変な人
メイの執筆活動は、順調に進んでいるらしい。ルーシアが「相手をしてもらえなくなった」と嘆いていた。せっかく入った後輩なのに、遊び相手になってもらえないようだ。ちょっと可哀相だけど、趣味の邪魔をするのは良くないからなあ。
ちなみに、フランツはもっと相手にされなくなったそうだ。仕事以外では一切口を利いていないと嘆いていた。メイは嫌っているわけではなく、趣味について邪魔や詮索をされたくないんだと思う。
かく言う俺も、メイとは最近あまり話をしていない。小説の進捗状況を報告されるくらいだ。その話によると、明日には完成しそうだった。メイのそっけない態度は、明日になったら改善されるだろう。よかったな、フランツ。
今日の仕事も外回りだ。朝から元気に店を出る。道路を少し歩くと、向こうからドミニクが歩いてきた。うちの店は訓練場までの通り道にあり、訓練場に向かう剣闘士とは、ここでたまにすれ違う。と言っても時間帯が合わないので、鉢合わせる確率は低いのだが。
「おはようございます。見ましたよ、この間の試合」
俺が声を掛けると、ドミニクは満面の笑みを浮かべて言う。
「おお、見てくれたのか! どうだった? 華麗な剣捌きだっただろ?」
華麗と言えば華麗かもしれないけど、なんとも形容しがたい戦い方だったんだよなあ……。あれが受けているんだから、戦略的には間違っていない。
勝つか負けるかの戦略ではなく、いかに集客するかという戦略だ。あのおかしなパフォーマンスのおかげで、女性客のハートをガッチリと掴んでいるらしい。
文句の1つでも言いたいところだが、ドミニクが選んだ戦略だ。俺が口を出すべき問題じゃない。
「えっと……変わった戦い方をしているみたいですね」
言葉を選びに選んだ結果、こう言うしか無かった。オブラートに包みすぎてガッチガチになってしまった気がする。
「ああ、そうなんだよ。新人との戦いだと、どうしても手加減が必要になるからなあ」
あれ? 違った意味で捉えられたぞ。カラスの話では、あれがいつもの姿だということだった。何かいつもと違うことがあったらしい。
「どういうことです?」
「新人を相手にする時は、『怪我をさせてはならない』というルールがあるんだ。他にも『相手が武器を落としたら寸止めで終わらせる』とかな。守らないとファイトマネーが没収されるから、結構大変なんだよ」
ドミニクは得意げに言う。どうやら、戦い方そのものは普段通りだったらしい。
このルールは実力差がありすぎるからだろうな。『新人が勝つことがある』というのは、このルールに慣れていないからだと思われる。一切怪我をさせないで勝つというのは、ベテランでもなかなか難しいはずだ。
まあ、そんなことはどうでもいい。どうしても気になる、あの花びらだけは突っ込んでおきたい。
「なるほど……。それで、ちょっと聞きたいんですけど。あの花びらは何だったんですか?」
「すげえだろ! あれだけキレイに飛ばすのは、かなり難しいんだ。他のやつが真似したら、花びらがまとめてドサリと落ちて終わりだぜ」
ドミニクは堂々とした態度で胸を張った。自慢の技だったようだ。俺が言いたいのはそうじゃないんだけど……。いや、その前に。誰が真似するんだよ。アホかな?
これ以上突っ込んでも無駄だな。とりあえず、ドミニクがおかしな方向に努力しているということは理解できた。
「まあ、今後も頑張ってください……」
俺の口からはそれしか言えない。
「ああ、それよりも。新しい商品の話はどうなったんだ? あれからかなり待ってるんだぜ?」
あ……また忘れていた。ブライアンの店の宣伝を任せたので、話が終わったつもりになっていた。あの依頼は期間限定だ。その期間もそろそろ終わる。
まあ、今日は本当に商品に心当たりがある。カレルが作っている美容液だ。ドミニクのファンは女性しかいないので、商材としては最適なんじゃないだろうか。
それに、美容液は消耗品だ。一度買って終わりの商品ではないので、長期間に渡って売り続けることができる。ドミニクに売らせる商品として、これほど向いている物はない。
「ちょうどいい商品があるんですよ。まだ売りに出されてないんですが、まとまった数が製造できたら売り始める予定です」
「へえ。それは良かった。いつから売るんだ?」
まだ決めていないんだよなあ。カレル次第だ。とは言え、依頼をしてから結構経っている。ある程度の本数は出来上がっているんじゃないだろうか。
面倒だから、カレルと直接取り引きをしてもらおう。うちの店を通すと、手間が増えるんだよな。
情報の漏洩を防ぐために、カレルには客との直接取引を禁じた。だが、ドミニクはうちの専属みたいなものだ。これくらいは関わらせてもいい。
それに、美容液は製法を知られても真似される心配が無い。原料のエッセンシャルオイルは俺が別工房で作っているので、俺以外の人間は手に入れることができないんだ。無理してレシピを秘匿する必要は無いだろう。
