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飯テロ

 ジェロムの挨拶で会食がスタートした。ジェロムがパンパンと手を叩くと、給仕の女性が湯呑のような器を各席に配る。同時に、ジェロムから説明が始まった。


「まずは食前酒を。これは魚のヒレを炙って入れたもの……。まあ、うちの定番だから、説明は要らんだろう」


 ヒレ酒だ。まあ、定番といえば定番だな。ヒレの形と模様から察するに、これはトラフグだ。トラフグは皮に毒がなく、ヒレ酒に最も適していると日本で聞いた。食前酒から、思わぬ高級品が飛び出したぞ。


 ヒレ酒が行き渡ったところで、ジェロムが立ち上がった。乾杯の合図があるようだ。


「乾杯!」


 ジェロムの合図とともに、全員で酒に口をつける。


 うわっ! 強っ! これ、焼酎だな……。空きっ腹には強すぎる。まあ、美味いけど。


 フランツが気になってちらりと見ると、美味しそうに口をつけている。ただ、中に浮いているヒレが気になるらしく、ジェロムに訊ねた。


「これ、なんのヒレなんですか?」


「フグだ」


「ブフォッ!」


 フランツが突然吹き出し、ヒレ酒がテーブルに散る。汚すなよ……。


「どうしました?」


 俺がそう聞くと、フランツは涙目になりながら怒鳴る。


「ちょっと! 猛毒じゃないですか!」


「よく知っていますね。でも、毒のある部位を取り除けば、美味しい魚なんですよ」


「ぬふふふ。ツカサくんこそ、よく知っているねえ。うちの秘伝の技術で、毒を取り除くことができるのだ」


 秘伝って……。そんな重要な技術を隠すなよ。まあ、下手に広めて中毒が頻発するよりはマシか。ここに来ればフグが食べられる。それが分かっただけで大収穫だ。


「フランツさん、滅多に飲めるものではありませんよ。有り難くいただきましょう」


「初めてのやつは必ず吹き出すのだ。死にはしないから、味わってくれ」


 ジェロムは上機嫌に言う。



 食前酒が無くなる前に、最初の料理が運ばれてきた。


「さあ、前菜はウニと海藻のサラダだ。特にこのウニは、この漁師町でしか食べられない貴重品だぞ」


 小鉢に赤や白の謎の海藻が入れられ、その上に黄色いウニが贅沢に添えられている。見た目が華やかで、なかなか良い。


 俺は好印象だったのだが、フランツはウニを眺めて怪訝な表情を浮かべている。


「このオレンジ色の物体は何ですか……?」


「それがウニです。新鮮なウニは美味しいですよ」


 俺がそう言うと、フランツは慎重な手付きでウニを口に運んだ。するとすぐに、フランツは目に涙を浮かべて吐きそうになった。


「……無理です。すみません……」


「何がダメでした?」


「磯臭いんです。海を口の中に入れたみたいに……」


 味が受け付けなかったらしい。美味しいのになあ。まあ、誰にでも好き嫌いはあるか。しかし、フランツの態度は大丈夫だったのかな。ジェロムの反応が気になる。

 ジェロムは気を悪くするどころか、楽しげな表情を浮かべている。何がそんなに楽しいんだろう……。



 ジェロムの合図で、次の皿が運ばれてくる。


「さて、次は刺し身だ。これも漁師町でしか食べられない」


 おお、いいじゃないか。脚付きの皿に並べられた刺し身。右からアジ、フクラギ、タコだ。三種盛りでタコが並んでいるのは珍しいが、悪くない。


「またよく分からないものが……」


 フランツが怪訝な表情を浮かべて言う。


「生の魚です。街で出回る魚は干物ばかりですが、新鮮な魚は生でも食べられるんですよ」


「ええ……?」


 フランツは嫌そうに顔をしかめた。


「まあ、とにかく食べてみてください」


 俺がそう言うと、フランツは深刻な表情を浮かべてアジにフォークを突き刺した。


「うっ……」


 フランツは慌てて口をふさぎ、お茶で強引に流し込む。苦手だったらしい。まあ、光り物は苦手な人が多いからなあ。


 次はフクラギに挑戦した。これは大丈夫だったようで、フランツの顔が少し綻ぶ。


 最後にタコ。警戒心は薄れているらしく、すっと口に運んで咀嚼を始めた。だが、なかなか噛み切れずに苦労しているみたいだ。


「この固いのは何ですか? なかなか噛み切れないんですけど……」


「タコですね」


「グェフォォッ!」


 フランツは、口の中に居たタコを盛大に吐き出した。


「どうしました?」


「海の化物じゃないですか……。なんて物を食べさせるんですか!」


「いえ、美味しいでしょ? 見た目は気持ち悪いかもしれませんけど……」


 名前を聞くまでは違和感なく食べていたじゃないか。




「次は私から、ちょっとしたもてなしだ。市場には絶対に出回らない魚だが、苦手な人は残してくれて構わない」


 次は白身魚のソテーだ。身が柔らかすぎて、少し崩れかけている。フォークを刺すと簡単に壊れてしまうので、慎重に口に運ぶ。

 脂がのっていて、味は悪くない。淡白な白身魚のくせに、脂は高級な大トロみたい……。あ、これバラムツだな。食べたことはないが、噂に聞く味の印象と同じだ。


 俺はそっとフォークを置いた。


「これ、美味いですね! ツカサ兄さん、食べないんですか? もらってもいいですか?」


