おデート
訓練を終えて閉店の作業を手伝う。この業務は、日本で言うレジ精算のような作業と店内の清掃だ。
やろうと思えば1人でも出来る作業なのだが、精算は全て手作業なのでなかなか大変。店内の掃除と陳列棚の整頓は、俺が率先してやっている。
閉店の作業が終わりに差し掛かった時、俺のポケットに金が入っている事を思い出した。賭けで勝った8万クランだ。
ルーシアから1万クラン以上の金を借りている。借金は早めに返しておきたい。事務所に行こうとするルーシアを呼び止めた。
「ルーシアさん、借りていたお金をお返しします」
「あれ? もう給料をいただけたんですか?」
あ……表向きには、ここの給料以外の収入源が無い事になっているんだった。
給料はまだ貰っていない。この国は給料の締め日の概念が曖昧で、翌月末支払いになるらしい。見習いは住み込みで衣食住が保証されているので、問題にはなっていない。
ルーシアには賭けの事は言わない方がいいかな。商売人は賭け事に手を出すべきじゃない。適当に誤魔化そう。
「訓練が1カ月続いたお祝いという事で、訓練場の知人にいただきました」
「なるほど。毎日ですもんね。本職の剣闘士さんよりも厳しい訓練だと思います」
うーん、そうかな……。本職の連中は怠け過ぎじゃないか? 本気で訓練するつもりなら、毎日やるべきだと思うぞ。
「今日から週1回にしてもらいましたけどね。さすがに本業に差し支えますから」
「そうなんですか?
では、明日からはずっとお店に?」
「いえ、しばらくは街の中を歩いてみたいと思っています。僕はまだ、この国の物価が把握しきれていないんですよ」
2、3日外食すれば、おおよその相場が掴める。一般人の手取りは、外食1回の200倍くらいになるはずだ。
「そうですか……。
では、明日はお付き合いさせていただけませんか?」
「え? お店はどうするんですか?」
「母に任せます。倉庫整理のお手伝いをすれば、1日くらいは代わってもらえますよ」
うーん、その手伝いは俺の仕事かな?
まあ、1日くらいは倉庫整理に費やしてもいいだろう。現在の在庫の状況をこの目で確認しておきたい。
「分かりました。倉庫の状況を確認したかったので、ちょうど良かったですよ」
「え? ツカサさんも手伝ってくださるんですか?」
ルーシアは少し驚いたように言う。どうやら1人で手伝うつもりだったらしい。
「当たり前でしょう。むしろ、どうして1人でやるつもりだったんですか……」
「ありがとうございます。では、明日はよろしくお願いします」
今日は何事も無く1日を終えた。売上も順調だ。ウォルターとの約束である今月は、残すところ約2週間。成果は既に見えている。このまま何事もなければ、店舗の実権は俺に移る。乗っ取りへ一歩前進だ。気を引き締めて行こう。
朝起きると、ルーシアが食堂で待ち構えていた。いつもの店番の服装ではなく、ヒラヒラ多めの洒落た服を着ていた。
「おはようございますっ! 早く行きましょう!」
元気な挨拶をするルーシアの横で、ウォルターが物凄い形相でこちらを睨みつけている。
俺とルーシアが一緒に外出する事が、耐えられないくらいのストレスらしい。この程度の事でいちいち怒っていたら、ハゲるぞ?
「ふんっ! 私は認めたわけでは無いからな。用が済んだらすぐに帰って来い」
「分かっていますよ。今日は夕食を食べて帰りますので、少し遅くなります」
「なっ……日が暮れる前には帰って来い! 夕食など、家で食べればいいだろう!」
ウォルターは、腕を組んで怒鳴る。昨日のうちに説明したのだが、まだ納得出来ていないらしい。
「それでは調査になりませんよ。僕の目的は市場調査なんですから。ご理解下さい」
「うぐ……」
「はいはい。あなたも、それくらいにして。ルーシアも、気を付けて行ってくるのよ」
ウォルターの口答えは、サニアの一言で止まった。ウォルターは確実に納得していない顔をしているが、気にしない。
出発の準備を終えると、朝食を食べずに外に出た。
まずは朝食が食べられる食堂を探す。ウォルター一家だけかもしれないが、朝食が一番豪華になる風潮があるらしい。最初は辛かったが、今はもう慣れた。朝からステーキどんと来いだ。
「出来るだけ一般的な食堂に行きたいんですが、良い店を知りませんか?」
「そうですね……私はあまり外食しないので、詳しくないのです。一緒に探しましょう」
ルーシアの話では、家族が居る人はあまり外食しないらしい。飲食店の主な客は、1人暮らしの人や旅人だそうだ。
店の近所には飲食店が少なく、それなりに歩かなければならない。近場で飲食店が集中しているのは、訓練場の近所だ。この辺りには独身の男性が多く住んでいるらしい。
