乗っ取り
俺がこの国に来てから約1カ月が経過した。今もムスタフのもとで訓練を受け続けている。賭けの期限までは残り数日に迫った。俺の勝ちはほぼ確定だ。
予定外だったのは、訓練が毎日続いた事。ムスタフは、律儀にも毎日訓練に顔を出した。訓練場だけではなく、時には外での訓練も行われている。基本はランニングと模擬戦だ。
俺は30代なのだが、まるで10代に戻ったかのように体力が溢れている。トレーニングはするものだな。
今日も夕方までジジイの特訓を受け、帰ってから閉店の作業を進めている。
「もうすぐ剣が売り切れますが、次はどうします?」
ルーシアは、帳簿を書きながら俺に質問をした。
例の剣は順調に売れ続け、残り10本を切った。俺の予想した通り、ムスタフとドミニクを経由した売上がほとんどだ。
そして、今も売れ行きは悪くない。2万クランで仕入れが出来るなら、もう少し継続してもいい。
この剣の営業は、ほとんど俺の手から離れた。放っておけば勝手に売れる。と言うか、これまでの顧客が勝手に売ってくれる。便利だ。
剣だけの予定だったが、紹介料の範囲を広げてみようかな。雑貨も対象にしたら、たぶん俺が営業に出る必要が無くなるぞ。
「ウォルターさんに相談しましょうか。仕入れ価格次第では、追加をしても良さそうですよ」
ウォルターは頼りないが、仕入れに関しては頼らざるを得ない。俺は仕入元を知らないからな。それに、仕入れ値の交渉はウォルターの担当だ。
「分かりました。帰ってきたら聞いてみましょうか」
ルーシアは、そう言って帳簿を書き続けた。
ウォルターは、俺の思惑通り店に寄り付かなくなった。何をしているのかは知らないが、常に外出している。
たぶん真面目に営業をしているのだろうが、俺としては寝ていてくれても構わない。とにかく店に居なければいい。
忙しくペンを走らせるルーシアに、労いの言葉を掛ける。
「厄介な事を押し付けてしまいましたね。すみません」
帳簿には、俺の指示によって細かい情報が書き込まれる事になった。以前は売上総計が書かれただけのメモに過ぎなかったのだが、今は売上帳として上手く機能している。
ただ、ルーシアの負担はとんでもなく増えた。物が売れる度にメモを取り、1日の終わりに1つの表にまとめる。相当面倒臭い作業だ。
何と言っても、コピーが無いという事が辛い。売上帳の枠線も、その都度手書きしている。しかも、鉛筆と消しゴムが無い。全て羽ペンの一発勝負だ。せめて枠線だけでも、簡単に書ける道具が欲しい。
ルーシア1人に任せるのは大変だが、今は任せる他ない。
連日の勉強で、読む方は問題無いレベルになった。だが、書く方はまだ心配が残る。もう少し特訓を続ければ、普通に書けるようになるだろう。そうなったら売上帳も手伝うつもりだ。
「いいんです。売上につながるなら、どんな苦労でもしますよ。
でも……これにどれだけの意味があるのでしょうか?」
ルーシアは、在庫管理の重要性を理解していないらしい。売上帳を書き始めてから、まだ一月も経っていない。効果が現れ始めるのはまだ先だ。
特にこの店は、長期在庫になる事を前提にした商品しか扱わない。元々廃棄ロスが少ないのだ。そのため、下手をしたら半年は成果が見えてこないだろう。
「それは続けないと分かりません。前回の棚卸評価額を見れば、多少は見えるかもしれませんよ?」
確実に在庫は減っている。利益としては見えてこなくても、意味は理解できるはずだ。
「……たなおろしひょうかがく?」
全く通じなかった。言い方間違ってないよね?
俺は簿記に詳しいわけではないから、間違えたかもしれない。
「棚卸資産とも言いますが……まさかとは思いますが、棚卸しはやっていますよね?」
「すみません……初耳です」
なんでだよ! どうして棚卸しをしていないんだよ!
いや、言葉を知らないだけかもしれない。まずは確認だ。
「正確な在庫数を把握するために、定期的に全ての在庫の数を数える事です。在庫の総数を仕入れ値で計算した額が、棚卸評価額です」
「そんな面倒な事を、定期的にやるんですか?」
やってなかったー!
