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労働者

 スイレンとギンに協力してもらい、さっそく6000箱の商品を納入した。

 今回俺が行った営業は反則スレスレだ。しかし、考慮しなければならないことが多すぎて、これ以外には考えられなかった。


 売らなければならない10500箱の内訳は、スイレンが5000箱でブルーノたちが5500箱。別口の依頼なので、分けて考えなければならない。大事なのは、ブルーノたちの5500箱を3500クランで売り捌くことだった。

 今回渡すのは主にスイレンの在庫だが、これは上手く調整してブルーノたちの在庫だったことにする。そうすれば、次回は値引きに応じても大丈夫だ。かなりややこしいのだが、いろいろ計算した結果、これがベストだと判断した。


 これで解約できる環境は整った。この転売ルートが使えるうちに、動けるだけ動く。



 今日は計画を少し前進させる。今日活躍してもらうのは、レヴァント商会の元従業員であるメイだ。


 ルーシアと並んで店番をしているメイに声を掛けた。


「メイさん、先日話していた計画なんですけど、お話いいですか?」


「あ、はい。大丈夫ですよ」


 メイは複雑な表情で答える。メイには、以前からレヴァント商会の見習いと接触するようにお願いをしていた。今日は本格的に動く。


「これから声掛けをしてもらおうかと考えています。行けます?」


「分かりました。お姉さま、大丈夫ですか?」


 メイがルーシアに視線を向けると、ルーシアが心配そうに言う。


「もちろんです。お気を付けて……」


 メイは夜逃げ同然に飛び出してきたため、今レヴァント商会と接触させるにはリスクがある。俺も少し心配に思っているので、今回は俺も同行する。



 前回と同じように、物陰に隠れてメイの知り合いが出てくるのを待つ。

 しばらく待っていると、目の下にクマを作った若い女性が出てきた。すると、メイは「あっ!」と叫んで飛び出した。俺はメイの様子を陰から見守る。


 その女性がメイを視界に捉えると、メイに向かって駆け出した。そして、メイの手を取って叫ぶ。


「メイ! 元気だったの!?」


「見ての通りだよ。元気、元気!」


「良かった……死んだって聞かされてたから……」


 ええ? 逃げたら死ぬの? 滅茶苦茶だなあ……。


「私、死んだことになってたんだ……」


「街の外に逃げ出して事故に遭ったって……」


 なるほど。メイの一件は「逃げたら死ぬぞ」という脅し文句に使われていたのか。アホみたいな嘘だが、一定の効果はありそうだ。

 しかし、レヴァント商会が嘘を本当にしようとすることも考えられる。メイと見習いを会わせるのは危険かもしれないな。今回限りにしておこう。


「事故になんて遭ってないよ。ほら、大丈夫でしょ?」


 メイは大げさに手を振って答えた。


「そうだね。無事で良かった……」


 2人はしばらく、お互いの近況報告をしあった。レヴァント商会の誰が嫌いとか、どこが嫌いとか、聞けたのは愚痴ばかりだ。メイの方はと言うと、辞めてからいかに楽しいかを力説している。


「私は辞めて良かったと思ってるよ。辞める気はないの?」


 メイは上機嫌な様子で言うが、対する女性の表情は暗い。


「無理……。だって、他に行くあてもないし……」


「辞めてから考えればいいんだって。店に不満があるんでしょ?」


 保険を掛ける意味で、行動する前に先のことを考えるのは重要だ。辞めてから考えるというのは、ただの行きあたりばったりに思えるかもしれない。


 しかし、これは損切り(ロスカット)の考え方だ。無理だと感じたらすぐにでも手を引く。これは商売をやる上で物凄く重要だ。


 今回は早く辞めることをお薦めする……とは言え、今辞められたら困るんだよなあ。


「不満ならいっぱいあるよ。メイが辞めてから、ノルマはもっとキツくなったの。もう何日も家に帰ってないよ……」


「相変わらずだね……。お世話になってる店主さんから聞いたんだけど、待遇を改善する方法があるんだって。試してみない?」


 これが本題。俺の提案は、労働組合の結成だ。

 レヴァント商会の見習いに、労働組合についての資料を渡したかった。それには、結成方法や交渉の手段などを細かく記してある。経営者から見て、『これをやられたら困る』という内容だ。俺が知っている前例もいくつか紹介した。


 この国には労働組合があるとは聞いたことがない。これがあるだけで、従業員の待遇は大きく変わるんだ。経営陣からしたら目の上のたんこぶだが、それだけ効果があるとも言える。


「そんなことができるの? メイも知っていると思うけど、あのレヴァント商会だよ?」


 この女性は経験が浅いから、理解するのは難しいだろうな……。労働組合という団体は、経営者にとって、とんでもなく鬱陶しい存在なんだよ。


「やってみないと分かんないじゃん。詳しいことはこの紙に書いてあるから、他のみんなにも配ってあげて」


 メイは、女性に紙の束を渡した。これを無作為に配るので、レヴァント商会の経営陣にはバレると思う。だが、これはバレても問題ない。むしろ、積極的にバラしてほしい。経営陣が組合の話を潰そうとすればするほど、これに書かれている内容の信憑性が増す。