安そうな店を見つけると、中に入って席に着いた。
敷地は広いはずなのだが、テーブルが大きすぎて狭く感じる。6人掛けの丸テーブルが6つ並んでいて、カウンター席も5席ある。そのせいで通路も狭く、すれ違う事すら困難な配置になっている。
そして席数は多いのに、俺達以外に客は居ない。
――不人気店を引いてしまったか……。
「どうされました?」
ルーシアは、俺の不安げな態度に気付いて声を掛けて来た。俺が不安を感じていた事に、よく気付いたな……。
「いえ、お客さんが少ないな、と思いまして」
「まだ時間が早いのよ。あんた達も、早く食べないと混むよ!」
突然背後から、おばさんの不機嫌そうな声が聞こえた。俺達の会話が聞かれていたようだ。
おばさんは、薄っすらと黄ばんだエプロンを付けている。背が低く、やや太り気味。この店内では動きにくいだろうに。
「あ、では早速注文を。
あなたのオススメでいいので、2人分お願いします」
「あいよ。そっちのお嬢さんも、それでいいの?」
ぶっきらぼうな口調で言う。不機嫌そうな顔と声は自然体らしい。接客係としては、あまり良くない態度だ。
対するルーシアは、爽やかで健やかな笑顔で答える。
「はい、問題ありません。オススメでお願いします」
接客業をするのであれば、この笑顔を自然に出して欲しい物だ。裏ではボロクソ言っても、表では全力で笑顔を作る。それが接客のプロだ。不機嫌そうな様子を表に出すな。
「あいよ。すぐに作るから、ちょっと待ってな」
おばさんは、いそいそと厨房に入っていった。1人でやっているのだろうか。
――1人で回しきれる席数ではないと思うが……。
ぼんやりとそう考えていると、ルーシアが俺の顔に顔を近付けた。
「何か気になる事でもありました?」
ルーシアは、俺が考え事をしている事に気付いたようだ。
「あ、いえ。僕の口から言うような事ではありません」
「このお店の問題点ですか?」
ルーシアは、期待を込めた笑顔で言う。俺の意見を求めているらしい。
「そうです。でも、僕が口を出してもお店の人が嫌な顔をするだけです。何も言わない方がいいですよ」
「あ……ごめんなさい」
ルーシアは、しゅんとして俯いた。
「その話は今度にしましょう。時間がある時に、ゆっくりと」
「はいっ! ありがとうございます!」
ルーシアの顔に笑顔が戻り、元気に返事をして目を輝かせた。
この店に対しては、言いたい事が山程ある。語りだしたら日が暮れるだろう。もしあのおばさんに話を聞かれたら、店を叩き出される自信がある。
話すのは今じゃない。今は別の話をして間をもたせよう。ここで1つ、以前から気になっていた事を聞いてみる事にした。
この店で提供しているのは、謎の肉料理のコース。まるでフルコースディナーだ。細かいメニューは無く、1つの料理に複数のアレンジをして種類を稼いでいる。やはり朝から重い。
「どうして朝食がこんなに多いんでしょうか?」
理由が気になる。この国の文化だと言うならそれで良いのだが、宗教上の理由であるなら宗教も勉強しなければならない。
「どうしてって……考えた事もありません。一番食べられる時間だからじゃないですか?」
ルーシアは困った顔で答える。この国ではごく当たり前の事らしい。
「日本では逆なんですよ。朝食よりも夕食に重点を置きます」
日本人は胃腸が弱い人が多いらしい。胃腸が弱い人は、寝起きでステーキは食べられない。
「夕食ですか……夕食こそ、そんなに食べられませんよ」
この国に昼食を食べる習慣は無い。いくら朝大量に食べたとしても、夕方には空腹で倒れそうになるが……。
「昼の間何も食べないと、お腹が空きませんか?」
「え? ツカサさん、おやつを食べてないんですか?」
ルーシアに、驚いた顔で聞き返された。間食でつないでいるらしい。
俺は間食しない派だから気に留めていなかったが、そういえばルーシアは昼間っから常に何かを食べていたな。
文化というより、間食し過ぎて夕食が食べられないというのが正解だった。
「僕にはおやつの習慣が無いんです。なるほど。それなら夕食は食べられませんね」
俺も茶菓子を持ち歩いていたが、その殆どはカモとジジイに振る舞って無くなった。今後は俺の分も持ち歩こう。
それなりに待ったと思うが、食事はまだ来ない。大量の料理なので時間が掛かっているのだろう。
待たされれば待たされるほど、店の問題点が見えてくる。店内は清掃がなおざりにされていて、床の隅には土や埃が溜まっている。さらに全体的に薄暗く、陰気な雰囲気が漂っている。日本では滅多に無い問題だ。
この国では商売の技術が全体的に遅れているのだろうか。もっと色々な店を調査した方が良さそうだな。





