チンピラ
移転してから一週間が経った。ウォルターは元気に外で遊び回っている。存分に遊べるように、交際費を多めに見積もった。
この金が尽きるまでは遊び続けてほしい。邪魔だから。
ウォルターからすべての権限を奪ったものの、クソガキの店がオープンするまではあまりやることが無い。相手の出方次第だ。
やることと言えば、地盤を固めるだけ。でも、実はこれが難しい。この店も移転したばかりなので、固定客が定着しているわけではない。
事務所の椅子に座り、対策を練る。
クソガキの店のオープン日は、まだ公開されていない。店舗も完成していない。一月くらいは猶予があるだろうか。それまでの間にできることを考える。
しばらく思案を続けていると、店舗が騒がしいことに気が付いた。何か揉め事のようだ。俺の出番だな。
「どうしました?」
「あ、ツカサさん……。大変です」
店舗に顔を出すと、ルーシアの目の前にガラの悪い男が立ち、何かを喚いていた。店内には一般客が数人、深刻な表情で固唾を呑んでいる。
うちに来る客は戦うことしか頭にない連中だけだと思っていたのだが、今日の客は少しおとなしいらしい。
「あっ! てめぇ! てめぇだよコラ! てめぇに殴られた顎がよおォ! やっと治ったんだよ!」
ちょっと見覚えがあるなあ……。初日に見た金貸しだよ。わざわざ嫌がらせに来たのか? 暇な奴だな。
「それが何か?」
「何か? じゃねぇよコラ! 治療費を払いやがれ! テメェコラ!」
そんなに酷い怪我だったかな? ちょっと殴っただけだぞ? 言い分がチンピラじゃないか。相手にするだけ無駄だわ。
ただ、ここでは一般客の目がある。前回のように、ぶん殴って強制退場という訳にはいかない。適当に流して帰らせよう。
「いや、知りませんねえ……。ご自分でぶつけたのでは?」
「はぁ? コラてめぇ、舐めてんのか?」
チンピラは、そう言いながら俺の胸ぐらを掴んだ。襟元でビリッと音がする。
「困りますね。服が破れたようです。弁償していただけます?」
「なんでオレが払うんだよコラ! 払うのはてめぇだ!」
少しの間、問答を続けていると、店の扉が開いた。そこから顔を出したのはムスタフだ。
「あ、いらっしゃいませ。今日はどうされました?」
今も定期的に訓練を続けているのだが、今日は訓練の日ではない。そのような日は、たまにムスタフが店に顔を出す。特に何も買わず、俺が居れば少し話して帰る。余程暇なんだろう。
「元気そうじゃな。邪魔じゃったか?」
ムスタフは、胸ぐらを掴まれた俺を見るなり、愉快そうな笑みを浮かべて言う。
見ていないで助けろよ。どう考えても遊んでいるようには見えないだろうが。
「いえ。逆に手伝っていただけると助かります」
「なんじゃ。それくらい自分で対処せんか」
それができたら苦労しないよ。他の客の目があるし、ここで暴れたら商品が危ない。
「なんだぁ? てめぇコラ、クソジジイ。ジジイは帰って棺桶にでも入っていろや!」
「ふむ……。この無礼な若者は、斬り殺してもいいのか?」
ムスタフは、困った顔で腕を組みながら言った。
「あ、店が汚れるので勘弁してください。改装したばかりなんですよ」
掃除が……。返り血で商品が汚れるし、床と陳列棚も汚れる。
「はぁ? てめぇコラ、なに舐めた口を聞いていやがる! ビビって手も出せねぇくせに、いきがってんじゃねぇぞコラ」
あぁもう、コラコラうるさいなあ。許されるならぶん殴って追い出したいんだけど、今は他の客が見ている。
さすがに客の前で人を殴るのは拙いんだよ。察しろよ。
「刃物はダメか。それなら、少し殴るくらいなら良かろう?」
「店の中では遠慮してください。商品が壊れたら嫌なんで」
「面倒じゃのう。では、さっさと店の外に放り投げてくれ」
「なに勝手なことを言っていやがる! 舐めてんのかァ? コラ!」
ジジイとの言い合いの間も、チンピラは俺の襟を離さなかった。チンピラの手首を掴み、強引に引き剥がす。
すると、チンピラは小刻みに手を震わせながら、苦痛の表情を浮かべた。
「痛ぇじゃねえか! 離せコラ!」
「先に掴んでいたのは、あなたでしょう。この方が用があるそうですよ? 先にそちらを済ませてください」
そう言って、チンピラをムスタフの前に突き出した。ムスタフは指を鳴らしてアップを始めている。後のことは任せよう。
「あぁん? クソジジイ、やんのかァ……? ん? ムスタフ?」
チンピラが何かに気付いたようで、突然顔を青くした。
「儂を知っておるのか? てっきり知らぬものと思っておったぞ」
「本物……?」
チンピラは、目をパチパチとしながら恐る恐る言う。
「本物です。常連さんなんですよ」
「違うじゃろ。儂はこいつの師匠じゃ」
ジジイが俺を指さして言った。いや、弟子じゃないって。でも否定すると拗れそうなので、一応肯定しておく。
「まあ、そんなようなものです」
「……すんませんっしたぁ! 許してくださいっす!」
チンピラは、後ろに飛び退くと、勢いよく土下座をした。
「やめてください。他のお客さんに迷惑ですから」
「そうっすね! 承知したっす! 無敗のムスタフの弟子とはつゆ知らず、生意気な態度をとってすんませんっした!」
すっくと立ち上がると、気を付けの姿勢から勢いよく腰を曲げ、深々とお辞儀をした。
大げさすぎない? 別に大したもんじゃないぞ。
「ムスタフさん、これはどういうことでしょうか?」
「……剣闘士にもいろいろあるんじゃよ。特に、上位の剣闘士はな」
ムスタフの言い訳が要領を得ない。どういうことなんだろう。
「ちょっと言っている意味が分かりませんが……。説明してください」
「はいっす!」
ムスタフに聞いたつもりだったのだが、チンピラが元気に返事をして話し始めた。
「無敗のムスタフと言えば、裏社会の大英雄なんすよ。オレらみたいな金貸しは、足を向けて寝られないっす」
「では、ムスタフさんは裏社会の方なんですか?」
「違うっす! 逆っす!」
ダメだ。チンピラの説明も要領を得ない。ジジイに訊き直したほうが早いぞ。
「ムスタフさん、ちょっと説明していただけません?」
「若い頃にな……ちょっと無茶をしたんじゃよ」
「ムスタフさんは、2年前にマフィアを2つほど潰したんすよ。そのおかげで、オレら金貸しは仕事がしやすくなったっす」
若い時じゃないじゃないか! 最近の出来事だよ!
