囲い込み
今日はブルーノの強い希望があり、解約手続きに同席させてもらうことになった。例の営業がいつ来るのか分からないので、できるだけ早い時間にブルーノの店に来た。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
「いや、こちらこそよろしく頼む。こんな朝早くから来てもらって、悪かったな」
ブルーノは、そう言いながら事務所に案内する。
「いえ、僕が到着したときに鉢合わせてしまったら、元も子もないですから」
笑顔でそう答えた。正直言うと少しツラい。いつもなら、のんびりと朝食を食べている頃だ。でも、鉢合わせのリスクを減らすためには仕方がない。
この店の事務所は、応接室と兼用していて割と広い。12畳くらいだろうか。俺はカウンター越しに話をすることが多く、あまり入ったことがない。物が少なくて居心地が良さそうだ。
「まだまだ時間があると思うから、ひとまずゆっくりと休んでくれ」
ブルーノはソファにドカッと腰を据えて言うが、そんな暇は無いだろう。
「そうも言っていられませんよ。今のうちに、僕が隠れる場所を作らないといけません」
万能隠密用具『ダンボール』があれば、話は早いんだけどなあ。残念ながら、この国の主流は木箱だ。それも、みかん箱くらいの大きさしかない。この箱に隠れられるのは、大きめの猫がせいいっぱいだろう。
「ああ……そうだったね。それは気付かなかった。昨日のうちに準備しておけばよかったな」
「いまさら言っても仕方がないですよ。木箱を積んで、仕切りにしましょうか」
納品前の在庫だと言い張れば、事務所に箱が積まれていても不自然ではない。俺はその裏に隠れ、様子を窺うことにした。
完成したスペースの広さは畳半畳くらい。そこに木箱を積んで、椅子と簡易テーブルを作った。見た目はアレだが、意外と居心地がいい。
「僕の隠れる場所はこれでいいでしょう」
「本当に、こんなところでいいのか?」
「十分ですよ。隙間も作っておきましたから、そこから商談の様子を見させていただきます」
俺がヘマをしなければ、まずバレないだろう。
「こんな場所ですまない。せめて、茶と茶菓子を準備しよう」
「ありがとうございます。それは後でいいので、先に契約書を見せていただけませんか?」
「契約書?」
「はい。話が拗れたときのために対策を練っておきたいんです。契約内容が分からないと、僕には手が出せませんからね」
絶対に、こちら側に都合が悪い内容が書かれているはずだ。先に読んでおけば、言い返す言葉を考えることができる。
「うむ……どこに仕舞ったかな……?」
おいおい、失くしたのかよ。大事なものなんだから、ちゃんと覚えておいてくれよ……。
「レヴァント商会の営業が来るまでに見つかります?」
「……分かった。探してみよう。先に茶を準備させてくれ」
お茶は有り難いんだけど、俺には現実逃避の行動に思えるぞ。ちゃんと見つけてくれるのかな。
「お茶はごちそうになります。ありがとうございます。できれば事前に契約書が読みたいので、なるべく早く見つけてくださいね」
釘を差しておいた。
ブルーノからお茶を差し出され、俺の隠れ家に持ち込んだ。例の営業が突然来ることも考えられるので、今日はこのままここで過ごす。
しばらく待っていると、事務所の扉が開いた。そして聞き慣れない声が聞こえてくる。
「こんにちは。お世話になっております、レヴァント商会のヘクターです」
どうやら営業が到着したらしい。結局、契約書は間に合わなかった……。
覗き穴から見える範囲に、ヘクターとやらが入ってきた。どこかで見たような……あ、メイを恫喝していたレヴァント商会の従業員だな。
「ずいぶん早かったな」
ブルーノが遅れて事務所に入ってきた。ヘクターのやつ、勝手に事務所に上がり込んだのか。マナーのなっていないやつだな。
「今日お伺いすることはお伝えしていたはずですが?」
「そうだな。それはまあいい。今日は君に話があったんだ」
ブルーノは、そう言ってソファに腰掛けた。手には契約書が握られている。しまった……。営業の到着がもう少し遅ければ、間に合っていたのか。
「おや、追加注文でございますか?」
「その逆だ。契約を破棄したい」
「……と言いますと?」
ヘクターの顔が曇る。あいつとしては、解約は絶対に避けたいはずだ。さて、どういう手を使ってくるだろうか。今後の参考のために、しっかりと見ておきたい。
「プラチナ会員を辞めるということだ」
「いやいや、何をおっしゃっているんですか。2人で頑張っていこうと言ったじゃないですか」
「それは君が勝手に言ったことだろう?」
「約束しましたよね? 途中で投げ出すなんて、最低の人間がやることです。最後までやり抜きましょう」
最後ってどこだよ。そして誰が最低だよ。最低はお前だろうが。
……なるほど。相手を責めて、解約を悪いことだと洗脳する作戦か。古くから使われている手法だが、なかなか効果的だぞ。
「いや、しかし……。君の話は間違いが多かった。君の言葉は信用できないんだよ」
「そんなことを言わないでくださいよ。私も人間ですから、間違うことはあります。あなたは間違えたことが無いというのですか?」
なかなか面倒なことを言うなあ。それとこれとは話が違うんだけど、ブルーノは正しく言い返すことができるのかな……。
「いや……私も間違えることはあるが……」
無理でした。ここでの正解は、問題のすり替えを指摘して、相手の間違いを具体的に説明することだ。「はい」か「いいえ」で答えるのは、一番やってはいけない。
「でしょう? 私の間違いは謝ります。ですから、2人で一緒に頑張っていきましょう。家族同然の仲間じゃないですか」
ほら、完全にはぐらかされてしまったじゃないか。
ちなみに、家族という表現には「家族なんだから無茶なことを要求してもいいよね?」というニュアンスが含まれる。求人広告の『アットホームな職場です』がまったく信用できないという理由と同じだ。
「都合のいい時だけ家族と言いおって……」
「とにかく。あなたのために言っているんです。今辞めたら、何も成し遂げられませんよ? 店を大きくしたいんでしょう? 辞めてしまったら、レヴァント商会からは何もバックアップできなくなります」
「しかしだな……」
拙い。ブルーノが負けそうだ。頑張れブルーノ!
