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被害者

 カレルと詳しい話をするため、カレルを連れて店に帰った。店では、いつものようにルーシアが店番をしている。

 今日は、ポップを書くのに忙しいようだ。カウンターで熱心にペンを走らせている。


「ツカサさん。お帰りなさい。そちらの方は?」


 ルーシアは、俺を見つけると、怪訝な顔で聞いてきた。


「新しい工房の親方になる予定の人です。カーボン紙の作成をお願いしようと思っているんですよ」


「ずいぶんキレイな方みたいですけど?」


 ルーシアが不機嫌そうに言う。


 涙と鼻水を拭ったカレルは、それなりに美人になったと思う。目が腫れて髪はボサボサでスッピンだが、それでも許せるほどの美形だ。

 だが、残念ながら数日後には体中が真っ黒になる。カーボン紙は汚れるからな。


「ははは。見た目は関係ありませんよ。真面目に働いてくれそうだったんです」


「……それならいいですけど」


 ふくれっ面のルーシアを尻目に、カレルを休憩室に通した。

 この休憩室は、応接室とも兼用している。休憩室を仕切り板で区切り、個室のように使える。



 カレルは、緊張した面持ちで軽く頭を下げると、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。


「それでは親分さん。よろしくお願いします」


 カレルは、こともなげに言う。予想はしていたが、最悪だ。ギンの仲間だと勘違いされている。


「違いますよ。その言い方はやめてください。僕は普通の商人ですから」


「え? でも、金貸しさんに説教をしていらっしゃいましたよね?」


「彼がいい加減な仕事をしていたからですよ。あのままいい加減な仕事をされたら、僕の評判まで下がりそうでしたからね」


 ギンは、「二度と顔を見せるな」と告げても次の日には平気な顔で挨拶をしに来る。そういう奴だ。関わってしまった以上、縁を切ることができない。カレルの言う通り、周りからは俺とギンは親分と子分のように見えてしまうだろう。


 ギンのアホな行動は、勝手に俺の悪評として広まってしまう。そのため、ギンが本格的にアホな行動をし始める前に、なんとか止めなければならない。


「そうでしたか……。勘違いして、すみませんでした」


 俺がうんざりとした顔で座っていると、カレルは申し訳なさそうに項垂れた。このままでは話が進まないな。さっさと切り出そう。


「いえ、いいんです。話を初めましょうか。

 先に言っておきますが、騙された金は()()()戻ってきません。取り返そうともしないでください」


 単刀直入に言った。これはかなり重要なことだ。今釘を刺しておかないと、今後が心配だ。


「えっ! さっき探してくださると……」


 カレルは、目をパチクリとさせて言う。やはり少し望みを持っていたようだな。注意しておいて正解だった。


「探しますよ。でも、お金を取り返すためではありません。たとえ見つかったとしても、お金は返ってはきません」


 詐欺師なら、捕まった後のことも考える。詐欺師本人を捕まえたところで、おそらく現金は持っていないだろう。


「でも……」


「あなたは詐欺に掛かりやすい状態にあります。自覚してください。詐欺師から見たら、あなたほど騙しやすいカモはなかなか居ませんよ」


「そんなことはありません! 普段は用心深いんです! 今回は偶々(たまたま)なんです!」


 自分は絶対大丈夫。そんなことを言っている人ほど、実は騙されやすい。自分に自信がある人は自分の決定を過信する。そのため、一度信用させることができたら、あとはいくらでも騙し放題になる。

 まあ、今回は別の理由で狙われやすいんだけどね。


「一度でも騙された人は、『騙しやすい人』として、詐欺師たちの間で噂になります。カレルさんは今、狙われやすいんです」


「でも、どうして! どうして取り返したらいけないんですか!」


「詐欺の手口として、『騙された金を取り戻す』というものがあるんですよ。騙された人に近付き、『取り返せる』と言って費用を請求します。もちろん、その人はお金を持って逃げますね」


 日本の場合、刑事罰の中に『被害額の返還』は含まれない。取り返すなら民事訴訟だが、賠償請求が認められたとしても、受け取る権利が発生するだけだ。被害者本人が取り立てる必要がある。さらに、詐欺師本人名義の資産が無い場合は払わせることができない。


 この手の業務を専門に請け負う業者も居るが、本当に信用できるのは実績がある弁護士だけだ。それでも成果は100%ではない。


 要するに、時間の無駄。合法的な手段の中で、詐欺師から金を取り戻すのはかなり難しい。


「そんな……」


「欲を捨ててください。絶対に返ってきません。自分にそう言い聞かせてください。もう一度稼げばいいんですよ。過去のお金を取り返す方法より、未来の稼ぎを得る方法を考えてください」


