移転
この国に流されてから2カ月半。思えば早かったな。あっという間だった。ようやく慣れた家だったのだが、早くも離れる時が来た。今日は退去日の報告と商品の引き渡しのため、役人が来る。
必要な商品の搬出が終わり、店舗も住居もほぼ空になった。今は少量の商品だけを残し、仮に営業している。出て行けと言われれば、すぐにでも退去できる状態だ。
役人は、朝一番にやって来た。空になった店舗に迎え入れる。
「こんなに早く作業を進めていただき、ありがとうございます。おかげで助かりました」
役人は、取り繕ったような笑顔で頭を下げた。
「いえ。決まったことなら早く済ませたいですから。
ご注文いただいた商品は、全て倉庫に入っています。ご確認いただけますか?」
旧店舗の売れ残り500万クラン分を含めた、800万クラン分の商品が入っている。これを1000万クランで売り飛ばした。
300万クラン分の在庫も、やや質が劣る物や流行を過ぎた物。今後困ることが予想される商品に絞った。要するに、倉庫まるごと不良在庫。当然、役人はそのことに気付いていない。
役人は、目録と倉庫の内容を見比べながら、笑顔でうんうんと頷いている。
「確かに。確認させていただきました。代金は銀行で受け取ってください」
1枚の羊皮紙を渡された。この国の小切手のようだ。重要な文書は、普通の紙ではなく羊皮紙を使うらしい。
この国の小切手は少しややこしい。振出人は先に銀行で手続きをして、銀行が発行した小切手を受取人に渡す。これは偽造や不正を防止するためだ。
受取人が指定された街の銀行に行けば、その場で口座に入金される。振出人があらかじめ銀行で受取人と受け取り口座を指定するので、想定外の取引が発生する心配がない。
「ありがとうございます。3日後に退去しますので、よろしくお願いします」
これで取引は完了だ。しかし、現金を受け取るまでは安心できない。ウォルターが銀行に行くと言うので、同行させてもらった。
この街の銀行は、大昔の郵便局のような所だった。木造の建物に木のカウンター。行員は10人くらいで、忙しそうに働いている。奥には大きな金庫があり、警備員らしき人が常駐している。
貸金業もやっているのだが、審査は極めて厳しいらしい。ウォルターの店のような個人商店では、まず借りられないそうだ。
手続きを待つ間に辺りを隈なく観察したが、特に変わったところは見当たらない。作りが古いだけで、普通の銀行に見える。
手続きが終わると、銀行員がクリップで止められた紙の束を持ってこちらに来た。通帳になっているらしい。
以後、通帳の管理は俺が引き受ける。名義人以外が取引をする場合、銀行が発行した委任状が必要になる。これも不正取引を防止するためだ。
「どれだけの手を尽くしても、不正は無くならないと思いますけどね」
「そうなんです。多少は減りましたが、委任状を偽造されたらどうにもなりませんよ……」
銀行員がうんざりした様子で答える。
銀行が発行する書類は、同じ内容を書かれた羊皮紙が2枚で1セットになっている。双方が同じ内容になっていないと効力がない。割り印で偽造を防止し、他にも特殊なスタンプが押されている。
でも、抜け道はいくらでもあるんだよな。異常なほど器用なやつは、どの国にも必ず居る。似たような羊皮紙を探して丁寧に複写すれば、簡単に騙せるはずだ。
――これは金になるぞ。
日本の紙幣には、数多くの偽造防止策が施されている。そのうちのどれかは使えるんじゃないだろうか。
「良い方法が無いか、こちらでも探してみます。もし見つかったら売り込みに来ますので、よろしくお願いします」
「それは助かります。お待ちしていますね」
銀行員は笑顔で答えた。全く期待していないようだ。まあ、俺も上手くいくとは思っていない。
日本の紙幣は現代技術の最高峰だ。簡単に真似できるものではない。しかし昔の紙幣に使われていた技術なら、どうにか再現できるのではないかと考えている。まあ、運が良ければ、というレベルだが。
委任状の作成を終えると、ウォルターが面倒そうに話し掛けてきた。
「これで終わりだ。手続きの方法は理解したか?」
「十分です。ありがとうございました」
基本的なサービス内容は、日本の銀行と大差無い。
取引は全て窓口。振り込みや引き出しの手続きも面倒。全て手作業なので、時間も掛かるし手数料も高い。気軽に利用できるものではないな。今後は全て俺が管理するんだ。少しずつ慣れていこう。
銀行から帰ると、隣の店から何かが割れる音と罵るような怒鳴り声が聞こえてきた。
隣の店は、ちょっとした食料品店だ。乾物屋と言った方がいいだろうか。保存食を主に扱っている。店の規模はウォルターの店と同じくらい。小太りの若い店主が1人で頑張っている。
