仕事禁止
――ずっと調子良かったんだけどなあ……。
せっかく見つけた紙問屋。その問屋は信用できなかった。この国に来て初めての、明確な失敗だ。
これはそれほど大きな失敗ではないのだが、今後に引き摺る予感がする。その理由は、例のクソガキだ。今は信用がないので、問屋から仕入れるしか無い。だが、その期間はすぐに終わるだろう。
後ろ盾が国なので、おそらくすぐに信用を得られると思う。さらに、あの金払いの良さ。あれは正直言って脅威だ。
紙問屋での様子を見る限り、あのクソガキには値切る気が一切無い。問屋や職人からしたら、とても美味しい客だ。値切り前提の俺たちは、仕入先に蔑ろにされるかもしれない。
しかも、後ろ盾が国なので、商業組合で反感を買っても関係無い。クソガキが暗黙の了解や慣習のようなものを無視したとしても、誰も文句を言えない。
ここに来て、俺の嫌がらせがマイナスに傾いた。俺が渡した在庫から、商品の方向性を日用雑貨に絞ったはずだ。相手の店が1年も続けば、ほとんどの商品がかぶる。
渡した商品は不良在庫なので、少しくらいは妨害になったと思う。だが、あの大資本だ。かすり傷適度にしかならないと推測される。
考えているうちに、どんどん危機感が湧いてきた。かなり拙いな。普通に仕入れていたら勝てない。正面から勝負をしても勝てない。
できるだけ早く、ウォルターが持っている権限を奪わないと拙い。現状、何をするにもウォルターの許可が必要だ。これでは初動が遅れる。現場対応で即行動できる環境を整えなければならない。
「あ、おかえりなさい。どうでした?」
店に帰ると、いつものようにルーシアが迎えてくれた。しかし、今日はゆっくりしている暇はない。
「お疲れ様です。燃料の問題は解決しましたが、問題も発生しました。
ちょっと、ウォルターさんと話をしてきます。帰っています?」
「はい。事務所に居ると思いますが……大丈夫なんですか?」
「ええ、たぶん。早めの対策が必要なんです。後で詳しく話しますね」
心配そうに俺を見つめるルーシアを尻目に、事務所に入る。そこでは、ウォルターが事務所の椅子でふんぞり返っていた。
「ふん。遅かったじゃないか。親方に説教でもされていたか?」
ウォルターは、口角を上げて嫌味っぽく言う。上手くいくとは微塵も思っていないらしい。
「いえ、親方さんには良くしてもらいましたよ。仕入値も、今の半額くらいになります」
「なっ! 何をした? どんな条件を付けた!」
「酒樽に入れて売ってもらうんです。樽はこちらで準備して、あとは店舗で量り売りします」
「……そうか。なるほどな。それなら安くできる」
ウォルターは、眉間にシワを寄せて頷いた。不満有りげな様子だ。だが、今は燃料の仕入れのことはどうでもいい。
「本題はこれからです。
その後、紙問屋にも寄ったのですが、そこで旧店舗の後に入る店の店主を見かけました」
「うん? 迷い人だという話だったな。それがどうかしたか?」
「正直、かなり拙いですね。僕も少し舐めていました」
嫌がらせのために不良在庫を押し付けたが、その程度では全然ヌルい。
こんなことなら、もっと盛大に嫌がらせをしておけばよかった。例えば怪文書をバラ撒くとか。
「ふむ……。どんな人間なんだ?」
「見た目は普通の少年です。少々世間知らずな印象を受けましたが、逆にそこが怖いですね」
「うん? 世間知らずの何が怖い?」
「彼は商人同士のルールやマナーを知らないみたいなので、何をしてくるか分かりません。。多少のマナー違反は覚悟した方がいいでしょう」
「うん? 言っている意味がよくわからんが……」
ウォルターはピンと来ていないようだ。軽く説明しよう。
「すぐに思い付くマナー違反は、商品の買い占め、不当な値下げ、商品の模倣。こんなところですかね」
どれも行き過ぎたら犯罪だが、軽いものは見逃される。たとえ捕まらないとしても、やらないのがマナーだ。
今回食らった買い占めは、自家消費分なのでそれほど痛くない。しかし、もし商品でも食らったら、相当な大打撃だ。
不当な値下げとは、たとえば隣の店と同じ商品を半額で売る、など。特別な理由があるならいいが、常時その値段で売られたらどうにもならない。
商品の模倣は、単純にパクリ商品のこと。似たような商品を作り、安い値段で売る。
「ふむ。レヴァント商会がよくやることじゃないか」
ええ? あいつ、そんなことをしていたの? 最悪だな。そりゃあルーシアに嫌われるわ。
「では、以前にもこの手の妨害を受けたことが?」
「いや、うちの店では受けていない。食料品の店は、そのせいで何件も潰れたよ」
潰れるまで追い込むのか。なかなかタチが悪い。
しかし、今はもう対岸の火事ではないぞ。危機はすぐそばまで迫っている。
「相手は僕と同じ迷い人です。僕なら、相手の出方を予測できます。その対処法も分かると思います。僕に任せていただけませんか?」
