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もったいない

 カレルの店で美容液を受け取った後、ドミニクに注意事項を伝えて別れた。使用期限や用法、用量などだ。誤って誤飲してしまったら、大変なことになるからな。

 製油工房の親方曰く、とんでもない下痢に襲われるらしい。飲めそうな匂いだから、結構危ないんだ。


 箱詰めにされた美容液を抱えて道路を歩く。とりあえず、めっちゃ邪魔。このままでは仕事にならないので、店に置いてこようと思う。

 店の扉を開けると、ルーシアが不思議そうな顔で出迎えた。まあ、店を出てから1時間も経っていないんだから、不思議に思うのは当然か。


「あれ? お忘れ物ですか?」


「いえ、カレルさんにお願いしていた美容液ができたので、持ち帰ってきました」


「あ……例の……」


 ルーシアの返事を他所に、箱をカウンターの上に置いた。まずは注文された分を別にしておかなければならない。以前から催促されているので、店に並べる前に渡しておいた方がいいだろう。


「とりあえずサニアさんに1本、エマさんに1本、ロレッタさんに1本……これはよけておいてください」


「あの……私とメイさんにも1本ずついただけませんか?」


 ルーシアは、申し訳なさそうに言う。どうやらこの2人も発売を待っていたようだ。こんなことなら、製造をもっと急ぐべきだったかな……?


「もちろんいいですよ」


 とは言ったものの、また在庫が減った……。こうなることは予想できていたから、発売前に大量の在庫を準備しておきたかったんだ。

 受け取った美容液は、数えたら52本あった。残りの在庫は47本。初動の在庫としては少なすぎる。最低でも100本は準備しておきたい。


「では、さっそく並べましょうか」


 ルーシアは、そう言って箱に手を掛けた。拙いな。その予定は無いんだ。


「いえ、今回の分はイヴァンさんに任せましょう」


「え? お店に並べないんですか?」


「量が中途半端なんですよ。最低でも100本は並べたいです」


 ここに来る客のほとんどは、美容液に興味を示さないだろう。俺の狙いは、ここに来る客の家族たちだ。嫁や娘に薦めてくれることを期待している。

 そのためには、普通に並べたらダメだ。全く目立たないから、手に取ってもらえない。興味がない物を手に取らせるには、必要以上に目立たせる必要がある。


「え? そんなにですか? 在庫の持ちすぎと並べ過ぎは良くないっておっしゃいましたよね?」


 ルーシアは、そう言って怪訝な表情を浮かべる。

 確かに、俺は以前そう教えた。以降、この店は在庫を減らし、陳列棚にも余裕を持たせている。


「基本はそうなんですけど、大量に並べるべき商品もあるんです」


「どういう基準で変わるんですか?」


 ルーシアの頭には、まだハテナが浮かんでいるらしい。説明が必要みたいだな。


「そうですね……今回のケースだと、目立たせたい商品で、かつ定期的に必要な消耗品だからです」


「どういうことでしょう……」


「順を追って説明します。まず、目立たせたいという点から。新商品なので目立たせたいのは当然なんですけど、よりお客さんの目に入る陳列にしなければなりません。そのためには、棚の広い範囲を占領するのが一番手っ取り早いんです」


 まずは客に興味をもたせなければならない。

 ポップや広告で目立たせるという方法もあるが、紙媒体はどうしても『読まない人』が居る。どんなに大きな張り紙をしても、興味がない人は読もうとしない。視覚に訴えるためには、棚いっぱいに並べてしまった方が確実だ。

 目の前の棚いっぱいに同じ商品が並んでいれば、嫌でも目に入る。もし商品に興味がなくても、思わず手に取ってしまう。


 この手法は、普段から計算した陳列をしておかないと効果が無い。あちこちで商品が溢れそうになっていたら、そういう店だと思われるだけだ。


「なるほど……では、もう1つの理由とは?」


「はい。この商品は、欠品のリスクが他よりも高いんです」


「と言いますと?」


「美容液って、生きる上で絶対に必要なものじゃないですよね? ですから、欲しい時に無いと忘れられてしまうんです」


 最も美容液を欲しいと思うのは、使用中の美容液が無くなった時だ。そのタイミングで欠品していると、「もういいや」と思われてしまう。


「あ……そうかもしれませんね。でも、使用期限があるんですよね? 売れ残ったらどうするんですか?」


 ルーシアは使用期限付きの商品に慣れていないはずなのに、鋭い指摘をするなあ。


「捨てるんです。使用期限の1カ月以上前に廃棄ですね」


 この美容液の使用期限は、油の精製から6カ月と決めている。それ以上経ったものは、肌に悪影響を与える恐れがあるからだ。普通に使ったら1カ月で消費されるものなので、逆算して1カ月前に廃棄する。廃棄ロス率は最大で5%くらいだろう。


