信用
精油工房を出た俺は、紙問屋に直行する。紙は大量に使うし、カーボン紙が早く欲しい。値段を調べ、安く大量購入できるなら、すぐに仕入れるつもりだ。
紙問屋がどこにあるのか知らないので、通行人に道を尋ねた。どうやら複数あるようだが、たぶんどこでも大差無い。ここから一番近い問屋に行ってみる。
紙問屋に入ると、大量の紙が乱雑に置かれていた。商品は全部紙。サイズも大まかに統一されている。特大と、大中小くらいのラインナップだ。日本のように何種類もない。
特大のサイズが畳くらいで、あとはA2、A3、A4くらいのサイズ。A4サイズが最小単位らしい。これよりも小さいサイズは、自分で切れという意味かな。
今使っている紙は、どうやら上質な紙だったようだ。同クラスの紙は、問屋の中でもかなり高い。一通り店内を見て回った後、店主に話し掛ける。
「はじめまして。ウォルター商店のツカサと申します」
問屋は、基本的に個人客を受け付けない。商業組合のルールだそうだ。
店を持っているか、定期的に買う相手にしか売らない。そのため、店に入ったらまず名乗る。
「うん? 初めて聞く名だな。まあいい。何が必要だ?」
「まず、とにかく安い紙です。この店で一番安いのはどれですか?」
「安いぃ? それならこいつだよ。破れやすい、水にも弱い、インクも滲む。おまけに紙の色も悪い。どんな紙でもいいのなら、これが一番安い」
店主は、頭頂部が薄い、頼りなさげな中年男性。彼が薦める紙は、ペラッペラに薄い紙だ。店主の言う通り、色が悪い。緑がかった濃い灰色というか、絶妙に不快な色だ。
しかも、この紙の悪い部分を凝縮したような特性。誰が欲しがるんだよ。包装用としてなら使え……ないな。こんな物で包まれたら、どんな高級品も安っぽく見えてしまうぞ。
だが、俺の用途には合っているかもしれない。伝票はただのメモなので、長期保管するつもりはない。売上帳だけ上質な紙を使えばいい。多少インクが滲んでも、その日だけ読めれば問題ない。
「これでいいです。1枚いくらです?」
「はぁっ? 俺の話を聞いていたか? 言っちゃあ何だが、売り物にはならないぜ? あんた、私塾でもやってんのか?」
ああ、そういう用途があるか。確かに、子どもが勉強に使うだけなら、どんなに質の悪い紙でも問題ない。何故こんな紙を仕入れているのか不思議だったが、全く売れないわけではないらしい。
「いえ、店で使います。僕は普通の商人見習いですが、書くことが多いんですよ」
「へぇ? 普通の商人がどんなもんか知らねぇが、そんなに大量に使う奴は見たことねぇな。
まあいい。100枚で200クランだ」
1枚あたり2クランか。質の割に高いな。ちょっと交渉しよう。
「今後も定期的に必要なんです。もう少し安ければ、もっと気軽に使えるんですが……。
この値段ですと、毎月100枚程度しか買えないと思います。値段によっては消費量が増えるんですが、どうでしょうか?」
もちろん大嘘。単価に関係なく、毎月200枚くらいは消費すると思う。伝票だけでなく、店内で使うメモ帳は全てこの紙で賄うつもりだ。
これは値下げ交渉を有利に進めるためのテクニックの1つ。値下げをすることにメリットがあると思わせる手法だ。やりすぎると嫌味になるので、実行する時は程々にする。
「毎月? 今日買っていくんじゃないのか?」
「一度に買っても持ち帰れませんから」
「ああ、そりゃそうか。いいだろう。それなら180クランでどうだ?」
1割引きか。もう少し値引いて欲しいところだが、まあ妥協しよう。これ以上の交渉は信用を積み上げてからだ。
「ありがとうございます。その値段なら、毎月200枚買います。
では次に、帳簿用の薄くて丈夫な紙ですね。今使っている紙は、厚すぎて使いにくいんです」
「だったら、これだな。1枚20クランだ」
帳簿用として薦められたのは、書道用の半紙のような質感の紙だ。日本で見慣れたコピー用紙よりも少し厚い。表面もざらついている。色は、薄いクリーム色だ。悪くないかな。
「では、これも定期購入でお願いします。最低でも毎月50枚くらいは欲しいですね」
「それはまた、大量に使うなあ……。いいだろう。これも安くしてやるよ。1枚18クランだ」
どちらも1割引きだ。これで毎月の紙代は以前の半額以下に抑えられた。消耗品費は地味に痛いからな。できるだけ節約したい。
「ありがとうございます。それでは、毎月1日に同じ量を買いたいと思います。
毎月確実に買えないと困るのですが、在庫は大丈夫ですか?」
この国では、注文してから納品されるまでの期間が長過ぎる。同じ街でも1カ月掛かるというのに、紙はこの街で作っていない。一度欠品したら、半年は入荷しないかもしれない。
「心配するな。一年分以上の在庫を抱えている。どこぞのお大尽が来ない限り、棚が空になることはねぇよ」
店主は、フンッと鼻を鳴らして自慢げに答えた。相当な量の在庫を抱えているんだろう。
「それを聞いて安心しました。
最後にお尋ねしたいのですが、文字を複写するための紙はあります?」