「いや、待て待て。気が早いな。開いてもいない店を、なぜそんなに警戒しているんだ?」
「相手を知ってしまったからですよ。敵は迷い人ではありません。敵は国、というか底が見えない資金です」
「ふむ……。以前はそんなに余裕があるようには見えなかったが」
地上げの際、役人どもは補償金をかなり渋った。その時の印象を言っているのだろう。
だが、思い出してほしい。あの役人は、商品の仕入れである1000万クランの方は、気前よく現金で支払ったじゃないか。
補償金を渋ったのは、おそらく『無駄な経費』と判断したからだ。仕入れと運営に力を入れるために、余計な出費を抑えようとしただけ。
「僕の目の前で、問屋の在庫を根こそぎ買っていきましたよ。現金で。しかも、値引き交渉すらしませんでした」
資金力の差は圧倒的だ。零細の個人商店が、一国に敵うはずがない。ネコ対ライオンの戦いだよ。
「うぐっ……それは酷いな……」
「これまで通りのやり方では、間違いなく負けます。同じ街で商売をするのです。いずれ商品もかぶりますよ。早めに手を打たないと、こちらが潰されます」
ウォルターの反応を伺うと、深刻な表情で黙っている。続けて、俺の要求を力強い口調でぶつけた。
「店舗運営の全てを、僕に任せてください」
「ん? 今までと何も変わらないぞ?」
ウォルターが不思議そうに言う。確かに、今までも割と勝手に行動していた。勝手に値引きを決めたり、ポイントカードを作ったり。全て事後報告だった。
今までと大きく違うのは、全ての決定権が俺に移ることだ。仕入先の選別、商品の選別、投資先の選別、その他全ての決定が、俺に委ねられる。
「僕が欲しいのは、店舗の方針や商品の選別など、店舗運営についての全ての権限です」
「はぁっ? 何を言っている! ここは私の店だ。勝手なことは許さん!」
「相手は、ウォルターさんの予想しない行動を取りますよ。僕にはその行動が理解できますが、ウォルターさんはどうでしょうか。ウォルターさんの許可を待つ時間が、命取りになるんですよ」
偉そうに言ったが、俺の予想しない方法を取ることも考えられる。無謀な発想を実行に移しそうな奴だった。もしそうなったら、クソガキの行動は俺の予想の範疇を余裕で超える。ウォルターでは確実に荷が重い。
「そんなことはない! 何年この店を続けてきたと思っているんだ!」
「それは理解していますが、知識の土台が違うんです。ウォルターさんの常識は、彼には通用しません。
この国で培った技術ではダメなんですよ。問題は技術の有無ではありません」
「……ツカサと同じか」
ウォルターは、ボソリと呟いた。どこが同じなんだよ。全然違うわ。失礼だな、まったく。
「先手を打たないと手遅れになるんです。ウォルターさんの指示を待たず、僕が全て運営します」
「私の仕事が無くなるではないか。ここは私の店だぞ? 私が運営しないでどうする!」
それが狙いなんだよ。仕事しないで遊んでいろよ。役に立たないんだから。
「仕事はありますよ。ウォルターさんは商人仲間や職人さんに会いに行ってください」
「ふむ。店同士の交渉だな。腕が鳴る」
「いえ、違います。今後は商談ではなく、雑談をしてほしいのです」
「なっ! 私に遊び回っていろというのか?」
そうだよ。他所で遊んでいてくれ。邪魔だから。
「そういうわけではありません。今まで以上に横のつながりが重要になります。他の商店や仕入先の職人さんなど、誰でもいいので関係を深めておいてください。
最も重要な仕事です。僕には務まりません。これはウォルターさんにしかできない仕事ですから」
これは方便だが、嘘ではない。人望だけは無駄に厚いので、外で遊んで人脈を広げさせる。いざとなったら個人商店が束になって戦うつもりだ。
「重要……私にしか……。いいだろう、引き受けた。ただし、店の状況は逐一報告しろ。帳簿だけ見せられても訳がわからん」
ウォルターは、俺の言葉を小さな声で復唱し、俺の提案を受け入れた。しかし、報告の義務だけは残ってしまった。複式簿記の帳簿がうまく読めないらしい。気持ちはとてもよくわかる。俺も最初はそうだった。全く意味が分からなかった。
「わかりました。一応、帳簿の読み方も練習してくださいね。慣れれば読めますから」
毎日報告するのは面倒だし、時間の無駄。帳簿だって、毎日見ていれば嫌でも覚えられるはずだ。多少は努力してくれ。
今後、この事務所は俺の部屋になる。これまでウォルターが行っていた仕事は、全て俺が引き継いだ。仕入先の確保や値段交渉、その他店主がやるべき業務も、全て俺がやる。事実上の乗っ取りだ。
だが、あまり嬉しい状況ではない。
危機感を煽って権限を奪取したが、今回は本当に危ない。
こっちは20万クランの売上で小躍りするような弱小商店なんだよ。相手は資金不足に縁がない国営店だぞ。まともなやり方では勝てるわけがない。おそらく、どんな無能が運営しても成功すると思う。相手が小さいうちに叩き潰したい。





