ギャンブルと戦略
印刷工房は上手く回り始めた……のかな? 視察を終えた感想は、『なんだか危なっかしい』である。心配事は尽きないが、頑張ってもらうしかないな。
仕事も落ち着いて、少し余裕が出た。今日は以前から行こうと思っていた、闘技場に行こうかと思う。二度目の観戦だ。マルコの様子が知りたい。
朝食を食べ終えた時、ルーシアに話し掛けられた。
「ツカサさん、今日は忙しいですか?」
「いえ、忙しくはないですよ。どうかされました?」
「今日はお休みをいただこうと思っていまして……。何かお手伝いすることはありませんか?」
俺の手伝い? 休みの日にすることじゃないだろ。普通に休めよ。でもまあ、今日は闘技場に行くつもりだった。休みだというのなら、連れて行ってやるか。
「ルーシアさん。先日、闘技場に行ってみたいとおっしゃっていましたよね」
「あ、はい。ツカサさんとでしたら、行ってみたいです」
「マルコくんの試合を見に行こうかと思っています。一緒にどうです?」
「あ……行きたいです!」
俺の問いかけにルーシアが答えると、近くに居たメイが手を挙げた。
「え? あたしも……」
「メイさんはお仕事があるでしょう?」
ルーシアがメイに諭すように言う。
「ズルい……」
そう言われてもなあ。ルーシアは、メイが居るから休めるんだ。メイまで休んでしまったら、店が回らなくなる。
「まあ、メイさんもお休みの日に行くといいですよ。意外と楽しいですから」
恨めしそうな目で見送るメイを尻目に、闘技場にやってきた。今日は前回よりも混んでいる気がする。
今日のマルコの試合は、Cクラス乱闘戦というバトルロワイヤル方式の試合だ。複数の剣闘士が同時に闘技場に出て、みんなで殴り合うという非常に野蛮な勝負である。配当金が高くなるので、1対1の勝負よりも人気があるらしい。
どのクラスの剣闘士が何人が参加するかは毎回違う。今回はCクラス限定の6人だ。マルコはCクラスの中では強い方らしいので、頑張れば勝てると思う。
「ツカサさん、これってどういう意味ですか?」
ルーシアは、倍率が張り出された掲示板を眺めながら俺に言う。ルーシアはここに来るのが初めてなので、ルールがよく分からないのだろう。俺も初めての時は迷った。
「賭けた額が何倍になるかという目安です。勝てば倍率かける賭け金の金額が返ってきます」
「負けた場合は?」
「ゼロですね。何も返ってきません。投票券がゴミになるだけです」
無価値になった投票券が、怒号と共に観客席に舞う。大穴が勝った時なんて、なかなか壮観だと思うぞ。桜の花が舞うように、投票券が舞い上がる。
「なかなか厳しいですね……」
現在のマルコの倍率は8.2倍。なかなかな高配当だな。
バトルロワイヤル方式で高配当が付くのは人気の証拠だ。最初に集中攻撃を受けやすいからである。マルコは要注意としてマークされているので、おそらく真っ先に狙われるだろう。強い人ほど高配当になるのも興味深い。
とりあえずマルコに1万クランを賭けて、観客席に移動した。
「ルーシアさんは投票券を買わなかったんですね」
「買わないとダメなんですか?」
ルーシアは不安げな表情を浮かべた。
「大丈夫ですよ。買わなくても観戦できますから。それに、賢明な判断ですね」
「え? どういうことですか?」
「これは儲かる類のものじゃないですから。僕はマルコを応援するつもりで買っています」
「でも、勝てばお金が入ってくるんですよね? さっきから『投資』という声が聞こえてきますけど……」
投票券を買っている人たちの中には、投票することを『投資』と呼ぶ人がたまにいる。さっきも居た。予想をしながら「こいつに投資だぁ!」と元気に叫んでいた。だが、賭け事は投資ではない。
「ちょっと勘違いしている人がいるみたいですね。投資とは、リターンが見込める時に使う言葉です。マイナスサムゲームで運の要素に左右されるものは、投資とは言いません」
「まいなすさむ?」
「期待値がマイナスとも言いますね。参加者が払ったお金が、トータルの配当額よりも多いという意味です。投票券の売上から運営費を出しているので、トータルではマイナスなんですよ。普通の人は、やり続ければ負けます」
投資でも、多少は運の要素が絡む。それは仕方がないのだが、ギャンブルと投資は決定的に違う。ギャンブルとは、参加者同士で金を奪い合う行為。投資とは、新しい何かを創造して利益を得ようとする行為だ。
まあ、中にはギャンブルを『利益を出す投資』として成立させている猛者も居る。勘が鋭くて知識が豊富な人間なら、ギャンブルで勝ち越すことは可能だ。しかし、そんな人はほんの一握り。多くの人は、やればやるほど負ける。
「なるほど……。でも、それならどうしてこんなに流行っているんですかね……」
「楽して儲かるような気がするからじゃないですか? 勝ち続けようと思ったら、物凄く大変なんですけどね」
「ああ……そうかもしれませんね」
日本で最も普及しているギャンブル、宝くじ。ほぼ確実に負けるのに、人はなぜかせっせと買い漁る。俺には不思議で仕方がない。宝くじが当たるより、買いに行って事故に遭う確率の方が高いのに。
さらに、宝くじの還元率は50%未満だ。仮に1億円の売上だったとすれば、配当するのは5000万円にも満たない。それを少ない当選者で分けるのだ。これでどうやって勝てと?
