情報屋
店舗の運営は、今のところ順調だ。毎朝の日課のように、クソガキの店の様子を見に行っている。
数日前に見た時、旧店舗の両隣の店も取り壊されていた。さんざんゴネていた隣の店主も、遂には折れたようだ。ただ、強制退去の可能性もあるので、本当に納得したのかは不明だ。
建築は順調に進んでいるらしい。この調子で行くと、あと数日で完成するのではないだろうか。
完成してから内装を整えることを考えると、あと半月くらいでオープンになると思う。開店の情報は、まだ公開されていない。
事務所の椅子に座り、帳簿の整理をしていると、事務所の扉が優しく叩かれた。
「どうぞ」
そう声を掛けると、ルーシアが顔だけを部屋に入れて言う。
「ツカサさんにお客様がおみえです。応接室にお通ししてもいいですか?」
誰だろう……。応接室に通すかは、相手を見て決める。とりあえず店舗に出てみよう。
店舗に行くと、突然大きな声が飛んできた。
「ツカササン! おはようございます!」
チンピラ金貸しだ。なんで俺の名前を知っているんだよ。名乗った覚えは無いぞ。
「もう『おはよう』の時間ではありませんよ。今日はどうされました?」
「朝の挨拶っす!」
え? まさか、挨拶のためだけに来たんじゃないよな? 超絶鬱陶しいんだけど……。
「挨拶は要りません。用が無いなら、来なくてもいいんですよ?」
むしろ来るな。マジで邪魔。
「いえ! 時間が許す限り来るっす!」
チンピラは、自信満々な表情で言う。超ウザい。
「本当に来なくていいです。僕も忙しいんです。そんなに頻繁に来られても迷惑ですよ?」
「そんな……わかったっす。週イチにするっす」
チンピラは、寂しそうに言う。
妙な奴に懐かれたものだな。週イチでも十分鬱陶しいんだけど……。まあ、それくらいは許すか。耳寄りな情報が聞けるかもしれない。
「仕方がないですね。週一回ですよ」
「ところで兄さん、聞きました?」
チンピラは、自信に溢れる笑みを浮かべている。何か極秘情報を掴んだのだろう。とりあえず聞いてみる。
「何をです?」
「例の迷い人の店、12日後にオープンらしいっす。情報解禁は来週っすね。今は内緒っすよ!」
内緒と言う割には大声である。
意外と役立つ情報を持ってきたな。俺が例の店を強く意識していることは、こいつは知らないはずだ。おそらく、雑談のつもりなんだろう。
この国では、オープンの日をギリギリまで公開しないのが通例だ。これは、予定外の事態に柔軟に対応するため。オープン間近になっても商品が揃わない可能性が高く、工事が遅れることもよくある。
予定外の事態が起きても、それを告知する術が無いので、確実にオープンできる状態になるまでは公開しない。
「参考になります。ありがとうございます。今後も、例の店の動向について伺ってもいいですか?」
「兄さんも気になっているみたいっすね。わかったっす! 任せてください!」
チンピラは、力強く答えた。こいつは割と役立つ情報を持ってくる。多少の謝礼は支払った方が良さそうだな。
「よろしくお願いします」
「ところで、兄さんはオレの名前を覚えているっす?」
あ、そういえば聞いていないな。初日も名乗らなかったし、前回も名乗っていない。
「覚えるというか、聞いていませんよ?」
「すんませんでした! 言っていなかったんスね。オレの名前はギンっす。本名じゃないんスけど、ギンと呼んでくださいっす」
本名じゃない、ねえ。俺も人のことを言えないわ。ツカサは本名じゃないから。
金貸しは、人に恨まれる商売だ。本名を明かすのはリスクが高い。こいつに興味があるわけでもないし、偽名を受け入れよう。
「わかりました。ギンさん、ですね」
「さんは要らないっす。ただのギンっす」
なんだよ、その妙な拘りは。まあいいけど。
「わかりました。それでは、今後も何かが分かったら、僕に教えてください」
「了解っす! では、仕事がありますんで、そろそろ行くっす!」
ギンは、そう言って店から出ていった。確かこいつは2人組だったと思うのだが、今は単独で行動しているらしい。もう1人のチンピラ金貸しにも懐かれる、なんてことは無いよな?
