量産体制
カレルと知り合ってから数日が経ったが、工房はまだ見つかっていない。ギンに任せっぱなしなので、状況も把握していない。
まあ、上手くやってくれるだろう。そう考えていた時、店舗から騒々しい声が聞こえてきた。
声で分かる。ギンだ。
「兄さん! おはようございます!」
やかましい声が、店内に響く。
ただの挨拶なのか、工房が見つかった報告なのか。判断に困るな。
「おはようございます。工房は見つかりましたか?」
「一応見つけましたが、ちょっとボロいんすよね……」
ギンが歯切れの悪い返事をする。この国の住民の基準で『ボロい』ということは、相当ボロいのだろう。住めるのか?
「見てみないと分かりませんね。今から行けます?」
「もちろんっす!」
「では、カレルも連れていきましょう。住むのは彼女ですから」
そう言って店を出た。カレルは自宅で待機するように言ってあるので、道すがら声を掛けて連れ出す。
ギンに連れられて向かった先は、職人街の隅にある小さな掘っ立て小屋。かなり老朽化が進んでいて、今にも崩れそうだ。強い風が吹いただけでも、外壁が剥がれていく。
「カレルさん。ここらしいんですが、どうです?」
「ちょっとアレですが……住ませていただけるだけで満足です!」
アレとはなんだよ。素直に言えよ、『ボロい』って。まあ、満足ならそれでいい。
「では、ここでいいですね。ギン。契約はどうなっていますか?」
「マジでいいんすか? めっちゃボロいっすよ?」
ギンは遠慮する様子もなく言った。
「住む人がいいと言っているんです。問題ありませんよ」
「それならいいんすけど……。これ、オレの知り合いが確保していた物件なんすよ。なんで、格安の激安で販売になるっす」
金貸し所有の訳アリ物件か。何か曰くがありそうだな。
できれば賃貸の方が有り難かったのだが、持ち主も手放したがっているのだろう。仕方がない。買うか。
「いくらです?」
「現状渡しで、80万クランでいいそうっす」
家の相場はよく分からないが、たぶんかなり安い。日本円に変換すると、おおよそ400万円。建物は無価値として、土地も相当安い。まあ、立地も悪くて狭いので、割と妥当な金額かもしれない。
事務所の金庫には、それくらいの金額は常に入っている。さっさと契約を済ましてしまおう。
「わかりました。即金で払います。後ほど準備しておくので、店に取りに来てください」
「了解っす。激安なんすから、後で文句を言わんでくださいね?」
「分かっていますよ。なるべく言わないでおきます」
「……少しは言うんすね」
まあ、文句は言うだろうな。どんなに安いからと言っても、限度がある。あまりにも酷いようなら、文句の1つも出るさ。
「でも、実際に住むのはカレルさんですからね。工房が壊れたら、僕に相談してください」
日本では、修繕の義務は家主にある。この国のルールは知らないが、調べるのが面倒なので日本ルールで統一する。
「あ……ありがとうございます……。どうしようも無くなったら、相談させていただきます」
カレルは、神妙な面持ちで言う。どうやら、この国では修繕の義務は店子にあるらしい。とは言え、カレルは金が無いので、当面の修繕は俺がやるべきだな。
「ギン。いつから住めますか?」
「今日中に手続きを終えれば、明日から住めるっす」
「だそうです。カレルさんは引っ越しの準備を進めてください。最後に確認ですが……」
ここでもう一度、カレルには契約について軽く説明した。
材料の手配は俺がやり、販売は全てうちの店を通して行われる。そして、この約束を破るな、という内容だ。
「契約は理解できましたよね?」
「はい。もし破ったら?」
「即座に取引停止です。材料の供給と製品の買い取りを、全て止めます。工房からも出ていってもらいますよ。20万クランも返金してもらいますが、おそらく売掛と相殺することになるでしょうね」
商品の横流しのリスクが無くなったわけではないが、それは自社内で製造した場合も変わらない。むしろ、退職の自由がある分、自社製造の方が危険だ。
ノウハウを教え、技術と知識が身に付いた頃に「辞めます」と言われたら、店は承諾せざるを得ない。そうならないために、『従業員』ではなく『子会社の社長』として迎えたのだ。
従業員として雇うと、仕入先や顧客ごと持ち逃げされる。子会社ならその辺りの人たちと関わるチャンスが少ないので、まだマシだ。
「かなり……厳しいですね」
「破らなければいいんですよ。難しい制約ではないでしょう」
「それもそうですね。頑張りますので、よろしくお願いします!」
カレルは力強い眼差しで俺を見ながら言った。
カレルの用事はこれで終わりだ。引っ越しの準備をするため、カレルとはここで別れた。
「では、僕は少し用事を済ませます。書類を準備して、店で待っていてください」
「了解っす。兄さんは遅くなりそうっすか?」
