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危機感

 みんなが話を続ける中、俺は印刷の作業をする。原稿を書いたのは俺だから、俺が版組をやった方が早い。量産はウルリックに任せるが、ひとまず数枚の広告を自分で印刷して持ち帰る。

 印刷が終わってコッソリと帰ろうとしたのだが、イヴァンに気付かれて声を掛けられた。


「もう帰られるんですか?」


「そうですね。まだ仕事が残っていますから。みなさんはごゆっくりどうぞ」


 そう言って印刷工房を抜け出した。彼らはまだ話を続けているが、俺がこの場にいなければならない理由は無い。ウルリックが若干心配な気もするのだが、イヴァンやムスタフが上手く調整してくれるだろう。



 印刷工房を出ると、店の前でカラスが落ち着きなくウロウロしていた。


「こんにちは。こんなところで何をしているんです?」


「あ……兄さん。すんません、ちょっと相談があるんすけど……」


 カラスは何か相談事があるみたいだ。恋愛相談以外なら、どんな相談でも受け付けるぞ。


「いいですよ。では、カフェスペースへどうぞ」


 そう言って、店外のカフェスペースに案内した。カラスが椅子に座るのを待ち、話し掛ける。


「それで、相談というのは?」


「……ギンに、妙な商売の話を持ち掛けられたんすよ」


 うわぁ……さっそく勧誘を始めたのか。ため息が出る。


「はあ……なるほど。それで、カラスさんはどうしたんです?」


「兄さんは断ったって聞いたんで、返事を保留してるんすよ。断った理由を聞かせてもらえないっすか?」


 いい勘をしているじゃないか。カラスは以前にも詐欺に引っかかりそうになっていたから、警戒しているのだろう。


「賢明な判断ですね。内容をよく考えれば分かるんですけど、かなり怪しい商売ですよ」


「やっぱりそうなんすね……」


 カラスは複雑な表情を浮かべて呟いた。


 口頭で説明してもいいんだけど、せっかく広告を印刷したんだ。これを渡して読んでもらおう。カラスの反応を見て、わかりにくい部分があったら書き直す。


「詳しくはこの広告に書かれていますので、そちらで確認してください。リスクとデメリットをまとめたんです」


「なるほど。助かるっす」


 テーブルの上に広告を置くと、カラスはそれに目を落とした。一通り読み終えるのを待って、声を掛ける。


「何か質問はありますか?」


「いや、十分っす。ヤバイっすね、これ……」


 カラスは引き攣った笑みを浮かべながら言う。広告には問題無いようだ。


「そうなんですよ。もし良かったら、これを数枚持ち帰って仲間に配ってください」


 ギンが熱心すぎるみたいだから、先に手を打っておきたい。カラスに5枚くらいの束を渡した。


「了解したっすけど、手遅れだと思うっすよ?」


「手遅れ?」


「ギンが片っ端から声を掛けてるんすよ。もう何人かは会員になったと思うっす」


 マジかよ……。やっぱりあの時、ぶん殴ってでも辞めさせるべきだったか。


「会員になった方を無理に辞めさせるのは良くないので、やんわりと教えてあげてくださいね」


「うっす。まあ、スイレンさんが止めれば、金貸しは落ち着くと思うんすよ。スイレンさんに相談してみるっすね」


 スイレンはこの街の金貸したちのボスだ。影響力は大きい。スイレンがこの商法を良しとしたら、一気に広まってしまう。逆にこの商法を悪だと認定してくれれば、金貸しの間ではこれ以上広まらないだろう。

 となれば、スイレンは早めにこちら側に引き込んでおいた方がいいな。


「でしたら、もっと広告を持っていってください。スイレンさんなら、正しく使ってくれると思います」


 カラスに手持ちの広告すべてを託して別れた。スイレンの意見も聞きたいところだが、今日はやめておく。カラスに任せた方が良さそうだ。

 スイレンはもともと勘がいい人だから、この広告を見たら俺の意図を拡大解釈してくれるはず。上手く転がれば、この商法を潰す方向に動くと思う。しばらくはスイレンの動きに注意しておこう。

 今日はそれよりも、コンサルタントの顧客の様子を見に行く。そのついでに注意喚起ができればいいかな。



 まず向かったのは、布の店をやっているブルーノのところだ。

 店の扉を開けてブルーノと目が合うと、ブルーノは満面の笑みを浮かべて手招きをした。


「おお、ツカサくん。ちょうどいいところに来たね。いい話があるんだ。聞かないか?」


 うわ……物凄く嫌な予感がする。


「どんなお話でしょうか」


「新しいビジネスだよ。って、ツカサくんならもう知っているかな?」


 もう嫌な予感しかしない。


「そうですね……。とりあえず聞かせてください」


「レヴァント商会が健康食品を作ってね。それを一緒に売らないか、という話だ」


 ほら、やっぱり……マジか。


「僕もそのことについて話をしにきたんです」


「なんだ……そうか……」


 ブルーノは、あからさまに落胆した素振りを見せた。


「まさかとは思うんですけど、会員になってないですよね?」


 もしかしたら、万が一、天文学的な確率で、まだ入会していないかもしれない。淡い期待を抱いて質問した。


「悪かったね。もう会員になっている」


 ですよねー。知ってた。

 ブルーノはレヴァント商会に疑問を抱いていないようだから、下手なことは言わない方がいいだろう。やんわりと聞く。


「契約書はちゃんと読みました?」


「うむ。ツカサくんに『読め』と言われてるからなあ」


 読んだ上で入会したのか……。それなら、リスクを理解しているのかな。理解した上で入会したんだったら、俺から言えることは何もない。


「不自然なことはなかったですか?」


「さあ……? あまりにも長くて、全部は読んでいないな」


 理解してない! 残念!