「今辞めてしまったら、大変なことになります。周りにはレヴァント商会の会員ばかりになって、あなたは孤立してしまいますよ? 商人は孤立したら終わりでしょう。踏み留まるなら今しかないのです。もう一度、あなたの口から『頑張る』と聞かせてください」
「いや、解約することはもう決めたことだ」
ブルーノは、そう言って俺に視線を送った。バレるって。やめてよ。まだ俺は出ていかないぞ。俺が出ていくのは、ヘクターが暴力を振るおうとしたときだけだ。それ以外は静観する。それに、このまま話を進めれば押し切れるだろう。
俺はそう思っていたのだが、ヘクターは余裕のある表情を崩さない。
「……本当にいいんですか? 今辞めると違約金が発生しますよ?」
おいおい、それは聞いてないぞ。でも、これは予想できることだった。だから先に契約書を読んでおきたかったんだよ。
「な……そんなことは一言も言っていないだろう!」
ブルーノが声を荒らげた。聞いていなかったらしい。
「契約書をよく読んでください。『プラチナ会員は、解約時に契約違約金の30万クランと未納品の商品代金を支払う義務を負う』と書かれているでしょう」
うわあ……ご愁傷様だな。だから契約書を読めと言っているんだよ。契約前に読んでいれば、こんな契約は結ばなかっただろうに。
「ふざけるな! そんな話は聞いておらん!」
「私は契約書に目を通すように言いましたよ。読まなかったんですか?」
「あ……いや……」
ブルーノは言葉を詰まらせた。まあ、読んでないのは事実だからなあ。
「とにかく、あなたは続けるしかないんです」
「く……それなら、30万クランは支払おう。それで解約できるのだな?」
ブルーノは、焦りながらも対応しようとしている。ブルーノはかなり頑張っているが、ヘクターはまだ余裕の笑みを崩そうとしない。
「いえ、それだけではありません。契約期間は1年間ですので、残り9カ月分の商品代金が発生します」
「ちょっと待て! 何だ、それは!」
「これも契約書に書かれていますよ。『プラチナ会員は1年間の定期購入契約である。本契約は申し出が無い限り自動で更新される』この部分ですね。ですので、900箱の商品は購入していただきます」
「無理に決まっているだろう! ふざけるな!」
うん、詰み! 契約書に同意したのだから、従うしかない。読まなかったやつが悪いんだ。いや、本当に悪いのは、説明しなかったレヴァント商会側なんだけどな。でも、この国には取り締まる法律が無いから、どうしようもない。
「今辞めてしまうと、あなたが損するだけなんです。分かっていただけましたよね?」
「……損をするというのは理解したが……」
円満に解決するためには金を払うしか無いな。商品と違約金、合わせて300万クランだ。さすがにヤバイなあ……。もし商品が正規の値段で売れたとすれば、十分に取り返せる。でも、それは不可能だろう。売れるわけがない。
いや……1箱3500クランで売り切ることができれば、ギリギリ取り返すことができそうだぞ。若干利益が出るが、それは俺の手数料ということでいいだろう。よし、プランを練ろう。
「あなたなら頑張れるでしょう! 私はそう信じています! さあ、2人で頑張りましょう!」
「……うむ……。分かった。もう少しだけ頑張ってみよう……」
あれ? ブルーノが折れちゃったよ。せっかく俺がどうにかしようと思っていたのに……。
仕方がない。ブルーノたちはしばらく泳がせよう。追加注文さえしなければ、被害が拡大することは無い。その間に、3500クランで売り抜くプランを準備する。





