オープン
近所への挨拶回り、ビラ配り、商品の陳列。全ての準備が整い、オープン初日を迎えた。
新店舗の隣の食堂は以前も一度行ったことがあるのだが、俺たちの顔は覚えていなかった。残念だが、まあ普通のことだな。本物の商売人なら一目で覚えるだろうが、普通の人にそれを求めるのは酷だ。
配ったビラは200枚。配った場所は、主に訓練場だ。顔見知りも多いので、話が早かった。
「ついにオープンですね。外装が間に合ってよかったです」
ルーシアが、感慨深く呟いた。
「そうですね。なんとか形が整いました」
店の外装は、職人のセンスに任せた。できるだけシンプルにしてくれ、とだけ伝え、デザインは丸投げだ。
俺の要望通り、シンプルで清潔感のある外装に仕上がっている。多少の飾り気はあるが、気に入った。茶色い素焼きレンガと真っ白な漆喰で、上手く調和が取れている。
「出入り口が真ん中にないのは、少し気持ち悪いです」
ルーシアは、出入り口を見て眉をひそめた。
新店舗の出入り口は、客動線を考慮してあえて右側に寄せてある。
この国の文化では、シンメトリーを重視しているらしい。対称になっていないデザインは、どこか不安になるようだ。
「左右を対称にしないのは、日本の文化なんです。慣れれば違和感はなくなりますよ」
日本の建築物は、左右非対称になっていることが多い。中には10円玉の平等院鳳凰堂のように左右対称の建物もあるが、多くの建物が非対称になっている。その感覚に慣れた俺は、特になにも感じない。
俺は軽い気持ちで出入り口の位置をずらしたのだが、この国の人たちにとっては違和感があるらしい。
職人が気を使ったのか、非対称ながらも均整のとれたデザインになっている。
俺が口を出したら、こうはならなかっただろう。俺が見ても違和感が残るデザインになっていたと思う。任せて正解だった。
「そうなんですか……。非対称にしたのは、何か意味があるんですか?」
「そこに意味はありませんよ。大事なのは、お客さんの通り道。客動線です」
「初めて聞く言葉ですね……」
「長く店内に留まってもらうテクニックの1つです。出入り口が真ん中だと、真っ直ぐ進むか、左右に曲がるか、お客さんの行動の選択肢が増えますよね。その場合、選ばれなかった通路は死角になります。
選択肢を無くしてあげれば、多少遠回りになっても歩かざるを得ません。その結果、より多くの商品を見てもらうことができるのです」
日本の大手小売店なら、これは当たり前のことだ。店舗の規模によって配置の方法が違うが、どんな店でも客動線を意識してレイアウトを決める。
いずれにせよ、カウンターが終着点になるように配置するのがセオリーだ。
「余分に歩かされて、不満は出ませんか?」
「商品の配置によっては、もしかしたら出るかもしれません。でも普通は気付かないと思いますよ。店に入って何歩進んだなんて、考えます?」
「考えないですね……」
「まあ、そういうことです。お客さん一人ひとりに、商品の説明している時間はありません。お客さんに気付いてもらう工夫が必要なんです」
宝石や家具のような商品を扱うのなら、個別に対応する時間が生まれる。しかし、この店の商品は小さな雑貨だ。声掛けされることは客も望んでいない。となれば、レイアウトの工夫で見やすくするしかない。
「なるほど。そこまで考えた作りなんですね」
「上手くいくかは、まだ分かりませんけどね。ダメそうならすぐに直しますよ。ははは」
軽く笑いながら店内に戻った。
はっきり言って、今回は実験だ。日本式の販売戦略が、この国で通用するかどうか。営業テクニックは通用したが、レイアウトの知識がどこまで通用するかは未知数だ。
それに、知識としては持っていても、実務経験がない。俺の知識が現場で通用するかの実験でもある。
開店の準備が進む中、オープン準備の最後の指示を出す。
「今日のお客さんに、これを配ってください」
名刺サイズにカットされた紙切れの束を、ルーシアに渡した。ポイントカードだ。1人でこっそりちまちま作っていた。判子の準備ができなかったので、今のところはサインで誤魔化す。
「この紙は何ですか?」
ルーシアは、不思議そうに首を傾げ、紙の束を眺めた。
「ポイントカードです。500クランごとに1ポイント付けてあげてください。20ポイント貯まったら、500クランの割引券として使ってもらいます」
「割り引き? 広告を持ってきたお客さんは、割り引きするんですよね?」