「なるほど……。僕が聞いた話だと、ずいぶん危なそうな内容だったんですよ。契約書を読み直した方がいいですよ」


「ん? ツカサくんは会員にならなかったのか?」


 ブルーノは、怪訝な表情を浮かべて聞く。


「そうですね。僕にはいい話だとは思えませんでした。むしろ、詐欺に近い内容だと感じましたね」


「へえ……? 考え過ぎは良くないぞ? 今からでもまだ遅くない。会員にならないか?」


 ブルーノは俺を諭すように言う。レヴァント商会を盲信しているようだ。この街の商店はレヴァント商会を嫌っていると聞いたんだけど、どうしてそんなに信じられるんだろう……。


「ブルーノさんは、レヴァント商会に不信感を抱いていないんですか?」


「そうだな。いけ好かない店だとは思うが、個人的な好き嫌いでは商売はできんよ」


 至極真っ当な意見が返ってきた。取引先は好き嫌いでは選べないよな。まあ、俺なら好き嫌いで選ぶけど。


「なるほど。でも、僕はやめておきます」


 きっぱりと断った。


「ブルーノさんも、勧誘する時は慎重にお願いしますね。契約書の内容は自分でも把握して、相手にもしっかりと解説してください」


 日本では、マルチ商法の勧誘には厳しい制限が設けられている。

 たとえば、「勧誘する」という旨を伝えずに呼び出して勧誘する行為はアウトだ。「絶対に儲かる」や「簡単に稼げる」と言って勧誘してもいけない。家で勧誘するのもダメだし、一度断った相手を再度勧誘するのも禁止されている。


 おや? レヴァント商会は全部やっているよ? 酷い業者だ。


 まあ、法律が違うからなあ。この国にはクーリングオフの制度が無いし、怪しい商法を取り締まる法律も無い。詐欺師にとってはイージーモードなんだけど……それでいいのか? これについてもトリスタンに文句を言っておこう。


「うん? どうしてだ? レヴァント商会の営業には、そんなことは言われなかったぞ?」


 ブルーノは不思議そうに言う。どうやら、勧誘方法についてレクチャーされているらしい。それもかなり悪質な勧誘方法だと思う。

 レヴァント商会は、フェアじゃない勧誘方法を推奨しているということだ。いくら法律がないからと言っても、何をやってもいいとはならないんだよ。アホがやりたい放題やるから、法律が厳しくなっていくんだ。


「リスクやデメリットを伝えないのは、フェアじゃないからです」


 俺がそう言うと、ブルーノは鼻を鳴らして呟く。


「ふん、まるでデメリットがあるみたいな言い方だな」


 もしかして、無いと思っているのか?


「ありますよ。この商法でちゃんと稼げる人は、ほんの一握りですから」


「はあ? そんなことは聞いてないぞ?」


 ブルーノは焦ったように言う。


「勧誘のときには言わないですからね。だからフェアじゃないんですよ。契約書をよく読めば分かると思います」


「ええ……? いまさらそんなことを言われても、我々5人はもう入会したぞ……」


 ブルーノを含むコンサルタントの顧客たちは、借り入れの保証人になった際に交流が深まった。今ではプライベートでも遊びに行く仲になっているらしい。みんなで仲良く騙されたようだ。


「ちなみに、どのプランですか?」


「我々は全員プラチナだ。本当はオーナーになりたかったのだが、予算が足りなくてね」


 よりによって一番怪しいプラン。余計な借金を増やさなければいいんだけど……。

 しかし、失敗した。せっかく印刷した広告は、全てカラスに渡してしまった。口頭で注意すれば済むと思ったのに、すでに手遅れだったとは。広告は後で渡すとして、まずは自分たちで気づいてほしい。


「なるほど……。一度皆さんで話し合った方がいいかと思います」


「うむ、承知した。次の飲み会で意見を聞いてみよう」


「そうですね。よろしくお願いします」


 軽く挨拶をしてブルーノの店を出た。



 今日は顧客回りをしようと思っていたけど、予定変更! 今行っても無駄だ。初動が遅すぎたんだ。もう手遅れだった。まあ、まだブルーノたちが大損すると決まったわけではない。もう少し様子を見るべきだろう。

 でも、行き過ぎた勧誘をしたら客が飛ぶ。引き際だけは見極めないと、取り返しがつかないことになるだろう。その前に、どうにかして止めないと……。って、俺には止める義務も権利も無いな。ブルーノたちからしたら、逆に迷惑かもしれない。


 よし。この件については静観しよう。

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