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値引き

 初日の営業を終え、ランプの火を消して閉店の作業を進める。


 俺は外に立ちっぱなしだったので、売上高を確認するのは今日初めてだ。

 新規開店に合わせ、売上は全て個別の伝票に書き残すようにした。品目と単価、数量に加え、値引き額も書き込まれている。


 高く積まれた伝票を、1枚ずつ細かく確認する。この伝票の集計を、1枚の売上帳に書き写すためだ。ウォルターは「紙の無駄」と言って怒っていたが、無視だ。

 伝票は小さく切ったので、1枚あたり5クランくらいだろうか。将来的にはもっとケチりたい。


「この伝票は喜ばれましたよ。金額が分かりやすいって言われました」


 ルーシアが嬉しそうに言う。

 これまでは、合計金額を口頭で伝えるだけだった。どこの店もそうしている。分かりにくいし、間違いも多い。


 伝票はメリットが目立つ結果になったが、心配がないわけではない。手書きで細かく書き込むので、客を待たせることになる。それに、何より面倒だ。


「余計な手間になっていませんか?」


「いえ。間違いにもすぐに気付けますし、逆に手間が減りましたよ。

 ただ、この伝票が欲しいと言う方もいらっしゃいまして……。複写をして差し上げましたが、良かったですか?」


 ルーシアは、申し訳無さそうに言う。勝手な判断で対応したことを気に病んでいるのだろう。


「それは全然構わないのですが、大変だったでしょう」


 手書きなので、同じ内容をその場で書き写す。かなり面倒な作業だ。

 カーボン紙があれば……。いや、作れるんじゃないかな。薄い紙と黒インクとロウがあれば、それっぽい物はできるぞ。


「大丈夫ですよ。これくらい、すぐに書き写せます」


 広告の複写で鍛えた腕か。ルーシアは自信満々に言った。ここ最近、ルーシアはずっと何かを書き写している。まあ、俺が頼んだことなのだが。


「もっと簡単な方法を考えておきますよ」


 カーボン紙が販売されていればいいのだが、無いと思った方がいい。作り方を考えよう。

 インクは、今使っているもので十分だ。そしてロウ。これはロウソクを溶かせばいいかな。問題は紙だ。今店で使っている紙は厚いので、もっと薄い紙が要る。



 売上高の集計を出す。計算機が無いので、基本的には全て暗算だ。正直、かなりキツい。せめてそろばんくらいは欲しい。


 今日の客数は53人。少ないと見るべきか、多いと見るべきか。判断に困る。普段の客数の倍以上なのだが、新規オープンの客数としてはかなり少ないと思う。

 売上高は約23万クランだった。平均客単価は4300クランなので、それほど悪くない。普段からこの数字が出れば嬉しいのだが、きっと値引きの効果だな。普段は半分になると思った方がいい。



 売上の集計を記帳していると、ウォルターが俺の手元を覗き込んできた。


「おい。値引き過ぎじゃないのか?」


 帳簿に書かれた金額を見て、不機嫌そうに言った。

 今日の値引きの総額は、約12000クラン。我ながらよく値引いたものだ。俺が店に手を出し始める前は、1日の売上がこの額だったこともある。


「初日ですからね。少し奮発しました。今日から2週間だけですよ。それ以降は定価で販売します」


「それに、この割引券はなんだ? 何でもかんでも値引きしおって……」


 ウォルターはそう言ってポイントカードを手に取り、さらに不機嫌な表情を見せた。


「いい加減な値引きではないですよ。ちゃんと値引率と原価率を計算しています」


 この店の値引きの限界は15%だ。原価率が60%前後なので、15%以上値引くと利益が厳しくなる。業者向けの値引率を10%、個人客の値引率を5%に定めた。どんぶり勘定は許さないが、例外は認める。

