乗っ取り前進
移転の準備は着々と進んでいる。
新店舗の改装に立ち会うために現場にも足繁く通っているが、今日は店舗での作業を優先する。広告の作成だ。基本的にはルーシアに任せるつもりなのだが、数が多いので俺も手伝う。
カウンターで暇そうに本を読んでいるルーシアに声を掛ける。
「お時間、いいですか?」
「あ、はい。どうされました?」
ルーシアは、開いていた本をパタンと閉じて言った。以前読んでいた本だな。本は手書きで複写するので、かなり高価な物だと予想される。意外と金を持っているんだな。
何の本なのかが気になるところだが、今は仕事中だ。
「新店舗の広告を作りましょうか。今なら僕も手伝えます。2人でやりましょう」
今回の広告は、移転する旨と新店舗の場所を書く。それにオープンから2週間有効のクーポン券を付けた。広告を持参すれば全品1割引。一部対象外の商品もあるが、消耗品は全て割引になる。
「こんな値引きの仕方をして、大丈夫なんでしょうか……」
ルーシアは、作業の手を止めて心配そうな顔を俺に向けた。
またこの国の常識だな。値引きはその都度交渉し、大金が動く時にしか値引きしないのが一般的だ。常連でもないのに、商品を問わず無条件で値引きするという行為は、めったに行われない。
「問題ありませんよ。店と広告に注目させるのが目的ですからね。値引きはそのための手段です」
「広告を配るだけでは足りませんか……?」
「人は興味がないものを見ようとしません。目に入っても見えないんです。見てもらうには、工夫が必要なんですよ」
「なるほど……確かに、そうかもしれませんね」
ルーシアは腑に落ちたような表情を浮かべると、視線を手元に移して作業に戻った。
店のカウンターは狭いので、俺は食堂のテーブルで広告を作る。
広告は基本手書きなので、物凄く大変。今回の広告は飾り文字や挿絵を減らし、できるだけシンプルな書き方にした。その分だけ数を増やす。最低でも200枚は作るつもりだ。
熱心に複写をしていると、ウォルターが難しい顔で近付いてきた。
「ツカサよ。紙を使いすぎだぞ。1枚いくらするか、分かっているのか?」
「え? 気にしていませんでした。高い物なんですか?」
この店は、雑貨屋のくせに文房具の取扱がない。帳簿も仕入れ以外の金額はいい加減なので、値段が分からなかった。たぶん手漉きだ。それなりに高い予感はしている。
「この紙1枚で、50クランだ」
ウォルターは、A4サイズくらいの紙を持ち上げて言った。
50クランは日本円で約250円だ。日本ならコピー用紙が100枚買える。いや、高級な手漉き和紙なら同じくらいか。そう思ったら無駄使いはできないな。
「すみません、思っていたより高いですね。気を付けます」
「うむ。分かったのなら良い」
節約が必要なことは理解した。だが、もっと安くならないのか。仕入値で手に入るなら、少しは安くなるだろう。
「紙とペンは仕入れできないんですか?」
「この街では作れんよ。問屋でも扱っておるが、わざわざ仕入れる物でもあるまい。どの店でも買える」
他所から入ってくる商品は、仲卸業者が一括して仕入れている。そのため、この街ではどこの店でも同じ商品を扱うことになる。ウォルターはそれを嫌がったようだ。
「少しでも安く買えるなら、問屋で買ってください。売らなくてもいいですから」
俺の要望に、ウォルターはあっけらかんと答える。
「それだと帳簿が面倒だろう。仕入れは仕入れ、その他はその他だ」
仕入れ以外をその他でまとめるなよ! 全部書くんだよ! 経費の分も、全部!