「いえ、仕入れをするだけです。日が高いうちに帰りますよ」
ついでなので、紙問屋を探しておく。材料がないと、カレルは仕事をできない。だが、以前見つけた紙問屋ではダメだ。面倒だが、違う問屋を探さなければならない。
周辺を歩き回り、紙を扱う問屋を見つけた。以前の問屋よりも少し狭い。
店主を呼んで挨拶を済ませると、すぐに商談に移った。
「薄くて丈夫な紙なんですけど、あります?」
「ああ、これだね」
そう言って、カウンターの奥から1枚の紙を取り出した。前回とよく似た紙質だが、キレイな格子模様になっていない。模様がまばらで、少し不格好な印象を受ける。
――前回よりも質が悪いのかな……。
紙を持ち上げ、透かして見ていると、店主が慌てて紙をひったくった。
「悪い! これ、違うわ! こっちだ、こっち!」
店主はもう1枚の紙を取り出して言う。次に出てきたのは、以前と同じようにキレイな格子模様が入っている。
「どうしたんです?」
「悪いね。さっきのは失敗作なんだよ。何かに使えるかもしれないって買い取ったんだが、紙職人からは『商品としては売るな』と言われてんだ」
「え? 商品として? それじゃあ売れないじゃないですか。何のために仕入れたんです?」
「何かの材料になるなら、売ってもいいと言われている。今のところ、何も思いついていないがね……」
ここの店主は、本来なら廃棄処分になるような品質の紙を、安く仕入れようとしたらしい。
だが、職人はそれを良しとしなかった。品質に納得がいっていない出来損ないを、自分の作品として売られることが許せないのだろう。
俺が探していた材料は、まさにそういう紙だ。真っ黒に染めるので、品質なんか関係無い。
「ちょうど材料になる紙を探していたんですよ。それ、売ってもらえませんか?」
「材料って、何に使うつもりだ?」
「企業秘密なので詳しく言えませんが、紙の質は関係ありません。原型もほぼ無くなります。紙職人さんの名誉を傷つけることは、ありませんよ」
「それならいいが……製品の確認だけはさせてくれ。紙の質が分かるような製品だと、許可はできない」
店主は心配そうに言うので、今持っているカーボン紙を見せた。
「これですね。同じような紙を使っているんですが、質なんて分からないでしょう?」
「いや、まあ、確かにそうだが……。これ、何に使うんだ?」
初見で用途を推測するのは難しいかもしれない。見た目はただの真っ黒な紙だ。触ると手が汚れる。
「2枚の紙に同時に文字を書くための紙です。紙の間に重ねると、下の紙にも同じ内容が書かれます」
「へぇ……。これ、あんたが考えたのか?」
「まあ、そうですね。故郷に似たような物があったので、それを参考にしただけです」
「なるほど。これなら問題ないな。いいぜ。特別に売ってやるよ。1枚300クランだ」
お。かなり安い。確か、ちゃんとした紙なら800クランだ。半額以下だな。
「定期的に大量に欲しいんですが、安定して仕入れることは可能ですか?」
「職人次第だが、失敗作はいくらでも出る。それを金にできるなら、職人も嫌とは言わねぇだろう。上手く言っておくよ」
「よろしくお願いします」
この問屋が信用できるかどうかはまだ分からないが、ひとまず仕入先を確保できた。
帳簿用の紙と伝票用の紙も、同時に注文した。50枚と200枚を毎月買い入れる契約だ。この紙の値段は、以前の問屋と同じだった。
さらにポップ用の紙も追加発注する。厚手のキレイな紙で、やや高め。これは毎月ではなく、必要な時に必要なだけ買う。
最後に、以前の問屋と同じことにならないよう、釘を刺す。
「助かりました。以前は別の問屋で同じ注文をしたんですけど、突然品切れしてしまいまして。この店では、そんなことはありませんよね?」
「なんだ、ずいぶん小さな問屋で買っていたんだな。うちの店ではあり得ないぜ。1年分以上の在庫を確保している。どこかの金持ちが買いにこない限り、売り切れることはないよ」
デジャヴかな? 前回も全く同じことを言われた気がする。
「突然倉庫ごと買い占められることもあるでしょう。そうなると、困るんですよ」
「ぬはははは。どこの夢物語だよ。あり得ない心配をしても仕方がないだろう。まあ、もしそんなことになっても、あんたの分は確保しておくよ。安心しろ」
店主は、豪快に笑いながら言った。
夢物語じゃないんだよなあ。俺の目の前で起きた事実だ。
しかし、今回の紙問屋は信用できそうだな。紙の仕入れも、予定より少し安くなった。当面はこのまま取引を続けようと思う。
軽く挨拶をして問屋を出ると、すぐに店に帰った。
ギンは店の前で待機していたので、応接室に招いて契約を済ませる。契約と言っても、金を払うだけだ。これで正式に工房が俺の物になった。
しかし、主力商品が『カーボン紙』って、ちょっと地味過ぎないか? 黒くてペラペラな、ただの紙だぞ。もっと派手な商品が欲しいなあ。





