朝帰り
次の日。窓から差し込む光とルーシアの声に起こされた。
「おはようございます。気分はいかがですか?」
ルーシアは驚くほど普通だった。逆に俺は少し気まずい。酔っていたとは言え、おかしなことを口走ってしまった気がする。
「おはようございます。いつもどおりですよ」
とは言うものの、若干アルコールが残っているような気がする。やっぱり飲みすぎたんだな……。
「すぐに帰れそうですか?」
「大丈夫です。少しだけ気分が悪いですけど、すぐに治まるでしょう」
「そうですか……。お水を貰ってきましょうか?」
「助かります……」
漁師町の水は美味しくない。でも、贅沢を言っている場合ではない。それに、少し塩分が含まれているから、逆に好都合かもしれないな。体の水分が足りないときは、塩が入った水の方が吸収されやすいから。
その後、ジェロムから軽い朝食を出された。昨日の残り物だったようなので、遠慮なくいただいた。かなり長居してしまったが、そろそろ本当に帰ろうと思う。
「ジェロムさん、今日は本当にありがとうございました」
「なんの、なんの。昨日は凄いペースで飲んでいたから、少し心配だったのだよ」
そんなに飲んだかな……? いや、飲んだな。
「美味しいお酒でしたので、つい飲みすぎてしまいました」
強さを感じさせない酒だった。危険だが味はいい。でも、ストレートで飲む酒じゃないな。
「それは嬉しい。あの酒も、この漁師町で作っているのだよ」
「そうなんですか?」
「うむ。あの酒は長い年数を掛けて熟成させているのだが、そのために海に沈めているのだ」
沖縄のクースーみたいだ。まあ、味も泡盛みたいだったから、熟成方法も似ているのだろう。
「なるほど。そのお酒も売れそうですね」
「そんなに大量に作っておらんから、今は難しいな……。まあ、考えてみるよ」
とりとめのない世間話をしていると、執事がやってきた。
「ツカサ様。馬車の用意ができました」
ここに来る時も馬車だったが、帰りも馬車だ。ジェロムが手配してくれた。
「ありがとうございます。では、ジェロムさん。お招きありがとうございました。僕たちはこれで……」
俺がそう言って頭を下げると、同時にルーシアが丁寧に挨拶をする。
「泊めていただいてありがとうございました。またお会いできる日を楽しみにしております」
「うむ、またな。フランツくんによろしく言っておいてくれ」
ジェロムに別れを告げて外に出ると、執事はそのまま御者席に乗り込んだ。
「あれ? 執事さんが御者なんですか?」
「左様でございます。予約を入れたのは昨日でした故、本日は御者の都合がつかなかったのです」
予定外の泊まりだったから、御者が間に合わなかったのか。悪いことをしたなあ。
「お手数をお掛けして申し訳ございません……」
「いえ、お気になさらず。こちらこそプロの御者ではございませんので、不手際があるかもしれません。ご容赦願います」
そう言う割には手慣れているなあ。プロの御者の業というのがよく分からないが、素人目には十分な技術を持っているように見える。
馬車に揺られながら街を眺める。今日も朝から10歳くらいの子どもたちが、忙しそうに働いている。
「あいかわらず子どもが多いですね」
ルーシアに話し掛けたつもりだったのだが、執事が割って入った。
「左様でございます。旦那様が身寄りのない子どもを集めておりまして、勉強の傍ら、こうして仕事を手伝っているのです」
執事はまるで自分の手柄かのように、得意げに言う。
俺が住んでいる街にはスラム街がない。それは漁師町が雇っているからだと、以前ルーシアから聞いた。ジェロムの社会貢献の一環だったようだ。
日本では一般的ではないが、海外の成功者は儲かったら社会貢献をしたがる。その価値観は、この国でも根付いているらしい。
「以前聞きました。ジェロムさんがやっていたんですね。ということは、未来の漁師さんたちですか」
人を育てるなら、どれだけでも早いほうがいい。ジェロムのやり方は理にかなっていると思う。
「そうなってくれたら嬉しいのですが、そうでもないのが現状でございます。商人や職人の見習いになったり、剣闘士になる子もおりますので」
「そうなんですか。ちょっともったいないですね」
せっかく育てた人材なのになあ。
「いえ、そんなことはございません。漁師町出身の子どもたちが寄付をしてくださるので、この体制が維持できるのです」
この国では、10歳までの学費を国が補償してくれる。とは言え、生きるためには家や服が要るし食費も掛かる。この子どもたち全員を養うには、相当な金がかかるだろう。寄付がなければ成り立たないだろうな。
自分が世話になった場所に、惜しげもなく寄付ができるような人間は信用できる。もしチャンスがあれば、うちの店で雇いたいくらいだ。
「なるほど。他所に行く子どもは多いんですか?」
「そうですね……。最近、漁師町出身の剣闘士さんが大活躍しておりまして。それで剣闘士になりたがる子は多いです」
