春よ来い
ロブの面接は思ったよりも時間が掛かってしまった。これ以上ライラを待たせるのは拙い。なんせ、一緒に居るのはあのウルリックだからな。
ウルリックの工房に入ると、作業用のカウンターにライラとフランツが並び、熱心に話し込んでいた。
「ほら、そこで主人公があの選択をしたから、上手くいったんだって」
「そんなことないよ。ヒロインが陰からサポートしてたの。分かんない?」
短い間に、ずいぶんと仲良くなっているな……。というか、フランツはここに残ってウルリック対策をしていたのか。だったら、ここまで急がなくても良かったのかなあ。
ウルリックを探すと、部屋の隅っこでバツの悪い表情を浮かべ、壁にもたれかかって座っている。
「ウルリックさん、何があったんです?」
近付いて話し掛けた。
「いや、悪い。あの2人に、おっさんの小説を見られた」
ウルリックの言葉に、視線をカウンターに向けた。どうやら、あの2人はウォルター物語 (仮)の感想を言い合っているらしい。
「拙いですね……。でも、名前は変えてあるんでしょう?」
量産にあたり、登場人物の名前は全て変更するように言った。修正されているのなら、フランツに見られても大丈夫だろう。
「ああ。言われた通り、当たり障りのない名前に変更してある」
「じゃあ問題ないです。どうせ売るつもりでしたからね」
「そうか。じゃあ大丈夫だな。よし、気を取り直して仕事に戻るか!」
ウルリックは意気揚々と立ち上がった。切り替えが早いな……。仕事を始める前に、見習いの2人を紹介しなければ。
「それはそうと、今日お連れした2人なんですけど」
「ああ、見習いなんだってな。助かるぜ。それで、あっちの坊主は誰だ?」
ウルリックは、ロブを指さして言う。そのロブは、工房内を落ち着き無くウロウロしている。
「彼も見習いです」
「はあ? 2人も居るのか?」
「そうですね。単純作業を振るだけでも、作業は楽になると思います」
「いや、それはそうだが……2人も同時に面倒を見る自信は無いぜ?」
ウルリックは面倒そうな表情を浮かべ、腕を腰に当てた。確かに、一から教えるとなると2人同時はキツイ。だが、2人にやらせる仕事は主に雑用だ。細かい指導はいらない。
「印刷について細かく教える必要はありません。刷りと掃除を任せるだけです。版組は、今までどおりウルリックさんが担当してください」
「にしてもよ、印刷機は1台しかねえんだ。1人は余るぜ?」
「もうすぐ2台目が届きますので、心配ありません」
2台目の印刷機はまだ完成していないけど、それでも1人余る事態にはならないんじゃないかな。掃除などの雑用だけでも、結構大変だと思う。
「なるほどなあ。それならいいか」
ウルリックと話をしていると、ロブの声が聞こえてきた。
「なあ、いつまで待たせるんすか?」
ロブは勝手にカウンター席に座り、退屈そうに足をぶらぶらさせている。
「お待たせしてごめんなさい。ロブには、今日からここで働いていただきます」
「なんとなく分かってたけど、ここかあ。なんか殺風景っすねえ」
ロブは辺りをぐるりと見回して言う。この工房は、前オーナーが逃げた時に空っぽにされた。机や棚などの調度品は何もない。フロアは広いのに、床の上にあるのはゴミばかりだ。
そのうち什器を入れようと考えていたのだが、活字に金を掛けすぎてその余裕がなかった。しばらくはこのままだな。
「いずれ何かを買おうと思っています。それまでは我慢してください」
「そんなんは全然いいっすけど、そのおっちゃんは誰?」
「おいコラ、クソ坊主。誰がおっちゃんだ? お兄ちゃんだろう?」
ウルリックがロブを威嚇する。元剣闘士だけあって、なかなかな迫力だ。しかし、ロブは平然としている。本当に図太いやつだなあ。ケンカにならないうちに紹介しておこう。
「彼がここの工房主の、ウルリックさんです。彼の言うことをよく聞いてくださいね」
「へえ……? うぃぃっす! ロブでーす! よろしく!」
ロブはそう言って、自分の顔の前でピースサインをした。さっきもそのポーズをしていたが、ロブの定番なのかな……。客前でやらなきゃいいんだけど。まあ、こいつが客前に立つことは無いか。
「なんだ、生意気なガキだな。親から挨拶を習わなかったのか?」
ウルリックは不機嫌そうに言う。
「ええ? あの頭を下げるやつ? あの挨拶、カッコ良くないんすよね」
「お前なあ……さっきのポーズの方がヤベェぞ。アホかと思った」
「マジっすか? 昨日頑張って考えたのに……」
ロブはがっくりと肩を落とした。さすがウルリックだ。言いにくいことをズバズバと言ってくれる。この2人、案外いいコンビになるかもしれないな。
ウルリックと話をしている間にも、ライラとフランツは2人で盛り上がっている。話題はまだウォルター物語についてだ。
「『彼』がいい味出しているのよね。絶妙なタイミングで手を差し伸べるの」
「そうそう。2人の邪魔にならないように、さりげないんだよね。その男らしさがかっこいい!」
