意気消沈
ウォルターの説得を終えると、彼はトボトボと歩いて事務所の奥に消えていった。俺達は閉店の準備を進める。
売上をメモするルーシアを見て、少し疑問が生まれた。
「ルーシアさん、帳簿はどうしています?」
まだ文字が読めないので良く分からないが、どう見ても適当にしか見えない。
売れた商品名の一覧と、合計金額が書かれているだけだ。『いつ誰に何がいくらで何個売れた』という情報が書かれていない。
「帳簿ですか? これですけど?」
「こんないい加減な物が……」
うっかり本音が出てしまった。褒める要素が1つもない、紙クズに書かれた雑多なメモにしか見えないので、言葉の選択肢が浮かばなかった。
「えっ? いい加減ですか? 丁寧に書いているつもりなのですが……」
これが……丁寧? たぶん、字はキレイだと思う。読みやすく書かれているのだろう。でも、そういう問題ではない。
「この書き方では情報が足りませんよ。せめて個数と小計は必要です」
「……何のためです?」
ルーシアは、面倒そうな表情で聞き返してきた。
詳細な情報を書き込むのは、ルーシアの負担になる。必要が無いならやりたくないだろうな。でも、残念ながら必要な事だ。
「仕入れのためです。売れ行きを把握するために使います」
「そんな事は在庫を見れば分かりませんか?」
なるほど。在庫を目視して仕入数を決めているのか。ただ商品を仕入れるだけならそれでもいい。だが、在庫管理はそんな単純なものではない。
「そうですね。ある程度は分かります。でも、その商品が何日掛けて減ったのかは分かりませんよね?」
「なんとなくは分かりますが、それが重要な事なのですか?」
この国では、勘と経験を頼りに仕入れをしているらしい。もちろんそれも必要だが、人間は必ず間違いを起こす。間違いを防ぐのが、正確なデータだ。
「1カ月で5個売れる商品と、10個売れる商品があったとします。一度に仕入れる数は同じでいいですか?」
「え……同じ数を仕入れると思いますけど……。
そもそも、一度に仕入れる数は決まっているのです。どうしても同じになりますよ?」
「それなら、仕入元と交渉して変えてもらいます」
「それは……父の仕事ですね。父が居る時に話をしましょうか」
ルーシアは、売上金を持って事務所に向かった。
今日の所は切り上げる。ランプの火を消して、ルーシアの後を追った。
夕食の後、ウォルターを呼び止めて話し掛ける。
「今度は何の文句があるのかね?」
ウォルターは、嫌そうに返事をした。
「文句と言うか、ただの進言ですよ。仕入れと在庫についてです。サニアさんにも関係がありますね」
「あら、あたしも? 何かしら」
食事の後片付けをしていたサニアが、俺の近くに立った。サニアには、このまま同席してもらう。
事の発端は落書きのような帳簿なのだが、その奥にはいい加減な仕入れと適当な在庫管理という問題が潜んでいた。先にここを解決しないと、帳簿をキレイにしても意味が無い。
「在庫と仕入れについてです。
今は減ったら仕入れるという方法を取っていますよね?」
「うん? 当然だろう。何の問題があるのかね?」
「現金が足りなくなる一因になっています。
今は正しい販売数が把握されていません。動きが鈍い在庫が多いので、現金の回りが悪くなっているんです」
例の剣が典型的な例だ。大して売れないのに、何故か100本もあった。多少減ったが、今も倉庫で無駄に場所を取っている。
「うん? 何を言いたい? よく理解出来ぬが……」
「一言で言うと、在庫の圧縮です。在庫が多すぎます。今の半分くらいまで減らしましょう」
店舗に出ていた商品も一部撤収したので、倉庫はいっぱいだ。事務所にも少し溢れている。
「何を言っているのだ? 在庫は店のステータスだろう」
ウォルターは、呆れたように言う。価値観の違いか……。
「お言葉ですが、在庫を資産だと勘違いしていませんか?」
「はぁ? 何を言っている。大事な財産だろうが」
やはり勘違いしていた。在庫に対する意識の違いだな。これがこの国の常識なのだろうか。
「よく考えて下さい。在庫はお金ではありません。お客さんの手に渡った時、初めてお金になるんです。お金にならない在庫は負債と変わりません」
「おいおい。いくらなんでも負債ではないだろう」
「いえ、負債です。在庫を持ち続ける限り、少なからず費用が掛かります。維持管理費であったり、倉庫代であったりですね。整頓の時の人件費もあります。
多くの在庫を抱えると、それだけで無駄に時間とお金が掛かるんですよ。持っているだけでお金が減る。これって負債ですよね?」
俺がそう言うと、近くで静観していたサニアが口を挟んだ。
「あ……それはあたしも少し思ってたの。倉庫の整理だけで1日終わるって、無駄よねぇ」
