喫茶店
職人街から店に帰る途中、歩きながら失敗した時のための対策を練る。
2人用の小さなテーブルを発注したわけだが、もしカフェ計画が上手くいかなかった場合、要らなくなったテーブルセットを売却しなければならないからだ。
家具職人が目を付けたのは屋台だった。屋台の近くにテーブルを設置すれば、売上が伸びると考えたようだ。それならば、テーブルは小さくする必要がある。
アイディアは悪くない。だが、そこが商人の発想とは違う部分だ。そもそも屋台とは、道端に設営される移動式の店舗である。テーブルなんかを持ち歩く余裕は無いし、たとえ小さくてもテーブルを設置するだけのスペースは無い。
ここまで考えれば、屋台の経営者には需要が無いと気付く。
屋台ではなく、既存店に売り込みを掛けるべきだ。隣の食堂ならちょうどいいかもしれない。
もしカフェが失敗したら、隣の食堂のババァに買わせよう。客層はほぼ個人客なので、悪いようにはならないはずだ。
考え事をしているうちに、店に到着した。カフェ計画を話し合うため、サニアとルーシアを休憩室に集める。ウォルターはいつものごとく蚊帳の外だ。事後報告で十分。
「早かったわねぇ。何かいい商品は見つかった?」
サニアは、俺の向かいに座りながら笑顔で言う。
「そうですね。いい案を思い付きました。それにはサニアさんの協力が必要なんですが……。サニアさん、暇ですよね?」
「え? そうねぇ。家のこともあるから、それなりに忙しいけど……。以前よりはずいぶん楽になったわよ」
「これで仕入れが止まったら、もっと暇になるんじゃありませんか?」
「そうねぇ。その分、帳簿の勉強を頑張るわ。しっかり教えてね」
サニアには、売上帳などの帳簿の記帳を頼んでいる。発言の撤回をして申し訳ないが、それは中止だ。
「それよりも優先してほしいことができたんです。サニアさんにしかできませんので」
「何?」
「料理を作っていただけませんか?」
「そんなの、いつもやっているじゃない」
「いえ、僕たちの分ではなく、お客さんに提供してほしいんです」
「え? 食堂を始めるんですか?」
ルーシアが、驚いて声を上げた。
「食堂というより、ちょっとしたカフェです。提供するのは、僕たちがいつも食べているおやつですね」
この国には喫茶店が無く、店舗型の飲食店はどれも食堂だ。昼間から開いている店も、ただ営業時間を少し早めただけ。店の形態は夕食を提供する食堂と変わらない。
これは昼食を食べる文化が無いからだ。そのかわりに、大量のおやつを食べる習慣がある。昼食の準備をしている暇があるなら働け、という意味だと勝手に解釈している。
近くの屋台で買うこともあるが、サニアが作ったお菓子を食べることが多い。よく出てくるのはクッキーやプレッツェルだが、時間に余裕がある時はロールケーキが出てくることもある。
どれも普通に美味しくて、屋台で買ったものとは見分けがつかない。特にロールケーキは、下手な屋台で買うよりも美味い。
「ああ、そういうことね。それなら構わないけど、屋台の店番はどうするの?」
サニアは少し勘違いしているようだ。この国で軽食と言うと、どうしても屋台が先に思い付く。もし店舗で売るとしても、カウンターを外に向けて屋台のように売る。
この国には『昼の時間をゆったりと過ごす』という文化がなく、みんなさっと休んですぐに仕事を再開する。勤勉で有名な日本人よりも、勤勉な様子だ。だからこそ屋台が流行っている。
「僕がやりたいのは、屋台ではありません。店舗で売ります」
「え……改装したばかりですよ?」
ルーシアも少し勘違いしている。棚は撤去するが、職人に依頼するような改装をするつもりは無い。
「改装する必要はありませんよ。カフェって、知りません? 喫茶店とも言いますが……」
「聞いたこと、無いです……。食堂とはどう違うんですか?」
わお。全く通じていないわ。喫茶店という業種が無いんだ。知らなくて当然か。面倒だが、1から説明する必要があるらしい。
喫茶店が無い理由は、思い当たるフシがある。この国には所謂お茶の葉やコーヒーが無く、嗜好品といえばハーブティーのようなお茶だ。お茶は屋台でも売っているが、喉を潤す手段としか考えられていない。
紅茶やコーヒーが無いと、腰を据えてお茶を楽しむという文化が育ちにくいのだろう。
「食事と言えるほどの物は出さない、お茶と軽食を提供するお店です。座れる屋台だと思ってください」
「なるほど、座れる屋台ですか。いいかもしれません」
「店舗の一部の棚を撤去して、テーブルを設置します。本格的な料理を提供するわけではないので、調理場の改装も必要ありません」
日本でも偶に見かける形態だ。カフェ内に物販コーナーを作る。今回はその逆だが、やろうとしていることは同じ。
日本で主流にならないのは、デメリットの方が多いからだ。手間が2倍以上になるくせに、売上はそれほど伸びない。どちらかがオマケ程度の規模になる。