まあ、宝くじは極端な例だが、ギャンブルは儲けるつもりでやってはいけない。ただの娯楽だ。
「なんにせよ、過ぎたギャンブルは身を滅ぼします。下手に手を出さない方がいいんです」
「そうですね。やっぱり、私はあまり興味が湧かないです」
ルーシアはそう言って、渋い顔をした。
剣闘士は金の掛かりそうな趣味だからなあ。ハマらないに越したことはない。
そうこうしている間に、剣闘士がスタンバイしていた。前回と同じように、闘技場の真ん中で顔を合わせている。前回と違うのは人数だ。6人が円になって、睨み合っている。ドミニクのような、おかしなパフォーマンスをする人は居ない。
「開始!」
審判らしき人の合図で、戦いが始まる。すると、ルーシアが少し興奮した様子で呟いた。
「始まりましたね……!」
俺は無言で闘技場の中心を眺める……。
案の定、開始早々マルコが囲まれた。5人から集中砲火を受けている。マルコ対他5人だ。マルコは闘技場の中心に立ち、剣闘士から浴びせられる攻撃に、必死で耐えている。
――いやいや、何をド真ん中で受けているんだ! 壁を背負え! 囲まれて背中から攻撃をされたら、避けようが無いだろうが。
マルコが後ろに気を取られているスキに、正面の敵が大げさに剣を振った。剣はマルコの腹に当たり、鎧から火花が散る。正面からの攻撃をまともに受けたマルコは、転がって壁にぶつかった。
――よし。壁際に寄った。相手は大振りできなくなったから、マルコは小さくチマチマと斬りつけるんだ。体にダメージが無くても、精神力は削れるはずだ。鬱陶しいからな。
と思ったら、マルコは闘技場の真ん中に向かって走り出した。そして、敵に囲まれた位置で剣を構え直す。
――って! おい! どうしてまた真ん中に行くんだ! そのまま壁を背負っておけば、楽に勝てるだろうが!
と真剣に観戦していると、ルーシアが苦笑いを浮かべて話し掛けてきた。
「楽しそうですね……」
「何がですか?」
「ツカサさんですよ。なんだか楽しそうです」
そんなに楽しそうだったかな……。その自覚は無いぞ。しかし、ルーシアが少し退屈そうだ。
「すみません。分からないことがあれば、解説しますよ?」
「大丈夫です。楽しそうなツカサさんを見ているだけで、私は満足ですから」
ルーシアは、そう言って笑顔を見せた。
「そうですかね……」
俺じゃなくて、剣闘士を見なさいよ。せっかく来たんだから……。まあいいか。マルコの試合はもうすぐ終わる。
マルコは敵に囲まれたまま、必死で耐えている。攻撃を仕掛ける余裕が無いみたいだ。あ……また直撃を受けた。マルコは衝撃で転がって、包囲を抜ける。止まった先は、正面に居た敵の背後だ。
――よし! 背後に回った! 不意打ちのチャンスだ! 1人は確実に潰せる!
俺の思いとは裏腹に、マルコはその場で立ち上がってのんきに剣を構え直した。その間に、マルコは再度包囲される。
――何をやっているんだ……。呆れて言葉を失った。
敵の数が多くて逃げられない時は、とにかく相手の頭数を減らすことが重要だ。これが実戦なら逃げるのがベストだが、今は勝つ方法を考えなければならない。
今の場合、俺だったら一番弱いやつを真っ先に潰す。回りの人間が引くほど徹底的に殴る。誰もがやりすぎと思えるくらいタコ殴りにすれば、確実に相手の士気が下がるからな。戦力を削ぎながら総合的な攻撃力を落とせるため、とても効果的だ。
このまま真ん中で集中攻撃を受け続ける限り、マルコには勝ち目がない。残念だが、1万クランは諦めよう……。
そしてトドメの一撃。マルコは5人の猛攻撃を受けて、倒れた。
大歓声が巻き起こる中、マルコは自力で立ち上がってリタイアを宣言した。幸い、マルコは大きな怪我をしなかったようだ。
「終わりましたね」
そう言って、ルーシアを見た。
「残念でしたね……。でも、マルコくんは大丈夫でしょうか……」
ルーシアは心配そうに呟く。
「立ち上がっていましたから、大したことはないでしょう。負けたのは残念ですけどね……」
他の参加者は大したことが無かったので、数さえ減らせば余裕で勝てるはずだった。あいつには戦略が必要だ。馬鹿正直に突っ込むから、勝てる試合も勝てなくなったんだ。まったく、ムスタフは何を教えているんだよ。
これでマルコの評価が下がらなければいいんだけど……。少なくとも、俺からの評価は下がったぞ。他の観客はどう思っているんだろう。少し噂を聞いてから帰ろう。