「そもそも、仕入れ以外の出費が書かれていない帳簿がおかしいんです。
はっきり言いますが、今の帳簿は落書きですよ。帳簿としての用を成していません」
イラッとして言いたいことを言ってしまった。ずっと控えていたんだけどなあ。我慢の限界だ。
「ちょっと言い過ぎではないか……?」
ウォルターは、寂しそうに呟いた。帳簿に問題があることは自覚していたようだ。俺が書いた帳簿を見て、何か思うことがあったのだろう。
この際だから、言いたいことを一通り言って事務系の実権を全て奪おう。
「文句は他にもありますよ。現金の扱いが曖昧です。店の出費と家の出費が混同されています。確実に分けてください。
現金出納帳が書かれていないので、店の現金の流れが見えないんですよ」
「出納帳なら付けているぞ。見ていないのか?」
出納帳……? そんな物あったっけ……。俺に見覚えがあるのは、子どもが頑張って書いたようなお小遣い帳だけだぞ。
「あのお小遣い帳のことですか? あんな物は出納帳とは言いません。ただのメモです」
「小遣い帳……そんなに酷いのか?」
「酷いですね。現金の残高だけは見えますが、それ以外の情報が一切見えません。
先月の生活費がいくらだったか、すぐに答えられますか?」
まともな現金出納帳があれば、すぐに答えられる。店主貸を合計するだけだ。
「そんな事を知って、何になる?」
「重要性が理解できないんですね。では質問を変えましょう。店としていくら使いましたか?」
「それならすぐに分かる。出納帳に書かれているぞ」
ウォルターは即答したが、そうじゃない。質問の意図を全く理解していないな。
「そこには生活費が混ざっていますよね?」
「いや、まあ、そうなのだが……。わざわざ分ける意味は無いだろう?」
俺の指摘に、ウォルターが少し顔を曇らせた。
小規模の個人商店ではたまにあることだが、日本でこれをやったら脱税だ。税務署から調査が入って号泣することになる。
この国の税法では、店舗ごとに一律で決まっているらしい。店舗の面積によって金額が決まる。税金を準備できなかった場合、次年度の営業許可が取り消されるそうだ。支払いの猶予は1年。意外と厳しい。
ちなみに、店舗の移転後は今の倍の税金が課せられる。次回の税率は今のままでいいと言われているが、その次からは税金が増える。今までのような杜撰な管理では、かなり危ういんだよ。
「現金がどこで減ったか分からなくなります。現金不足の原因が調べられないんですよ」
高性能な会計ソフトがあれば、現金出納帳を付けなくてもどうにかなる。銀行取引やカード決済しかない業者であっても同じだ。しかし、この店はどれにも当てはまらない。
現金取引の店が現金出納帳を付けないと、毎月少なくない現金が行方不明になる。釣り銭間違いや記帳漏れが主な原因だ。今この店は、行方不明になったことにすら気付けない状態にある。
「ぐ……そうかもしれんが……」
「もしかして、商品を売って現金を増やせばいいとでも思っています? いざという時にどうするつもりですか? 借金ですか?」
厳しい口調で言うと、ウォルターの顔がさらに曇った。
「そうだな……」
よし。心が折れた。一気に畳み込んで、こちらの要求を押し通す。
「今後は僕が現金の流れを管理します。現金出納帳はお任せください。
生活費は月の初めに一括でお支払いしますので、そちらの管理をお願いします」
「いや、それは……」
「このままいい加減な現金管理を続けたら、いずれ店が潰れますよ? いいんですか?」
「……済まない。任せる」
うん、予定通り。この店の現金を掌握した。晴れて横領し放題の立場になったわけだが、そんなもったいないことはしない。僅かばかりの小銭より、店を自由にできることの方が重要だ。
この店を完全に乗っ取れば、すべての金が自由になるんだ。まずはこの店を大きくすることに尽力する。
現金管理のついでに、給料の交渉もやっておきたいな。今を逃すと、移転のゴタゴタで後回しにされそうだ。
「ところで、僕の給料なんですが。いくら払います?」
「そういえば、まだ決めておらんかったな……。いくら必要だ?」
逆に聞かれた。試されているみたいで嫌だな。
今の自分の働きを客観的に評価するとしたら、おそらく10万クランあたりだろうか。この国での優秀な従業員の給料だ。日本で言うなら、課長か係長くらい。それくらいの仕事はこなしていると思う。
月給10万クランは当初の目標だったが、今の目標は違う。もっと上を目指せる。
「そうですね……。金額を決めず、歩合でいただければと考えています。利益の1割でいかがですか?」
今は10万クランに満たない少額。しかし、うまく売上が伸びたらかなりの額になる。
「うんっ? 歩合? しかも、売上ではなく利益でいいのか?」
ウォルターが予想していたよりも少額な申請だったようだ。金額を固定してしまうと、昇給の交渉が面倒なんだ。最初から歩合にしておけば、自分の働きが直接給料に反映される。
自営業に近い働き方だが自分の性にあっている。そもそも、月給というスタイルに慣れていないんだよな。成果を挙げなくても給料が出るって、おかしくね? と思ってしまう。
「問題ありませんよ。利益を増やす自信がありますので。そのかわり、ウォルターさんも協力してくださいね」
「うむ。それはもちろんだ。頼んだぞ」
ウォルターは力強い口調で言うと、事務所に帰っていった。
今は明言していないが、ウォルター一家の給料も利益の一部から支払う。
俺の考えでは、全員の生活費として1割、家族にそれぞれ1割ずつ、残りは内部留保と投資に充てる予定だ。月給と言うよりも株主配当金のような支払いになるが、しばらくは続けようと思う。
ウォルターたちの月収は、俺と同じ。まあ、内部留保の名義はウォルターなので、本人が定期預金しているのと変わらない。文句は言われないだろう。





