞ?」


 重すぎィ! 持ち上げることはできるが、担いで帰るのはしんどいぞ……。いや、カレルの工房まで運ぶだけなら問題無いか。


「近くですから大丈夫ですよ。持って帰ります」


「ははは。そっか。見た目より体力があるんだな」


 店主は笑いながら言う。ジジイの訓練のおかげで、体力には自信があるんだ。これくらいの重さなら、いつもの訓練で持たされている。


「普段から運動していますからね」


「若ぇのに大したもんだ。用はそれだけかい?」


 おっと。忘れるところだった。本命はラウゲン液だ。


「ラウゲン液を取り扱っていますよね。これも定期的に仕入れたいんです。安くなりません?」


「安く、かぁ……。原料で買うなら安いぜ」


 原料だと? まさか、水酸化ナトリウムの粉末か? だとしたら、とても欲しいぞ。


「見せていただけます?」


「いいぜ。ちょっと待ってな」


 店主はそう言って、密閉された陶器の瓶を持ってきた。インスタントコーヒーの瓶くらいのサイズで、中を覗くと粒の大きな白い粉が入っている。


「これが原料ですか……」


「ああ。使い方によっちゃあ猛毒になるから、取り扱いには十分気を付けてくれ」


 石灰の可能性も残っていたのだが、間違いない。水酸化ナトリウムだ。こんなにサクッと売ってもいいのか? 日本だったら身分証明書が必要な薬品だぞ。


「こんなに簡単に売ってもいいんですか?」


「くっくっくっ。ビビるな、ビビるな。毒と言っても、そこまで強くない。扱いを間違えなきゃあ、死にはしないよ」


 いや、別にビビってはいない。心配しているんだよ。割と普通に使われているようだが、危険な薬品であることには変わりないんだ。この国では、薬品の取り扱いの意識が低いらしいな。

 下手したら死ぬような毒を、『強くない』と言い切る方がおかしいんだよ。立派な猛毒じゃないか。


「まあ、ありがたく買わせてもらいます」


「知っていると思うが、水に溶くときは慎重に行なうんだぞ。飛び散ったら危険だ。それから、できるだけきれいな水を使え」


 店主は真剣な顔つきで言う。危険性は理解しているらしい。本当なら蒸留水を使うのだろうが……あるのかな。


「分かっていますよ。蒸留水はどこかで買えますかね?」


「なんだ、知らないのか……。兄ちゃん、原料を買って大丈夫か?」


 店主の呆れたような声に、少しムッとした。


「買えないなら自分でどうにかしますよ」


 最悪、ランプ職人に頼んで蒸留器を作ってもらうよ。単純な形状だから、頼めば作ってくれるはずだ。


「馬鹿にしたわけじゃねぇよ。気を悪くしたなら謝る。蒸留器ならうちの店にあるぜ。要るか?」


 店主はバツの悪い顔で頭を掻いた。悪気は無かったようだ。


 しかし、俺が欲しいのは蒸留器じゃなくて蒸留済みの水なんだよなあ。でもまあいいか。今はプレッツェルのためにしか使わないし、石鹸作りの練習もしたい。自分で蒸留水を作れた方が都合がいい。


「では、それもいただきますね」


 結局、買ったものは結構な量になってしまった。


 蒸留器は銅製で、これがまた大きくて重い。20kgくらいだろうか。両手で抱えるようなサイズの木箱に収められている。

 今日の買い物は、合計で7万クランを超えた。それぞれの単価が高い。特に蒸留器が高い。材料が銅なので仕方がないのだが……。痛い出費だった。


 こんな額の現金は持ち歩いていないので、支払いは後日。そのため、今日持ち帰ることはできなかった。


 手付金を支払い、配送の手配だけをお願いした。これをやっておけば支払いと同時に発送されるので、手元に届くのが早くなる。



 最後に小麦粉の段取りをした。契約は問題なく進み、今日の仕入れは終わった。

 小麦粉には問屋ごとの違いがほぼ無い。どこで買っても同じ値段で、同じような質だ。保存状態に若干の差があるくらい。誤差レベルだ。


 これで準備は完了した。あとはテーブルが届くのを待つだけだな。

プレッツェルのレシピについて補足します。

今は重曹で代用することが多いですが、ドイツの伝統レシピでは、本当に水酸化ナトリウムを使います。

濃度は3%~4%くらいで、ギリギリ劇物に指定されない程度です。


表面についた水酸化ナトリウムは、焼成中に二酸化炭素と反応して炭酸水素ナトリウム (重曹)に変化するので、無害です。ご安心ください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