徴収
最近、訓練場に行く時間帯を変更した。1人で居ても成果が少ないと分かったので、ムスタフと一緒に行動できる午後に絞った。午前中の時間をルーシアの手伝いやウォルターとの会議に使っている。
会議というか、俺の都合が良いようにウォルターを動かすための作業なのだが。
今朝の議題は、例の剣について。協議の結果、例の剣は20本だけ追加する事が決まった。2万クランで仕入れができる限界の数だ。
鍛冶師の所にも在庫が無くなったという事で、マルチ商法は一時休止にする。
雑貨にも紹介料を支払うという案だが、残念ながら却下だ。単価が安くて品数が多いので、計算が面倒臭い。全てを手書きで管理するため、専門の担当者が必要になるレベルだ。
現在のネットワークがもったいないので、次の商材を探す必要がある。
「ご苦労だった。まさか、こんな短期間で売り切れるとは考えていなかったぞ」
「そうですね。僕ももう少し時間が掛かると思っていました。ムスタフさんとドミニクさんに感謝です」
大量に売れたのは、ほぼこの2人のおかげだ。ムスタフは厚意で、ドミニクは金に目が眩んだ。2人共良く働いてくれた。
「うむ、そうだな。鍛冶師も喜んでおったよ。今後も、うちの店には優先して卸してくれるそうだ」
優先してもらえる事は有り難いが、武器の仕入れは少し悩む。この店の主力は日用雑貨だ。できれば商品を絞りたい。
だが、最近は剣闘士達が頻繁に来店するようになった。しばらく様子を見てから決めよう。
「なるほど。喜んでいただけて、何よりです」
「正直、悔しいよ……。今までのどんな時よりも、深く感謝された。
私が売り場を工夫した時よりも、大量に仕入れた時よりも、だ。お前の考えが正解だったのだな……」
ウォルターは、そう言って複雑な表情を見せた。職人に喜ばれて嬉しい反面、自分の間違いを認める事が悔しい様子だ。
「過去の実例に従っただけです。商品の質が悪ければ、ここまで売れませんよ。上手く売れて良かったですね」
遠回しに目利きが良かったと褒めた。ウォルターは調子に乗せておいた方が扱いやすいからな。
「うむ。今月の買掛も、滞り無く支払える」
30万クランの金が必要だと言われたが、何のための金かは聞いていなかった。どうやら仕入れの金だったらしい。
帳簿を確認したのだが、現状では不審な借入金は無かった。基本的に無借金で回している事は評価できる。しかし、小口の借入は頻繁に行われていた。借りては返すを繰り返している。良くない兆候だ。
おそらく、俺が手を出さなければ数年で潰れていた。手遅れになるのは数カ月後で、その後はどうにか延命するだけの状態が待っていた。際どい所だった。
「このまま現金が回る状態をキープしましょう。借金は絶対にやめてくださいね」
「うむ。このままであれば借金など必要無い」
ウォルターは、ニヤリと笑って頷いた。
真っ当な借入金なら反対しないが、この国の金貸しは利率が怪しい。長期で借り入れたら地獄が始まる事間違い無しだ。
今日の会議はこれで終わり。ウォルターは仕事のために外出した。
俺は訓練の時間が来るまで店舗を手伝い、訓練場に向かう。
今日で1カ月が経過する。ドミニク達と賭けていた、約束の日だ。賭けは俺の勝ちだ。俺は掛け金を把握していない。いくら貰えるのだろうか。
訓練場に入ると、さっそくドミニクを発見した。周りにはモブ顔の4人も居る。今日も5人で行動しているようだ。
こいつらは個室を使っていないので、出会うのは容易だ。入ってすぐに見える場所で剣を振っている。近付いて声を掛けた。
「こんにちは。調子はどうです?」
「おお、ツカサか。おかげさんで、懐は潤っているよ。
今日はどうした? 新しい儲け話か?」
ドミニクは上機嫌で答えた。賭けの事を忘れているらしい。
「いえ。今日なんですよ、約束の1カ月」
「うげっ……そうだった。今日じゃないか。本当に1カ月持ったんだな。大したもんだ」
「そんなに大変な訓練ではありませんでしたしね」
訓練の内容は、ウェイトを巻いて走る、刃を潰した剣で殴り合う、動けなくなるまで剣を振る。この程度だ。
暴力のプロに捕まった時よりは全然ヌルい。走り込みも逃亡中よりは全然楽だ。命が掛かっていないからな。そもそも、俺は自動車やバイクで追われていた。轢き殺される心配が無い走り込みなんて、OLのジョギングと大差無い。
「あれが……大した事無い? ムスタフさんに出会う前はどんな特訓をしてきたんだ?」
ドミニクが引き攣った笑みを浮かべながら聞く。
