不良在庫
在庫の整理を手伝った日から1週間が経過した。街の観察を続けながら、帳簿の整理を続けている。目下の問題は棚卸資産の計算だ。
最優先で計算したので、評価額は出ている。店舗に出ている分も合わせて、約1200万クラン。ヤバイ。ちょっとした貴金属店並の在庫だ。
この金額は仕入値ベースで計算してある。仕入帳に載っていない商品もあったので、売値から判断して計算した。不正確にはなるが、分からないよりはマシだ。
ウォルターの店の広さは、一般的なコンビニの半分程度。主な商品は雑貨だ。以上の情報から導き出せる在庫の適正額は、およそ250万クラン以下ではないだろうか。
日本のコンビニの在庫の倍くらい。この国の日用雑貨は単価が高い傾向にあるので、どうしても高くなる。
この計算結果を、朝の会議でウォルターに報告する。危機感を持ってくれれば良いのだが……。
「ウォルターさん、この店の在庫がいくら分あるのか、把握していますか?」
「うん? それは重要な事なのか?」
把握していない事は分かっていたが、興味すら無い様子だ。頭の中で物と金が結び付いていないんだな。
「重要ですね。今この店には、約1200万クランの在庫が眠っています。ほとんどの現金が物に変わっている状態です。拙いですよ?」
この数字はあくまでも仕入値だ。売値で考えると、1700万クランくらいになる。これを日本円に直したら約8500万円。マジでヤバイ。
「ん? そうか? 悪くない状態じゃないか。商人は過剰な現金を持たない。これは常識だろう? 売り物が無い事の方が問題だ」
危機感を持つどころか、むしろ喜んじゃったよ……。つい先日まで現金不足で喘いでいたくせに、現金が無い事を喜ぶなよ。
現金を持たないと言うのは悪い事ではない。まあ贅沢を言うなら、1年間無収入でも賄えるだけの内部留保が欲しい所だが。
但し、それは上手く投資できている場合に限る。今は大量の不良在庫を抱えているだけだ。現金化できない物を抱え込んでも、自分の首を締めることにしかならない。
「売れる見込みはありますか? 倉庫の奥に仕舞ってある商品は、いつからある在庫なんですか?」
もちろん俺はある程度把握している。過去1年分の仕入帳を書き直した。その情報から、少なくとも1年以上前から売れずに残っていると判明している。
売上帳も、分かる範囲で書き直した。売れた商品の品目は書かれているので、売れていないという事も分かった。
長期間売れ残っているのは、一部の食器と農具の類だ。工具の売れ行きも悪い。この街には農業ができるようなスペースが無いので、需要が無いのだと思う。
「それは……」
ウォルターが目を泳がせて口ごもる。もしかしたら、売れない事を覚悟しているのかもしれない。
「倉庫の奥に眠っているのは、殆どが不良在庫ですよね? 売れる見込みがない、今後もずっと倉庫で眠り続ける商品ですよね?」
「ぐっ……そうだ。私が若い頃から残っている。先代からの在庫だよ。値下げをしても売れんから、私の代で売ることは諦めた」
無茶苦茶な事を言うな……。3世代持ち越しの不良在庫かよ。無責任すぎるだろ。
この様子では、結構な量の在庫を諦めているのだろう。一度確認した方がいいな。
「ちょっと、この資料を見ていただけませんか?」
俺が作った棚卸台帳を見せると、ウォルターは困ったような表情を浮かべた。
「マメな奴だな。こんな資料、いつの間に作ったんだ?」
「仕事の合間ですよ。僕が書いた帳簿は他にもありますが、今重要なのはこれです。まずは目を通して下さい」
ウォルターは「うむ」と小さく頷いて、棚卸台帳に目を落とした。
ウォルターの記憶を頼りにざっと計算した結果、約500万クラン分が塩漬け級の不良在庫である事が判明した。最悪だ。マルチ商法を使ったとしても、これだけの数を売り切るのは難しい。
「こんなにあるのか……」
ウォルターもようやく危機感を持ったらしい。やはり数字を突き付けるのが一番効果があるな。
「僕が予想していたよりも多いですよ。返品できるものなら、全部返品したいくらいです」
「それは無理だ。そんな職人を馬鹿にするような行為、私にはできん。
それに、その商品を作った職人達は、既に引退しておるよ」
無理は承知だ。先代からの在庫と言うなら、職人が死んでいてもおかしくない。それに、たとえ現役であっても、職人が返品を受け付けない事は理解している。
「ははは。僕も返品できるとは思っていませんよ。頑張って売りましょう」
「方法は任せる。あの剣のように、バンバン売ってくれ」
――無ー理ー!