剣闘士を志望しているのなら、うちでは雇えないなあ。
「商人になりたいという子はいないんですか?」
「時期によりますね。その剣闘士さんがもうすぐAクラスに上がるらしく、子どもたちの間で盛り上がっているようです。しばらくは剣闘士人気が続くでしょう」
残念。当分の間はスカウトできそうにないわ。
のんびりと馬車に揺られているうちに、店に到着した。もうすでに開店している時間だ。店の中に入ると、メイが忙しそうにバタバタしていた。
「遅くなって申し訳ありません。ただいま帰りました」
「あっ! お帰りなさい! お泊まりだったんですね!」
メイはバタバタと走りながら言う。カフェスペースにはすでに客が入っていて、かなり忙しそうだ。特に予定もないし、手伝った方がいいな。
「ルーシアさん、先に着替えを済ませて、店を手伝いましょう」
「そうですね。メイさん、すみませんけど、もう少し1人でお願いします」
メイにそう言って事務所に入ると、サニアが待ち構えていた。
「あ……おはようございます。遅くなって申し訳ございません」
「それはいいのよ。ツカサくんにちょっと話があるんだけど、今いい?」
うわ……やっぱりきたよ。何を言われるんだろう……。怖いなあ。
「分かりました。ルーシアさんは先に着替えてきてください」
「え? いいですけど……」
ルーシアは怪訝な表情を浮かべながら、休憩室を後にした。そしてサニアが話し始める。
「それで、どうだったの?」
「……何がでしょうか……」
恐る恐る聞く。
「お泊りなんて聞いてなかったじゃない? どういうつもりなのかなぁって思って」
サニアは笑顔で言うが、目が笑っていない。返答に困る。
「すみません。僕の体調に不安があったので、ジェロムさんのところで休ませていただきました」
嘘じゃないよ。『酒に酔って』という部分は言わないけどね。話が拗れそうだから。
「そう。それはいいんだけど、嫁入り前の娘と朝帰りなんて、どういうつもりかしら?」
「えっと……大事な顧客のお宅ですから、おかしなことはしてないですよ?」
信じてもらえそうにないけどさ。こんな言い訳で通るわけがないことは、百も承知だ。
「ううん。それはいいの。いくらでもしてくれていいわ」
「え……?」
「肝心なのは、責任を取る気があるのかってことだけ。どうなの?」
うわぁ……滅茶苦茶面倒くさい。これを言われる気はしていたんだけど、いざ言われるとなあ……。
「……そうですね。前向きに検討させていただきます……」
よく聞く言い回しだが、なかなか便利。直訳すると、『今は考えたくないので先送りさせていただきます』という意味だ。オブラートに包むとこうなる。
「真剣に考えてないわね……?」
そして簡単に見抜かれた。真剣に考える気が無いわけではない。話が急すぎて、整理ができないだけだ。
「真剣ですよ。だからこそ、すぐには答えを出せないんです」
「そう? それならいいんだけど……」
サニアは言葉を詰まらせた。逃げるなら今だ。
「メイさんが大変そうですから、そろそろ仕事をしたいんですけど……ダメですか?」
「……そうね。今日はこのへんにしておきましょう。よく考えておいてね?」
サニアは少し間を開けて答えた。優しい口調だが、目は笑っていない。怖いことこの上ないな……。参った。少しずつ外堀を埋められている気分だ。
ルーシアのことが嫌なわけではないんだけど……そしてルーシアも嫌ではないみたいなんだけど……あとは俺の覚悟の問題だな。マジで真剣に考える時が来たようだ……。とは言え、仕事中に考えるわけにはいかない。夕方の閉店まで店を手伝った。
朝帰りの件について、メイからも多少は突っ込まれたけど、正直何を言われたか覚えてない。サニアから言われたことの印象が強すぎて……。仕事前に話す内容ではなかったな。
閉店の時間が近付き、客が1人、2人と立ち上がり、店から出る。彼らは常連なので、閉店の雰囲気を感じて勝手に帰っていくのだ。よく訓練された客だなあ。楽でいい。
そして最後の客を見送ると、すれ違いで1人が入ってきた。こんな時間に? と思ったのだが、入ってきたのはギンだ。
「お疲れっす」
「お疲れ様です。何か分かりました?」
ギンがここに来る用事と言えば、俺が依頼したチェスターの追跡調査だと思う。
「あ……すんません。今日はそっちじゃないんすよ。明日ナジブの家に行くんすけど、兄さんは大丈夫っすか?」
ナジブはギンの友人で、レヴァント商会の新商品について教えてくれるらしい。情報を得るための大事なチャンスなので、今回は逃せない。
「そうなんですね。もちろんご一緒させていただきます」
「じゃ、朝イチで迎えに来るんで、準備しといてくださいね」
ナジブのことは信用できないが、貴重な情報源だ。話し方がダルいんだけど、そこは我慢だな。でも、ナジブはどこまで知っているんだろう。期待しすぎは良くない。少しでも分かれば満足だ。





