竜宮城
仕事は結構山積みになっているんだけど、今日は休まなければならない。そう、今日は30日だ。お魚パーティが開催される日だ。フランツを引き連れて、棟梁の家に遊びに行ってくる。
「フランツさん、準備はいいですか?」
「はい。大丈夫ですけど……朝食はいいんですか?」
「時間がないので、今日は抜きです。どうせ向こうに着いたら食事なんですから、それまでは我慢しましょう」
なんとなく食い意地がはっているように思われそうで、少し気分が悪い。でも、のんきに朝食を食べていたら間に合わない可能性があるので、今日は仕方がない。
「分かりました……」
フランツは不承不承に頷いて、店の外に向かった。俺もその後を追う。
食堂を出ようとしたその時、ルーシアが名残惜しそうに「お気をつけて」と言って、俺たちを送り出してくれた。本心では行きたいと思っていたようだ。お土産の1つくらいは買ってこようかな。
棟梁の家がある漁師町までは、徒歩で約1時間半くらいだ。ルーシアと行くのであれば気を使うが、今日の同行者はフランツなので、遠慮なく早足で歩く。
「ツカサ兄さん、早すぎっすよ……」
少し遅れたフランツが、息を切らしながら声を出す。
「運動不足なんじゃないですか? ほら。早く行かないと、パーティが始まってしまいますよ」
たぶん、かなり余裕で到着すると思う。この国のパーティのマナーはよく知らないんだけど、早く着きすぎるのは失礼にならないよな……?
案内状に書かれていた地図を頼りに、棟梁の家を目指す。
漁師町の外れの方に、一際大きくて豪華な建物がある。どうやらそこが棟梁の家らしい。漁師町にある他の家とは違い、経年劣化が進んでいない。金持ちだからだろうか。扉をノックして中に声を掛ける。
「こんにちは」
俺がそう言うと、扉がギィッと開き、執事服を着たスタイルのいい老紳士が出てきた。
「いらっしゃいませ。どちら様でしょうか?」
「ご招待をいただきました、ウォルター商店のツカサと申します」
「ツカサ様でございますね。お待ち申し上げておりました。只今主人をお呼びいたしますので、少々お待ちくださいませ」
見た目通り、この人は執事なのだろう。丁寧にお辞儀をすると、建物の奥に消えていった。
ほんの数秒待つ。すると、奥から筋骨隆々の老人がのっしのっしと歩いてきた。ラフな服装なので、体つきが余計に目立つ。
「よく来たね。君がツカサくんか」
そう言って握手を求められた。手を握り返して答える。
「はじめまして、ツカサです。あなたが棟梁さんですか?」
「まあ、そうだが。街の人間に棟梁と呼ばれるのはむず痒い。気軽にジェロムと呼んでくれ」
棟梁は、照れくさそうにニッコリと笑いながら言う。歳に似合わない体格だが、漁師だから毎日が筋トレみたいなものなのだろう。
「ジェロムさん。今日はお招きいただき、ありがとうございます」
「ふふふ。君はウニに興味を示したそうだね。見どころのある青年だ。今日は楽しんでいってくれたまえ。では、さっそく中に……ところで彼は?」
ジェロムは俺の背後に立つフランツに気付き、怪訝な表情を浮かべた。
「見習いのフランツです」
「フランツです。よろしくお願いします」
フランツは、一歩前に出て深々と頭を下げる。
「ふむ……。席は2人分用意してある。おい、会場に案内しろ」
ジェロムは執事に向き直り、そう命令して家の奥に消えていった。
俺たちは、執事の案内で会場に通される。どうやら早く着きすぎたらしい。会場には誰もおらず、俺たちが最初の客だ。
まずは会場を観察する。今日は立食ではなく、着座のパーティだ。10人以上座れる大きな長テーブルが設置され、各席にお品書きらしき紙が置かれている。コース料理が出てくるらしい。
こういうパーティは女性同伴で参加するものだ。ルーシアを連れてきた方が良かったな……。次からは気を付けよう。
俺が辺りを見回していると、フランツは迷いなく奥に進んで一番奥の席に座ろうとした。慌ててフランツを止める。
「ちょっと待ってください。聞きたいんですけど、上座と下座という考え方は、この国にはないんですか?」
「……何の話です?」
「僕の出身地では、奥の席から順に偉い人が座るという風習があったんです。この国ではどうです?」
面倒だけど、席次は重要だ。間違った席に座ると、それだけで信用を失いかねない。たったこれだけのことでも、無礼で非常識な人間だと思われる恐れがある。
「え……? 知らないです。奥から詰めればいいんじゃないんですか?」
拙いなあ。日本ほど厳密じゃなくても、上座下座の考え方は世界中にある。そして日本と同じとは限らない。例えば横並びの場合、日本では左が上座になるが、国際儀礼では右が上座になる。
「困った時は、執事さんに聞きましょう」
さっき出迎えてくれた執事は、すまし顔で壁際に立っている。聞けば教えてくれるだろう。執事に近付き、声を掛ける。