マジか……。この国の在庫管理の概念は、かなりヤバイ。日本では江戸時代からやっている事なのに……。
もしかしたら、サニアが独自でやっているかもしれない。一度話を聞いた方がいいな。
「棚卸しをやっていないのは、かなり拙いです。サニアさんに確認してみましょう」
サニアはまめに倉庫整理をやっている。在庫数くらいは把握していそうだ。サニアに話を聞くために、食堂に向かった。
食事の準備をしていたサニアを捕まえ、棚卸しについて聞いてみる。
「在庫の総数ですか? それなら数えてるわよ?」
やっぱりやっていたか。サニアは真面目で勤勉なので、きっとやっていると思っていた。
ただ、その情報が家族で共有されていないというのは良くない。後でルーシアにも見せよう。
「では、総額の計算もしていますよね?」
「え? 数しか数えていないわ」
評価額は分からずじまいか……。
まあ、総数が分かれば問題無い。仕入帳と照らし合わせて計算すればいい。ついでに、他の帳簿も見せてもらおう。
「全ての帳簿を見せていただけます?」
「主人が管理しているんだけど、勝手に見せてもいいのかしら……」
俺はこの店の幹部ではないので、社外秘に当たる帳簿は遠慮して見ていなかった。この店の改革にかなり足を踏み入れたので、もう見てもいいだろう。
「店のためです。このままでは仕入れや陳列の指示が出せません」
「あ……それはそうね」
サニアは、そう言いながら事務机の引き出しを開け、書類の束を取り出した。
書類を受け取り、目を通す。
……売上帳が適当だった時に気付くべきだった。帳簿が滅茶苦茶だ。原始的と言うか、何と言うか……まるでお小遣い帳だ。
単純な金の流れしか書かれていない。仕入単価は別の帳簿に分けられ、箇条書きのメモのような形になっていた。単式簿記にしても、いい加減過ぎる。
――ええ……簿記まで教えるの?
いやいや、俺は簿記なんて詳しくない。しっかりと教えるのは無理だ。でも、このままウォルターに任せるよりはマシかな。
「書き方が良くないですね……。しばらくは僕が書きましょう。そのうち教えます」
俺自身、複式簿記を理解しきっていないが、しばらく書けば慣れるだろう。文字の勉強にもなる。
まともに書けるようになったら、サニアに教えようかな。ウォルターは戦力外だ。
「それは助かりますが……主人が良い顔をしないと思うわよ?」
だろうなあ……。また文句を言ってくると思う。もう何度目か分からないが、ウォルターの心を折る作業が必要になりそうだ。
今はまだウォルターに言わなくてもいいかな。勝手にやろう。成果が出たら事後報告だ。
「僕はウォルターさんとは別に書きますよ。資料が増えるのですから、文句は無いでしょう」
ただ漠然と文字を書く練習をしても時間がもったいない。帳簿の練習になるし、正確な資料が増える。一石三鳥だ。
「あたしはいいけど……帳簿の書き方って、一家伝来でしょ? いいの?」
マジか……国で統一されている物じゃないのかよ。じゃあ、ウォルターは先祖代々いい加減な帳簿を付けていたの? よく今まで潰れなかったな……。
「この国では店ごとに違うんですね。その方が意外です。
日本では法律で決まっているのですよ。独自の方法を使うと、大抵捕まります」
独自の帳簿=脱税だからな。もしくは粉飾決算。どちらも高確率で逮捕される。
詐欺師でも、その辺りには気を遣うんだよ。帳簿の不備は、詐欺立件の足がかりにされる。そのため、やり過ぎなくらい徹底しなければならない。
「そうなの? ニホンって、不思議な国ね」
「僕からすると、この国の方が不思議ですよ」
税収とか、どうなっているんだ? 帳簿に関する法律が無いと、税収が落ちると思うんだよなあ。
「それにしても、最近のツカサくん、主人よりも店主っぽいわよねぇ」
サニアは困った顔で言う。
調子に乗ってやりすぎたかもしれない。軽く笑って誤魔化そう。
「ははは。出しゃばってしまって、申し訳ありません」
最初は深く関わるつもりは無かった。潰れない程度に手を出すだけの予定だった。あまりにも酷かったので、気が付いたらガッツリと手を出していた。
「それはいいのよ。ツカサくんが頑張ってくれているおかげで、店が調子いいの」
やりすぎた事は許されているらしい。それなら今後もやり過ぎなくらい手を出そう。
もうこのまま店を乗っ取ってやろうかな。ウォルターを適当に引退させるだけで、乗っ取りが成立しそうだ。頑張ろう。
「いえ。お世話になっている身ですから、頑張るのは当然ですよ」
「ありがとうね。
でも、フランツくんが帰ってきたら……」
「フランツ?」
「修業中の長男よ。主人と同じくらい頑固なの。修業期間はまだ1年以上あるんだけど、もし帰ってきたら、お手柔らかにお願いね」
あ、衝突する事は確定なのね。なるほど。話に聞く限り、面倒臭そうなガキだ。ぐうの音も出ないほどバッキバキにへし折れというフリかな。
若いうちの苦労は買ってでもしろ、という言葉がある。俺という壁を乗り越え、立派な大人になってほしい。というわけで、意見が対立したら遠慮なくへし折ろう。
「息子さんですね。話には聞いていました。任せて下さい」
ルーシアに弟が居る事は、チラッと聞いていた。フランツの存在は乗っ取りの障害になりそうだな。今からでも準備を進めよう。