だったら、最初からオマケのつもりで運営すれば問題ない。あくまでも茶葉と食器を売るためのカフェだ。
「それならすぐに始められますね」
「でも、上手くいくかしら……。そんなことをしている店なんて見たこと無いわよ?」
昼食のための食堂は、この国に来てから見ていない。おそらく需要がないと思われている。リスクの割にリターンが見えてこないので、誰もやりたがらないのだろう。
「日本では偶にあるんですよ。難しいですが、不可能ではありません」
日本で自家焙煎のコーヒー豆を売る喫茶店を見かけたことがある。辺鄙な場所に店を構えているのに、結構繁盛していた。今回目指すのは、そういう店だ。
ちなみに、カバン屋と喫茶店を併設している店も知っている。初めて見た時は普通のカバン屋だったのに、次見た時は8割が喫茶店になっていた。喫茶店を始めたキッカケは、店主の趣味だそうだ。さすがにこれは極端な例だが、実例はある。
「そうなの? でも、売るほどの量なんて、作れるかしら……」
サニアは、心配そうに言う。
「作れる範囲で構いませんよ。いつも作る量を増やす程度で大丈夫です」
クッキーやプレッツェルなら、作り置きが可能だ。大量に作って数日に分けて売ってもいい。問題はロールケーキだが、数量を限定すれば、それほど負担にはならないはずだ。
ちなみに、この国では生クリームがかなり高価で、ロールケーキにはバタークリームが使われている。もちろん味に問題は無いが、大量に食べると吐きそうになる。1人一切れが適量だ。買い占める馬鹿は現れないと思う。
さらに、バタークリームは生クリームよりも日持ちする。冷蔵庫が無いのだが、1日くらいなら悪くなることはない。
「でも……」
そう言って渋るサニアの手の甲に、ルーシアがそっと手を添えて言う。
「母さん、やってみたら? 前から食堂をやってみたいって言っていたじゃない」
「そうね……。やってみるわ」
サニアは、自信なさげに頷いた。思いの外すんなりと引き受けてくれたな。
ルーシアが服屋をやりたがっているように、サニアも食堂をやりたがっていたらしい。
「では、よろしくお願いします。テーブルが届き次第、始めましょう」
テーブルは発注済み。ここでゴネられたらどうしようかと思っていたが、話が早くて助かった。
食料品の仕入れは、今のところ滞っていない。棚を埋めるなら食料品に手を出す必要があったのだが、この店の付近では食料品の需要が殆ど無い。自炊をする人間が少ないからだ。
加工食品なら売れるのだが、これは少し仕入れが不安定。自分の店で加工して売るのが、最も確実だ。
「でも、どうして食堂なんですか?」
ルーシアが不思議そうに言う。
「食堂ではなく、カフェですよ。提供するのはお茶と軽食です。
値崩れの前兆が見えている今、他店と同じ商品を並べたら、価格競争に巻き込まれます。そうかと言って、需要が見えない新規の商品を仕入れるのもリスクが高いので、売り場面積を減らしたいんです」
他店と同じ物を仕入れて並べたとしても、値下げする気がないので絶対に売れない。並べるだけ無駄だ。
「ツカサさんは、高くても買ってくれるお客さんを探すと言っていましたよね?」
そういえば、そんな綺麗事を言った覚えがあるなあ。それは相当特別な付加価値が無いと無理だ。しかし、同じ職人が作ったランプや食器などの日用雑貨は、どこの店で買っても全く同じ。
「周りの店が妥当な金額で売っているのであれば、多少高くても売れるんですけどね。しばらく売値が酷いことになります。その間は、値下げをしない限り売れません」
たとえば、訪問販売や遠方への配達など、考えられる手段はある。だが、今はそれだけでは足りない。値下げをした上で付加価値を付けないと、誰も買ってくれない。
「そうなんですか……。まだ実感が湧かないのですが、そんなに値崩れしますかね……」
「どれだけ下がるかは分かりませんが、競争になると思いますよ。ですから、店舗は一時的に縮小します」
「それなら、私もカフェのお手伝いをした方がいいですよね?」
「いえ、今までどおりで構いません。ただ、帳簿はルーシアさんに任せることになりますが、大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫です。でも、食堂なんて考えたことも無かったので……」
「難しく考える必要はありませんよ。慣れるまでは大変だと思いますが、僕も手伝います」
失敗した時の対策は練っているが、失敗する確率は低いと思っている。
この店の前は、日中からかなり人通りが多い。それも、訓練帰りや仕事帰りの暇な独身男性だ。奴らはとにかく暇なので、暇つぶしを求めている。
そいつらを上手く取り込む。『優雅な午後の一時』を演出してやれば食い付くはずだ。ソースは自分。異論は認めるが、間違いないと思う。