思っていたなら改善しようぜ……。思い付いて行動しないなら、何も考えないと同じだ。
まあ、気が付くだけウォルターよりマシか。
「むむ……サニアがそう言うのであれば、そうなのだろう。
具体的に、どうしたら良いのだ?」
ウォルターは、在庫管理にはさほど拘りが無いようだ。簡単に折れた。サニアに任せきっているからかもしれない。
「ルーシアさんに、売れた数の把握をお願いします。その情報を元に、仕入れる数を調整して下さい。売れる物は多く、売れない物は少なく、です。
あまりにも売れていない物は、直ちに仕入れを止めて下さいね」
「分かりました。難しいけど、やってみるわね」
サニアがそう言って頷くと、ウォルターはテーブルを激しく叩いて怒鳴った。
「おい! ちょっと待て! 私が苦労して拡大した仕入元を切るつもりか!」
やっぱり噛み付いてきたよ……。俺がやろうとする事に、絶対に文句を言ってくるよな。面倒な奴だ。
「商売とはそういう物でしょう。どれだけ苦労しても、どれだけお金を掛けても、儲からない時は即座に撤退です」
「苦労を無駄にしろと言うのか!」
「今までの苦労は関係ないんですよ。その苦労がお金になるか、です。
お金になる見込みが無いなら、できるだけ早く切り捨てなければなりません」
「金金金金と……お前には人情が無いのか!」
ウォルターの言い分に、苛立ちを覚える。
文句を言われるのはもう慣れたが、今回は人格攻撃か。ウォルターがその気なら、俺も手加減をしない。思った事を全部言う。
「今は関係ありませんね。商売の話です」
「いや、商売とは人と人との繋がりで成り立つ物だ。うちに商品を出してくれる職人達は、この店を信用してくれている。職人を裏切るような真似はさせん」
「なるほど。ウォルターさんは職人のために店をやっているんですね」
「当たり前だ! 職人が居なければ店が成り立たん!」
やはりか。これは前から薄々思っていた。ウォルターがやっていた時の陳列棚は、職人ごとに分けられていた。どう見ても職人寄りの置き方だ。全ての職人に配慮した結果なのだろう。
「客の事なんて、微塵も考えていないんですね……」
わざと呆れた口調で返した。期待を裏切られたような、落胆した様子を演出する。
「そんなもの、良い物を揃えていれば勝手についてくる!」
「客を舐めすぎですね。客を馬鹿だと思っているんですか?」
俺は頭を小さく横に振りながら両手の平を上に向け、やれやれという様子で言う。相手を小馬鹿にしたような仕草だ。
「はあ? そんな訳無いだろう!」
「だったら、何故客を見ようとしないんですか?
店として、良い物を揃えるのは当たり前の事です。その上で、客が望む物を揃えなければなりません。
商品を選ぶ権利は客にあるんですよ? 例え良い物だったとしても、要らない物は買いません」
「うぐ……」
図星を突かれたウォルターは、酷く狼狽えている。苛立ちに顔を歪め、言葉を失った。
これは詐欺師としても重要な事だ。詐欺師の仕事とは、カモの選択肢をいかに奪うかの勝負。カモが持つ権利を理解し、一つ一つ潰していく。心理的にも物理的にも、「金を出すしか無い」という状況に持っていく。
真っ当に商売をしたいなら、客の権利を尊重しなければならない。その上で、客を納得させる必要がある。
「確かに職人も大事ですよ。でも、最優先にするべきは職人ではなく客です。お金を払ってくれるのは、職人ではなく客なのです」
「また金か! そんなに金が大事か!」
どうしてそこに噛み付くかね。商人として、金が最優先になるのは当然だろうが。そのために何が必要かを考えるんだよ。
「職人に払うお金や僕たちが生きるためのお金は、どこから出ているか理解していますか?
店から湧いてきたとでも思っています? 客がいなければ店は成り立ちませんよ? 客を蔑ろにする店が、流行る訳ありません」
「……私は客を見ていなかったと言いたいのか?」
「言いたいというか、実際に見ていないでしょう。ウォルターさんの陳列を見れば分かります。どうせ職人の言いなりに陳列していたんでしょ?」
「言いなりなどではない! ……が、従っていた事は事実だ……」
俺の予想通り、職人の意向が多分に含まれていたらしい。
それを要求した職人も、それを鵜呑みにしたウォルターも、ハッキリ言ってクソだ。
「職人の仕事の範囲を逸脱しています。今後は突っ撥ねて下さいね」
「……うむ。承知した」
ウォルターは、しおらしく頷いた。
仕入元を切る事を納得させるだけのつもりだったのだが、心ごとポッキリ折れたらしい。こんなに大人しくなるなら、もっと早くから徹底的に折っておけば良かったな。
何にせよ、しばらくは余計な口出しをされないだろう。かなり動きやすくなった。売上の推移が分かるまでは暫く掛かる。このまま様子を見よう。





