油
ウォルターからの許しが出たので、今日は仕入れの交渉に行く。ただ、あれを許しと言って良いのかは若干の疑問が残るわけだが……。
細かいことは気にしない。ウォルターから受け取ったメモを片手に、職人街へと足を進める。
職人街は、店がある場所とは反対側の街外れにある。以前の店舗からも少し遠かったのだが、新店舗からはそれに輪をかけて遠い。歩いて1時間近くは掛かるだろう。
職人街への通り道には旧店舗があり、否が応でも目に入る。その旧店舗は、無残にも解体が始まっていた。
明け渡してしまった以上、何をされても文句は言えない。だが、少し感慨深いものがあるな。
隣の店舗はまだ無事だが、ここも時間の問題だろう。立ち退きに応じないようなら、強制的に壊される恐れまである。可哀想に。
道中でカステラのような焼き菓子を見つけたので、買っておいた。手土産だ。
突然の訪問であっても、手土産があれば多少は印象が良くなるだろう。
職人街に着くと、あちこちの建物から騒々しい音が聞こえてくる。他に気になる場所もあるのだが、今日の一番の目的は精油工房だ。
辿り着いた工房は、ちょっとした車庫のような建物だった。乗用車が6台は余裕で停められそうな大きさだ。
中からは物音が聞こえている。作業中のようだ。さっそく中に入ってみる。
「こんにちは。どなたかいらっしゃいますか?」
「あいよー。誰だい?」
筋肉質のおっさんが出てきた。40代くらいだろうか。短く刈り揃えられた頭髪には、うっすらと白髪が混じり始めている。
「はじめまして。ウォルター商店の見習いをしている、ツカサと申します。突然お邪魔して申し訳御座いません」
「ウォルターの? へぇ、お前が例の見習いか。噂は聞いてるぜ」
どんな噂だよ。ウォルターが言っていたんだろ? どうせ碌でもない噂なんだろうな。
「そうでしたか。悪い噂でなければ良いのですが……。
もしお時間が許されるようでしたら、少しお話できませんか?」
「ん? 何の話だ? 仕入れ価格を下げろって話なら、無理だぜ?」
まさにその話なんだけどね。でも、いきなりその話題に持っていくつもりはない。
「いえ、精油に興味がありまして。うちの主力商品ですので、勉強しておきたいのです」
「ほう! いいじゃないか。まあ上がっていけ」
おっさんは、機嫌良く俺を事務所に招き入れた。この人はこの工房の親方で、名前はスティーブンというらしい。
俺が勉強したいのは、興味があるからではない。交渉を有利に進めるためだ。
こちらから一方的に値下げを要求するのはフェアじゃない。値下げできるだけの材料を提供し、自ら進んで値下げしたいと思わせなければならない。
詳しい話を聞き、交渉材料を探る。
持参した手土産を2人で食べながら、燃料の製造工程を聞く。
ランプに使われる燃料は、ごく普通の植物油だ。植物の種をすりつぶし、油を絞る。
材料も見せてもらった。グレーと黒のまだら模様で、指先くらいの大きさの、豆のような木の実だ。見たことはないな。
「植物の油ということは、食用にもなります?」
興味本位で聞いてみた。もし美味いのなら、食用として売ってもいい。
「この油は食えねぇよ。腹を壊すぜ?」
残念。植物油だからといって、なんでも食用になるわけじゃないんだな。
「そうなんですか……。材料の問題ですかね?」
「そうだ。この実からは大量の油が取れるが、食ったら酷い目に遭う。美味いんだけどな」
食ったんだ……。酷い目に遭うというのは、実体験らしい。
「燃料以外には使えないんですね」
「そうでもねぇよ。質さえ良ければ、化粧品にもなるんだぜ。髪や髭に塗ってもいい。どうだ? 燃料以外も仕入れてみる気はねぇか?」
髪か……。残念ながら、うちの店にはそんなことを気にするような上品な客は来ない。髭の手入れと言うなら、多少は需要があるか? いや、無いな。うちの客は戦うことしか頭にない連中ばかりだ。まず売れない。
「せっかくのご提案ですが、うちの客層とは合いませんね」
商品自体は悪くない。この商品のことは、頭の片隅に置いておこう。
口頭での説明を受けた後、実際の搾油風景も見学するため、工房を覗いた。中では、筋肉ムッキムキの若い男たちが、汗を拭いながら油を絞っている。暑苦しいので、さっさと事務所に引っ込んだ。
搾油には、テコの原理を利用した原始的な手動搾油機が使われていた。かなり力が要るだろう。職人たちが無駄にムキムキなのは、このせいだな。
絞った油は、すぐに販売用の入れ物に注がれる。入れ物は素焼きの壺か革袋のどちらかだ。内容量によって違うらしい。その後、軽く密閉されて倉庫に移される。
入れ物は再利用されているようで、どれも薄汚れている。専門の回収業者がいて、中古の入れ物を格安で売っているという。
よし、無駄発見。 想定よりも安くできそうだ。さっそく交渉を始めよう。
「ご提案なんですが、樽で売ってみませんか?」