 取り返すための費用と時間を考えたら、もう一度稼いだ方が確実。稼ぐ見込みがないなら、素直に諦めて用心する。「取り返せるかも」と思っていると、それだけでリスクになるんだ。


「納得できません! だって……10年間、必死で貯めたお金だったから……」


 カレルは、今にも泣き出しそうな様子だ。気の毒だとは思うが、詐欺師にとってはその思いが『付け入るスキ』なんだよ。誰かがハッキリと言わないと、すぐにまた騙される。


「それがいくらだったのか知りませんが、関係ありませんね。どれだけ苦労しようが、楽をしようが、お金はお金です。すぐに割り切ることは難しいでしょうが、諦めてください」


「簡単に言わないでくださいよ! どれだけ苦労したと思っているんですか!」


 カレルは、涙目で語気を強めた。


「……その執着心は危険ですね。全部盗られて、逆に良かったかもしれません」


「何が良かったんですか! 人の気も知らないで!」


 開店資金に執着しすぎると、上手くいかなかった時に泥沼に嵌まる。撤退の時期を誤り、借金地獄に陥る可能性が高い。

 カレルは自分の店を持つはずだった。今騙されていなければ、そうなっていたかもしれない。


「商売をやっているとですね。『損切り』というものが必ず発生します。お金と労力を注ぎ込んだプロジェクトが、上手くいかないと分かった時です。その時に『お金と労力』に執着すると、タイミングを誤って被害が拡大します」


 個人商店が倒産して多額の借金が残るのは、多くの場合はこのバイアスが働くからだ。たとえ未来が無い事業でも、いずれ取り返せると信じて借金を重ね、『お金と労力』に惑わされて撤退を躊躇する。


「それが何だって言うんですか? 今の話とは関係ありません!」


「ですから、詐欺に遭ったことは『損切り』してください。商売の基本です。執着して傷を広げたら、元も子もありませんから」


 もし俺が騙されたら? 全身全霊を持って取り返すよ。当たり前じゃないか。10倍返しだよ。

 でもそれは、自分にそれだけの能力があると確信しているから。100%取り返す見込みが無い相手なら、その場でスパッと諦める。


「分かりました……。気にしないようにします」


 カレルは、「商売」という言葉に反応して不承不承に頷いた。

 忘れるのは無理かあ……。まあ、それはしょうがないな。すぐに気持ちを切り替えられる奴の方が怪しい。今は話題を変えて誤魔化そう。


「ところで、カレルさん。今はどちらにお住まいですか?」


 工房のオープンまでには、少なくとも1週間は掛かる。以後は工房に住んでもらうつもりだが、それまでの連絡先を聞いておきたい。


「今はこの近くのアパートを借りていますが……その……」


「どうされました?」


「月末には出ていかなくてはならないので……。店舗に引っ越す予定だったんです」


 不幸の連鎖が止まらないな。もし俺が通りかからなかったら、この人はどうなっていたんだろう。


「わかりました。工房はできるだけ早く見つけましょう。それまでに、引っ越しの準備をしておいてください」


「あの……まだ何をするか聞いていませんが……。何か準備するものはありませんか?」


 具体的な話は工房の準備が終わってからだ。道具や材料が無いと、説明しにくい。


「何を作るかは、まだ話せません。でも、道具なども全てこちらで準備しますので、心配ありませんよ」


 カレルは、83クランしか持っていないらしい。1人前の串焼き肉を買っただけで無くなる金額だ。道具はおろか、食費すら払えない。……よく考えたら83(破産)だな。縁起の悪い数字だ。


「本当にいいんですか? 条件が良すぎる気がします……」


 少し疑われているか。さっき詐欺師の話をしたばかりだ。疑うのも無理はない。

 相手に有利すぎて怪しまれた時は、こちらが儲かる理由を相手に伝えるのが効果的。ついでに、相手にとって不利な要素も伝えると、なお良し。


「そんなことはありません。初期費用をこちらで負担する分、工房の利益が減るんですよ。家賃も支払っていただきますし、機材のレンタル料もいただきます」


 ちなみに、この部分が曖昧な取引は高確率で詐欺だ。客側が一方的に得をする取引など、絶対にありえない。


「なるほどです。でも私、お金無いですよ……?」


 それは知っている。ギンに追加融資をお願いしても良かったのだが、今後のことも考えて俺が貸す。


「ひとまず、当面の運転資金として20万クランを渡します」


「え? そんなに?」


「貸すだけですからね。工房が存続する間は返さなくてもいいですが、畳む時は返金してください」


 これは株式投資のようなものだ。配当は得られないが、行動を縛るためなので問題無い。


「わかりました。ありがとうございます。これから、よろしくお願いします」


 カレルは、そう言って深々と頭を下げた。

 カーボン紙の量産の準備は、これで整った。とは言え、カレルの工房の仕事がそれだけではもったいない。他の仕事も探しておこう。

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