ぎょっとして視線を移すと、突然例の役人が飛び出して逃げていった。隣も地上げしようとしているらしい。
アホほど無礼なおっさんだったから、隣の店主を怒らせたのだろう。俺が居なければ、ウォルターも同じことをしていたはずだ。
続けて、隣の店主も飛び出してきた。
「二度と来るなぁっ!」
誰も居なくなった道路に向かい、大きな声で叫ぶ。その姿を見たウォルターが、気の毒そうに声を掛けた。
「大変そうだな……」
「あっ! ウォルターさん! 移転の話を受け入れたって、本当ですかい?」
小太りの店主は、不機嫌そうな表情を隠す様子もなく、ウォルターに詰め寄った。
引っ越しの作業で頻繁に荷物を運び出していたのだが、気付かなかったのだろうか……。まあ、無関心な人なのかもしれない。
「うむ……。3日後にはここを離れる。世話になったな。改めて挨拶に行くから、よろしく頼む」
引っ越しの手続きや準備が忙しかったため、近所への挨拶が後回しになっている。近所への挨拶は、明日以降に行く予定だ。まあ、ウォルターの仕事なので俺は関係ないが。
「それはいいんですが、あんな理不尽な話を受け入れるって、何を考えているんですか……」
「私の店は交渉が上手くいったのだよ。損のない取引になった」
まるで自分の手柄のように言うウォルター。お前は何もしていないだろ。俺の後ろで怒鳴っていただけだ。
「へえ。どんな条件か、教えてくれませんか?」
小太りの店主は、口元をニヤリと歪めた。
守秘義務的なことがあるような気がするが……まあいいか。
「100万クランの補償金と、次年度までの免税ですね」
免税については交渉の範囲外だった。これは向こうが勝手に提示した条件だからな。特に問題無かったので、そのまま契約した。
「ぐぇ……100万……。どうしてそんなに?」
小太りの店主は、口を半開きにして間が抜けた表情を見せた。
俺は全く足りないと思ったのだが、一般的には大金らしい。
「いろいろあったんですよ。こちらもかなり譲歩しています」
正しくは、譲歩したフリをした。俺はあの時、決断を急かされたように見えただろう。だが、実は逆に急かしていた。『今契約すれば、上質な商品が大量に手に入る』と錯覚させた。補償金の交渉はダミーだ。
「おいっ! 見習い! 詳しく話せ!」
ブタ店主が急に態度が偉そうになった。焦りで素が出たのかな。商売人として、その態度は良くないなあ。俺には関係ないけど。
「あちらは仕入れに困っていたようでしたので、こちらの在庫を大量に渡しました。倉庫の中の殆どですね」
「余計なことを……。そんなことをして、次の店でどうする気だ?」
余計なこと? あ、商品が揃ったから店舗を急いでいるのか。役人どもは、さらに急かすようになったらしい。
「ぼちぼちと品数を増やしますよ。引っ越しの費用も減らすことができたので、こちらとしても助かっています」
本当の理由は言わないよ。不良在庫を押し付けたなんて、俺の口からは絶対に言わない。上質な商品が余っていたので、売ってあげただけ。それがたまたま永久に売れ残ったとしても、俺のせいではない。
「そうか……。ウォルターさんの判断なんですか?」
小太りの店主は、胡乱げな表情をウォルターに向けた。
「いや、交渉の殆どは、ここに居るこいつに任せたよ。在庫の処分は正直助かった。なんせ……」
あ、ヤバイ。ウォルターが余計なことを言いそうだ。
「移転費用が20万クラン近く浮いたんですよ。強引に移転させられるよりはいいと思いませんか?」
無理やり話題をすり替えた。危なかった。俺たちは、不良在庫を押し付けたんじゃない。これは一番大事。詐欺を立件するには『騙す意図の有無』が最も重要になる。騙す気がなければ、どんなに怪しい取引でも詐欺にならない。
具体例を出すと、高額商品が当たるという触れ込みのクジ引きだ。たとえ『当たり』が入っていなくても、賞品を1つでも抱えていれば詐欺として立件しにくくなる。
今回の場合、俺たちが言わない限り、不良在庫であるという事実が漏れることは無い。たとえ売れ残ったとしても、売り方が悪いだとか運が悪いだとか、いくらでも言い訳できる。
「それもそうですね……。参考になりました。ありがとうございます。
それでは、移転先でもお元気で」
小太りの店主は、そう言って店に戻っていった。
多少の問題はあったが、移転は完了した。店舗の改装は、残すところ外装のみ。オープンを6日後と定め、明日からビラ配りを始める。3日間は休業になるが、準備のためには仕方がない。
クソガキは、ここでどんな店を始めるのだろうか。少し気になる。今後の動向もチェックしておこう。





