ギャンブラー
体は疲れ切っていたが、話をしているうちにかなり回復した。
逃亡中は1日中走り続ける事もざらだったので、持久力と回復力には自信がある。筋肉痛は免れないだろうが、もう動くことは苦にならない。
2人分のお茶を淹れ、休憩の準備を進める。
そうしている間に5人組の男が通りかかり、ムスタフを見て足を止めた。体のあちこちに傷がある、屈強な男達だ。全員20歳くらいだろうか。ムスタフほどではないが、戦えそうな雰囲気を纏っている。
男達は笑顔でこちらに寄って来ると、ニヤニヤしながら言う。
「ムスタフさん、新しい犠牲者を見つけたんですか?」
うん? 犠牲者?
「犠牲者と言うな! 人聞きの悪い……弟子じゃ! 弟子!」
ムスタフは、慌てて言い直した。
ずいぶん親しい様子だ。ジジイに知り合いが多いというのは本当の事だったようだ。ジジイネットワークの売上は、思ったよりも見込めるかもしれない。
ただ……犠牲者という言葉が気になる。
「どういう意味です?」
「はっはっはっ。ムスタフさんの指導は厳しいだろう?
弟子になりたいと言う奴はたまに居るが、みんな2週間持たないんだ。俺達も指導の様子を見た事があるが、地獄すら生温いと思う内容だったからなあ」
「今じゃあ噂が広まって、誰も弟子になりたがらないんだよ。お前は知らなかったんだな。可哀想に……」
男の1人が軽快に笑いながら言うと、後ろに突っ立っていた男が、気の毒そうに言った。
「今回は優しくしておる! これまでのように逃げ出す事は無い! そうだろう?」
ムスタフは、そう言い返しながら俺に同意を求めた。
「え……僕は今までを知らないので、何とも言えないです。ただ、厳しすぎるとは思いませんよ?」
昨日と今日の訓練の内容は、体力的にはしんどいが、至って普通の特訓だ。体力の限界を越えて体が動かなくなるまで、必死で剣を振るだけだ。少し休めば動けるようになるし、そこまでキツい物ではない。
「ほう。面白い奴だなあ。
逃げたくなったらいつでも逃げろ。逃げても誰も責めないぞ」
男が俺を見ながら言う。
逃げられるものならすぐにでも逃げたいが、そうするとムスタフに顔を合わせにくくなる。せっかくカモの連鎖が生まれそうになっているんだ。今このジジイから離れるのは得策ではない。
「ははは。今の所は、その予定はありませんよ」
俺が笑いながらそう言うと、後ろの男たちが騒ぎ始めた。
「何日で逃げるだろう?」
「持って、あと3日だな」
「いや、5日は持つだろ」
「よし、賭けよう。俺は6日だ!」
「乗った!」
男達の間で、賭けが始まったらしい。勝手に始めるなよ……。
「ムウ……言いたい事を言いよって……。
今回は1カ月持たせて見せる!」
ジジイが顔を真っ赤にして言い返した。
1カ月……このジジイなら、本当に1カ月訓練を続けようとするだろう。たぶん、その間は飽きてもやめない。くそっ! 余計な事をしやがって。
「いやいや、毎回そう言いながら2週間持たないでしょう。なんだったら、ムスタフさんも賭けます?」
「ムッ……それは……」
ムスタフは言い淀んだ。自信がないのだろうか。
俺からジジイのもとを離れる事は、今の所考えていない。『時間を奪う厄介なクソジジイ』から、『カモを吸い寄せる大事な金づる』にランクアップした。今ジジイから離れるのは、あまりにももったいない。
「ちょっと待ってください。勝手に賭けの対象にしないで下さいよ」
「固い事を言うなよ。ちょっとした余興だろうが」
「いえ、僕は1カ月に賭けます」
訓練が1カ月続く事は確定した。それなら、少しでも回収しないと損だ。仕事を押して訓練しているので、多少の小銭でも稼いでおきたい。
そもそも、訓練はそんなにキツい物ではない。ジジイの暇な時だけなので、いくらなんでも毎日という事はないだろう。となれば、1カ月くらいは軽い。
「くははははは! それは無い! 金をドブに捨てる気か?」
「やってみなければ分からないでしょう?
今は手元にお金がありませんから、支払いは後日でいいですか?」
「ヌフフフ……。此奴の掛け金は儂が出そう。そこまで言ったのじゃ。逃げるなよ?」
「逃げませんよ。でも、僕にも本業があります。申し訳ありませんが、多少の融通は利かせて下さいね」
「分かっておる。客ならいくらでも紹介してやろう。
まずはここに居る連中に買わせようかのう」
「買わせるって、何をです? 俺達はムスタフさんと違って、割と貧乏ですよ?」
あまり乗り気でない男達に、見本の剣を渡した。
握りを確かめ、軽く振り回している。使い勝手を確認しているようだ。
「うーん……普通の剣だな。使い勝手は良さそうだ。クセが無いから振りやすい」
反応はイマイチか。悪くはないけど良くもない、といった様子だ。条件次第では売れそうだな。
「品質は見ていただいた通りです。ちょっと特殊な事情があるので、話を聞いて下さい」
そう言って、広告を見せた。
ピンときていないようだったので、口頭でも詳しく説明する。
話を聞き終えた連中が、俄に騒ぎ始める。
「なあ、おい。これは本当か?