これ、ちょっと拙くないか? 俺はムスタフの弟子ということにされている。マフィアと敵対しているなら、俺も狙われそうだぞ。
「潰したって、相当恨まれているんじゃないですか?」
「そうでもないっすよ。半分は感謝っすね。敵対組織は喜んでいたっす。潰された組織の残党も、怖がって手を出さないっす」
なるほど。狙われることは無さそうだ。まずは一安心。
「何があったか知りませんが、悪いことにはならないようですね」
「そうっすね。それに、残党はほとんど残っていないっすよ。敵対組織が必死で狩っていたっす」
詳しいな。話し方が多少気になるが、知りたいことは知ることができた。
……あれ? 俺はどうしてこんな奴の相手をしているんだ? もう追い返していいんじゃないかな。
「用は終わりましたね。話は終わりです」
「しっかし、この店から手を引いていて良かったっすよ。兄さんには逆に感謝っす」
帰れと言おうとしたところで、チンピラが話し始めた。鬱陶しいのだが、少し気になることを言った。聞いてみよう。
「どういうことです?」
「最初、兄さんの店の土地を奪う予定だったんスけどねぇ」
やっぱりか。そんなことだろうと思っていた。
「困りますねえ。次にそんなことを企てたら、怒っちゃいますよ?」
軽く釘を差した。次にまた同じことをしたら……まあ、人生を終わらせる覚悟をしてほしい。
「すんませんっす! もう二度としないっす!」
「それはいいんですけど、感謝というのは?」
「それ! あの土地、国が買っちゃったでしょう? それじゃあ全く儲かんないんスよ」
聞くと、国の地上げは誰よりも安いらしい。強制退去させる権限があるため、かなり強気で交渉を仕掛けるそうだ。個人同士で売買する場合の10分の1くらいしか貰えないという。酷い買い叩きだ。
「参考になりました。ありがとうございます」
「なんで知っているか、訊かないんスね……。これ、オレの独自の情報網なんすよ。なんか知りたいことがあったら、なんでも言ってほしいっす」
おや? 旧店舗の土地を誰が買ったかという情報は、まだ公開されていないのか。てっきり誰もが知っているものと思っていた。
こいつはクソみたいな金貸しだが、情報源としては使えそうだな。
「それはさておき、僕は仕事中なんですよ。何も買わないなら、そろそろ帰ってください」
いい加減、邪魔。帰れ。
「すんませんっした! そろそろ帰るっす! 是非また金を借りてくださいっす!」
「借りる予定はありませんよ。諦めてください」
「じゃあ、カネに余裕ができたら、貸してくださいっす」
貸す? 金貸しがどうして金を借りるんだ? まあ、貸す理由は無いな。
「そんな余裕もありません」
「余裕ができたらっす。銀行で寝かせるくらいなら、オレが増やすっす!」
ん? あ、金主か。金貸しの基本だな。俺はよく知らないが、巷の金貸しは金持ちから金を借りて又貸しするらしい。
「まあ、余裕ができたらですね。今日のところはお引取りください」
こいつのことは、まだ信用できない。手のひらを返すようなことは無さそうだが、金貸しとしての能力は不明だ。下っ端チンピラにしか見えないので、貸した金が返ってくる気がしない。
「邪魔して悪かったのう。儂も帰るわい」
ジジイに言ったわけではなかったのだが、空気を読んで帰るらしい。どちらも仕事の邪魔なので、さっさと帰れ。
「それではまた、次の訓練でお会いしましょう」
ジジイとチンピラを見送り、事務所に戻った。
チンピラ金貸しが仲間になった。全く嬉しくない。いや、多少は使えるか。
金貸しには借りないと言ったが、もしかしたら借りることになるかもしれない。クソガキの資金力に対抗するためだ。できることなら無借金を貫きたいが、いざという時は頼ろう。





