詐欺師とお人好し
ここが何処なのか。この問題は一時棚上げする。まずはここでの生活基盤を整える事が先決だ。
自由に使っていいと言われたこの部屋は、ベッドと小さなサイドテーブルが置かれただけの殺風景な部屋だ。部屋の広さは六畳ほど。靴を脱ぐ習慣が無いようで、床には土足の跡が付いている。
俺が履いていたスニーカーは、ベッドの横に揃えられていた。海水で濡れ、まだ湿っている。
ベッドから起き上がると、俺の服はまるごと着替えさせられていた。濡れていたから脱がされたのだろう。俺が着ていたはずのジーパンとパーカーは、縫製が荒くて肌触りが悪い貫頭衣のような服に変わっていた。
「まるで囚人だな……」
安っぽい服を着て、殺風景な部屋に居る。今の自分の姿を客観的に見て、小さく呟いた。
まぁ、俺はいつ警察に捕まってもおかしくないような生活をしていた。囚人スタイルはむしろ似合っているだろう。
十分な休息を取ることが出来たので、部屋から出てみる事にした。ルーシアの話では、この部屋は食堂に繋がっているらしい。その横に事務所があり、家の人はそこに居ると言う。
俺はまだこの家の主に会っていない。雇ってもらうのなら、先に挨拶をしておくべきだろう。
食堂は十二畳くらいの広さで、真ん中に大きなダイニングテーブルが置かれている。食事の時間ではないので、今は誰も居ないようだ。
事務所の扉を『コンコン』とノックし、扉を半分開けた。
「む……誰だ?」
椅子に座った男が声を掛けてきた。
人の良さそうな中年の男性だ。痩せ型で顔色が悪く、薄くなった金髪を後ろで束ねている。
「あ……拾われた人なんですが……何でも、ここで雇っていただけると……」
「ふむ。例の迷い人か。具合はどうだい?」
男はニコリと笑い、俺を迎え入れてくれた。
ルーシアの父親だろうか。顔立ちがよく似ている。
「ありがとうございます。もう問題ありません」
「それは良かった。名前はツカサくんだったかな。私はウォルターと言う。早速だが、君に聞きたい事がある。相談に乗ってくれないか?」
ウォルターはさらりと名乗ると、すぐに話を続けた。
この親にしてこの子ありだな。警戒心が薄すぎるだろ。俺の事なんか何も知らないはずなのに、いきなり相談とは……。何を考えているんだ?
「相談ですか……僕に答えられる事なんか、ありますかね……」
俺は遠慮がちに答える。
しかし、どうして言葉が通じるのだろう。さっき見た文字は、日本語とは似ても似つかないような模様だった。発音も違うはずだ。
細かい事はどうでもいいか。今は俺の置かれた状況を整理したい。そのためにも、この人の話をよく聞いておこう。
「なに、大した相談ではないよ。
迷い人は、我々では思いつかないような事を知っていると聞く。気が付いた事があれば、何でも言ってくれたまえ」
「お答え出来るか分かりませんが……いいでしょう」
「もうすぐ税金を支払う時期が来るのだが、今は現金が足りていない。今のままでは営業権を失う可能性があるのだが、打開策として何が考えられるだろうか」
要するに、売上がヤバイって事なのかな。従業員を増やしている場合じゃないだろ。この親子は大丈夫なのか? どうにも危なっかしい。放っておいたら潰れそうだぞ。
いや、その前に、そんな事を俺に聞かれても知らないぞ。まともな商売なんて経験が無いんだ。素人に変な質問するなよ……。
俺は日本に居た時、いくつかの会社を所有していた。全て実体のないペーパーカンパニーだ。肩書は社長だが、社長としての仕事なんてやったことが無い。
「僕には専門外の質問ですね。この国の状況も分かりませんので、お答え出来ませんよ」
「何でも良い。見当違いな答えでも構わんよ。今は多くの意見が聞きたい」
帳簿らしき紙を広げて言う。
話がまとまらないな。うーん、まどろっこしい。
「ちょっと見せていただけます?」
そう言って、帳簿らしき紙を引っ手繰った。
