試食会
お魚大好きジェロムからの誘いを受け、新商品試食会に参加する。新商品が無料で食べ放題、しかもご丁寧に送迎付きだ。至れり尽くせりだな。
ただし、今回は仕事のイベントなので、月末ではなく普通に平日に開催される。同行するルーシアとともに、仕事を休まなければならない。
「メイさん、1人でも大丈夫ですか?」
「……大丈夫ですけど……」
メイは心配そうに返事をした。
「サニアさんたちに頼っていいですから、適度に休んでくださいね」
「分かりました。でも……やっぱりお姉さまを選ぶんですね……」
メイは恨めしそうな目で俺を見た。
「何がです?」
「なんでもないです。お姉さま、頑張ってくださいね」
メイがルーシアを見て言うと、ルーシアは緊張した面持ちで頷いた。……俺にはよく分からない合意があったようだ。
「では、送迎の馬車が待っていますので、行きますね」
今回の馬車は、前回ほど豪華なものではなかった。前回よりもゴツゴツしていて、揺れが激しい。でも、フワフワとした感触ではないので助かる。ケツは痛いが、乗り物酔いにはならなかった。
ジェロムの家に到着すると、御者の案内でそのまま家の中へ。ジェロムの目の前まで連れてこられたところで、御者はスッと下がって居なくなった。
案内されたのは、前回と同じ部屋だ。前回設置されていたテーブルと椅子が撤去され、代わりに高めの長テーブルがいくつも設置されている。今回は立食形式だな。
「やあ、いらっしゃい。今日はよく来てくれたね。ところで、その女性は?」
ジェロムはルーシアを一瞥して、不思議そうに言う。
「フランツの代理です。ご招待をいただいて大変申し訳ないのですが、フランツはどうしても外せない仕事がございまして……」
大嘘である。フランツは、ここに来ることを拒否しただけだ。その理由は、おそらくバラムツにあると思う。
バラムツは、少し食べるだけなら大丈夫。でも、食べ過ぎると次の日にケツから脂が流れ出る。腹痛などの前兆がなく、いつ垂れてくるか分からない。おむつをするのが嫌なら、トイレに籠もり続けるしかない。
そしてフランツは、1日の半分をトイレで過ごすことになったのだった……。可哀相に。
「そうか……。それは残念だ。次の日の話を聞かせてもらおうと思っていたのになあ」
おいおい、ジェロムは次の日どうなるか分かっていたのかよ。それならフランツを止めてやれよ。俺には安全ラインが分からないから、止めようがなかったんだ。ジェロムなら止められたはずだ。
「酷いことになっていましたよ……。仕事になりませんから、次からはちゃんと止めてください」
次があるのかは知らないけどね。フランツは物凄く警戒しているから、上手く騙さないと来てくれないと思う。
「うむ。それは悪かった。今日はそのお詫びのつもりでもあったのだが、来られないのなら仕方がないな」
「お心遣い、感謝します」
「まあよい。仕事だと思わずに楽しんでいってくれ。酒も用意している」
仕事中に酒……。まあ、水産加工品は酒のつまみだ。酒が無いと商談にならないのだろう。
「ありがとうございます」
酒を片手に会場を歩く。今日提供されている酒は飲み放題だ。部屋に樽が設置されていて、いくらでもおかわりができる。でも、これはストレートの焼酎だ。飲みすぎたらヤバイ。
「では、さっそくいただきましょうか」
ルーシアと2人で次々に味見をして歩く。アジやサバの開き、イワシの干物……このあたりは定番品だな。次はハタハタの干物だろうか。結構珍しいと思う。
「これ、すごく美味しいですね」
ルーシアはハタハタの干物が気に入ったようだ。味は淡白で、塩味が強め。大人向けの味……というかつまみだな。酒との相性は抜群だ。
そしてトビウオの干物もある。これも淡白な白身だ。酒が進む。
他には、定番のノリの佃煮、小さなエビの佃煮がある。これらは普通に売れそうだ。そして酒が進む。
「どれも美味しいですね。ブライアンさんにでも紹介しましょうか」
「そうですね。……ところで、飲み過ぎじゃないですか……?」
ルーシアは心配そうに言う。そう言えばこれ、何杯目のおかわりだっけ? まあ大丈夫だろ。まだそれほど酔っていない。
「ははは。大丈夫ですよ。ご心配には及びません」
笑いながら次のテーブルに移ると、そこは茶色のドロドロとした生臭いものが……。酒盗か塩辛かな?
