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衝突

 カレルを見送った後、事務所で書類仕事をしていると、ルーシアが怖い顔で事務所に入ってきた。

 そのままツカツカと歩いて俺の前まで来ると、こちらを睨んだまま口角を上げて言葉を出した。


「それで、ツカサさん。わけは話してくださるんですよね?」


 カレルの件のことだな。子会社にすることはさらっと説明したが、十分ではなかったらしい。何が気に入らなかったのか、とても不機嫌そうだ。


「わけというほどのことは無いんですけどね……。ギンに追い詰められていたところを見かけたので、仕事の依頼をしただけです」


「お金を渡す必要なんかありませんでしたよね?」


 カレルには、工房設立の準備金として20万クランを貸している。と言っても、半分あげたようなものだ。工房を閉鎖するか、カレルが引退するか、その時までは貸しっぱなしになる。


「初期費用ですか。一応、考えがあってのことなんですよ」


「何の考えです? 従業員として雇えば、話は早かったんじゃないですか?」


 ルーシアは、まだ苛ついている。俺が金を渡したのが気に入らなかった? それとも、勝手に工房の設立を決めたのが拙かった?

 何が地雷だったのか、よく分からない。


 ルーシアは、従業員として迎えるなら納得だったようだ。俺はメリットとデメリットを計算して子会社にすることを選んだのだが、ルーシアとは考えが違うらしい。


「そうでもないんですよね。従業員って、辞めるのは自由でしょ? 技術とノウハウ、手の内の全てを知られた人が、野放しになる可能性があるんですよ」


 製造を任せる以上、材料や工程だけでなく、材料の仕入れや販売先などの商品の流れの全てを知られるリスクがある。これは工房を子会社にした場合でも同じなのだが、子会社の社長であれば簡単には辞められない。

 万が一、独立したいと言い出したとしても、取引を継続できるというメリットもある。


「あ……確かにそうですね。でも、商人の世界はそういうものじゃないですか。修業の全否定ですよ?」


「知られても構わない情報なら、いくらでも渡しますよ。帳簿の書き方や商品の管理方法、陳列方法など。そんなものなら、いくらでも教えます。

 でも独自商品の製法となると、絶対に知られるわけにはいきません。独自商品は店の生命線なんですよ」


 日本では『商標法』や『特許法』で保護される部分だ。この国にそんな法律があるとは思えないので、我が身は自分で守らなければならない。


「それなら、辞めさせない工夫をすれば良くないですか?」


「従業員を縛るには、待遇を良くするしかありません。極秘情報を持たせることになるので、安い給料ではダメです。それこそ、毎月10万クラン以上支払う必要があるんです。

 一度に20万クランで済むのなら、ずいぶん安い買い物だと思いませんか?」


 毎月の給料は、製品の売れ行きに関係なく支払わなければならない。売上の調子が悪くても、毎月重くのしかかってくる。これが痛い。でも給料を渋ると、従業員が去っていく。


「……上手く言い包められたような気がします。本当にそれだけですか?」


 ルーシアは、ふてくされたような顔で言う。


「そうですねえ、これは言うべきかどうか迷うのですが……。従業員って、情報を漏らしても、さほど痛くないんですよね」


「どういう意味です?」


「独自商品の製法は絶対に秘匿したいと考えているんですが、その情報が漏れて困るのは、僕たち経営陣だけなんですよ。従業員は辞めれば済みます」


 これは『従業員は雇い主のために働くか』という問題である。答えは『ノー』だ。従業員は従業員なりの思惑で働いている。その目的や手段は、雇い主には知るすべがない。


 ルーシアは従業員に対して若干の幻想を抱いているようなので、少し躊躇した。


「カレルさんが信用できないと?」


 ルーシアはそう言って、顔を曇らせた。


「そうではありません。誰が相手でもです。責任の重さと意識の違いの問題ですね。ただの従業員では、責任が軽すぎるんです」


 ただの従業員には、経営に関わるような重要な情報を渡せない。

 万が一経営が左右されるような情報が漏洩した場合。経営陣は首を括る覚悟が必要だが、従業員なら解雇されるだけだ。経営陣と従業員で意識が違うのは当然。


「だとしても! どうして工房の主なんて重要な役職を与えたんですか!」


 ルーシアは、さらに語気を強めた。


 なるほどね。ルーシアが怒ったわけが分かったぞ。カレルを特別扱いしているように見えたんだ。

 出会って間もないカレルを特別扱いしているのが気に入らないらしい。「もっと自分を特別扱いしろよ」という遠回しなクレームだな。少しフォローしておこう。


「カレルさんに任せた工房は、店の利益を守るために設立したんですよ。

 取引相手や営業方針を縛っているので、カレルさんは自由なように見えて、とても不自由なんです」


「カレルさんには何のメリットも無い、ということですか?」


 今度はカレルを心配するような素振りを見せた。よく分からないが、カレルを(ないがし)ろにしてほしいわけではないらしい。


「それがですね、カレルさんの仕事次第で給料が無限に増えるので、悪くはないんです。従業員ですと、どんなに頑張っても給料は変わりませんからね」


 おそらく、カレルの取り分はカーボン紙1枚あたり100クラン前後になる。1日あたり500枚は作れるはずなので、1日5万クランの利益が出る可能性があるのだ。

 1日の生産数は俺の発注次第になるため、毎日これだけの利益が出るわけではない。とは言え、1カ月の収入は従業員の給料を超える。まあ、収入は不安定になるわけだが。


「え? それだと、今度はうちの店が損をしますよね?」


「いえ、工房の維持費や管理費用が掛からないので、むしろ安上がりなんですよ。製法を秘匿することができれば、製品は高値を維持できます。ですので、利益も確実に確保できますよ」