「樽? 酒を入れる、あの樽か?」
「僕はその樽を見たことがありませんが、たぶんそうです」
「いやいや、でかすぎるだろ。そんな大量の油、どこの酔狂が買うんだよ」
「僕が買いますよ。燃料は店舗でも使いますからね」
「もし買い手が付いたとして、どうやって持ち帰る気だ? 横にして転がすのか? 家に着く頃には空だぞ?」
この国の酒樽は、密閉しないらしい。保管が大変そうだな。
「さすがに樽のままでは売りませんよ。お客さんに入れ物を持ってきてもらい、店舗で詰めます」
量り売りだ。酒の販売形態としては割とポピュラーな方法。日本では、江戸時代の標準だったと聞く。
「ほう。酒屋のアレか。悪くない方法だが……ちょっとな」
この国でも、酒屋は量り売りが標準のようだ。俺はあまり酒に興味が無いので、ここに来てからは全く飲んでいない。
今の店の客は、酒が好きそうな男ばかりだ。多少は興味を持った方がいいかもしれないな。今度飲んでみよう。
量り売りは、この国でもよく知られた販売形態のはず。しかし、スティーブンは難色を示した。何か良くないことがあるらしい。
「何か問題でも?」
「お前のことを言っているわけじゃない。気を悪くしないでほしいんだが。
店が勝手に手を加えて、質を下げる輩がいるんだよ。そうならない保障はないだろ?」
あ……いわゆる水増しというやつか。単純に水で薄めたり、粗悪な酒を混ぜたり。量り売りならやりたい放題だ。
今回は油なので、水で薄めることはできない。混ぜるなら粗悪品の方だろう。古くなった油や精製が甘い濁った油など、混ぜようと思えば何でも混ざる。
「なるほど……。でしたら、樽に鍵を付けて、この工房でしか開けられないようにしましょうか」
「蓋が開かなくても、注ぎ口から混ぜられるだろ。悪い案じゃないと思うが、この話はナシだ」
スティーブンは、難しい顔で首を横に振る。困ったな。他に良い案が思い付かない。攻め方を変えよう。
「うちの店を信用していないわけではありませんよね。でしたら、ウォルター商店限定で試してください。
万が一不正が発生した場合、全取引を停止していただいて構いません。そのうえ、店舗にて謝罪文を掲示します」
取引停止は普通の処置だ。重大なルール違反をしたのだから、仕入れができなくなるのは当然だろう。
謝罪文の掲示は、店としては絶対にやりたくない。『不正をしたので仕入れができなくなりました』こんな文面が店に鎮座していたら、店の信用がガタ落ちだ。この決意が伝わればいいのだが……。
「取引停止ねえ。それをされると、うちの工房も困るんだが?」
謝罪文はスルーされた。伝わらなかったらしい。でも、それなら金で解決できそうだ。金で片が付くなら、逆に有り難い。
「賠償金をお支払いしますよ。現在の取引額を、1年間お支払いします」
「ふん……。そこまで言うなら、試してやってもいい。そのかわり、樽は自分で用意しな」
なんとか首を縦に振らせることができた。まだイマイチ納得していない様子だが、まあ大丈夫だろう。俺が不正をしなければ、この工房にとっても悪い話じゃない。
あとは契約書を書いて終了だ。契約書は、条件を確認しながら丁寧に書く。
仕入れ単価は、現状の半分以下になった。入れ物代が無くなったと同時に、大量販売の割り引きも適用された。
「ありがとうございました。今後もよろしくお願いします」
「ここまで詳細な契約書を書くとは思っていなかった。お前、細かすぎるんじゃないか?」
今回、日本でよく見る契約書の書き方をした。仕入単価や納品方法はもちろんのこと、不正とみなす条件やペナルティの内容など、事細かに書き込んである。
不正の条件は『悪意を持って別商品を混入させること』に絞った。そのため、経年劣化による質の低下は不正に当たらない。長期在庫で劣化したくらいで不正とみなされたら、たまったもんじゃないからな。
「細かく決めておかないと、後で揉めるんですよ。気持ちよく取り引きしたいですからね」
この国の契約書には、おそらく法的拘束力は無い。だが、言った言わないの水掛け論がなくなるだけでも大きなことだ。
「若いくせに、よくわかってるじゃないか。お前、なかなか面白いやつだな」
「ははは。見た目ほど若くないんですけどね。お仕事の邪魔をして、申し訳ありませんでした。そろそろ御暇いたします」
「なんだ、ゆっくりしていけよ。作業は若い衆に任せてある。オレはまだ時間があるぜ?」
何故か妙に懐かれてしまった。スティーブンは暇かもしれないが、俺は忙しいんだよ。
「そうしたいのは山々ですが、仕事が残っているんです。またお邪魔させていただきますね」
スティーブンに控えの契約書を渡し、工房を後にした。
今回も同じ契約書を2枚書いた。もちろん手書きだ。すっごく面倒。超面倒。帰りに紙の問屋に寄りたい。カーボン紙は絶対に手に入れる。