広告にも割り引きの旨を記している。全品1割引き。これは明らかに値引き過ぎなのだが、口コミで宣伝してもらえればと思っている。利益よりもインパクトを重視した。巷で話題になれば勝ちだ。
「広告の割り引きは期間限定です。ポイントカードは常に割り引きしますよ」
このポイントカードは実質5%引きなのだが、『500クランの値引き』と言われた方が得をしたように感じるから不思議だ。
店としてはポイントの方が得。常連にならないと割り引きしないという意味だからだ。それに、ポイントカードを持ちたがらない人もいるし、ポイントが貯まっても使わない人もいる。また、貯まる前に失くしてしまう人も少なくない。
実際の値引率は、まず間違いなく5%未満に収まる。
「こんなことをやっている店は、聞いたことがありませんね」
そういえば、ポイントカードは日本特有のサービスだと聞いたことがある。他所の国にも無くはないが、小さな小売店や飲食店などが発行するケースは少ない。
ただでさえ珍しいサービスなのに、紙が高価で印刷技術が発達していないこの国では、誰もやりたがらないだろう。
「でしたら、なおさらやるべきですね。
リピーター獲得の効果はそんなに無いですが、無駄にはならないと思いますよ」
リピーター獲得の目的で発行されがちなポイントカードだが、実は言うほど効果がない。せいぜい、同じ商品を売っている時の判断材料になるくらいだ。
本当の目的は『ついで買い』の誘発。あと100クランでポイントが付く……という一押しで、ついでの何かを買わせることができる。
さらに、個人情報の収集という重要な役割がある。目の前で割り引きされると、個人情報のセキュリティが甘くなる。名前や住所も簡単に書き込んでしまう。
今回狙っている個人情報は、リピーターの年齢と職業だ。情報が集まったら仕入れに反映させる。
「ツカサさんは、どんどん新しいことを始めますね。見ていて楽しいです」
ルーシアは、小さく頷いて笑顔を見せた。でも、どれも俺のアイディアじゃないんだよな。アイディアを褒められても、苦笑いを返すしかない。
話をしているうちに、道路を歩く人が増え始めた。そろそろ店を開けようと思う。
この国では時計が普及していない。大まかな時報の鐘が鳴るだけだ。開店時間の目安にはなりにくいため、店を開けるタイミングは自分で決めるしか無い。
「では、そろそろ店を開けましょう」
「はいっ! よろしくお願いします!」
ルーシアが元気に言う。張り切っているようだ。
扉を開くと、開店を待つ長蛇の列が……あるわけない。店の外はガランとしている。ただ待つだけではダメだ。外に出て客引きをしよう。
「店内は任せました。ちょっと外に行ってきます」
ルーシアにそう言い残すと、廃材の板に『本日オープン』と書き込み、店の前の道路に立った。
しばらく歩行者に声を掛け続けた。素通りする人が多い中、ドミニク他モブ剣闘士一同が通りかかって声を掛けてきた。
「おっ。ツカサじゃないか。そんな所で何をやってるんだ?」
ニヤニヤと笑いながら言う。道路で声を出し続ける姿が、滑稽に見えたのだろう。今はそれでいい。とにかく目立つことが重要だ。
「今日オープンなんですよ。広告は渡しましたよね?」
「うん? 今日だったか。忘れていたよ。せっかくだ。ちょっと寄っていこうか」
ほんの数日前に渡したばかりの広告なのに、覚えていなかったようだ。まあ、世間の声はこんなもんだ。
「ゆっくり見ていってください」
カモを店内に案内し、俺は外に戻る。こいつらは既に常連だ。特にドミニクは、マルチ商法でかなり利益を上げている。こいつのためにも次の商材を見つけないとなあ。
それに、モブ4人衆もそろそろ名前を覚えてあげないと拙い。顔を合わせれば挨拶する仲なので、名前が分からないと困る。
この5人組は、今後も良きカモになってくれるはずだ。仲良くしておきたい。
ドミニクたちを見送った後も店の外に立ち続け、初日の営業は滞り無く終えることができた。職人たちも顔を出してくれて、大量に出費してくれた。面識のない剣闘士風の人や、狩人風の人も来てくれた。なかなか盛況だったと思う。
予想通りというか、残念というか、客は男ばかり。立地を見たときから分かっていたことだが、現実を突きつけられると少し凹む。
順調に行けば、数カ月後にはこの店はおっさんの溜まり場になるだろう。臭そうで嫌だが、この立地を選んだのは俺だ。おっさんが溜まりやすいような工夫が必要だな。





