間が悪い
イヴァンの家に到着した。ここはイヴァンの事務所とパオラの工房が入っていて、普段はパオラと娘のライラが働いている。イヴァンは昼間のうちに外回りをしているので、イヴァンと会うことは少ない。
今日もパオラとライラが居るだけだろう。そう思って扉を開けたのだが、俺の予想に反してイヴァンと鉢合わせることになった。
「あれ? こんにちは。珍しいですね」
イヴァンの姿を見て、思わず声が出た。イヴァンは椅子に座り、なにやら書類と格闘していた。おそらく帳簿の記入だろう。
イヴァンは俺の声にビクッと反応したが、すぐに穏やかな表情を作って挨拶を返す。
「あ、こんにちは。ご無沙汰しております。何か御用ですか?」
「いえ。近くまで来たので、寄らせていただいたんです」
俺がそう言うと、イヴァンはすっと立ち上がって俺が座るための椅子を準備した。無言で差し出されたその椅子に座る。すると、イヴァンは申し訳なさそうに話し始めた。
「そうでしたか……。店主さんはたまに顔を出されるんでしたね。毎度不在で申し訳ありません」
「いいんです。アポなしで訪問しているのは僕ですから」
視察は抜き打ちじゃないと意味がないので、敢えてアポを取らないようにしている。イヴァンが不在なことは多いが、それだけ働いているということだから問題ない。
まあ、どこかでサボっているかもしれないけどね。それでも売上は出しているので、文句を言うつもりはない。
「私からご挨拶に行くべきだとは考えていたのですが、すれ違いが多いようで……」
イヴァンは商品の引き取りと売上の報告のために、頻繁にうちの店に来ている。だが、俺が外回りをしている昼間に来るので、全く顔を合わせない。
「それは仕方がありませんよ。お互い忙しいのですから、良いことじゃないですか」
「そう言っていただけると助かります……」
イヴァンはそう言って、気まずそうに頭を下げた。
しかし、俺は直接報告されなかったことを責めるつもりはない。間接的にだが真面目に働いていることは分かっていたし、報告のために売上が減るようでは本末転倒。不要不急の会議なんて開くつもりはない。時間の無駄だ。
ただまあ、せっかく久しぶりに会ったのだから、近況を聞いておきたいな。
「それはそうと、お変わりはありませんか?」
「はい、滞りなく。おかげさまで、売上も順調ですよ。ウォルター商店の商品は、どれも安くて良いものばかりですから」
「それはありがとうございます」
うちの商品はウォルターが仕入れたものなので、ウォルターの手柄でもある。本人に言ったら喜ぶだろうな。
イヴァンが売っているのは、うちの店で扱う全ての商品だ。と言ってもうちの従業員ではなく、フリーの営業マンという立ち位置である。うちと同じ価格で売ってもらい、利益の一部を手数料として支払っている。
完全歩合制のこの方式だと、毎月の収入が安定しないかわりに、働けば働くほどイヴァンの収入が増える。そのため、俺はイヴァンの邪魔をしないように気を付けている。
少しの間沈黙が続くと、イヴァンがゆっくりと口を開く。
「ところで、例の食器セットはもう仕入れないのですか?」
イヴァンが言うのは、フランツが勝手に仕入れてきた、珍しいスプーンとフォーク、ナイフのセットだ。半分以上は俺が気合で売ったが、残った在庫は全てイヴァンに丸投げした。フランツが修行先で仕入れたものなので、この街では手に入らない。
「無理ですね。最初に説明した通り、手に入りにくいものなんです」
「そうですか……。残念です。贈答品として、かなり人気の商品だったんですよ」
余った食器セットは、イヴァンが箱詰めして売り切ったようだ。そんなに売れるなら、俺が無理して売らなくても良かったのかな……。まあ、あの時は勝負の最中だったしなあ。
なんにせよ、食器セットは人気商品の1つだったらしい。在庫切れは良くないな。俺の計算では、箱はいくらか余っているはず。うちの定番商品を詰めて売ればいいんじゃないかな。
「うちの在庫ではダメなんですか? 箱に入れれば贈答品になるでしょう?」
「それがですね、寸法が合わなかったんです。どうにか工夫して詰めたんですが、箱の在庫も尽きました」
あ……あの食器セットに合わせて作ったから、汎用性が無くなっちゃったのか。計算外だ。
しかし、俺が想像したよりも早く売れたみたいだな。箱の作りは単純だから、すぐに作ってもらえるとは思うんだけど……正直面倒。
レベッカに注文して、引き取りに行って、イヴァンに届けなければならない。想像しただけでも面倒だ。
「箱を作った工房にお願いしてください。僕の名前を告げれば、追加で作ってもらえると思います」
「え? こちらで勝手にやっても良いのですか?」
イヴァンは意外そうな顔をした。おそらく、箱の利益のことを気にしているのだろう。俺を通して注文すれば、箱代に多少の利益を乗せることができる。