 フランツは、一心不乱にバラムツを頬張りながら言う。


「……いいですけど、どうなっても知りませんよ?」


「何がです?」


 大型の深海魚バラムツ。脂を豊富に含むが、その脂は人間が吸収することができない。別にそれだけなら特に問題ないのだが、次の日に大変なことになるんだよ。

 明日あたり、ケツから勝手に脂が流れ出す。それも、本当に気が付かないうちにだ。気付いた時にはもう遅い。パンツは脂まみれだ。


「フランツくん、悪いねえ。これは1人1切れまでなんだ。それ以上食べると……」


 ジェロムは、そう言ってニヤリと笑った。食べ過ぎた後に起きる惨劇を、十分理解しているらしい。


「何が起きるんです?」


「食べれば分かる。どうしても体験したかったら、もう1切れ食べるといい」


「フランツさん、やめてください。明日も仕事があるんですから……」


 おむつを履いたまま働きたくないだろう? まあ、そういうことだ。諦めろ。一応少しなら大丈夫らしいが、俺は一口だけで満足だ。少しでも怖い。


「どういうことです……?」


 フランツは不思議そうに言うが、食事中に説明することではない。


「まあ、後で説明しますよ」


「はぁ……」


 フランツは気のない返事をしながら、自分のバラムツを平らげた。明日、大丈夫かな……。念のため、おむつを履かせておいた方がいいかもしれないな。



 なんだかんだで食事が進む。ハモの吸い物は普通に美味しかった。イカの塩辛は少し生臭かったが、食べられないほどではない。まあ、フランツは吐きそうになっていたが。


 食事のシメはフグ雑炊。長粒種なのが悔やまれるが、十分美味くいただける。


「これ、ほんとに大丈夫なんですよね……?」


 フランツは不安そうに呟いた。


「大丈夫な種類なんですよ。全く食べられない種類もありますから、素人は手を出したらいけませんよ」


「……そんなこと、しないですよ……」


 食事が進む中、ジェロムは慌てふためくフランツを愉快そうに眺めていた。それももうすぐ終わりだ。お品書きを見る限り、料理は次で最後だ。


「それでは最後にデザートを出そう。今日のデザートは、秋の味覚のロールケーキだ」


 ジェロムの合図で、各席にロールケーキが運ばれた。


 クリーム色のスポンジが円筒状になって、中には薄黄色のクリームが詰まっている。美味しそうなロールケーキだが……。


 ロールケーキの真ん中から、サンマの頭がひょっこりと顔を出している。まるでサンマがロールケーキの寝袋に収まっているかのように……。


 しばらくサンマと見つめ合い、恐る恐る声を出した。


「これは何でしょう……」


 俺の問に、ジェロムは自信に満ちた顔で答える。


「新作のロールケーキだよ」


 新作? 珍作の間違いだろ。

 いや、甘いクリームに見せかけて、サワークリームソースかもしれない。ロールケーキの生地だって、実は甘くないかもしれない。先入観は良くないな。


 恐る恐るロールケーキを頬張る。すると、口いっぱいにバタークリームの甘さとあっさりとした生地の甘さが広がった。

 その直後、サンマの生臭さが鼻を通り抜ける。甘さと生臭さの奇跡のコラボ、混ぜるな危険。美味しいロールケーキと新鮮なサンマは、口の中で生ゴミと化した。


 吐きそうになりながらジェロムに視線を送る。


「うむ。すばらしい味だ」


 この爺さんは舌が崩壊しているんじゃないのか?


「ツカサ兄さん、これも普通の料理なんですか?」


「いえ、これは違います。僕も初めてですよ……」


 申し訳ないが、最後のデザートだけは残した。さすがに食べられないよ……。



 食事を終えて、ジェロムに挨拶をする。


「今日はごちそうさまでした。ありがとうございます」


「君は見どころがあるが、フランツくんの反応も新鮮で面白かった。2人とも、是非また来てくれ」


 ジェロムは上機嫌に言う。フランツの大げさに騒ぐ様子が面白かったようだ。むしろ、その反応が見たかったのだろう。フランツは少し嫌そうな顔をしているが、また連れてこよう。


「そうさせていただきます。では、今日は失礼させていただきますね」


 丁寧にお辞儀をして、ジェロムの家を後にした。



 今日は帰りも徒歩だ。食後の運動にはちょうどいいだろう。それに、道中で言っておかなければならないことがある。


「ところで、先程のソテーなんですけど……」


 そう言って、バラムツの説明をした。すると、フランツの顔色がみるみる青くなっていく。


「早く言ってくださいよ! 食べちゃったじゃないですか!」


 フランツは、額に冷や汗をたらして叫んだ。


「食事中に説明できることじゃないでしょう?」


「まあそうですけど……。すみません。ツカサ兄さんからのパーティの誘いは、金輪際お断りさせていただきます……」


「今日は良かれと思ったんですけどね。仕方がないです」


 いい気分転換になると思ったんだけど、フランツには逆効果だったみたいだ。悪いことをしたなあ。でも、次もフランツを誘うよ。初めて参加するパーティは、ルーシアやメイを連れていけないわ。危なすぎて。

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