2人は身振り手振りをしながら、楽しげに議論している。短い間にタメ口になってるな……。
「でも……このあと、2人はどうなったのかな」
「それを想像するのが面白いんじゃん」
あの後のことは、フランツがよく知っているだろ。お前とルーシアが生まれたんだよ。
「大商会になるのかなあ……?」
残念。十数年後に潰れかけて、怪しい異邦人に乗っ取られたよ。
「それはどうだろう。案外、小さい店のままのんびりとやっているかもね」
惜しい! 小さい店のままだが、のんびりとはできていないぞ。毎日大忙しだ。まあ、ウォルターは遊び回っているけどな。
「それもいいよね。この2人なら、店が小さくても楽しそう。あたしもこんな結婚をしたい!」
「うん。それは俺も思う。父さんたちを見ているみたいだ」
大当たり! お前の両親の話なんだから、そう思うのも当然だ。
この2人、物凄く気が合っているみたいだけど……。
万が一この2人が結婚するようなことになった場合、2人を取り持ったのは両親の恋愛物語ということになるのか。このことを知ったら、物凄く気まずいんじゃないかな。幸せなのか不幸なのか、よく分からない話だ。まあ、万が一の話をしても仕方が無いか。
2人の微笑ましい様子を眺めていると、ウルリックがうんざりしたような口調で話し掛けてきた。
「なあ、ツカサ。そろそろ仕事をしてえんだけど」
「そうですね、すみません」
うっかり2人の観察に夢中になっていた。今は仕事中だ。無駄話は仕事が終わってからにしてもらおう。
「フランツさん、ライラさん。歓談中失礼します。そろそろ仕事の説明をしますよ」
「あっ! はーい!」
フランツがビクッっとして返事をすると、ライラも慌てて立ち上がった。
「すみません、今行きます! フランツくん、この話はまた後でね」
ライラが優しく言うと、フランツは上機嫌に大声を上げた。
「ああ。この小説について語り合うには、こんな短い時間ではダメだ! 休みを合わせて、じっくり話し合おう!」
是非そうしてくれ。今は仕事中だ。フランツだって、やるべきことが残っているだろう。
「あとは僕が引き受けます。フランツさんは先に帰っていてください」
「それはいいんですけど……」
フランツはそう呟くと、俺に近付いて耳打ちをする。
「ツカサ兄さん、こんな面白い小説を隠しているなんて、酷いですよ。印刷は僕に任せてくれるはずだったじゃないですか」
なんだか不機嫌そうだ。さっきはあんなに上機嫌だったのに。この小説を隠していたことが気に入らなかったらしい。
「すみません。ちょっとワケありだったんです。拙い部分は修正できましたから、あとはフランツさんにお任せできると思いますよ」
「やった! ありがとうございます! できれば作者さんにお会いしたいんですけど……」
「それは無理ですね。会わない方がいいと思います」
「……なるほど。ツカサ兄さんのお知り合いって、危ない人が多いですもんね……」
フランツはおかしな誤解をしているらしい。これを書いたのはウォルターの友人であって、俺は会ったことがない。そして、俺の知り合いは危なくない。ギンとかカラスとかドミニクとか、ちょっと変なやつなだけだ。
まあ、誤解させておいた方が都合がいいかな。きっとこの作者は、フランツに会ったら全て正直に話すだろう。面白がって。そうなると、フランツはこの小説を素直に楽しめなくなってしまう。俺なりの優しさだ。
フランツが出ていくのを見送っていると、ウルリックから質問がきた。
「それで、2人ともここに住むのか?」
「あ、そうですねえ……。ライラさんは通いになると思います。近所ですから。ライラさんはそれでいいですよね?」
「はい。大丈夫ですよ」
ライラは笑顔で答えた。
本来なら俺が家賃を払わなければならないのだが、ライラの家はうちの持ち物なので特に問題ない。少し家賃を下げるだけだ。それよりも、ウルリックと同じ建物で寝泊まりさせるのが、どうしても心配だった。危害を加えられなくても、ストレスがヤバそう。
ライラはこれでいいとして、ロブだな。
ロブは着の身着のままやってきた。服や日用品は、全て俺が面倒見なければならない。まあ、それが雇い主の義務なんだから仕方がないな。
「とりあえず、ロブはここに住んでください。日用品は後ほど支給します」
「うっす」
「部屋は余っていますよね?」
ウルリックにそう訊ねると、ウルリックは胸を張って言う。
「ああ、大丈夫だ。ちょっと散らかっているがな」
どうして? 使っていないはずなのに、いつ散らかしたんだよ……。まあ、掃除はこの2人の仕事だから、いいだろう。
若干の不安は残るものの、ウルリックは上手くやってくれそうだ。ライラも、今のところは問題無さそう。フランツと仲良くなったみたいだから、ライラの相手もフランツに任せていいかな。フランツには、見習いからのクレーム担当として頑張ってもらおう。





