ご機嫌
チェスターから逃げるように、闘技場を後にした。俺には避ける理由は無いんだけど、ルーシアが毛嫌いしているからな。ついでに、チェスターがルーシアを狙っているあたりも鬱陶しい。
ルーシアはいずれ結婚して店を去るのだろうけど……。なんだかモヤっとする。今は考えないでおこう。
――少なくとも、チェスターだけは絶対にダメだ。ブラック企業の経営者と結婚するなんて、不幸になる未来しか見えない。ブラックっぷりが世間に露見したら、社長だけじゃなく家族も針のムシロに座ることになる。
いや、今は考えない。
――ルーシアの結婚相手か……。クソみたいな奴には渡せないよなあ。
ダメだ。妙なことを考えている。俺も気分転換が必要だ。
「どうしたんですか?」
ルーシアが突然話し掛けてきた。俺がぼーっとしているように見えたのだろう。
「いえ、なんでもないです。気を取り直して、どこか行きたいところはあります?」
「そうですね……では、どこかお茶が飲めるところにでも行きませんか?」
「お茶ですか……。それなら、店に帰った方がいいんじゃないですかね」
自慢ではないが、うちの店よりも美味いお茶を出す店なんて、この街には無い。茶葉と水の質が違う。
「それじゃ嫌です。お茶じゃなくても、ゆっくりできるところならどこでもいいです」
ルーシアは不機嫌そうに言う。まだあまり機嫌が良くないみたいだ。
まあ確かに、今店に戻るのは得策ではない。自分の店では気晴らしにならないからなあ。いっそ訓練場で剣を振るのもいいかもしれないが、あそこは俺の知り合いがうじゃうじゃ居るから、イマイチ落ち着かない。
「そうですか……。僕には思いつかないので、どこかいいお店を知りません?」
「分かりました。では、あのお店に入ってみましょう」
ルーシアは、目の前の店を指さして言う。ごく普通の当たり障りのない、可もなく不可もないような食堂だ。日本なら絶対に流行らないであろう見た目だが、それなりに客が入っているらしい。
他に行くあてもないので、その食堂に足を踏み入れた。空いているテーブルを見つけて着席すると、ルーシアが俺の顔を覗き込んで言う。
「ツカサさんは普通に食べられます?」
入ったはいいけど、俺には空腹感は無い。さっき串焼き肉を食べたばかりだ。食べられなくはないけど、1人前が収まるスペースは無い。
「今は無理ですね。軽食とお茶だけで十分です」
「分かりました。では、2人で1つ注文して、一緒に食べましょう」
半分ずつ。それでも食べられるか不安だけど……まあいいか。食堂に入った以上、何も注文せずに立ち去ることはできない。
「了解です」
料理が運ばれてくるまでの間、軽く雑談をして過ごす。
「ところで、ツカサさん……。どうしてあの時止めたんですか? チェスターさんはツカサさんのことを誤解したままですよ?」
ルーシアが不満げに言う。さっきチェスターと対面した時、ルーシアが今の俺の役職を言いそうになった。俺はそれを遮ったので、チェスターはまだ俺のことを見習いだと勘違いしている。
「とっさのことでしたので、つい止めてしまいました。でも、知られない方がいいような気がしたんですよね」
チェスターは敵になる予感がした。そもそも印象が良くないし、さっきも攻撃的な態度だった。敵に情報を与えないのは当然の戦略だ。俺のことを侮ってくれるのであれば、こっちとしては好都合だ。
「そうなんですか……。でも、ツカサさんのことが誤解されるのは、我慢できません」
「役職や肩書なんて、名札みたいなものです。それで中身は分かりません。僕の役職をどう思われようと、関係ありませんよ」
と言いつつも、実際は大いに関係がある。友人関係であれば全く関係ないが、ビジネスとなれば別。役職は相手を知るための重要な情報だ。チェスターに俺の役職を知られると、裏で動きにくくなる。
味方には真実を、敵には嘘を伝えることで、状況を有利にすることができる。でもこれ、逆のことをやりがちなんだよな。
不祥事で必要以上に炎上するのって、たいていこれだから。味方であるはずの仲間や客に嘘をついて、自分を叩いてくる連中に真実を握られる。そうなったらオシマイだよ。
ちなみに、俺は味方には嘘をついていない。都合の悪い真実を伏せているだけだ。
「そうですか……。確かに、チェスターさんには関係ありませんね」
「はい。お仕事が競合しているわけではありませんし、チェスターさんはこの街の住民ではありませんから」
チェスターの本拠地は首都コンシーリオで、この街には支店があるから来ているだけだ。そしてレヴァント商会は食料品店。食器も多少扱っているが、あくまでも食料の延長である。
うちの店からすれば、ライバル店でもないし、協力企業でもない。チェスターとしても、ルーシアのことが無ければ、こちらに関わる理由が無いはずだ。
「だったら、関わってこないでほしいです……」