カーボン紙では通じない恐れがあるので、用途で訊いた。
「複写だぁ? そんなもの、あるわけねぇだろ。聞いたこともねぇよ」
やっぱり無いか。元々期待していなかったのだが、無いのなら仕方がない。
「すみません、忘れてください。どれだけ高くてもいいですから、とにかく薄くて丈夫な紙が欲しいんです。良い物はあります?」
「ああ、それなら……」
店主は、そう言ってカウンターの内側から大事そうに一束の紙を取り出した。
向こう側が透けるくらい薄い。格子状の繊維が模様のように入っていて、高級な美濃和紙みたいだ。こんな紙を真っ黒に染めるのか。職人に申し訳ないなあ……。まあ、やるんだけどね。
「少し試したいことがあるので、これを3枚ください」
「……いいのか? 高いぞ? ちょっと試すような紙じゃないぞ?」
店主は念を押すように言う。俺もそう思うのだが、カーボン紙は薄くて丈夫な紙を使わないと失敗する。
「大丈夫ですよ。これくらいの質が必要なんです」
「うーん……まあいいだろう。1枚800クランだ」
あ、こっちは値引き無しか。これは定期購入ではないから、仕方がないな。
「わかりました。それでは、今日の分をお支払いします」
金を支払い、軽く挨拶を済ませると、店を出るために踵を返した。
他の問屋を見てから決めてもよかったかもしれないが、とにかく今は急いでいる。しばらくはこの問屋と取り引きを続けよう。
店から出ようとしたそのとき、見覚えのある黒髪の少年とすれ違った。例のクソガキだ。役人は引き連れておらず、若い女性2人と一緒に行動している。
問屋に来たということは、仕入れをしているのだろう。役人に任せきりにしていないのは評価できる。てっきり全て役人に丸投げしているのかと思っていた。
少年は、俺のことなど目に入っていないようで、俺を気に留める様子もなく店内を物色している。
――何を買う気だろうか……。気になるな。
棚の隅に身を隠し、少年の動向を観察した。
「これなんか、いかがですか?」
取り巻きの女が言うと、クソガキは困ったような表情を浮かべた。
「ええ? 色が悪いよ。なんか、あまりいい紙を扱ってないなあ。この世界の技術レベルって、この程度なの?」
相変わらずナチュラルに上から目線だな。心の中で思う分には構わないが、それを口に出したらダメだ。店主が嫌な気分になるだろう。
「お客様は目が肥えているようだ。お気に召す物が無いようなら、別の店に行かれてはどうだ?」
ほらな。店主が顔を引き攣らせて嫌味を言った。
あいつが来る前に交渉を終えられて良かった。もしあいつの後だったら、店主を宥めるところからのスタートだったぞ。
「まあ、いっか。どうせ要るし。この棚の紙、在庫も合わせて全部買うから。月末までにまとめといてください」
うわっ! すっげえ大人買い……。ガキなのに。確か、こいつの資金源は国だったよな。それならいくらでも使い放題だ。
「はぁ? そんなに? 失礼だが、本当に支払えるのか?」
店主が胡乱げな表情を浮かべて言った。
「ああ、信用できないようですね。まずはこれを見てください」
クソガキは、そう言って1枚の紙を店主に見せた。ここからでは見えないが、おそらく名刺のようなものだろうか。
それを見た店主は、みるみるうちに笑顔になった。
「あっ! はい! 承知致しました!」
大人が魂を売った瞬間を見たぞ。気を悪くしていたはずなのに、今は満面の笑みで対応している。
たださあ、その棚には俺が注文した紙も入っているんだよ。俺の分はどうなるんだ?
「今日中に使いの人がここに来ますんで、お金はその人に請求してください」
「ありがとうございます! 今後とも、ぜひご贔屓に!」
店主に見送られ、クソガキが店を出ていった。その姿を目で追った後、店主に声を掛ける。
「あの、店主さん。全部売ってしまったら、来月の納品はどうされるおつもりですか?」
「え? あれっ? まだ居たのか?
見ての通りだ。売り切れてしまった。申し訳ないが、少しだけ時間をくれ」
ああ……ダメだな。この問屋は信用できない。俺が帰っていたら、どうやって説明するつもりだったんだよ。
納品日に「商品が無い」と謝るのか? わざわざ足を運ばせて? そこまで気が回っていなかっただけかもしれないが、商人としてはアウトだ。
「毎月の注文の話ですが、無かったことにしてください」
「本当に済まない。少し待ってくれれば、確実に入荷する!」
明確な日数を提示しないのもアウト。こいつの「少し」は1カ月かもしれないし、半年かもしれない。そもそも、納品日に間に合わないだけでアウトなんだよ。
「予定外の仕入れになるんじゃないですか? 店主さんも大変でしょう。ですから、この話は無しです。また買いに来ますので、普段通り営業を続けてください。では、また」
笑顔で店主に挨拶し、すぐに店を出た。
大嘘だよ。二度と来ないよ。信用できないから。せっかく交渉したのに、全部無駄になったじゃないか。面倒だな。今日買った紙が無くなる前に、もう一度紙問屋を探すのか……。まあ、今日のところは店に帰ろう。