売上を誤魔化される可能性はゼロではないが、そこはこの2人を信用しようと思う。まあ、もし誤魔化されても、材料の納品数で確認できるんだけどな。
よし。ドミニクを連れて、カレルの工房に行ってみよう。
「では、これから工房に行きましょうか。訓練所の近くですので、手間にはならないと思います」
「ん? そんなところに工房?」
ドミニクは、怪訝そうな顔をした。
「あ、確かに珍しいですね。でも、店の近くにあった方が便利じゃないですか」
「まあ、そうか。訓練所に近いなら俺も助かる」
工房は職人地区に集中している。材料が手に入りやすかったり、卸先が近くにあったりするので、普通は職人地区に工房を作る。だが、俺にとっては自分の店に近いことの方が重要だ。
ドミニクを連れて少し歩き、カレルの工房に到着した。玄関の扉を開け、中に居るはずのカレルに声を掛ける。
「おはようございます」
俺の声が工房に響き、中からキレイな格好をしたカレルが出てきた。今日はカーボン紙を作っていないらしい。
「あ、おはようございます。えっと……どなたですか?」
カレルはドミニクを一瞥し、不安げに呟いた。すると、ドミニクは大げさにくるくると回り、演技じみた声を出す。
「ははは! あなたのハートに一撃必殺! Bクラス剣闘士のドミニクだぁ!」
ドミニクはそう言って、人差し指の先をカレルに向けた。
……沈黙の時間が流れる。
「……はぁ……」
カレルは冷ややかな視線をドミニクに送り、気のない返事をした。ドミニクの額に冷や汗が流れた気がする。ドミニクによる渾身のパフォーマンスは、カレルには刺さらなかったようだ。
「ドミニクさん。普通に自己紹介してください」
「……剣闘士のドミニクという。剣闘士はお好きじゃなかったかな?」
ドミニクは姿勢を正し、いつもの調子に戻した。でもたぶんもう遅い。絶対に変な人だと思われたぞ。
「すみません……。闘技場に行くお金が無いです」
カレルは申し訳無さそうに言うが、カレルには賭け事を楽しむ余裕なんてないだろうなあ。
「ドミニクさん。全女性が自分のファンだと思ったら、大間違いですよ?」
「くぅ……それは分かっているよ。お前んとこの嬢ちゃんたちも、全っ然興味無いんだもんな」
ドミニクは、悔しそうに顔を歪めた。すると、カレルは苦笑いを浮かべて言う。
「ごめんなさい。有名な方だったんですね」
「いや、俺の努力が足りないんだろう。もっと頑張るよ……」
まあ、知名度だけで言うなら、ムスタフの方が上だ。ドミニクは剣闘士ファンの間だけで有名だが、あのジジイは剣闘士に興味がない人にも名が知られている。ドミニクがその域に達するのは、まだまだ先だろう。
あ、そんなことはどうでもいいんだ。さっさと本題に入ろう。
「そんなことよりも、例のものはどうなっています?」
「例の……? あ、アレですね。そろそろ納品しようと思っていたんですよ。100本くらいは作れたと思います」
カレルは少し考える素振りを見せて答えた。100本あれば十分だな。
「いいですね。では、うちに卸す前にドミニクさんにお渡ししましょう」
「いいんですか?」
「はい。今後も、ドミニクさんに直接お渡ししてください」
俺とカレルが勝手に話を進めていると、ドミニクは不満げな顔で口を挟む。
「おい、何の話だよ。俺にも分かるように言ってくれ」
「うちの新商品です。美容液を作っているんですよ。女性に喜ばれると思います」
「へぇ……そりゃいいな。きっと飛ぶように売れるぜ!」
ドミニクはそう言って、口角を上げた。俺としてもそれを期待しているんだ。ドミニクなら、闘技場で一声掛けるだけで飛ぶように売れるだろう。
「まずは100本です。定価は1本600クランで考えていますが、ドミニクさんには400クランで販売します。1本売れば200クランの利益ですね」
今回の内訳は、材料費が約150クラン、カレルの利益が150クラン、残りの300クランがうちの利益だ。ドミニクを通した場合、うちの利益は100クランになる。
俺が設定する販売手数料が毎回高いのは、俺の考え方のため。
販売において最も大きなウェイトを占めるのは、『換金する手段』だ。どんなに優れた商品だったとしても、換金する手段が無ければ無価値。そのため、俺の考えでは『売るやつが一番偉い』である。
もちろん例外はある。特殊な技術を持った職人のような人は、高額な報酬を貰って当然だと思っている。俺はそのあたりを計算して、毎回の報酬を決めている。今回はドミニクの人気を利用させてもらうので、ドミニクが最も高い報酬を得られるように設定した。
「いやしかし、いきなり100本は辛いな……。まずは半分で様子を見よう」
「そうですか……了解です。残りは店で売りますね」
陳列棚に並べるには本数が少ない気がするが、まあいいだろう。50本の美容液をドミニクに渡し、残りを受け取って店に戻った。