 まあ、常に値引くわけじゃない。常連への値引きはポイントカードで統一するし、業者向けに大量販売する時は仕入れ先にも相談する。


「わけのわからん言い訳をするな。今日1日で、1万クラン以上も値引いておるではないか」


 理解してもらえなかった……。原価率の計算は一般的じゃないのかな。値引きをする時は絶対に必要な情報なんだけどなあ。

 今まではいい加減な値引きをしていた。値引いた額も記録されていない。その場のテンションで値引きを決めるので、場合によっては値引率10%を超えていたはずだ。


「僕は数字が見えるようにしただけです。値引きの割合は増やしていませんよ」


「しかし、ここに額として現れているだろう。この金額は大きすぎる!」


 見えるようになった途端、これだよ。金額を見て焦ったんだな。その前に、計算していなかったことを気にしろよ。


「今までは額が見えていなかっただけです。

 お言葉ですが、ウォルターさんはこれまでにいくら値引きをしたか、把握しています?」


「うぐ……それは、知らん」


 ウォルターは、図星を突かれたように言葉をつまらせた。すかさず追撃する。


「どんな時に何%で値引きしました? 利益が確保できているか、ちゃんと計算しました?」


「……そんなことは覚えておらん……」


 だろうね。帳簿にはそんな記録は残っていなかった。どうせその場のテンションで値引きしていたんだろう。

 値引きの時によく行われるのが、『端数を切る』という方法。釣り銭の計算が楽になってやりやすいのだが、意外と高い値引率だったりする。


 たとえば、12668円という中途半端な金額を12000円にした場合、約5.27%の値引きをしたことになる。気付きにくいが上限オーバーだ。

 では、もし下二桁を切り捨てて12600円にしたとすると、約0.53%の値引き。これを全ての客に適用した場合、積み重なって大きな数字になる。


「ざっと説明します。聞いてください」


 10人に1人に対して5%値引いた場合と、10人全員から0.5%値引いた場合。どちらも値引きした総額は同じになる。

 それなのに、客に与える印象は雲泥の差だ。たった0.5%の値引きでは、客に与えるインパクトは無いに等しい。値引く時は大きな金額にしないとダメだ。


 以上の内容を、ウォルターに説明した。

 ウォルターは終始苦々しい顔で聞いていたが、不承不承に納得したようだ。


「値引きは分かった。一応考えているのだな」


 ()()じゃない。ウォルターの100倍は考えていると思う。

 気になる部分はあるが、仕事の邪魔だ。早く帰ってくれないかな。


「ご理解いただけたようで、何よりです。事務処理が残っていますので、そろそろ仕事に戻りますね」


 話を切り上げようとしたのだが、ウォルターに遮られた。


「いや、待て。言いたいことはこれだけではない。ランプを使いすぎだ。こんなに照らしてどうする?」


 ウォルターは、店内を煌々と照らすランプに指先を向けて言う。


 この国も建物は、基本的にどれも薄暗い。窓ガラスが高価すぎるので、窓を大きくできないのだ。今の店舗も、窓はあるがガラスは入っていない。

 明かりを確保するために取られる手段は、大きく分けて2つ。ランプを設置するか、前面の壁を取り払うか。俺はランプを選んだ。


 前面の壁が無い店は少数派だ。雨が直撃するので、単価が高い商品を扱う店はこの方法を避ける。もっと低価格な、食料品の店などで採用されている。


 この店の場合、天井付近に設置された窓から差し込む光が頼りになっている。圧倒的に明るさが足りないので、大量のランプを設置した。予定では30個だが、在庫の都合上、今はまだ10個。


「店が暗いと売上が落ちるんですよ。無駄にならないだけの来客があれば、問題ありません」


 店内の明るさと売上は比例する傾向にある。もちろん明るさだけが重要なわけではない。全体の演出も重要だ。光の色による効果もある。薄暗い中、一部を強調する照らし方も効果的だ。


「そうは言ってもだな……燃料は安くないぞ」


 燃料の消費量は、今日1日で計算できた。10個のランプを全部合わせて約500クランだ。それほど痛い額ではないのだが、仕入れ交渉次第でもっと安くできるはず。


「そこは仕入れの交渉で安くしてもらってくださいよ。ランプはまだ足りないんです」


「ふざけるな! 今でも十分安くしてもらっている! そんなことを言うなら、自分で交渉したらどうだ!」


 ウォルターは、机の上の書類を払い除けながら怒鳴った。

 煽ったつもりはないのだが、普段は温厚なウォルターが大層ご立腹な様子だ。ちょっと逆鱗に触ってしまったらしい。何が地雷だったんだろう……。仕入れに口を出したことかな。ウォルターが一番拘っている部分だ。


 しかし、それなら俺が手を出してもいいのか? 俺はむしろ有り難いぞ? ウォルターの仕事を奪うだけだぞ?


 行けと言うのだから、喜んで行こうじゃないか。仕入れの交渉。


「分かりました。仕入先の住所を教えてください。さっそく明日行ってみます」


「ん? え? 行くのか?」


 ウォルターは、突然冷静になった。俺の返答が予想外だったようだ。俺が謝るとでも思ったのか? ハッピーなやつだな。


 たぶん、ウォルターが期待した返答はこうだ。「差し出がましいことを言って、申し訳ございませんでした。ランプの使用は控えます」こんな内容の言葉を待っていたのだろう。


 これまでのやり取りの中で、俺が素直に謝ったことなど一度も無いのに。「すみません」という言葉は何度も発しているが、「恐れ入ります」という意味で使っている。謝罪の意味ではない。


「何事も経験ですからね。仕入元の現場も見ておきたいですし、是非行きたいです」


「うむ……分かった。あとで地図を書いておくから、行ってこい。相手の機嫌を損ねるようなことだけは、絶対にするなよ」


「分かっています。無茶な要求はしませんよ」


 俺がそう答えると、ウォルターはがっくりと肩を落として去っていった。いつものように、議論は曖昧なまま終了した。ウォルターは気付いていないようだが、ランプの使用についての結論は出ていない。


 というわけで、今後も全力でランプを使い続ける。


 でもまあ、燃料費が嵩むのは歓迎しない。できるだけ安くなるように交渉したいな。

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