「捨てちゃうんですか? それだと大損じゃないですか!」


「早めの廃棄は、トラブルを減らすために必要なことなんですよね」


 買ってすぐに使用期限が切れたら、客は物凄く損した気分になる。そして、一部の人は使用期限が切れたものを使い続けるはずだ。もったいないからな。

 もしそれで肌荒れが発生したら、売った方が文句を言われる。「警告を無視した客が悪い」と言いたいが、「使い切れない物を売るな」と言われたら何も言い返せない。売り手の逃げ道として、早めに廃棄するのだ。


 使用期限切れ間近の物を、割引きして販売することもしない。安易な割引きはブランドイメージを損なうという理由もあるが、一番の理由はやはり使い切れないからだ。

 期限が切れたからと言って、すぐに悪くなるような物ではない。冬場の低温を考慮すると、おそらく1年近くは保つと思う。だが、保証できないものは絶対に使ってほしくない。


「それなら、在庫を減らして調整した方がいいような気がします……」


「もちろん売れ残らないに越したことはないですよ。でも、それに拘って欠品してしまうと、利益を大きく減らすことになるんです。これは『機会損失』と呼ばれます。美容液の場合、この機会損失が物凄く大きいんですよ」


 昔から叩かれているが、コンビニの弁当が廃棄される理由だ。

 利益のために捨てていると思われがちなのだが、普段の廃棄はそうじゃない。『いつ来店しても商品がある』という状態を保つために、仕方なく過剰気味に発注している。本当は、店だって捨てたくないんだ。


 それに、どれだけ計算して発注したとしても、客が店の思い通り動くことはない。例えば新しい商品の上に古い商品を重ねたとしても、下から抜いて買っていく客がいる。

 店はその行為を責めることができないので、古い商品が残り続けることになる。結果、それが廃棄されるわけだ。


「欠品が問題なのは知っていますが……」


 俺は在庫を減らしたが、欠品を許しているわけではない。定期的に売れる定番品に関しては、むしろ在庫を増やしたくらいだ。ただし、それらは腐る物ではない。廃棄の可能性が高いものに関しては、定番でも在庫を絞るように言ってある。

 ルーシアは、俺が提示したその方針に矛盾していると言いたいのだろう。


「今回は少し特殊ですから。美容液を使うことが習慣になれば、お客さんは無いと不安になります。その時にもし在庫が切れていたら、店に対する不信感を与えてしまうんです。さらに、使用する習慣も途切れてしまいます。リピーターを失うことにも繋がりますね」


「それは理解できました。でも、せっかく作った物を捨ててしまうのは、もったいないです」


 ルーシアは、眉間にシワを寄せて口角を下げた。『もったいない』という感覚は大事だが、それが客のためになるとは限らない。

 コンビニの廃棄弁当だって、客の利便性を追求した結果のことだ。まあ、たまに『本部の押しつけ』や『発注ミス』ということもあるのは事実なのだが……。あれは本当にもったいない。


「そうは言っても、古くなった美容液は肌に良くないですからねえ……。廃棄はお客さんのためでもあるんです」


「なるほど……」


 ルーシアは、そう呟いて深く頷いた。どうやら納得できたらしい。せっかくだから、もう少し話をしよう。


「美容液にとって、リピーターの獲得は最重要なんですよ。消耗品ですからね。毎日使えば1カ月で無くなります。リピーターを増やすことができれば、毎月の売上が約束されますよ」


「あ、それは分かります。常連さんになるんですね」


「それはそうなんですけど、もう少し細かく言いますね。収入には、『定期低収入』と『不定期高収入』という考え方があります。定期的に入ってくる収入は、額は少なくても利益を安定させてくれます」


 街の電器屋さんがなぜ潰れないのか。電器店に限ったことではなく、一見潰れそうな個人店が生き残っている理由がこれだ。商品は売れなくても、保守などの契約があれば店は安定する。

 うちのような雑貨店の場合、消耗品を売って定期低収入にすることが多い。日本なら、消耗品を定期的に納入する契約が一般的だろうと思う。

 だが、この国ではなかなか難しい。『契約』という概念が曖昧で、信用できる相手じゃないと反故にされる恐れがある。どうしても商品に頼らざるを得ないのだ。


 うちの店は燃料の量り売りとカフェスペースの売上が定期低収入になっていて、この収入が大きくなれば安心して従業員を増やせる。


「そんな話は聞いたことがないんですけど……」


「例えば不定期高収入は、僕がやっているコンサルタント業務のようなものです。一時的な高収入になりますが、継続するものではありません。このような収入に頼ると、店は安定しないんですよ」


「そうなんですか……」


「少額でもいいので、定期低収入を作るんです。ルーシアさんも、何か思い付いたら言ってくださいね」


 長々と話していると日が暮れるので、今日の話はこれで終わり。メイにも聞かせた方が良かったのだろうが、残念ながら忙しいようだった。まあ、後でルーシアが伝えてくれるだろう。気を取り直して、仕事に戻った。

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