冷やかし
小汚い食堂で料理を待っていると、見知った顔の男が現れた。以前ティーセットを売りつけた、剣闘士兼狩人の男だ。名前は……誰だっけ? ウルリックだったかな。
一応カモなので、挨拶をしておこう。
「お久しぶりです。こんな所で、奇遇ですね」
「おお、ツカサじゃねぇか」
ウルリックは、爽やかな笑顔を浮かべて言った。一度しか会っていないのだが、ちゃんと覚えていたらしい。
「おはようございます」
ルーシアも笑顔で軽く頭を下げた。
ウルリックは、俺が訓練場に行っている間に店に来ている。対応したのはルーシアだ。ルーシアも、ウルリックの顔を覚えていたようだ。
「嬢ちゃんも、おはよう。
今日はどうした? 逢い引きか?」
ウルリックは俺を茶化すように、いたずらっぽい顔で言った。
「ずいぶん古風な言い方をしますね。違いますよ」
軽く否定しておく。
逢い引きという言い方には、コソコソと隠れて逢うというニュアンスが含まれる。この場合はデートと言った方が適切だ。どちらも違うけど。
「古風? 逢い引きは逢い引きだろ。他に言い方はあるか?」
「デートとか言いません?」
「ん? そうか? あまり聞かない言い方だが、逢い引きと違うのか?」
「逢い引き逢い引きって……そんなに連呼しないで下さいっ!」
ルーシアが耳まで真っ赤にして声を上げた。
その姿を見たウルリックは、バツが悪そうに頭を掻いて口角を上げた。
「ははは。そりゃ悪かったな。
しっかし、久しぶりだな。店に行ってもいつも居ねぇし、どこで何をやってたんだよ」
ウルリックは、そう言って俺に向き直した。店には何度も来ているらしい。時間帯が合わないのか、一度も遭遇していない。俺は毎日訓練場に居たというのに、そちらでも顔を見なかった。
「ウルリックさんこそ。訓練場にも顔を出さないで、何をやっていたんですか?」
「うん? 訓練場にもたまに行っていたぞ。
まあ、最近は少し頻度を落としたがな」
現役の剣闘士は、ほぼ毎日訓練場に顔を出す。対戦がある日でも顔を出すくらいだ。ドミニク達はそうしていた。ゲン担ぎの意味と、気持ちを落ち着かせる効果があるそうだ。
ウルリックは狩人の仕事があるので、毎日は来られないのだろう。
「狩人のお仕事がお忙しいようですね」
「いや、まあ仕事も忙しかったんだが……。昔の師匠が頻繁に来ていると聞いてな。俺はすぐに逃げ出しちまったから、顔を合わせにくいんだよ」
ウルリックは、苦笑いを返した。
どこかで聞いた話だ。ジジイの事かな……。
「もしかして、その師匠というのはムスタフさんの事ですか?」
「うげっ! お前、知ってんのかよ!」
ウルリックは、驚きで目を見開いた。ジジイから逃げ出した1人だったらしい。
「僕もムスタフさんのお世話になっているんです」
俺も訓練を受けてあげている。週1回に頻度を落としたが、今後もジジイの老後の楽しみに付き合ってあげる予定だ。
「世話? まさか……お前も弟子になったのか?」
「弟子ではありませんけどね。1カ月くらい前から訓練を受けていますよ」
「1カ月って、よく耐えられるな……」
「そんなに大変な訓練じゃなかったですよ? ムスタフさんも反省なさったんだと思います。お優しくなられたんでしょう」
今受けている訓練に、命の危険は無い。たぶん。
ウルリックが受けた訓練とは違うのだろう。ジジイは弟子にさんざん逃げられている。これで反省していないなら、ただのアホだ。
「あのクソジジイが? 信じらんねぇわ……」
避けていると言うより、若干嫌っているようだ。気持ちは分かる。訓練中は絶えず罵声を浴びせられ続けるので、かなりイラつく。俺は聞き流しているが、それが出来ない奴には相当なストレスだろう。
「慣れるまでは辛かったんですけど、慣れてしまえば普通の訓練ですよ?」
「あのジジイの訓練が、普通なはずねぇよ! お前さんは1カ月も続けたんだろ? っかぁぁぁ! 信じらんねぇ!