10人に紹介したら、剣がタダになるって事だろ?」
マルチ商法の要素に食い付いた。連中は金が無いので、新しい小遣い稼ぎに目を付けたようだ。
「待て。よく考えろ。20本しか無いんだ。10人に紹介しても無駄だ」
鋭い奴が居るな。広告では20本しか無い事になっている。
「こんなに食い付かれると思わなかったので、20本しか準備しませんでした。店に帰ったら、もっと増やしてもらうように交渉します。
そうですね……今の倍、いや、3倍は準備します。皆さんには損をさせませんよ」
まあ、もともと100本の在庫を売り切る予定なんだけどね。最初から全ての在庫を提示するのはもったいないので、小出しにする。
「60本か。この街にいる剣闘士は、約500人だ。全員分とは言わなくても、まだ足りないだろう」
「分かりました。100本を目標に、在庫を確保します。さすがにそれ以上の在庫を抱えるのは怖いので、売れ行きを見ながら追加を考えます。これでいかがでしょう?」
「100……そんな数を確保するのは可能なのか? どんなに熟練の鍛冶師でも、一月あたり7、8本が限度だと聞くぞ?」
既に100本あるんだけど、『俺が無理をした』という印象を与えるのが目的だ。
「実は……この剣は店主が抱えている在庫があります。
店主は値上がりを期待しているのですが、交渉次第ではこちらに回してもらえると思います」
サクッとウォルターも巻き込む。何かしらのイレギュラーが起きた時、ウォルターに責任を擦り付けるためだ。
「値上がり……ねぇ。期待出来る物なのか?」
「作者の腕は確かなので、可能性は高いと思います。少なくとも、店主はそう考えていますね」
知らんけど。鍛冶師の腕前なんて、俺には分かりません。まあ、悪いものでは無いというのは間違いない。
「なるほどな。買っておいて損は無さそうだ」
「よぅし。じゃあ、さっそく行くか」
「待てよっ! お前、誰に声を掛ける気だ?」
「言うわけ無いだろ。早いもの勝ちだ。はっはっはっ」
男達が騒がしい。マルチ商法の要素が、良い方向に働いているようだ。金に目が眩んだ連中が無茶をしないように、念を押しておく。
「くれぐれも、必要としない人には声を掛けないで下さい。使ってくれる人にしか売りたくないんです」
「真面目な奴だなぁ。心配しなくても、俺の知り合いは剣闘士しか居ねぇよ。大量に連れて行くから、大金を準備して待ってな」
「ありがとうございます。期待して待っています。
それと、みなさんにも買っていただかないと、お金を受け取る権利が発生しません。ご注意下さい」
「分かっている。後で買いに行くよ」
男達は、いそいそと出ていった。
しかし気になるのは、連中の態度だ。どう見ても若そうな奴なのに、ずいぶんと失礼な物言いだった。まるで年下の少年と話すような口調だ。
――日本人は若く見られると言うが、俺の見た目はそんなに若かったかな……。
商売において、若く見られる事は決して良い事ではない。
経験が浅そう、頼りない、貫禄がない。これが若く見られるという事の側面だ。場合によっては利点になるが、多くの場面ではデメリットの方が多い。
鏡があれば今の状況を確認できるのだが、残念ながら今は無い。いずれ店で仕入れよう。
それよりも、今は剣だ。店でやり残した事がある。連中が店に行くよりも早く、店に帰りたい。
俺は在庫の確保に忙しい、ムスタフはそう思っているはずだ。帰らせてもらう。
「ムスタフさん。お聞きの通り、急用が出来ました。
申し訳ありませんが、一度店に戻ります」
「ウム……仕方がないな。明日も同じ時間に待っておる。必ず来いよ」
ムスタフは、心底残念そうに言った。今日は時間が短かったので、不本意なのだろう。
「分かっています。ムスタフさんも、剣をお渡ししますので店にお越し下さい」
「金を準備したら店に行こう」
「お手数ですが、お願いします。
では、今日はこれで失礼します。ありがとうございました」
ティーセットを片付けると、立ち上がって礼をした。
本来であれば、ジジイと男達を引き連れて店に帰る。金を貰うまではカモから目を離さない。目を離したスキに、心変わりする可能性があるからだ。
まあ、もしあの連中が来なかったとしても、訓練場に居ればまた顔を会わせる。逃す心配は無い。
とりあえず、今日は早く店に帰ろう。





