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黒字

 エマの工房を出た後、まずは石鹸工房に向かう。あからさまなスパイ活動をやめさせるためだ。

 視察を受け入れるのが当たり前だと言われたら、経験が浅い素人は受け入れてしまうだろう。たぶんそれを狙ったのだと思う。規約を熟読していなければ悩むはずだ。実際、エマは視察の依頼を聞いて、受けるべきかを悩んでいるようだった。


 それに、俺に話を通さなかったのもアウトなポイントなんだよ。どうせ、エマならチョロいと思ったんだろう。詐欺ではないにせよ、今回の提案には疑う余地しかない。本当に製法が知りたいなら、俺に直接頭を下げるのが筋ってもんだ。



 職人地区にある、石鹸組合の支部に到着した。中で働いているのは以前と同じ受付の男だ。


「いらっしゃい。何か用か?」


 受付の男はこともなげに挨拶をした。俺の用件は分かっていると思うんだけどなあ。挨拶もそこそこに、本題に入る。


「視察がしたいと言ってきた人が居るんですが、どこの誰ですか?」


「ああ、聞いてるよ。コンシーリオに本部を置く、ゼド工房だな」


 ……聞き覚えがある。絶対に聞いたことがあるはずだ。誰だっけ……。


「どういう方ですか?」


「あんたも会ったことがあるだろ? 視察員の人だよ」


 あ、あのおっさんか。うちの石鹸工房の視察に来た、胡散臭い工房主だ。あの時から不穏な空気を感じていたが、いよいよ本格的に製法を盗もうと画策しているらしい。


「分かりました。お断りしますので、組合からも止めてください」


「ぁん? ……悪いことは言わねえ。受けておいた方がいいと思うぜ?」


 受付係は不安げな表情を浮かべる。受けなければならない事情でもあるのだろうか。


「どう考えても差し支えるでしょう。言いましたよね? うちの石鹸は少し特殊なんです。製法を知られたくありません。それとも、受け入れなければならないという規則でもあるんですか?」


「いや……無いけど……」


 歯切れの悪い返事をするなあ……。これ、賄賂でも受け取っているんじゃないのか? ちょっとカマを掛けてみた方がいいかもしれない。


「ゼドさんの工房は、ずいぶん儲かっているんですよね。あなたはいくら貰ったんですか?」


 俺がそう言うと、受付係は目を泳がせながら声を詰まらせた。


「あ……いや、決してそんなことは……」


 はい、当たり。キッパリと否定できない時点で、肯定しているのと同義なんだよ。でも、規則的には問題がない、グレーな行為だ。「ただの寄付金だ」と言われたら何も言い返せない。

 まあ、良くないことなのは違いないから、やめさせておこう。


「規則に反していなくても、特定の工房に肩入れするのは良くないですよ」


「はぁ……そうだな……」


「というわけで、今後は僕を通さないで変なやり取りをしないでください」


「悪かった。次から気を付ける……」


 受付係は、バツの悪そうな顔で頭を下げた。

 これだけ釘を差しておけば問題ないだろう。次からはコソコソと探りにくるはずだ。そうしてくれた方が、俺としては助かる。コソコソと探る相手なら、俺から攻撃しても問題ないからな。うしろめたいことをする方が悪い。



 余計な仕事だったが、とりあえずはこれでいい。石鹸組合を出て、客のもとに向かう……つもりだったのだが、道中でギンを発見した。

 ギンは俺を視界に入れ、元気よく挨拶をする。


「ちわっす!」


「こんにちは。お仕事中ですか?」


「今日はオフっす。今から闘技場に行くんすよ。一緒にどうすか?」


「僕は仕事中ですからね。遠慮しておきます」


「そうっすか。兄さんは闘技場にハマってるって聞いたんすけど……」


 誰に? あ、カラスか。たまたま闘技場で会ったから、勘違いしたんだろう。知り合いが出るから来ただけだって言ったんだけどなあ……。


「ハマっているわけじゃありませんよ。仕事の一環だっただけです」


「そうっすか……。勝ったって聞いたから、てっきりハマっているものかと思ったっすわ」


 違った。ギンの勝手な想像で、俺が剣闘士にハマっていると思い込んだらしい。勝ったやつ全てがハマるとは限らないだろうに。でも、そういう人が多いのは確かだ。

 初めてのギャンブルで勝った人は、その後のめり込む可能性が高い。俺はハマらなかったけどね。


「今後もハマることはないですよ。賭け事はそれほど好きじゃないんです」


 生きることがギャンブルみたいなモノなんだから、それ以上のギャンブルは必要ない。ちょっとしたお遊び程度の賭けなら乗るが、自ら進んで賭け事をするようなことはしない。


「そうっすか……。共通の趣味が見つかったと思ったんすけどねえ……」


 ギンはそう言って肩を落とした。共通の趣味というのなら、カラスと仲良くしておけばいいのに。


「まあ、そういうことです。では、健闘を祈ります」


 そう言って話を切り上げようとしたが、ギンはまだ言いたいことがあるようで、慌てて俺を制止した。


「ちょっと待ってくださいっす。兄さんの土地に買い手が付いたっすよ」


「え? 何の話ですか?」


「カレルの工房にしていた小屋っす。頑張ったんすよ……カラスが」


 マジで? あの掘っ立て小屋? 屋根が脱着式になっている、いつ崩壊してもおかしくないゴミ物件だぞ?