ウォルターは、事も無げに言うが、あれは需要が見込めていたから売れただけだ。需要がない物は、かなり無理をしないと売れない。
まあ、一応考えてやるか……。
「わかりました。できるだけの事はします。期待しないで待っていて下さい」
「うむ。期待しておる」
だから、期待するなって。
500万クラン分の不良在庫。まともな方法で売れるとは思えない。詐欺るか? いや、この国では詐欺をしないと誓ったばかりだ。何か別の方法を考えないとなあ。
話はこれで終わりだが、ウォルターは棚卸台帳を気に入った様子だ。今なら帳簿を書く許可が貰えるかもしれない。
「これらの書類は、今後も僕が作成します。帳簿を自由に見る許可をください」
「うむ。任せた。私は細かい計算は性に合わん。上手くやってくれ」
帳簿の書き直しはコッソリやっていたのだが、正式に俺の仕事になった。今後はやりやすくなるな。
「ありがとうございます。任せて下さい。
今日の相談はこれで終わりです。ウォルターさんは今日も外回りですよね?」
「いや、今日は役人が来ると言っておった。外に出るわけにはいかん」
「そうなんですか? 何の用でしょうか」
「わからん。税金は支払ったばかりだしなあ。もしかしたら、お前の件かもしれんぞ」
うわ。それは困る。俺は『迷い人』と呼ばれる、よく分からない不審者だ。丁寧な扱いを受けるらしいのだが、今は公言したくない。
「僕は迷い人であるという事を、あまり知られたくないんです。すみませんが、僕も同席させていただいてもいいですか?」
ウォルターが余計な事を言わないとも限らない。監視した方がいい。
「ふむ……。まあ良いだろう。同席を許可する」
ウォルターは、少し考えて答えた。
店舗で手伝いをしながら待とうとしたのだが、ウォルターがそれを嫌がった。ルーシアの事を気にしているようだ。仕方がないので、自室で書類の整理をしながら待つ。
しばらく書類整理をしていると、サニアが呼びに来た。例の役人が来たらしい。部屋を出て、事務所に向かう。
そこに居たのは、見覚えのある中年男性が2人。日本人らしき少年と一緒に居たおっさんだ。クソガキのお使いだろうか。
「来たな。では、話を始める。
今日は何の用があって、ここに来たのだ?」
俺待ちだったらしい。おっさん共はウォルターと対面して椅子に座り、お茶をすすっていた。それなりに待たせたようだ。
おっさんは、手に持っていたお茶を机に置くと、神妙な面持ちで口を開いた。
「単刀直入に申し上げます。この場所を立ち退いていただきたいのです」
「はぁ? 突然何を言っている?」
ウォルターは、戸惑いと怒りが同時に込み上げてきたようだ。顔は冷静なのだが、足が小刻みに震えている。
どうやら俺の件ではなかったらしい。だが、この店が無くなるのは困る。このまま話を聞く。
「戸惑われるのは分かります。しかし、国家の重要な案件ですので。どうか従って下さい」
おっさん共からは、有無を言わさないという気概を感じる。
「ふざけるな! そんなくだらない用なら、今すぐに帰れ!」
ウォルターの怒りが爆発した。床を強く蹴り、ドンという大きな音を立てる。
怒りたくなる気持ちは分かるが、国に反抗しても碌な事にならないぞ。ちょっと口を挟もう。
「理由をお聞かせいただけますか? わけもなく突然そんな事を言われても、納得できませんよ」
「……まあ良いでしょう。実は、我々はある1人の迷い人を保護しました。本人の希望で商人になる事になったのですが、そのための土地を探しています」
あのクソガキか……。面倒な問題を持ち込みやがって。最悪だな。
「なっ! 迷い人だと! だったらここにも」
「ちょっと待ってください! 何故この店なんですか? 空いている土地は、他にもあるでしょう」
ウォルターが興奮のあまり余計な事を言いそうになったので、慌てて言葉を遮った。
「これは国の事業でもあるのです。失敗は許されません。そのため、人通りが確保できる場所が必要なのです」
ああ、この店の立地の良さに目を付けたのか。
「だからといって、あまりにも突然過ぎませんか?」
「彼がすぐに商売を始めたいと申されたのです。我々も指示に従っているだけですから……」
おっさんは、表情を変えること無く答えた。悪い事とは微塵も考えていないようだ。ただの仲介役としか思っていないのだろう。
「心中お察ししますが、こちらとしては到底納得できるものではありません。真面目に交渉するつもりなら、それなりの手順を踏んでいただかないと困ります」
「交渉の余地はございますか?」
「無いっ! 帰れぃ!」
ウォルターが怒鳴る。それは良くないな。こちらも譲歩する素振りを見せないと、交渉は有利にならない。
「まあまあ。お話くらいは聞きましょう」
この立地を手放すのは惜しい。それに、クソガキが持っていくと言うのも気に入らない。だが、国の方針に逆らうのも良くないし……。
よし。嫌がらせをしてやろう。店を手放すのとトントンになるような、特大の嫌がらせだ。俺の要求を素直に飲むのであれば、喜んで立ち退いてやるぞ。