……1カ月前といえば、俺がお前さんと会った時くらいか。危ない所だった……」
ウルリックは興奮して声を荒らげると、気持ちを落ち着かせるようにボソリと呟いた。
「あ、ちょうどその日ですよ。ウルリックさんが訓練場を出た後、すぐにホールにいらっしゃいました。少しでも時間がずれていたら、鉢合わせていたでしょうね」
「くぁぁぁ! 狩人を優先しといて良かったぜ!」
ウルリックは、額を手で覆って言った。
ジジイを避けたい気持ちは分かるが、そのために訓練をサボるのは良くないのではないだろうか。他の剣闘士達は、その間にもずっと訓練しているぞ。
「……剣闘士が疎かになっていませんか? ムスタフさんに、一度ちゃんと挨拶した方が良いと思いますよ?」
「そうなんだがなあ……。いっそ、剣闘士は廃業しようと思ってんだよ。今後は狩人に専念するつもりだ」
徹底的にジジイを避け続ける算段らしい。余程嫌いなんだな。
「そうなんですか。狩人の方が向いているなら、その方が良いですね」
ジジイの訓練から逃げ出したくらいだ。根性が無いのだろう。ウルリックは剣闘士には向いていないのかもしれない。
それに、剣闘士のネットワークは間に合っている。客層の違うネットワークを得るために、ウルリックに頑張ってもらうのも悪くない。ウォルターの店の主力商品である生活雑貨は、狩人を相手にした方がよく売れそうだ。
ウルリックと話をしているうちに、ようやく食事が運ばれ始めた。サラダから始まって、スープ、肉、米と続く。やはり米は長粒種だ。
完全にフルコースだな。日本だったらディナーでも多いくらいだ。
「あの……申し訳ありません、そろそろ……」
テーブルの上に並んでいく料理を見ていたルーシアが、しびれを切らしたようにおずおずと声を上げた。
「おお、すまんかった。
逢い引きの邪魔をして悪かったな。俺は退散するよ」
ウルリックは右手を上げて言った。
ルーシアが言いたかった事とは違うと思う。たぶん、「料理が冷めるからどっか行け」という意味だ。「デートの邪魔をするな」という意味ではない。
その証拠に、ルーシアは恥ずかしそうに顔を赤くして、ウルリックを睨みつけている。
「その言い方、ルーシアさんに怒られたばかりでしょうに……。
では、また会いましょう」
ウルリックは軽く手を振ってこの場を離れ、すぐ隣のテーブルに陣取った。
デリカシーの無い男だな。離れた場所にも空席はある。気を遣って離れた席に付くべきだろう。そんな所に座ったら、俺達の会話が丸聞こえだぞ。
運び込まれた料理を食べ終えたが、店はまだ混み始めていない。まだゆっくりしてもいいだろう。ルーシアと会話をして休む。
「ウルリックさんは頻繁にいらしているんですね」
「はい。週1回くらいはいらっしゃいますよ」
「いつも何を買われるんです?」
「ランプの燃料と、お茶の葉です。毎日飲まれているそうです」
消耗品か……。単価が安いな。どうせなら、もっと高い物を買ってくれればいいのに。
ウルリックが欲しがりそうな物はなんだろう。せっかく隣に居るんだ。探ってみよう。
隣のテーブルに身を乗り出して、食事中のウルリックに話し掛けた。
「あの。突然ですが、何かお店にご要望等はありませんか?」
「ん? 要望? 特に思い付かねぇな」
ウルリックは、口をモゴモゴと動かしながら答えた。食べる事に集中しすぎて、俺の質問に答える余裕が無いらしい。
タイミングを誤ったかな……。
「お食事の邪魔をして申し訳ありません。もし何かあったら、お店に来た時に言って下さい」
「あっ! そうだ!」
ウルリックは口から食べ物をこぼしながら大声を上げた。咀嚼中の何かが床に飛び散る。汚いな……。デリカシーが無い上に、行儀も悪いのかよ。
ウルリックは、口の中に食べ物を入れたまま喋り続けた。
「お前さんの店、遠いんだよ。仕事の帰りに寄ろうにも、もう閉まってんだ。近場に引っ越せ」
そして無茶を言いやがる。引っ越しなんて、そう簡単に出来る事ではない。そもそも、今の立地は悪くないんだ。その立地を捨ててリスクの高い移転なんて出来ない。
ウルリックに意見を求める事が間違っていたようだ。こいつの意見はあてにならない。やはり自分の目で見て考えるしかないか。
「それは、ちょっと難しいご注文ですね……。参考にさせていただきます。ありがとうございました」
絶対に無理な事でも、即答で断言してはいけない。考える素振りを見せて濁した。どんなに頓珍漢な意見でも、答えた事に対する感謝の言葉は忘れない。言うだけならタダだ。全く感謝していなくても、「ありがとう」と返す。
「移転ですか……」
ルーシアは、困惑したような顔で呟いた。今の要望を本気にしたらしい。
「真に受けなくてもいいと思いますよ。
そろそろ行きましょう」
俺がそう言うと、ルーシアは「はい」と頷いて席を立った。
店は小汚くて店員は無愛想だったが、まあ普通の食事だったと思う。サニアの料理と比べて、どちらが美味いとは言いにくい。どちらを食べると聞かれたら、安く済むサニアの料理だな。
支払った代金は、2人で400クラン。1人200クランだ。思っていたよりもだいぶ安い。この店が特別安いだけかもしれないが、この国の物価は相当安いようだ。
いや、結論を出すのはまだ早い。街を歩いて詳しく調べよう。