その臭いを嗅いだルーシアが、俺の横で吐きそうになっている。
「うっ……なんだか臭いものが……」
ルーシアがそう呟くと、知らないおっさんが近付いてきた。40代くらいだろうか。痩せ型だがガタイがいい。高級そうな生地を使った服を着ていて、いかにも身分が高そうな男だ。
「お嬢さんは酒盗が苦手なのかな?」
ルーシアとおっさんの間に入り、笑顔で話しかける。
「どちら様でしょうか?」
俺がそう言うと、男は上品に頭を下げた。薄くなった頭頂部が見える。短く刈り揃えられた茶色い髪の真ん中で、地肌のクレーターが自己主張している。
「失礼。私、トリスタンと申しまして、評議会の議員を務めさせていただいております」
以前、ルーシアに教えてもらった。評議会とは、この国の国会のようなものだ。議員になれるのは貴族だけで、一般人には選挙権すら無い。ということは、この男は貴族だ。
「失礼いたしました。お顔を存じ上げておらず、申し訳ございません。僕はウォルター商会の店主、ツカサと申します」
「そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ。議員の顔なんて、国民の皆様は興味ないでしょうから」
トリスタンはそう言って笑みをこぼした。もっと偉そうな態度を取られるかと心配したが、かなり紳士的だ。
「あの……ルーシアと申します。失礼しました」
ルーシアが慌てて頭を下げる。
「こちらのお嬢さんは、キミの奥さんかな?」
「奥さんだなんて……そんな……」
「いえ、違うんですけど……。うちの店は少し事情が特殊でして」
まず、部外者の俺が店主をやっている時点で特殊なんだよ。そしてルーシアは本来の店主の娘。そのへんをちゃんと説明するのは、物凄く面倒だ。
「それは失礼。込み入った事情を聞こうとは考えていませんから、お答えいただかなくても結構です。それよりも、ここの商品はお気に召しませんでしたか?」
「いえ、そんなことはありませんよ。珍しい商品だったので、戸惑っただけです」
「なるほど……参考になります。今回の商品は、私も開発に参加したのですよ」
トリスタンがそう言うと、ルーシアが驚いた表情で質問を返す。
「え? 議員さんはそんなことまでなさるんですか?」
「そうですね。どうすれば商売が繁盛するか。それを考えるのが我々の仕事ですから」
今まで過ごしてきた感想だが、この国は商売熱心な人が多いように思う。悪く言えばガメつい。議員からしてこの調子だから、商売が大好きな国民性を持っているのだろう。
とは言え、どれだけ頑張ったところで、売上は自分のものにはならないだろうに。まあ、国民が儲かれば税収が上がるから、間接的には儲かっているんだろうけど。
「大変そうなお仕事ですね……」
「なに、好きでやっていることですよ。人に命令する前に、まずは自分でやってみる。それが私のポリシーです」
「なるほど……。それは僕も共感します」
経営者が全てのことをできる必要なんてないが、従業員が何をしているのかは知らなければならない。手っ取り早く知るために、自分で試してみるのはいい手段だと思う。
「人の上に立つものとして、常に気を付けていますよ。『やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ』と言いますからね」
おっ! 山本五十六じゃないか。
「懐かしい言葉ですね」
「……え? この言葉をご存知で?」
あ……しまった。口が滑った。これは日本の格言だ。この国の人が知っているのはおかしい。そして、俺が知っているのもおかしい。
「いえ。昔、誰かが言っていたのを思い出したんです」
その誰かは存在しないよ。嘘だから。日本に居た時に本で読んだだけだ。
「その方は、今どちらに?」
トリスタンはさらに興味を持ってしまった。絶対、迷い人を探っているよな……。誰かに聞いたのなら、その人が『迷い人』だということだ。まあ、迷い人は俺なんだけど。
「ちょっと思い出せませんね……」
しばらく自分が『迷い人』だということを忘れていた。コータローが居なくなって、話題に上がらなかったからだ。
俺が迷い人だということは、ウォルター一家しか知らない。誰にも知られないようにしてきた。国にバレることだけは避けたい……。もともと、国にバレたくないから隠していたんだ。絶対に自由がなくなるし、俺の過去を聞かれると物凄く困る。
「そうですか。失礼ですけど、ツカサさんはどちらのご出身で?」
だいぶ拙いな。具体的な地名は答えられない。この国の地理は、大まかには教えてもらった。でも、今すぐ嘘で答えるのは不可能だ。絶対にボロが出る。
「ははは。いいじゃないですか」
とりあえず笑って誤魔化した。
「言いたくないご様子ですね……。まあいいでしょう。ウォルター商店のツカサさんでしたね。覚えておきます」
忘れてください。
これは確信しているよな……。深く聞かれなかったのは幸いだが、バレたと思ってよさそうだ。全然良くないけど。
まさか、ただの雑談でバレるとはね。俺に油断があったからだ。もう遅いかもしれないけど、今後はもっと気を付けよう。そして今日はトリスタンを避ける。これ以上一緒に居たら、どんどんボロが出そうだ。
「では、トリスタン様。僕は商談がありますので、商品に集中したいと思います」
「おお、そうですね。お邪魔をして申し訳ありませんでした。それから、『様』は不要です。次にお会いした時は、もっと気軽に接してください」
次があるのか……。参ったな。完全に目を付けられた。まあ、プラスに考えよう。国のお偉いさんに顔を覚えられたんだ。商人としては間違いなく得だ。