1人でも鬱陶しいのに、また1人増えたら堪らないぞ。
ギンの前では『もう1人の金貸し』の話題は出さないでおこうかな。藪蛇になりそうだ。
ギンを見送り、すぐに事務所に戻った。
例の店のオープンの前に、試しておきたいことがある。カーボン紙の作成だ。部屋と手が汚れることを我慢すれば、この事務所の中でも作れる。上手くいけば量産して売るつもりだ。完全なオリジナル商品なので、大きな強みになる。
ロウソクを溶かし、軽く煮詰めた黒インクを混ぜる。そのロウの中に刷毛を沈め、薄くて丈夫な紙に塗ったら、ロウが固まるまで冷やす。それだけ。原始的なカーボン紙だ。使うときにも手が汚れるので、注意が必要になる。
出来上がったカーボン紙をさっそく試すと、下の紙に薄っすらと文字が写った。ただし、物凄く薄い。筆圧の問題だろうか。羽根ペンは力を入れすぎると折れる。カーボン紙には向いていないかもしれない。
合わせてペンも作らなければならないか……。金属製の万年筆はあるらしいのだが、あまりにも高価なので見たことは無い。何か別の方法が必要だ。
実験をしていると、事務所の扉がノックされた。
「お疲れ様です。ルーシアです。入りますね」
いつの間にか閉店の時間になっていたらしい。事務所の明かりはランプに頼っているので、時間の経過に気付かなかった。
「あ、はい。もうそんな時間ですか」
「ずいぶんと集中していらっしゃったみたいですが、何をしていたんです……って、机が真っ黒じゃないですか! インクを零したんですか?」
気付けば、机の上がインクまみれになっていた。多少の汚れは覚悟していたが、さすがに汚しすぎたな……。
「いえ、ちょっと実験をしていました。どうも上手くいかないんですよね」
「どんな実験をされていたんですか?」
「1枚書くと下の紙にも複写されるという特殊な紙です」
「え……? そんなことができるんですか?」
やはり、カーボン紙の存在を知らないようだ。材料は簡単に揃うので、あとはアイディア次第。この国でも誰かが思い付いていそうなものだが、まだ普及に至っていないらしい。
「はい。この技術自体は単純なのですが、問題はペンですね。羽根ペンでは柔らかすぎるんです」
羽根ペンは、紙の上を優しく滑らせるように使う。筆圧で文字の太さの調整ができるのだが、少しでも間違えると簡単に割れる。
「もっと硬いペンですか……万年筆では高すぎますしねぇ……」
「ちなみに、おいくらですか?」
「最低でも5万クランです。売っているのは見たことがありますが、使っている人は見たことないですね」
うん。やっぱりクソ高い。日本でも、良い万年筆は高い。大量生産が難しいこの国なら、妥当な値段だろうな。
そもそも、万年筆だって筆圧を掛ける筆記用具ではない。もっと力が入れられるペンがほしい。
「他に何か無いですかね……。もっと手軽な、硬いペンです」
「それなら、竹ペンはいかがでしょうか」
「竹ペン?」
初めて聞く名だ。名前を聞く限り竹製のようだが……。
「庶民の万年筆とも言われています。でも羽根ペンほど優雅ではないので、あまり売れていませんね。それに、意外と高いんですよ」
「すぐに手に入ります?」
「いえ、うちでは取り扱っていないですし……。あ! そう言えば私、持っていました! 探してきますね」
ルーシアは、そう言って事務所から飛び出していった。事務所の机の上には、今日の売上金が放置されている。とりあえず片付けておこう。
売上の金額を確認し、金庫の中に仕舞った。今日の売上は約25万クラン。まだ開店サービスの値引きが効いているので、売上は上々だ。
売上伝票を確認していると、ルーシアはすぐに戻ってきた。
「お待たせしました! これが竹ペンです!」
ルーシアの手元には、細い竹でできた棒が握られていた。その棒の先は、マンガ用のペン先のように加工されている。
ただの棒ではなく、持ち手に加工が施されている。結構手間が掛かっているようで、『庶民の』と言いながらも割と高そうだ。
「ありがとうございます。ちょっとお借りしますね」
そう言って試し書きをしてみる。使い勝手は悪くない。力を入れて書いても、ペン先が折れそうな気配は無い。
「どうでしょう……?」
ルーシアは不安げに言う。
適当な文字を並べ、下に重ねられた紙を見る。すると、やや薄いながらもしっかりと読める文字が写されていた。
「上手くいきましたね。ありがとうございます。このペンは、売値はいくらくらいなんですか?」
「1000クラン前後ですかね……。自分でも作れますが、ちょうどいい太さの竹を探すのが大変なんです」
結構高いな。仕入値だと、500クラン前後だろうか。
「ありがとうございます。今度仕入れてみますね」
これは普通のつけペンだ。『庶民の万年筆』というキャッチフレーズは大間違いだな。結構高いし、軸にインクを溜める構造になっていない。
それに、羽根ペンよりも使い勝手が悪い。竹ペンは、一度インクを付けてから継続して書ける文字数が、羽根ペンと比べて半分以下だ。すぐにインクが切れる。
羽根ペンよりも手が汚れにくいのだが、それだけの理由では普及させるのは難しい。カーボン紙専用の筆記用具として使おう。
改良の余地は残っているが、カーボン紙は作れた。筆記用具の目処も付いた。今後はこれを売ることも考えよう。かなり便利なものなので、多少高くても売れると思う。
ただ、思っていたよりも周囲が汚れるんだよな。自分ではやりたくない。代わりに働いてくれる誰かを探そう。