ルーシアはそう言って、心底迷惑そうな顔をした。
そういえば、レヴァント商会とウォルターは接点が無いよなあ。チェスターは、どうしてルーシアに拘っているんだろう。黙っていれば普通にモテそうな奴だから、ルーシアに執着する意味なんて無いと思うぞ。
「チェスターさんとは、いつお知り合いになったんです?」
「レヴァント商会の先代さんが生きておられた時です。お店同士の懇親会の時に紹介されました。その時はレヴァント商会も小さくて……」
「懇親会?」
商業組合が主催する懇親会は、店主が顔を合わせて酒を飲みながら無駄話をするという苦行のような会合だ。俺は行きたくないので、ウォルターに参加させている。ウォルターは楽しんでいるみたいだけど、俺はゴメンだね。
「商業組合がたまにやっている懇親会って、昔は家族みんなで参加していたんですよ。賑やかで、結構楽しかったんです」
ルーシアは寂しそうな表情を見せた。懇親会って、昔は祭り的な何かだったのかな。やっぱり俺は苦手だけど、普通に喜ばれそうなイベントだ。
でも、そこで紹介されたとあっては無下にもできないか。俺が苦手な理由はそういうところなんだよな。この手の会合って、忖度の塊だと思うよ。たとえ嫌なことがあっても、表面上は笑顔で取り繕わないといけないから。
「なるほど。そういう事情でしたら、縁を切るのは難しいですね……」
会話をしているうちに、料理が運ばれてきた。この時間に開いている食堂は、朝食を提供する食堂だ。この国では朝食が一番重くて、やっぱりここでも量がエゲツない。日本のディナーでも「えっ?」と思う量の料理が、次々に運ばれてきた。
メインの料理はパスタだ。細長いスパゲッティに、これでもかというくらいミートソースが掛かっている。それが山盛り。少し減らしてもらえば良かった……。
「あの人の話をしていると、ご飯が不味くなります。この話は終わりにしましょう」
ルーシアは、そう言ってスパゲッティを口いっぱいに頬張った。さっき串焼き肉を食べたばかりだと言うのに……よく食べられるな。
「量がヤバイんですけど、ルーシアさん、食べられます?」
「え? 普通ですよ? ツカサさんこそ、全然食べませんよね……。いつも思っていたんですけど」
ルーシアはあっけらかんとして言う。絶対普通じゃない……。俺は胃が小さい方だとは思うが、ルーシアもかなり食べる方なんじゃないかな。どうして太らないのか。不思議で仕方がないぞ。
「ははは。ルーシアさんが食べられるのであれば、問題ありません」
笑って誤魔化した。量はどうあれ、出された料理を残すのは気が引ける。いざとなったら俺が無理して食べるけど、ルーシアが食べてくれるのなら有り難い。
「あの、ずっと聞きたかったんですけど……」
ルーシアが突然真剣な顔をして聞いてきた。
「どうしました?」
「ツカサさんのお歳って、本当に30歳なんですか?」
「不思議なんですよね。本当に30歳なんですけど、会う人全員に驚かれます。それがどうかしました?」
「……30歳って、結婚していないとおかしいお歳ですよね? そのお歳で結婚をしていない人は、結婚する気が無い人ですから……。ツカサさんはどうなんですか?」
ルーシアは気まずそうに言う。
俺がウォルターの店に来てから結構経つが、こんなことが話題に上がることは無かった。まあ、気軽に聞けることではないからなあ。これを普通に質問できるのは、ウルリックくらいだろ。
「する気が無いわけではないんですけど、30歳で未婚は日本では普通ですよ」
「そうなんですか……。では、お相手は居ないということでいいんですね?」
「まあ、そうですね。でも、改めて聞くようなことではないでしょう。もし居れば、そう言っています」
そんなこと、今までの俺の言動で分かりそうなものだ。でも、ルーシアは身近すぎて聞きにくかったんだろうな。毎日顔を合わせるのが当たり前の人が相手だと、プライベートなことは逆に聞きにくい。
「ふふふ。それを聞いて安心しました。あ、これ貰ってもいいですか?」
ルーシアは優しく微笑みながら、添えてあったミートボールを指さした。すっかり機嫌が良くなったみたいだ。一安心だな。
でもギブ。俺はもう食えない。
「どうぞ。僕はもう食べられそうにありませんから」
そうは言ったものの、俺はかなり少食みたいだ。ルーシアを見ていると本当にそう思う。この国での生活は体力を使うから、もっと食べた方がいいのかな。
幸せそうに食べ続けるルーシアを眺め、時が過ぎるのを待った。食べすぎて苦しい……。俺の胃よ、早く消化してくれ。
しかし、チェスターがあんな場所に居たのはなぜなんだろう。剣闘士観戦が趣味なのなら、この街じゃなくてもいいはずだ。首都にも闘技場はあるし、こんな田舎街の闘技場より、よっぽど賑わっているだろうに。
元レヴァント商会従業員のメイなら、何か知っているかもしれないな。後で聞いてみよう。