 ついでに言うと、カーボン紙の製造に使っていたので、中は真っ黒だ。知らない人が見たら、事故物件だと思うだろう。買い手が付くとは考えていなかった。相当頑張ったらしい。カラスが。


 しかし、どこの誰に売ったんだ……。


「どなたが買ったんですか?」


「よくわかんないっすけど、他所の街の商人らしいっすよ。資材置き場にしたいそうっす」


 いやいや、誰に売るかは重要だろ。もう少し詳しく教えてほしいが、これはカラスに聞いた方が早そうだな。

 とりあえず、先に金額を確認しておこう。俺が持っていても使いようがない建物だから、売ることは決定しているんだ。


「おいくらです?」


「兄さんに渡す分は100万クランっすね。かなり安いっすけど、大丈夫っすか?」


 黒字が出てるじゃないか! 買った時は80万だったぞ? 俺が買った後に、さらにボロボロになった。それなのに、どうして値段が上がったんだよ。


「高値が付きすぎじゃないですか? 売れたとしても、もっと安くなると思ったんですけど……」


「立地は悪くないっすからねえ。それに、いろいろと条件を付けたんすよ。建物を壊して整地して、周りの土地もまとめて……まあ、細かいことはどうでもいいっすよね」


 なるほど……。土地はまとめた方が高値が付きやすい。日本の地上げ屋みたいなことをしたんだな。

 俺の土地を中心に地上げしたはずなので、俺が首を縦に振らないと、ギンやカラスが物凄く困るわけだ。金額も申し分ないし、了承しておこう。


「そうですね……。分かりました。その値段で売りましょう」


「うっす! じゃあ、話を進めるっすね。荷物があるなら、今週中に撤収しといてくださいっす」


 カレルが引っ越した時に空にしたので、荷物は何もない。ゴミすら無い状態だ。今日引き渡しになっても問題ない。


「いつでも引き渡せますから、後はお任せします。よろしくお願いしますね」


 軽く挨拶をした後、ギンと別れた。

 勢いで即答してしまったが、誰が買うかは先に調べておくべきだったかな。変な商人に渡らなければいいんだけど……。まあ、うちの店からは遠いし、誰が買っても困ることは無いか。



 今日は軽く客周りをしただけで1日が終わった。

 夕暮れに店に帰ると、すぐにルーシアが俺に声を掛けてきた。


「お疲れ様です。先程棟梁の使者さんとおっしゃる方から、お手紙をお預かりしまして……」


「あ、そうなんですか。どんな内容ですか?」


「ツカサさん宛てでしたので、中は見ていません。お渡しさせていただきますね」


 中を見なくても、なんとなく予想できるけどね。ルーシアから手紙を受け取ると、事務所に入って手紙の封を切った。


 予想した通り、その手紙はパーティ開催の旨が記載された招待状だった。待っていたお魚パーティのお誘いだ。会場は漁師町にある棟梁の自宅だ。少し遠いが、日帰りできない距離ではない。


 開催日は今月の30日。今月からは31日が無いので、30日が月末になる。夏のうちだけ31日があるのは、農業のためだそうだ。忙しい農業従事者も、31日だけは休むらしい。

 農業が暇になる晩秋以降、次の春までは31日が無くなる。農家はそれでいいのだろうが、商人は確実な休日が1日減るだけだ。従業員の休日を割り振る手間が増えるので、ちょっと面倒くさい。


 指定された30日も、店は開けなければならない。フランツを連れて行くにあたり、事前に言っておかないと厄介なことになるだろう。


 倉庫で作業をしていたフランツに声を掛ける。


「フランツさん。次の30日なんですが、パーティのお誘いが来ました。一緒に行きますから、その日は空けておいてください」


「え……? またですか?」


 フランツはあからさまに嫌な顔をした。どうやらテレサの虫パーティと勘違いしているらしい。


「先日、漁師町に行ったでしょう? その時に漁師の方からお誘いを受けたんです。新鮮な魚が食べられますよ」


 俺がそう言うと、フランツはパアッと顔を明るくして答える。


「マジすか? それなら行きたいです! でも……、姉さんはいいんですか?」


 フランツは、ルーシアを気にして顔を曇らせる。姉を差し置いて、自分だけが遊びに行くのは気が引けるのだろう。


「ルーシアさんは辞退されました。魚が苦手なんですね」


「……そんなことは無いと思うんですけど……」


 フランツは怪訝な表情で呟く。弟なのに、ルーシアのことをよく知らないようだ。ルーシアは、街で売っているような干物は食べるけど、食べ慣れない魚は苦手なんだと思う。たぶんルーシアは楽しめないので、フランツを連れて行った方がいい。


 それに、最近のフランツはいいことが無かった。怒られたり、変な目で見られたり、評価が下がったり、踏んだり蹴ったりだった。そろそろ良い事があってもいいんじゃないかと思う。

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