 メリットはそれだけではない。もし何か重大な問題が発生した場合、事業を完全に切り分けておけば、工房を閉鎖するだけで解決する。店は多少のダメージを受けるが、店ごと潰れるような事態にはならない。


「高値で売るくらいなら、最初から従業員にして、売値を下げるのはダメなんですか?」


「話が最初に戻りましたよ?

 売値を安くすると、うちの店が余計なリスクを背負うことになるんです。当然、商品を安くする努力はしますが、それによってリスクが増えるなら本末転倒なんです。安全に安くしなければ、商売は長続きしません」


「でも、安くすれば、お客さんは喜びますよ?」


 以前話した、『客を喜ばせる』という話だな。今回の話とは少し意味が違う。


「値段で喜ばせるのは間違いです。品質で喜ばせなければなりません。

 もしもの話をしましょうか。もしカレルさんが『独立する』と言って技術を持ち去った場合、同じ商品を取り扱うことになりますよね。その場合、どうなることが予想できるでしょうか?」


「どうなる、と言いますと? 店が増えるだけじゃないんですか?」


「同じ製法の、同じ商品です。どちらを買うかと聞かれたら、安い方を選びませんか?」


「え? まあ、安い方を買いますね……」


「自分の店の商品を売るために、お互いが安くせざるを得ない状況になるんです。値下げしないと売れないので、値下げが止まりません。

 その結果、店は利益が確保できなくなります。それでも無理をして売ろうと思うと、人件費を削るか、品質を下げるか、選択肢はこの2つしかありません」


 製法を工夫してコストダウンをすることも考えるが、行き着く先は人件費削減だ。価格競争に巻き込まれると、製造従事者の給料が雀の涙になる。俗に言うブラック企業の出来上がり。


「そんなことになりますかね……。考えすぎじゃないですか?」


「実際は、店舗の立地や信用なども関わってきます。一概には言えませんね。でも、あり得ない話ではないんですよ」


 これは『風が吹けば桶屋が儲かる』のような話だが、机上の空論ではない。


 カーボン紙のような単純過ぎる製品は、誰が作ってもほぼ同じ品質になってしまう。

 材料や工程によって多少の差が出るが、どんなに低品質でも、カーボン紙としての機能を失うことは無い。それがこの商品の危険なところだ。


「本当にそうなったとして、どうやって売るんです?」


「そうですね……。売るのを諦めるのが正解じゃないですかね。

 品質を下げるのは問題外です。でも人件費を削ると、売れば売るほど生活が苦しくなるんですよね。こちらが苦しい思いをしてまで、商売を続けるべきだと思います?」


「お客さんのためならどんな苦労でもしろ、と教わりましたが……やっぱり間違いです?」


 ルーシアは、自信なさげに言う。


「半分正解、といったところですかね。苦労することは悪くないですが、お客さんが一方的に得をする状態は良くありません。お店もしっかりと得をしないと、商売が続かないんです。

 店を維持するためには、何をするにもお金が掛かります。お店が得をしていないと無理でしょう?」


 売るための苦労ならいくらでもするが、苦労するために売っているのではない。利益を得るため、会社を存続させるために売っているんだ。売ることが『苦労』ではなく『苦痛』になるのなら、即刻会社を畳んだ方がいい。


「そう……ですね。はい。なんとなく分かった気がします」


 気がするじゃなくて、ちゃんと分かってほしいんだけどなあ。まあいいか。


「では話を戻しますよ。カレルさんにお金を援助してまで工房の主にしたのは、お店の利益を守るためです。経費の削減にもなります。納得していただけました?」


「理由は理解できましたが、やっぱり心配しすぎじゃないですかね……」


「経営者は、常に最悪を想定して動くんです。避けられるリスクなら、できるだけ避けたいんですよ」


 ルーシアは納得しきった様子ではないが、一応丸く収まったと思う。


 普通に考えるなら、従業員として雇うんだろうな。その方が簡単だし。

 でも、もしカレルを雇う場合、平の従業員では拙い。責任を持たせるために『工場長』などの役職を与える必要がある。特別扱いと見做されて、結局ルーシアと衝突していただろう。人件費も嵩むし、良いことが何もない。


 まあ、うまいこと前例を作ることができた。今後も独自商品を開発したら、子会社を作ろうかな。

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