俺は日本での事を口外するつもりは無い。危ない人達に追われていた事も言わない。
「特訓なんて初めてですが、死なないように配慮しているじゃないですか。遊びと変わらないですよ」
ジジイの訓練では、銃弾が飛んで来ない。後ろから刺される心配も無い。休憩中に突然襲われる事も無い。ジジイは武人なので、卑怯と言われるような事はしてこない。優しい訓練だ。
「ははは……。お前の感覚がおかしいのは、前から知っていた。大した奴だよ。祝儀だ。持っていきな」
ドミニクは、乾いた笑い声を出しながら数枚の金貨を出した。
「ありがとうございます。では、皆さんからも……」
モブの連中とはあまり仲良くなっていない。まだ名前すら知らない。無視しているわけではないのだが、顔を合わせても喋る事が無い。
「そうだなあ。まさか、本当に1カ月耐えるとは思わなかったぞ」
「くぅぅ! この出費は痛いっ!」
「やべぇよ。メシを食う金も無くなっちまうぜ」
「お前には金を取られるばかりだな……」
4人のモブは、ブツブツと文句を言いながら金を出す。貧乏なのか、小銭が多い。
「フンッ。そりゃお前ら、頑張って売らねぇからだよ。俺はずいぶん儲けさせて貰ってるぜ」
ドミニクが鼻を鳴らして言った。こいつは既に30万クラン以上の収益を得ている。剣闘士などをやっている場合ではない。すぐにでも商人に転向した方がいい。それか、詐欺師だな。素質は十分にある。
「在庫は残り少なくなっています。頑張って下さいね」
こいつらの頑張りが、俺の収入につながる。是非、俺の手足となって頑張ってほしい。
「おいっ! ツカサ! いつまで遊んでおるっ! 早く行くぞォ!」
ジジイの怒鳴り声がフロアに木霊する。
この5人とも知り合いのはずなのだが、意識は訓練に集中してしまっているらしい。俺の姿しか見えていない。おそらく、賭けの事も忘れている。
「はいはい。今行きますよ!」
大声で返事をして、ジジイの元に走った。訓練の開始だ。
ちなみに、ここの代金はジジイが支払っているが、これは借りとは思っていない。ジジイが自分の都合で払っているだけだ。ジジイに時間を差し出した対価だと考えている。
訓練が終わると、賭けの儲けを計算した。全部合わせて約8万クラン。チョロいな。ルーシアからの借金を返しても、余裕で6万クラン以上が手元に残る。これを元手に、新しい事を始めたい。
すぐに飽きると思ったこの訓練だが、思いの外ジジイは飽きなかった。放っておけば、俺が剣闘士デビューするまで続きそうだ。訓練はそろそろ終わりにしたい。
「ムスタフさん、今日までありがとうございました」
「うむ。儂の訓練に、ここまでついてこられた者は初めてじゃ。良く頑張った。今後もこの調子で頑張れ」
それとなく終わった感を出したのだが、ジジイに流された。張り切って続けようとしている。キッパリと言わないとダメか。
「いえ、申し訳ありません。そろそろ本業に本腰を入れたいと考えています。ムスタフさんの訓練は有り難いのですが、辞退させていただきます」
「ぬっ! 商売の邪魔はしておらんはずじゃぞ?」
ムスタフは、興奮して言い返す。
確かに助かっているのだが、そろそろ邪魔だ。毎日1日の半分を潰されるのは、さすがに辛い。
「ムスタフさんのおかげで、多くの方にご来店いただきました。しかし、うちの店は武器だけが売り物ではないのです。
剣の在庫が無くなった後は、雑貨を売っていく事になります。剣を振り回してばかりは居られません」
「むむ……そうじゃな……。では、たまになら良いじゃろう? 2日に1回、いや、3日に1回でどうじゃ?」
「十分多いですよ……。週1回でどうです?」
最低限の譲歩。これ以上は譲れない。週1回程度なら、スポーツジムに通う感覚で訓練を受けられる。俺にとっても都合がいい。
「うぐっ……良いじゃろう」
ムスタフは、寂しそうな顔で頷いた。契約は成立だ。
この国の1週間は、6日と決まっている。『日曜日』が無いだけで、概ね日本と同じ。何曜日に休むといった習慣は無く、割と適当に休みを取っている。
例外は『31日』で、この日だけは殆どの店と職人が一斉に休む。この国に来てから一度だけこの日に遭遇したが、街の人通りが物凄く減った。店が開いていないので、みんな家から出たがらないようだ。俺はその日も訓練で外に出ていたが、街中が閑散としていた。
毎週最後の日を訓練日に定め、ジジイと別れた。
この国の物価は、まだ詳しく分かっていない。この6万クランで出来るだけ調査したい。まずは外食かな……。明日になったら考えよう。