――あ……読めない……。
何が書いてあるのか、さっぱりわからない。アラビア数字が使われていないから、数字すら読めない。
「何か分かるかね?」
「……文字が読めないという事が分かりました」
「そうか……。まずは文字の勉強から始めた方が良さそうだね。ルーシアに習うと良いよ」
くっ……面倒だな。でも、ルーシアが教えてくれるならいいか。文字は覚えておいて損は無い。しばらくは勉強に専念するのも良いだろう。
今は読めないので、ウォルターに代読してもらう。
「じゃあ、とりあえず口頭で分かる所だけお答えしますよ。具体的に教えてください」
「うむ。単刀直入に言うとだな、今借金をしたとして、何を仕入れるべきかと言う事だ」
ウォルターは腕を組みながら言う。
この人、マジで警戒心が無さ過ぎるだろ。見ず知らずの人間に、借金の相談をしてどうするんだよ。そんな物は会計士と役員だけで考えろよ。
と、口から出そうになったのをグッとこらえた。文化が違うのかもしれない。「借金の相談は、見ず知らずの人に」みたいな常識が……あってたまるか。
マジで馬鹿じゃないのか? 確実に社外秘だろ、どう考えても。もしこれが常識なら、そんな文化は滅んでしまえ。
とは言え、真面目に聞かれたんだ。真面目に答えよう。
「まず、その借金は何のための借金ですか? 返済計画はどうなっていますか? 利息は? 担保は?」
思い当たる事を一通り聞いた。
「うん? 貸してくれると言うのだから、借りれば良いだろう。我が店に、現金の余裕は無いのだよ」
危機感が無さ過ぎる……。何のあてもなく借金をするなよ。誰かが止めないと、近々潰れるぞ。
しかしこれ、ヤバイやつだ。同業者の臭いがする。
真っ当な銀行は、余裕がある店にしか金を貸さない。余裕がない奴に金を貸すのは闇金の仕事だ。
「契約書の控えはありますか?」
「契約……? 借用書の事か? 一応預かっているが……まだ金を借りていないぞ」
ウォルターは怪訝そうな表情を浮かべながら、紙の束の中から一枚の紙を引き抜いた。
まだセーフだな。借りていないならどうにでもなる。
「とりあえず、さっきの質問に答えてください」
「何のために借りるかは、今相談しているだろう。上手くいけばすぐに返せる。これまでもそうしてきたからな」
うわ……さっそくヤバイ。無計画に借金しようとするなよ。これは貸す側の問題でもあるか。貸してから用途を考えさせる事はたまにある。
「なるほど……。担保と利息はどうなっています?」
「担保は店と家、利息は月1割だ」
高っ! 日本の法定利息ブッチギリじゃないか。あ、でもトイチやトサンの闇金よりはマシか。
しかしこれ、複利で計算するとエグい事になるぞ。まともなやり方で返せる利息じゃない。
担保は……借り入れ額によるな。大金を借りるなら、それだけの担保は必要になる。
まさか、俺に「保証人の判を押せ」とは言わないよな……。
「保証人はどうですか?」
「私の家族全員が保証人になる予定だ。いつもそうしている」
俺の判は要らないようだ。良かった。
それは良いとして、だ。俺には契約書が読めないからハッキリとした事は言えないが、この金は借りるべきではないだろう。ヤバイ臭いがプンプンと漂っている。
借金を断らせる言い訳を考えていると、店舗につながる事務所の扉が突然開いた。
「よう、店主殿。借り入れの準備は出来たか?」
ガラの悪い二人組が、ズカズカと入ってきた。表面上は笑顔だが、目の奥が笑っていなくて威圧的で態度がでかい。わかりやすく闇金の下っ端だな。
寄越すなら、もう少しベテランの闇金を連れて来いよ。そんなんで同業者を騙せると思っているのか?
まぁ、知らないから仕方がないか。この店の親子には恩もあるし、しばらく養ってもらわないといけない。こんな所で躓いてもらっては、俺が困る。少し手助けしようかな。