しかし、俺はそんな微々たる収益を望んでいない。注文して配達する手間を考えると、直接取り引きしてもらった方がずっと安上がりなんだよ。どうせ中身はうちの店の商品なんだから、うちの利益は確保されている。
「問題ありません。今後は直接お願いしてください。サンプルを持っていけば、合うように作ってもらえますよ」
「ありがとうございます。そうさせていただきます」
イヴァンはそう言って頭を下げる。ここでふと思い出した。イヴァンが最も良い反応を見せたのは、香り付きの箱だ。あの箱の仕上げ油は俺が作ったもので、今は在庫がない。
仕上げ用の油にエッセンシャルオイルを添加するだけなのだが、仕入れにちょっと時間が掛かる。
すっかり忘れていたが、レベッカにも渡す約束をしていたな。大量に作ってイヴァンに渡してもらおう。そして作るのが面倒なので、これもカレルに作らせる。匂い関係は全部カレルに任せようかな。管理が楽だから。
「言い忘れていましたが、香り付きの箱は仕上げの油が特殊なので注意してください。後日お渡しします」
「承知いたしました」
用件はこれだけ。イヴァンは待遇や建物に不満が無いみたいだから、そろそろ帰ろう。長居をしてもイヴァンの邪魔をするだけだ。
「では、今日のところはこのへんで……」
そう言って席を立とうとしたら、工房の扉が開いてライラが入ってきた。
「お茶をお持ちしました」
まただよ。毎回毎回、本当にタイミングが悪い。まるで狙ったかのように、帰り際にお茶を出す……。
「ありがとうございます。いただきます」
急ぐ用もないので、笑顔でお茶を受け取った。すると、イヴァンが何かを思い出したかのように口を開く。
「あ、店主さん。恐れ入りますが、ライラの見習い先に、心当たりはございませんか?」
「見習い? 工房のお手伝いはいいんですか?」
「はい。我々も仕事にも慣れてきました。マルコもたまに手伝ってくれますし、夫婦2人でなんとかなります」
「すみません。行くあてが無くて……」
ライラはバツの悪い顔をして、言葉を詰まらせた。見習いに行かないということに問題があるようで、かなり焦っているらしい。
この国では、見習い期間の有無でその人の評価が大きく変わる。見習い期間は他所の店に行くのが一般的で、自分の親の店しか知らない人は低く見られるそうだ。
なんでも、「他所の店を知らない人間は視野が狭い」と思われる風潮があるという。見習い期間が終わった時に退職する人が多いのは、こういった考え方があるからだ。この考え方には同意するが、雇い主としては辞められると困るよなあ。
ちなみに、フランツは親元で見習い中だが、実際は『他所の店で見習いをしてから親元で修業し直している』という状態。他所の店で見習いをしていない人とは違う。
でも、どうしようかな。印刷工房で人が足りていないんだけど、ウルリックが心配だ。デリカシーが無さすぎて、女性に薦めるのは心苦しい。
仕事はそんなにキツくない。キツイのは上司だ。ウルリックのデリカシーのない言動で、毎日ちょっとイラッとする。
「なるほど。一箇所だけ心あたりがあるんですけど、女性にはお薦めできないかもしれませんね……」
「どんなところでも大丈夫です!」
ライラは強い口調で言う。ライラは真面目で丁寧で、俺の中での印象は悪くない。ちょっと間が悪いが、それを除けば申し分ない人材だ。それだけに、ウルリックのもとに送るのが憚られる。
「そうは言いましても……」
「力はありますし、体も丈夫です! どんなに酷い環境でも働けますよ!」
そんなことを言ったら、ブラック企業に送り込まれるぞ。少しは選べよ。でもそれだけの覚悟があるのなら、なんとかなるかもしれないな。それに、女性と一緒に働けば、ウルリックも少しはマシになるかもしれない。
「そこまで言うのなら、いいでしょう。途中で投げ出しても大丈夫ですから、キツかったら正直に言ってくださいね」
「ありがとうございます! 頑張ります!」
仕事の内容とか勤務地とか、何も説明してないんだけど……いいのかな? まあいいか。本人は相当焦っているみたいだし、本当に選んでいる余裕が無いのだろう。
「分かりました。よろしくお願いします。準備ができたらうちの店に来てください」
ライラに向かってそう言うと、イヴァンはゆっくりと立ち上がって深々と頭を下げた。
「見習い先を紹介していただき、誠にありがとうございます」
「こちらも人を探していましたからね。むしろちょうどよかったですよ」
ただ、派遣先がなあ……。印刷工房なのが気になる。エマの工房とかカレルの工房なら、もっとすんなり紹介できたのに。この2つの工房も、近々従業員が必要になると思う。それまで待てるのなら、そっちの方が良かったはずだ。ライラは絶妙に間が悪いなあ。
……あ、ブライアンの店とかでも良かったのか。あっちも人手不足だったような……。ま、決まったことだ。ライラには印刷工房で働いてもらおう。