 2人はしばらく雑談を続けて別れたのだが、メイが勧誘されることはなかった。今の女性は、もしかしたらシステムの矛盾に気付いているのかもしれない。ちょっと希望が見えてきたな。


「これだけで大丈夫なんですか?」


 メイは俺が隠れていた場所に近付いて言う。


「大丈夫です。今は小さな種を蒔いただけですからね」


 俺がやっていることは、一つ一つの全てが地味だ。小さな裏工作ばかりで、大商会を潰せるほど大きな効果は得られない。しかもどれも人任せで、本当に成功するか分からないものもある。

 だが、それでいい。俺が派手に動いて目立ったら、肝心なところで潰される恐れがあるからだ。



 メイを連れて店に帰った。すると、ドミニクが店の前で突っ立っていることに気が付いた。メイを先に行かせ、ドミニクに話し掛ける。


「お疲れさまです。こんなところでどうしました?」


「よう。ツカサを待ってたんだ。経過を報告に来たぜ」


 ドミニクには、剣闘士の説得を任せている。これも計画の一部だ。状況を聞いておきたい。


「ありがとうございます。剣闘士さんの反応はどうです?」


「まあ、ボチボチだな。仲間やムスタフさんには他の街でも声を掛けてもらっているが、解約に応じるやつは半分くらいじゃないかと思う」


 あまり芳しくないな……。でも、半分も居れば十分だろう。数日後には1枚目の広告が撒かれる予定だから、そろそろ剣闘士たちに指示を出しておこうかな。


「わかりました。もうすぐ1枚目の広告が撒かれます。皆さんに、身の振り方を指示していただけませんか?」


「いいけど……身の振り方?」


 ドミニクは、不思議そうな表情を浮かべて首をひねった。


「剣闘士さんたちへの非難を減らす方法です。できるだけ周知してください」


 そもそも、ドミニクがこの活動をしているのは剣闘士たちを守るためだ。剣闘士たちは確実に非難されるはずなので、ドミニクはその非難を少しでも減らそうとしている。


「それは大事だな。了解だ。教えてくれ」


「まず、広告が撒かれたその日に、一斉に解約を申し出てください。そして、闘技場でそのことを観衆に伝えるんです」


 剣闘士たちには、できるだけ同時に解約を申し出てほしい。一度に押し掛けることで、「大量に解約者が出ている」と印象付けたいのだ。民衆は多数派(マジョリティ)に引き摺られる傾向があるため、解約する人が多数派だと思わせたい。


「ふむ……」


「その伝え方なんですけど、まずは皆さんに謝ってください。正直に、『巻き込んでごめんなさい』と言うんです」


「……まあ、当然だな」


 ドミニクは、難しい顔で頷いた。ドミニクは当然だと言うが、この当たり前なことを当たり前のようにできる人は少ない。

 特に、今回は明確な()()が居て、剣闘士も被害者と言える。このような場合、叩きやすい相手を叩いて謝罪しないということは往々にしてある。謝罪の有無で印象は雲泥の差があるので、意地でも謝ってもらいたい。


「謝罪は徹底してくださいね。それから、レヴァント商会の()()が悪いとアピールしてください」


 従業員も十分悪いのだが、一番の責任はチェスターにある。レヴァント商会の体質を考える限り、これをアピールしないと責任は下っ端に押し付けられる。おそらく、チェスターは従業員のクビを切って逃げるだろう。俺はそれを許す気は無い。


「会頭? 悪いのはレヴァント商会だろ?」


「違うんですよ。レヴァント商会の従業員は、会頭や幹部たちの指示に従ったに過ぎません。悪いのは経営陣であって、従業員には罪はありません。そのことをアピールしてほしいんです」


 俺はヘクターのような熱心な営業も同罪だと考えているが、下っ端を叩いても俺にはメリットが無いんだ。上を叩かないと意味がない。


 とは言え、レヴァント商会は間違いなく叩かれる。民衆にとって、誰が悪いかなんて関係ない。「レヴァント商会が悪い」の一言で済まされると思う。

 そこで、このアピールが効いてくる。民衆に責められる従業員たちは、「責められているのはチェスターのせいだ」と考えるだろう。


「……なるほどな。レヴァント商会を潰す気は無いということだな?」


「そう思っていただいても構いません」


 まったく違うけどね。俺は潰す気満々だよ。でも、それを実現するためには従業員の力も借りなければならない。そのためには、民衆と従業員が対立する構造になったら都合が悪いんだ。

 従業員たちには、チェスターを恨んでほしい。そのためのアピールだ。


「相変わらず、お前の考えることはよくわからないな……。でも従うよ。悪いようにはならなそうだから」


「よろしくお願いします」


 これで計画が1つ進んだ。広告を撒いただけでは大きな問題にならない。そのことは分かっているので、できるだけ大げさになるように準備を進めてきた。これだけ下準備をすれば、大きな問題になるだろう。

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