「こういった場に慣れておりませんので、失礼を承知でお尋ねします。上座はどちらになりますか?」
「このような会の場合、主人が座りますのが一番奥の席になります。そして、出入り口に最も近い場所は主人の家族が座ります。お客様はご自由に座っていただいて構いません」
執事は丁寧な口調で答えた。作法は概ね日本と同じだ。奥から順に下っていく。
「ね? フランツさん。知らずに一番奥に座ったら、大事故だったでしょう?」
「そうですね……。怖いです」
フランツは神妙な面持ちで言う。大恥をかくところだったな。もしフランツがしれっと主人の席に座っていたら、この場に微妙な空気が流れる。
俺たちの席は自由だと言われたが、下の方に座った方が無難だ。俺たちの身分は最下位のはずなので、もしかしたら気を悪くする人がいるかも知れない。出入り口に近い方から2席空け、フランツと並んで座った。
席に着くと同時に、ジェロムが無駄に豪華な服に着替えて会場に入ってきた。まるで中世ヨーロッパの貴族のような服だ。さっきのラフな服装は、部屋着だったらしい。やっぱり早く着きすぎたんだな……。
ジェロムのド派手な服を眺めていると、ジェロムは困ったような表情を浮かべて俺たちのもとに歩み寄ってきた。
「ツカサくん。どうしてそんな所に座っているんだい? 今日のゲストなんだから、私の横に座りなさい」
俺の気遣いは虚しく、席を変えられてしまった。まあ、この手順を踏むのも大事だ。主人が声を出すことで、上座に座っても許される。俺とフランツはジェロムを挟むように座った。
一息つくと、ジェロムから声を掛けられた。
「ところで、君は私の身内に心当たりがあるそうだが、誰のことだ?」
そのことは干物店でチラッと話したんだった。たぶん、この人は虫食いテレサの身内だ。フランツを連れてきた理由でもある。
「そうですね。テレサさんという方はご存じないですか?」
「……孫だ。まさか君は、孫の友人か?」
ジェロムは恐る恐る言う。何が怖いんだろう……。孫なのに。
「いえ。以前、うちの商品を買っていただいたことがあるんです」
「……それだけか?」
「あ、一度だけパーティにも呼ばれました」
「ふむ……。それはいいが、君たちはテレサの同類では無いのだな……?」
「同類と言いますと?」
「その、テレサは食の好みが特殊だろう? それでな……」
ジェロムは遠まわしに言っているが、要するに虫である。テレサのパーティに参加すると、もれなく虫料理が提供される。俺は虫が苦手だと分かってもらえたので、あれから呼び出しを受けることは無かった。
「そうですね。テレサさんのパーティには驚きました。苦手な料理ばかりでしたので、大変でしたよ」
「なるほど。ツカサくんは普通ということでいいのだな?」
「そうですね。普通に魚が食べたいです」
答えるまでもなく、魚が食べたい。慣れれば味に問題無いが、見た目がダメだ。焼こうが煮ようが揚げようが、あの存在感が失われることは無い。いっそ粉末にでもしてくれたら、どうにか食べられそうなんだけどな。
「そうか。それは良かった。フランツくんだったか。君はどうだ? 魚は好きか?」
ジェロムはフランツの方を向いて言う。
「そうですね……。テレサさんのパーティは、正直ツラかったです」
「ほう……君も行ったのか。大変だったな……」
ジェロムは遠くを見つめて言う。余程虫が嫌いなんだろうな。見ることどころか、口に出すのも恐ろしいといった様子だ。テレサと別居しているのは、お互いのためみたいだ。
フランツとジェロムは、『虫がツラいトーク』で盛り上がっている。俺は虫パーティの途中でリタイアしてしまったので、話について行けない。
『羽が上顎にくっつく』とか『足が歯茎に刺さる』とか『甲虫の羽は硬すぎて口の中に居座る』とか、2人で虫あるあるを披露しあっているが、あまり聞きたい話ではないな……。
その後、続々と人が集まり、席は全て埋まった。今日の参加者は、俺たちを含めて16人。今回の参加者は、どういう思惑で集められたのかよく分からない、普通の人たちだ。
そしてジェロムの家族は同席していない。テレサの両親も、ここには住んでいないらしい。
全員が軽く自己紹介したところで、ジェロムが立ち上がって挨拶をする。
「本日はよく集まっていただきました。本日も、世にも珍しい食材をたくさん準備しております。どうぞごゆっくり、ご堪能ください」
ジェロムが仰々しい態度で口上を述べた。台本があるかのようだ。いや、口調がさっきと違うから、台本があるのは間違いないな。
「さあ、ツカサくん、フランツくん。存分に楽しんでいってくれたまえ」
ジェロムの挨拶の後でお品書きに目を通したが、具体的な料理名が書かれていない。『前菜』とか『先付け』とか書かれているだけだ。何が出てくるか、楽しみにしておけという意味なのだろう。だったら、こんな紙はいらないだろうに……。まあ、楽しみであるのは間違いないか。





